Tuesday, May 9, 2017

ホルマンハントの世の光

今朝、通読とは別に、黙示録の3の20を開きました。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞きて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
昨日の結婚式は、本当に素敵だった。
親も兄弟も姉妹も、まるごと、100%がクリスチャンの両家のポリシーが式とその後の会食に滲んでいました。
扉の外に取っ手のないホルマンハントの絵
友情と奉仕に支えられ、人生の門出を祝われた結婚式は、キリストのブランドの故にとてもとても高価で尊いものでした。
夕べ、私は、ひとつの、今まで考えたこともない思いを与えられました。
幼稚園を辞めてからのこの10ヶ月、一番よかったことは、晩ごはんを毎日、楽しく作れるようになったことです。
夫は、しばらくは幼稚園時代と変わらず、ひとりで外で食べて帰ってきていたけれど、いつしか、お腹をすかせて、帰路に着くようになりました。
この3ヶ月ぐらいかな。
キリストは、愛する人と共に食事をしました。
これは、本当に大切な愛の行為なのだと、遅ればせながら、考えてみているのです。
礼拝の後のフェローシップ・ランチョンもしかり、です。
共に食事をすること、食べるものを用意することのために、真剣に祈ってみようって。
驚かないでね。
結婚して24年、クリスチャンになって16年も経つのに、食事のために、良い食卓のために、祝福された献立のために、また、食事を囲んだ交わりのために、祈ったことがありませんでした。
だいじょうぶ、私100歳まで生きるつもりだから、今からがんばろう。
昨日は、そんなこんなでプールに行けなかったので、今日は、仕事だけど、午後からちょっと無理して行ってこようと思う。
なんのため?
もちろん祈るために。