おひさしぶりです。お元気でしたか。
私は、相変わらず新しい日々に感動しながら、転がるように生きております。
瞬きをする毎に、知らなかった事に出会い、反省し、学び、そして感謝する毎日です。
知らないことだらけということを知り、開き直って楽しむことができるようになると、周囲はもちろんだけど、神さまは、特別なご加護で守ってくださるようなので、どんどん図々しく、そして前向きになれるのかもしれません。
何度めかの通読がもうすぐ終わりに差し掛かり、名残り惜しんで、アイスの棒を舐めるようにな気もちでヨハネの手紙を読んでいます。
今朝は「神から生まれた方が彼を守ってくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです」に涙がこぼれてしまいそうなほど感謝しました。
上手じゃなくても、器用にこなせなくても、大胆に純粋に目標に向かって歩む時、上手な人や器用な人が送られてきて、教えてくれたり助けくれたりする奇跡が、私の日常になりつつあります。
偉そうにならないように気を付けるので、そのコツについてちょっと書いてもいいかな。
あのね、それはね、(取り敢えず、十分に準備したり計画したり練習したりということは前提なのだけど)、教えてもらったり、手伝いの手が述べられた時に、絶対に反射的に反論しないこと。
もし、言いたいだけの意見であれば、言ったことですっきりして、あるいはひるまないことに安心して強引に変えようとはしなくなることがほとんどです。
奇抜な方法だったり、今まで誰もやらなかった何かをやろうとすると、必ず、意見する人が出てくるものという風にあらかじめ覚悟しておいて、その意見は全て静かに聞くと、最初から決めておきます。聖霊さまの警告が含まれているかもしれないから、見分ける力、聞き分ける力をくださいと祈りながら。
実際、その意見のおかげで、失敗を免れたことも数知れずあるのです。また、私の曖昧な説明に見守る判断が下され失敗したこともありました。
すごいプロ集団の中に放り込まれました。
早いもので4年め、今のポジションになってからはまだ2年目です。
ホンモノを見せてくださいと、長年祈ってきた結果です。
プロ達が考える失敗の可能性は、とても大切で貴重な意見である事に気づき、「聞く」ということができることになることが私のここでの第一、無二の処世術となりました。
でも、その「聞く姿勢」を、「私の姿勢」にして、周囲がそう認めてくれた時、本当に奇跡が起きるのです。
大学で聞くには高価な授業料が必要ですが、職場で聞くのは報酬が伴う仕事です。
学びながら報酬を得ることなのです。