Thursday, March 5, 2015

問題=真理の表現の舞台

★木曜日が終わると、なぜかとってもホッとします。
でも、一番大すきな木曜日。
今日もとても楽しかった。
音楽で一杯遊んで、最後は動物スゴロクで大いにもりあがり、ヘトヘトだけど、とても良い日だった。
みんな他の誰も持っていない、たったひとつのオリジナルを持って幼稚園にやってくる。
それをお友だちの手に無理矢理にぎらせようとする子、自分の手の平にのせて見せてくれる子、投げる子、おいて走って行っちゃう子。
いろいろ。
私は、ひとつももらいそこなわないように、両手にいっぱい、両方のポッケにいっこづつ、あごの下にひとつ、口にもいっこくわえて帰りました。
とても幸せです。
★問題は後を絶たず、毎日いろいろ起こります。
ひとつ収まれば、ひとつ生まれ、ひとつ解決すれば、ひとつ発覚する、まるでモグラたたき。
でも、ヘンリの本を読んで学んだこと。
問題は、それに対処する私を見る誰かに、私の信じることを見せる媒体。
書いた文章や、演奏する音楽と同じ、私を表現するひとつの大切な作品。
だから、問題=真理の表現の舞台と思うことにして、奮闘中です。
福音のシェアリングなんて洒落たこと、偉そうでなこと、絶対、一生できない私の、これぞまさに体をはったミニストリー。
★とはいえパートナーの先生が、毎日、どんどん、生気をなくして、疲れてゆくのが手に取るように見えるのはとても心の痛むところ。
私のせいなのよね。
なにしろ、トラブルの吸い込み口のような私と一緒に仕事をしているのだもの、ご愁傷様と、言うほかありません。
でも、それも神さまの選びのご計画の一部と信じて、担っていただく他ありません。
だからこれ以上、彼に迷惑をかけないよう、遅刻その他の小さなエラーに細心の注意を払う決心の私です。(って今日も15分も遅刻しちゃった。ははは)

今日も読んでくれてありがとう
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