Monday, March 31, 2014

電話+GPS+辞書+インターネット<聖霊さまの導き

あまりの不便についにぶちきれ、(正確には私の周囲がね)生まれて初めて携帯電話を買いました。(正確には夫にがね)
契約と同時に無料でもらえる電話機と違っていろいろ便利そう。
そして、クルマも預けていた修理のガレージからもどってきて、すごぶる調子よしです。
不便も便利もみい~んな、天国からの贈り物。
かわりばんこにやってくる、神さまの恵み、そして憐み。
でも、このちっちゃな長四角を信じて頼り過ぎないようにしよう。
聖霊さまの導きに勝るものなし。アーメン。



満足+平安=爆睡

おはよう。
昨日は運動会の後、打ち上げには参加せず、即行で家に戻り、家族に結婚記念日をお祝いしてもらいました。
海栗だ、海老だ、イクラだ、はまちだと、大好きな魚介類をおなか一杯食べて、大満足のうちに安らかに爆睡しました。
そして今朝、胸の下にぴきぴきとした筋肉痛のようなものを感じます。
綱引きにもリレーにも全力で挑み、なんとリレーでは6クラスの中で優勝したの。
だから、こんな痛み、しかも笑った時にだけ痛む痛みなんて喜んで引き受けるわ。
今日は、幼稚園はふりかえ休日でデイケアの日です。
先生方がお片づけをしてくださっている間、デイケアで登園してくる子どもたちのお世話をします。
はなは今日、なんとかなんとなんとかデイでお休みなので、一緒に出勤です。
さて、次はどんなチャレンジが私を待っているのだろう。



Sunday, March 30, 2014

ある日の練習風景

すばらしい運動会でした。
キンダーの組体操も大成功でした。
今日は写真も動画も撮ることはできなかったけど、これは、子どもたちと考えるために撮ったある日の練習風景です。
本番の今日は、この何倍もうまくいき、そして輝いていました。
お祈りのおかげです。
心から、ありがとう。


8秒ほど

おはよう。
ついに、いよいよ運動会。
毎週、祈るような思いで組み立ててきたキンダーの組体操。
チャレンジを与えてくださったのは神さま。
ちょうど、こんな静かなひとりの早朝だった。
7人の男の子と1人の女の子が組体操をしている幻を動画で見せてくださった神さま。
行ってくるね。
神さま、どうぞ一瞬、ほんの8秒ほど、彼らを堅く立ててください。
16本のその足を、あなたのくださる巌の上にしっかりと。

Saturday, March 29, 2014

しゃき、すくっ、さらさら

人は種を蒔けば、その刈り取りすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、
御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
善を行なうのに飽いてはいけません。
失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
ガラテヤ6:9
おはよう!
土曜日だけど、土曜日のお楽しみは朝のお寝坊のはずだけど、なぜか、しゃきっと目覚めたので、すくっと起きて、ガラテヤ人への手紙をさらさらと6章読み流しました。
今週は、ほとんど、聖書を開くことができなかったので、ほんの6章ぽっきりだけど、今、ようやく一息ついております・・・。
いろんなことが次々に起こり、それに対処するための、私の小さな小さな愛や忍耐や知恵や力もついに底をつき、ぶちきれかと思いきや、そんな時に、いつの間にか横にいて、私の仕事を私の代わりに黙って淡々とやってくれる人がいる。
思えば、彼女はいつもそんな最悪のムードの私にのこのこと近づいて来て、黙って私の世話を焼く。
全くの賜物の違うコテコテの三代目クリスチャン。
私の口から飛び出ししそうになった、数々の毒と棘に満ちるであろうことばを、ただ側にいて手を動かすことで押し留めることのできる人。
またしても、彼女の愛に制された、ヘロヘロのクリスチャンの私です。
さて、今日は、賢人を海に送り、私とはなはショッピング。
はなのお友だちのお誕生日プレゼントやカード、そして夫と私の結婚記念日の準備。
なんと今日で20年です。
結婚記念日なんて一度も祝ったことがないけど、でも20年目だし祝おっかってことになりました。
今日は夫が遠出の仕事なので、たぶん、明日ね。








Friday, March 28, 2014

だから、ハレルヤ

おつかれさま。
よくがんばりました。
ごくろうさま。
どんな1週間でしたか?どんなことがありましたか?
私は、クルマがエンジンの不調で1月からずっとガレージなのだけど、借りている車にほとほと疲れ、コンピューターはどんどんおかしくなり続け、携帯電話の通話がついに切られ、さんざんだったけど、でも大丈夫。
元気に、無事、金曜日の夜です。
毎日、毎日本当にいろんなことがあります。
それはそれは、いろいろと。
でも、とても感謝しています。
家族がみんな、毎日、毎晩、元気にこの家に帰ってきてくれる。
一緒にごはんを食べて、そして一夜も欠かさず一緒にすごすことができました。
そして主が造られた朝を、家族が4人揃って迎え続けた1週間。
いろいろあったけど、いろいろあったから、私は今日も主の守りを感謝せずにはいられません。
それでも、家族がいつも一緒で、元気で、仲良しでいることができました。
だから、ハレルヤ。
だからやっぱり、ハレルヤなのです。



Wednesday, March 26, 2014

Babes on Broadway

行ってきました!
はなの学校の、年に一度の大掛かりなダンスの発表会
衣装も音楽も、すっごく凝って、どきどきしちゃう
チケットを売って、大きなステージで見せてくれればよいのに!
屋根の上で煙突をお掃除するダンス
すごい人数なのに、ぴったり息がそろっていてびっくり!
特大の扇もりぼんも止まることなく、体のまわりを動き続けます
さぞや、いっぱい練習したことでしょう
衣装は一番地味だったけど、でもこの子たちのダンスが最高だった
中でもはながピカイチ!
はな、最高!
私は筋金入りの親ばかです






Sunday, March 23, 2014

パウロの足跡②

蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、
あなたがたにも蒔く種を備え、
それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
Ⅱコリント9:10
燐としたうれしい緊張感の中で目覚める日曜日の朝です。
ここ一月毎週こんな気分で聖日の朝を迎えているけれど、ずっとずっと続けばいいなって思う。
昨夜読んでいたスー・オーガスティンの本にこんな図が載っていました。
書けるかな?書いてみるね。
←攻撃的AGGRESIVE―――自己主張ASSERTIVE―――受け身PASSIVE→
スーはこの図のために、正しい自己主張のために、ひとつの章をさいて書いているのだけど、その中からひとつの文章だけを選んで、今朝シェアさせてもらいます。
自己主張とは、自分の考えや感情、要望や必要などを正直に、相手に敬意払いながら伝えることです。
言い換えるなら、本当に必要なものや望んでいることが叶うように、それをきちんと、意地悪せず、不機嫌にならず、反抗的な態度を取らず、敵意をもたずに言うことなのです。
自己主張しなければ、あなたの態度は、受け身か攻撃的かのどちらかになります。
コリント人への手紙は全部で四通あったのだそうです。
現存する二通の手紙の内容から推察された事実のようです。
そして、その中でパウロは、この三つの感情の間を激しく揺れていたのではないかなって思いました。
でも、彼は主の導き、パウロ流でいうところの霊の導きのままに旅をし、霊の導きのままに語り、そして、それは、結果として大切な真理を与えることとなったのではないかしらと思うのです。
私は、いつも受け身であるか、攻撃的であるかのどちらかではないかなっと考えてみています。
これからもたれる、世界の全ての礼拝に、パウロの志した霊の導きと、主のご臨在が豊かにありますように。
アーメン
       


Saturday, March 22, 2014

パウロの足跡

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、
すべての良いわざにあふれる者とするために、
あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
Ⅱコリント9:8
思ったほど、っていうか完全に私の思い込みなんだけど、午後になっても全然気温が上がらず、長袖のシャツを2枚重ね着して靴下を履いたいつもと全く同じ冬の週末の格好で、家の中でちまちま好きなことをしてすごしました。
夫とはなはじょえるを連れておでかけ。
賢人もスケボー抱えてふらっと行ってしまったので、朝の家事を終えた私は、午後の間、ずっとひとりで、背中をまるめて(たぶんね)読んだり調べたり考えたり感じたり祈ったりしてすごしました。
使徒とローマとコリントを行きつ戻りつしながら、地図を広げ・・・。
そして思うのよね。
パウロが見つめるもの、見つめ続けたものって、「サウロ、サウロ」と呼ばれたあの日以来、ずっとずっと同じ。
どんな時も、一貫して、頑固に、一点に集中したパウロ。
それは聖霊の導き、そして天国。
そして、心からごめんね、ありがとう、パウロって思う。
そうまでしてパウロが守りたかったコリントの教会を、今、私も自分の教会のように感じています。
コリントの教会のために書くこと、心を配ること、祈ることは、のちの全てのキリストの教会を守ることにつながっていたとは、当のパウロも知らなかったかもって思う。
教会に対する愛なんて、特別な人、長老さん、役員さんたちにだけ与えられた特別な召しと思っていた。
でも、本当はそうじゃない。
就職や、結婚や、子育てと同じ。
召された限り、誰もに備えられた自然な愛だと思う。
ただ、それは人生と命をかけた、大事業。
結婚や子育てと同じ、人生と命をかけた大事業。

コリントを読んで霊と体について考えた

いったい、人の心のことは、
その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。
Ⅰコリント2:11

おはよう。
たっぷり眠っていい気持ち。
500ミリのお水をいっきに飲みほし、おいしいコーヒーを作りました。
それからコリントの続きを開いて読んでいます。
そして、人の内側にある霊について考えてみました。
造られた人の霊が造ってくださった方の霊との調和なく生きてるって、すごく苦しいこと思う。
ノンクリスチャンならまだしも、クリスチャンはきっと生きてゆけないほど苦しいと思う。
それで、自分が苦しいときには、まず、この内なる霊との不和を疑わなくちゃって考えてみました。
手元にある仕事や、目の前に山になっているめんどうなあれこれも、目的意識を変えなくちゃ、どんなに一生懸命、完璧を目指してやったろころで、意味がなかったりして。
それは、あまりにも空しいこと。
空しいだけならまだしも、それこそ、ぷんぷん怒ってやるなら、いつか読んだ本に書いていた、『環境汚染』にもなりかねない。
「ああ神さま、それはとんでもなく、私のやりたいこととはあまりも違っています。あやまちを悟らせてください、悔い改めさせてください、正しい目的意識を私に与えてください!」とあわてて祈りました。
それから、その霊を宿す、体のことについても考えてみました。
もうすぐ、運動会。
走るの絶対イヤだとガンコに拒否する40代のママたちの頑ななまでの拒絶に、無理強いするのはお気の毒、おケガでもしちゃったら本当に申し訳ないと、あまり強力にはお願いできずにいます。
私は、今しばらく、いつでも走れる人でいたいなって思う。
運動は苦手、走るのもとても遅いけど、でも、さって立って、たたたって走れる人でいたい。
さて、土曜日だよ。
窓を開いて春の日差しを一杯にいれて、そうじするもよし。
春を見つけに運動靴をはいて、お出かけするもよし。
庭に椅子を出して木陰で読書するもよし。
楽しい週末をおすごしください。
また、すぐ書きます。



Friday, March 21, 2014

最後まで、一生懸命がんばります

おつかれさま。
どんな一週間でしたか?
私は、主によって、未熟なくせに生意気な自分をまざまざと見せられ、砕かれていますって書きたいところだけど、ますますとんがっちゃって、どうしたものだか・・・。
子どもたちに、運動会の選手宣誓で、『最後まで、一生懸命がんばります』って教えているのだから、その責任は果たさなくっちゃって、小さな人たちに望む姿と私自身の姿に矛盾がないように、とんがるなら真剣にとんがろうと思うのです。
全ては天国からの贈り物。
楽しいことも楽しくないことも、やりたいこともやりたくないことも、『最後まで、一生懸命がんばります』。
なんちゃって。



Thursday, March 20, 2014

春は来た


やれやれって、いつになくくたびれた気分で帰路に着き、誰にともなく「ただいま」ってつぶやきつつ、のろのろとキッチンまで進むと、夫が、「お兄さんからお手紙だよ」って渡してくれた。
開くと満開の桜。
うゎ~と思って、しばらくかたまっちゃった。
やっぱ血は争えないっていうか、母も3Dカード好きだけど、お兄ちゃんもそうだったんだ。
実は私もはなも無類の3Dカード好き。
はななんて、手作りしちゃうのだから、あきれたDNAの情報伝達の確かさです。
女の子みたいな文字もそのまんま。
ちっとも変っていません。

カードを自分のデスクに飾って、どかっと椅子に座りこみ、コンピューターを開いてメールチェックすると、これまた春を告げる、涙の出そうなメールが東京の千代ちゃんから届いていました。
やっとのことで書いていますという、冬の終わりを宣言する長い長いメール。
ピアノのこと、片方だけの靴下のこと、仕事のこと、大学進学のこと。
3回読んで、それでも読み足りなくて、特別なフォルダに保存しました。
彼女も、日本ももう春だからって、それで、私にメールをくれました。
私は、幸せです。
愛する人が教えてくれる、春はきたよ、ただこの春を楽しもうって。




Wednesday, March 19, 2014

水曜日の夢

水曜日ははなのダンスのレッスンの日。
3時に幼稚園を出て、はなを迎えに行き、スタジオに送り、1時間半のレッスン中に、一週間の家事の半分をやっちゃう日。
ろくな主婦じゃないことがばれちゃうね。
洗濯機を2回周しながら、掃除機をがががとかけて、それでおしまい。
家はちっちゃいし、賢人と私は制服だから洗濯モノの量も大方決まっているので、これでちょうどいいのです。
家事は気分転換。
心の整理の時間。
これ以上だと、余計なことをしはじめて、とまらなくなっちゃうのよね。
子どもたちの写真のコラージュだの、小さくなった服の整理と再利用のための仕分けだのって。
週の真ん中にこんな時間がぽんとあるってとてもいい。
聖霊さま、私はいつもドライブしながらあなたと共に祈るけど、そんな時はいつも家族のこと、友だちのこと、仕事のこと、教会のことってその順番。
でも掃除機をかけながら祈る時、あなたは、私にこの家への新しいビュウを見せてくださいます。
この家への愛や夢で、私を新たに満たしてくださいます。
聖霊さまの住まう家、人々が愛し合う家、旅人が休むことのできる家。
そんな家を夢みながら、が~が~が~が~掃除機をかけました。
ところが聖霊さま、私にとって夢とは実現すべき、すぐそこにある目標なのです。
どこまでもしつこい私です。







朝明けに

おはよう。
毎日、いろんなことに気づいて、いろんなことを考えて、いろんなことを感じます。感謝します。
夕べも、お手紙に対する自分のセンスティブな気持ちを書いてみて、はじめて、Eメールやその他、日々受け取っていた印刷物に大きなプレシャーがあったことに気づきました。
ひとつ、またひとつと、主に明け渡し、委ね、癒していただく日々です。
夜は銀色のお月さまと感謝のうたをうたい、
朝は金色のお日さまと喜びのうたをうたいます。
今日も、よい日でありますように。
アーメン

Tuesday, March 18, 2014

私の好きな文章・緻密な計画・愛のチームワーク

毎日、いろんなメールが届きます。
さまざまな内容が、さまざなな場所から、さまざまな人から。
家族から、友だちから、勤め先から、教会から、知らない人から。
私は自分が勤める幼稚園から届くメールをいつも奇跡のように感心して、受け取っていました。
保護者宛の感染病に関する書きにくいお手紙から、行事のお知らせのリマインドにいたるまで、そこにあるのは情報の正確さと、混乱防止の配慮と、そして全体の益というすっきりとさわやかな愛。
こんなお手紙を、3年以上受け取り続けてきて、こんなに完璧なビジネス・レターを1通たりともエラーなく書き続けられるグループはそうそういないでしょうって思っていたのに、今週受け取ったのです。
とっても似ているお手紙を。
それは、まさにうちの幼稚園の『お料理の日』の段取り表。
緻密で、愛に満ちた、伝達のための事務的なメールは、チームワークに必須の共通の理解。
これがきっと、私が上手に自由に動くために必要な大切なこと。
これが私の大好きな準備の方法。
関係者のみんなが受けとって、心を準備して、助け合うための大切な情報。
それをポケットにねじ込んで動くこと。その安心。
作ってくれたのは幼児教育畑の人、そして整えてくれたのは現こどもミニストリーの中心の人、送ってくれたのは元私のボス。
やっぱりねって思う。(これ、全然深い意味ないです。ただなんとなく、やっぱねって思ったの。)
そうこなくっちゃって。

Monday, March 17, 2014

色々まとめてゴメンナサイ

鮭、椎茸、葱と、牛乳、小麦粉、バターとで、ぱっぱとソースを作りがらパスタを茹でて子どもたちにばーんと出してきました。
帰りのクルマの中で考えた即興レシピで、我ながら、ちょとヒットかもってわくわくしています。
賢人もはなもおかわりをしてくれました。
日曜日の午後に聞いたアーサー・ホーランド牧師のメッセージの影響ね。
いい年して、月曜日から即興ライブなお料理にぐぐぐ~と心を集中させちゃった。
月曜日の夕ごはんなんて、絶対失敗したくないし、やり直すぐらいなら、最初からマクドナルドの方がまだましなのに、こんな大冒険。
でも、結果おーらい。
新しいレパートリーになるかもしれません。
さて、どんな週の始まりでしたか?
私は、思えば、そう、毎日が即興なのよね。実に。
いろいろ一杯考えて、いろいろ一杯準備して、いろいろ一杯練習して、そして臨むのだけど、でも結局はその瞬間に全て判断しちゃうんだ。
だから、周囲の人は、「えっ?なにそれ?」ってなっちゃうのかもしれない。
人知れず、迷惑をかけ続ける私だけど、こうやって、事あるごとににいろいろ気づきます。
色々まとめてゴメンナサイ。













Sunday, March 16, 2014

私の夢

どんな日曜日でしたか?
私は、賛美の中にもメッセージの中にも主を見、聴き、触れ、涙がこぼれてしかたのない、聖なる日でした。
最初に来た日から数えて4回め。
4枚受け取った、週報の表紙の文章です。
神が働いておられる場所
傷ついた人たちが神の栄光を見つけ出し
信頼のおけるコミュニティーで愛することを学び
そして隣人と仕える
ビジョンなのでしょうね。
めずらいしいビジョンです。
でも、私もめずらしい人だから、この文章を最初に読んだ時、感動して泣きそうになりました。
ここに植えられたい、心からそう思います。
ここに根づきたい、心からそう願っています。
生まれてはじめてのこの願いを、信仰の友にも祈ってもらうことにしました。
ホームレスの人に近づくという私の夢への扉が、もしかしたらここにあるかもしれない。





静けさの中で

日曜日の朝です。
緑亀のチャイタの水槽のぶくぶくを聴きながら、おいしいコーヒーを飲みました。
朝日が差し込むダイニングテーブルで書いています。
こんな穏やかでやさしい朝のことを、長い間忘れていました。
インターネットのメッセージもipodの音楽も、何もいらない。
ただ、静かに座って、時を待っています。
神への礼拝の時。
窓の外では小鳥のさえずりが聞こえます。
壁の向こうからは夫のいびきも聞こえます。




Saturday, March 15, 2014

戦車&機関銃

いいお天気でしたね。
暑いほど。
賢人のサーフィンのビーチへの送りを、夫がはなとじょえるを連れて行ってくれたので、朝は音楽を大音響で流しながら、心ゆくまで洗濯とそうじをすることができました。
狭い家だから、掃除をはじめると家族みんな、身の置き場に困ったように、戦車のごとく突き進む掃除機をよけてくれるだけど、やっぱり申し訳ない。
せっかくのお休みだし。
だから出はらってくれると、盛大にがんがんやれてとってもいい気分。
ここまで書いたところで、電話が鳴ったので見るとメグちゃんからでした。
もらった電話なのに、私はこのひと月の出来事を機関銃にのようにだだだだだっと、いっきにまくしたて、メグちゃんは「ハレルヤ」とやっとのことで口を挟んでくれた。
明日、ジビックでアーサー・ホーランド牧師のメッセージに合わせて、歌うということなので、ゆりかさんを誘って行こうかな、2時だって。
ゆりかさんに電話してみよっと。
今夜は夫がチャイニーズをToGoしてきてくれました。
おいしそうです。
私の大好きなかたやきそばもありました。
じゃあね、明日もきっと、良い日でありますように。



種まき計画

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。
聖くなければ、だれも主を見ることができません。
へブル12:14

たっぷり眠って、気もち良く目覚めました。
今週は、いろんなことが新鮮で新しくて、どきどきと楽しかった。
慣れていて、簡単と思うこと。
時々しかやらなくて、えっとえっとって思うこと。
初めて挑戦する、難しいと思うこと。
どんなことも心一杯、力一杯できてうれしかった。
でも、何よりもうれしいのは、聖書のことばがさらに新しく、力づよく、感じられること。
祈りが変ったこと。変えられたこと。
夫のための祈りに自分の真心が感じられるようになったこと。
幸せの種は、まず、ここに盛大に蒔くことから、はじめようかな。
感謝すること、励ますこと、労わること。
ことばで。かたちで。


神さま、毎日を一生懸命に生きることができるように助けてください。
昨日の試練や、明日の問題がどんなものであったとしても、今日という日に気もちを注ぎこむことができますように。
大地に幸せの種を蒔く人にならせてください。
水を撒いてくれる教会を与えてください。
そこにあなたの光を注いでください。
刈り取りを見なくてでも、収穫を食べられなくても、私が幸せでいられますように。アーメン
義の実を結ばせる種は、
平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
ヤコブ4:18


Friday, March 14, 2014

泥んこ遊びと放課後のビジネス

濃厚な時間はその重さと反比例。
びゅんびゅんと飛ぶように過ぎてゆきます。
うそみたい。
もう金曜日の夜。
おうどんを作って、食べて、最後は泥んこ遊びでフィナーレ。
耕す前の野菜とお花の畑に、水を盛大にそそいで、チョコレートの池を作りました。
泥んこで遊んだことがないひと、家出したことないひと、失恋したことがないひとに、教えてあげる。
人生の醍醐味を味わっていないわ、あなた。


1分1秒を争うように、お迎えに行く金曜日。
ピアノのレッスンの日です。
なのに、なかなか出てきてくれなくて、探しに入ると、浮かない顔のはな。
「いいところだったのに」って。
真面目を絵に描いたようなおとなしそうな女の子と二人で、カップケーキを作って売っている最中でした。
信じられないことに、すでに買ってくれた子がいたらしい。
ホンモノのキャッシュ、50セントで・・・。
ああ、母は、もう顔から火を出す思いで、丸ごと買いますといいながら、商品ごとわが子を連れ帰りました。
売り上げは山分けして25セントですでに小さなスナックを買ったらしい。
私がまとめて50セントで売ってちょうだいと脅すように値切ると喜んで応じ、2個あげたクォーターの1個をその子のために分けていた。
パートナーの子はカソリックのプライベートスクールの制服を着ていたけど、おうちに帰って、はなとのおつきあいを、とどめてくださいとマリアに祈られているいる気がしてならない・・・。
ホントに、全く、すんませんです。はい。




種さがし

いとしい日々は飛ぶように過ぎてゆきます。
でも、いとしい人々も、この新しい朝を一緒に迎えていると思うと、ちっとも淋しくありません。
そして、私のために祈ってくれている。
私も祈っています。
考えていることは、感情になり、感じていることはことばとなり、ことばがやがて私を決めてゆくって、そういうことをクルマの中でぼんやりと考えていました。
どこかに書いていたな、どこだっけ。
私は種を蒔きたいのだけれど、どうやって蒔こうって思いながら、聖書をめくっています。
ことばという種。
励ましという種。
一緒にお祈りしてあげるという種。
ホームレスの人にあげる種がほしい。
そんな気もちで聖書を開くと、何度も読んだみことばも違って聞こえてきます。
考えることを選ぶために、今日も私は聖書を開きます。

Thursday, March 13, 2014

蒔く人になりたい

祈るような思いで組体操に取り組み、粉まみれになりながらうどんを作り、パラバルーンをぶわ~んとふくらませて、そして再び祈るような思いで組体操に取り組み、粉まみれになりながらうどんを作り、パラバルーンをぶわ~んとふくらませていたら、あっという間に木曜日です。
日曜日書いた『祈り、祈られ、春うらら』を、もう少しだけくわしく説明してみようかなって思ってがんばってみたけど、やっぱり上手に書けなくて、結局捨ててしまいました。
前を向いて、楽しく、幸せに歩き続けるって、過去に抱えていた葛藤をすべての人の言動と切り離して考えること、そして忘れることって、自分で書いた気がするけど、今まさにそれを実行すべき瞬間だと思って、ポイと捨てました。
そして、ちょっとがんばって『おはようスポルジョン』の中を整理しました。
夕べのことです。
すごくすっきりしました。
それはとても良いことだったようで、今朝は、そのすっきりした気分に、新しい目標やイメージやアイディアが次々と湧いてきました。
いえ、シャワーのように降ってくる感じです。
ひたすら蒔きたい、蒔いて蒔いて蒔きまくりたいと強く願っていました。
何の話?って思うかしら。
種の話です。
喜びの種、幸せの種。
すっきりとしたら、よい意味でのからっぽ感は、私に蒔く人になりなさいって教えてくれるのです。
からの手を差し出したら、そこにきれいなお花でもおいしそうな実でもなく、種をのせられました。
蒔きなさい。
行って、その先々で蒔きなさいって。
明日は最後のうどん作りが待っています。
回を重ねるごとに上達してゆきます。
うどんはどんどん薄く細く、つるつるになってゆきます。

Wednesday, March 12, 2014

神さま・・・

神さま、僕の前を進んでゆく、明るい炎となってください。
僕の上から照らす、導きの星となってください。
僕の足の下にある、平らな道となってください。
僕の後ろにいる、やさしい羊飼いとなってください。
今日も、今夜も、そしていつまでも。

Sunday, March 9, 2014

祈り、祈られ、春うらら

いち、にの、さん!で飛び立つ決心をしました。
今日は、小さな小さな種のようなはながおなかにいた2005年の夏から数えて、もうすぐ9年だった教会から、教会籍を抜いていただいた新たなる出発の日、記念の日曜日となりました。
今はただただ、静かな感謝と、清清しい希望に包まれています。
またしても、母のわがままに翻弄されるはなは新しい教会学校で新しい友だちを作るというチャレンジに燃えています。
彼女のポジティブで社交的な性格を、今回ほど感謝したことはかつてありません。
賢人は、洗礼を受けた彼の教会で、信仰の友、仲間、いいえ兄弟達、に囲まれ、これまでと変らず礼拝を守り続けるという選択を自ら選び、私は、彼のために、彼の教会のために、彼の牧師のために、そして彼の指導者達のために、これまで以上に祈る決心を新たにしました。
さて、私の旅はまだまだ続きます。
てくてくてくてく。
祈り、祈られ、春うらら。
歌いながら、地図を片手に、時々ポケットから磁石を取り出し、歩き続けます。
てくてくてくてく。
祈り、祈られ、春うらら。

いち、にの、さん!

まことに、
あなたは喜びをもって出て行き、
安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、
野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
イザヤ55:12

Thursday, March 6, 2014

分岐点

私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。
私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。
あなたはいのちを選びなさい。
あなたもあなたの子孫も生き、
あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。
確かに主はあなたのいのちであり、
あなたは主が、あなたの先祖、
アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、
長く生きて住む。
申命記30:19,20

Wednesday, March 5, 2014

全能の父なる神を信ず

間違った選択によって、神さまが用意してくださっている、召や使命や祝福から、離れてしまうことってあるでしょ。
でも、神さまっていつも代案を用意してくださり、やっぱりそこに導こうとされてると思う。
ちょうどそれは、GPSが最後まで目的地に向って導き続けるように。
しかも、その間違いや、遠回りの中にさえ、たくさんの良いことを経験させてくださる神さま。
全知全能って、そういうことなのよね、きっと。
恐ろしいほどに、全知全能な神さま。
私は、神さまに、何かを、―それは御心と信じるものなのだけど、願うよりも、神さまの臨在そのものの方がよっぽどいいとこの頃思う。
何はなくとも、荒野でもエジプトでも地上の幕屋でも、どこでもドアで天国の家にいる気もちになれる臨在の方がよっぽどいいって思うのです。

Tuesday, March 4, 2014

新しいファイル

今朝、起きて一番に、聖書の通読も祈りもそっちのけで、ライトの下でメガネをかけて必死になってイザヤをめくりました。
でも見つかりません。
それは「隠されていることは、私たちの神、主のものである」という意味のことば。
見つからないけど、でもそれは神さま声のように聞こえたので、それで、夕べ書いた記事を、今朝少し直しました。
感じることは考えることの結果だから、去った理由を考えて分析することは、せっかく去ったマンデーブルーの代わりに他のやっかいを呼び込むことになりかねないと思ったのです。
心の中に、『祈れなかったのに受けた憐みと恵み』という専用のファイルを作って、書こうとしたことをそこに入れました。
『祈れなかったのに受けた憐みと恵み』の不思議さは、いつも神さまの分け隔てというか、分離というか、そんなものと関連していて、理屈ではないことを思い出したのです。
前向きに歩くって、過去の葛藤をすべての人の言動と切り離しておくことと思う。
そして忘れること。
恵みはファイルにあるから、もう忘れももだいじょうぶ。

Monday, March 3, 2014

脱・マンデーブルー②

ただいま~!
やっぱり今日もマンデーブルーは起きなかった。
おつかれさまでした。
どんな1日でしたか。
私は火曜日や水曜日や木曜日や金曜日のように一生懸命、精一杯、私の全力で臨み、そしてそれは、なかなかよかった。
マンデブルーが消えて、私の一週間はまるで24時間ほどの余力、余裕が生まれたよう、返ってきたよう。
それは、例えていうなら、クーポンで20パーセントもセーブした気もち。
使ったうちの20パーセントがポイントとしてキャッシュバックされた気もち。



今日も笑顔でエコしましょう

こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。
ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。
私たちはキリストに代わって、あなたがたに願います。
神の和解を受け入れなさい。
Ⅱコリント5:20
おはよう。
今朝はとびきり寒い気がするのだけど、これは、昼間、温かくなる証拠なのかな。
だといいな。
Ⅱコリントの5章にどっきりするみことばを発見しました。
和解は神による懇願というこのくだり。
十字架のイメージ、最後の望、切り札、砂浜に落とした鍵、ただひとつの橋というイメージがふきとびそうです。
パウロは神さまに、「サウロ、サウロ」ってやさしく捜し出され呼びとめられたから、それがきっと彼の偽らざる実感なのね。
私は、パウロを信じるわ。
夕べは、『置かれた場所で咲きなさい』という小さな本を読みながら寝ました。
とてもおもしろい文章を見つけたの。
シェアさせてね。
不機嫌は立派な環境破壊だということを忘れないでいましょう。
私たちは時に、顔から、口から、態度から、ダイオキシンを出していないでしょうか。
これらは大気を汚染し、環境を汚し、人の心をむしばむのです。
笑顔で生きるということは、立派なエコなのです。
★エコってなんだろうと思って辞書をひくと、エコロジカル、環境保護とありました
さて、今日も笑顔でエコしましょう。

Sunday, March 2, 2014

やさしさに包まれて

やさしさってときどき、すごくはっきりとよくわかる
味わうことができる
やさしさってときどき、すごくはっきりとよくわかる
読みとることができる
そんなやさしさに包まれて、今日も私は元気です。


霊と霊の交わる時

わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネ4:14
人のやさしさに包まれてはじまり、神の霊にひたされて終わろうとする今日という日を心から感謝しています。
神さまは霊だから、だから、私も霊で礼拝しました。
霊と霊。
今は、それだけで十分。
それ以外のものは何もいらない。
それ以上のものは何も受けとめられない。


おいしいコーヒーを飲みながら考えた

ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
Ⅱコリント4:16
おはよう。
好きなコーヒーを切らしていると思って、好きじゃないコーヒーを飲んでいたら(今週ずっと)、好きなコーヒーの買い置きがもう1個残っているの昨日見つけ、今朝は起きるのがとても楽しみだった。
そして、そのおいしいコーヒーを飲みながら、コリント人への手紙の続きを読みました。
Ⅰコリントの15章の56節の死のとげは罪であり、罪の力は律法ですってどういう意味だろうってちょっと考えてみました。
よくわかりません。
律法は愛なのに・・・。
律法と言えば、そう!今日は神さまの贈り物、聖日。
『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。出エジプト20:8』
これは石の板に刻まれた律法である以前に、胎の内より私たちの身体にリズムのように刻まれた律法だと誰かが言っていた。
本当にそうだと思う。
今ごろ気づいたけど、全然はずかしくない。
苦労しないとわからないことは、苦労してでもわかった方がいいと思う。
おばあちゃんみたいな言い方だけど、でも本当にそう思う。

Saturday, March 1, 2014

雨の土曜日

すごい雨でした。
ごろごろごろ~なんて、雷まで鳴って。
きゃあ~、こわい~!とかわいこぶりっこでカウチでじょえるを抱くはなに抱きついたら、なんと、はなもじょえるも本当にこわがってぶるぶると震えていました。
このおうちは小さくて古いから、雨で流されてしまったらどうしようと、じょえるを抱いておびえるはな。
恐いもの知らずのちっちゃなスーパーウーマンだとばかり思っていたら、大雨は恐いらしい。
まあ、こわいものがいっこでもあってよかったわ。
いかがおすごしですか?
私は雨が大すき。
ちゃっちゃと家事を片づけて、雨の音をききながら、ずっといろんなものを読んでいました。
旅行記、料理本、児童書、それからコリントの続き。
今、オーブンに大量のガーリックと一緒にチキンを放り込んで焼いています。
ライムの木が大きくなりすぎて、その横に植えていた10年ものの大きなローズマリーを枯らしてしまったったことを悔やむのは、こんな日。
ライムなんて、たいした役にたたず、夫が夏場に小さな瓶ビールにつっこんだり、私はポテトチップの上に絞ったりしているけど、ほんのちょっぴりあればいいだけなのに。
犬のじょえるは家族にとても愛されていています。
はなはヒマさえあればじょえるの遊び相手になってやり、賢人はいつも彼を歓迎して側に寄せてやさしく撫ぜてあげてる。
夫は高価なドックフードやおもちゃのお土産を買って帰り、私はシャンプーとしつけ係。
みんなじょえるが大好きです。
そろそろチキンがいい感じで焼けたようです。
では、またね。

























愛とエンジンルームの爆音、傘と長靴

愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢にもなりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、不正を喜ばず真理を喜びます。
すべてをがまんして、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
Ⅰコリント13:4~8
☆夜中にすごい雨の音でちらっと目が覚めました。
それから、夫も賢人もはなも亀のチャイタも犬のじょえるも、みんなこの家の中に安全に守られて眠っていると思うとすごくうれしくなって、もう一度目を閉じて眠りにおちました。
☆コリント人への手紙を読みました。
愛について書かれたここを読むと、全く愛とはほど遠い自分に落ち込みそうになるけど、ここの愛を、神と置き換えて読むなら、とても励まされるから不思議です。
神は私をこらえ、私を信じ、私に期待してくださっている。
神は、神の愛は、決して、絶えることがない。
☆なんだか、すっかり普通に幸せな気分で、その気分がずっと続いています。
最初はちょっとなじめなかったけど、今、少し落ち着いてきました。
そして、それがどういうことなのかわかってきた気がします。
私の父は大きな船の船員でした。
エンジンを操る機関部の長で、父は私の自慢でした。(今も自慢です)
夏休みのある日のこと、父が私を船のエンジンルームに連れて行ってくれたことがありました。細い階段を降りて見せてもらった、そのエンジンルームはすごい音でした。
圧倒的なまでの凄まじい音、エンジンの動く音です。
でも、ずっとそこにいて、SF映画のセットのような機械に囲まれた不思議な世界を探検していると、いつしかお互いの声も聞こえないほどの音の中にいることを忘れてしまうのです。
私は忘れてしまっていました。
そして、再び細い階段を上って、デッキに出ると、あまりの静けさにびっくりしたことを私はよく覚えています。
父の仕事用の帽子には耳栓がついていましたが、その頃から彼はすでに難聴でした。
今週の私は、そのデッキに出てきた時の私にとても似ているのです。
☆昨日の雨、はなは生まれてはじめて長靴をはいて、傘をさしてひとりで歩くという経験をしました。
日本で読んでくれている人、「えっ?」って思うでしょ。
でも、クルマ社会、子ども管理社会のここでは、そのチャンスは本当に稀なのです。