Saturday, September 29, 2018

詩編 16章

測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。
私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、
私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、
私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
詩編 16:6~9
まさに、今朝の私の心を最もなぐさめ、励ます、主のみことばです。
去年の夏、新しい職場へと主によって導かれ、1年が過ぎました。
たったの1年だけど、ものすごくいろんなことがありました。

●出勤初日、とても満たされた気分で、家に戻ると、賢人が、私のこれまでの人生の最悪のニュースを握り、ひとりで悲しみながら待っていました。
「じょえるのことで、父さん、スーされたみたい」
その翌日から、訴えられた超本人の夫ははなを連れて、日本旅行に旅立ち、日本から送られてくる楽しそうな写真の数々を呪いながら、あじゃなくて、それに励まされながら、その対処と並行するように新しい職場の新しい仕事へと突入してゆきました。
●主によって弁護士とつながり、やれやれと思いきや、今度は、日本にミッショントリップに行った賢人が帰りの飛行機に乗り遅れ、いくらかのペナルティと共に一週間、滞在の延期をするか、オリジナルプライスで航空チケットを買って翌日帰ってくるかの選択に迫られ、泣きそうになりながら祈りました。
この時は、教会のみなさんの祈りが聞かれ、そのどちらでもない、第3の選択が天から降りてきて、ペナルティも払わず、新しいチケットも買わず、次の日の同じ便に乗せてもらえました。
ちなみに翌日の飛行機の席をなんとか工面してくれたのはその航空会社のアメリカ側のオフィスでした。
にも関わらず、あの子の日本への愛になんの傷もつかず、それどころがますます、日本を好きになっている。
●無事に帰ってきて、やれやれと息を着く間もなく、幼稚園が物々しい雰囲気に呑み込まれ、渦に巻かれるように、それでも、その中心の最も風の少ない所を、みんなで心を一つにして歩いてきた。
●そして最後に、賢人の寮への申し込みが完了していない事件発覚、2度めの申し込みが受理され、ウェイティングリストにのせてもらって、やれやれと思いきや、今度は主によって、エイドを一旦取り去られ、再び与えられ。
この9月、無事にUCIへと進みました。
ふう〜。
それでも私は、「測り綱は、私の好む所に落ちた」と言います。
「私のたましいは楽しんでいる」と言います。
私の身もまた安らかに住まおうと。
アーメン