Monday, June 30, 2014

何を話しているの?

わすれないでね
うん、わすれない
いろいろあるよね
うん、あるね


ずっとずっとトモダチ

3年前

4年前

4年前



ただいま!

北の静かな海沿いの街で、楽しい週末をすごしてきました。
わずかな距離なのに、
とても、とても遠くのに行っていた気がします。
わずか一晩なのに
とても、とても長く行ってきた気がします。
ただ一緒にいたって、それだけなのに、
とても、とてもリフレッシュしました。
これが私たちの全ての荷物
私とはなの旅じたくは超コンパクト
はろ~!はじめまして!
僕の名前はジェームスです
よなよなカードゲームに興じるはなとエイデン
おはよう、ライラ
最後に起きてきた3歳のライラに
聞いたこともないやさしい声で朝のごあいさつ
エイデン、あなたははなの最初の男トモダチ
ずっとずっと、はなのよきおとことともでいて
これはなママの切実な願い

Sunday, June 29, 2014

おはよう!

今朝は、賢人がマウント・ハーモンのバイブルキャンプに旅立つので、いつもにもまして早起きをしました。
知らない街の教会まで、送って行くのでちょっと緊張しています。
そこからバスで8時間の長旅が彼を待っています。
今朝は、教会でピアノを弾くことにもなっています。
『花も』とその他6曲です。
午後は、クルマを走らせ、町外れの海沿いのホテルでまいこちゃん親子と一緒にすごします。
これまた、知らない街なので、無事に着けるが、ちょっぴり心配です・・・。
そんなわけで、祈ることが一杯の朝でした。
では、良い週末をね。
私もそうします。
書ける場所と時間があったら、きっといろいろ書いて報告します。





Saturday, June 28, 2014

on a happy day

それは、こんな箱に入っていて
on a happy day って箱の中身はなんだと思う?
た・ら~ん 運動会みたいなバナー
ひろげるとこんなかんじ
んね、かわいいでしょ。
このバナーのさがったお部屋で、お茶を飲みながら祈り会したいな。






最後の夢

つい、昨日こそ、インターネットで、ジョン・ウェスレーの生涯について聞き、ふ~ん、彼は徹底的に、無駄話と浪費を人生から取り除いたんだ、すごいな、って思ったばっかりなのに。
私もシンプルな人生をシンプルに生きよう、神に満たされる全ての必要を感謝しながら、余計なことに心を奪われないように、贅沢に生きようと思ったばっかりだったのに。
うっ。
そう、今日は、予定外のお買い物の誘惑にホイホイと狂喜し、そして、その余韻は今も続いています。
今日、買った中で一番うれしかったモノの写真をまだ撮っていなかったわ。
言葉では説明しがたい、かわいさなので、今写真に撮ってくるね。
ちょっと待っていて。
私、ジョン・ウェスレーにはなれないけど、でも、かわいいものを見つけて、わくわくしながらおうちに持って帰って飾って、そして、ここに、人を呼んで一緒に祈ったり、笑ったり、泣いたり、励ましあったりする人になりたいな。
大きくなったら、あ、じゃなくておばあさんになったら。

Redondo Beach Festival

朝、賢人をサーフィンに連れて行って、ビーチでのんびりしようと思っていたのに、
大きなマーケットがでていて、とんでもないことになっちゃった。
電気のすいっちのカバー5ドル
もち手の少し長い買い物かご49ドル
貝殻、いろいろ買って2ドル
これは買わずに写真だけ
素敵な灯台の模型
電話機6ドル
ええーん!
そんなつもりじゃなかったのに、お財布からっぽで~す

Friday, June 27, 2014

だいじょうぶ、私の子

夏休みに入って、日、月、火、水、木、金。
ああ、時間が、湯水のように贅沢このうえなく、流れてゆきます。
私の心と身体と魂とを、ゆるりと癒しながら流れてゆく透明な時。
お金では買えない休息。
だから、もったいなくなんて思いません。
今日は、高校生の進路を指導するプロフェッショナルな先生、プライベートなカウンセラーに賢人が会いに行きました。
私は、とても心配で、セッションに立会いたいと申し出て、90分の中の最初の5分だけ、一緒にいさせてもらいました。
自己紹介してくれる?と聞かれて、私は、彼が、名前と年をちゃんと言えるかなって、どきどきしてしまったけど、「ぼくは、今、POLAの11年生で、学校はまあ、楽しくやっている。プリカリキュラスで悪い成績をもらっちゃったけど、それまでは大体大丈夫だった。ちっちゃい頃からやってきたピアノがこの頃、少し楽しくなってきた。それからサーフィンが大好き。いろいろやったけど、サーフィンだけが、今まで続いている唯一のスポーツ。日曜日は教会に行っている。10歳で洗礼を受けて、友だちは・・・」ってどんどん話しが続きそうだったので、私は「えっ?このヒト3秒以上話せたんだ・・・」っと感動しながら、席を立ちました。
そして、残りの85分を教室の外でお手紙を書いたり、Eメールを書いたりしながら過ごしました。
賢人のそばから離れたくなかったの。
どういうわけかね。
セッションは、カウンセラーのからの質問形式で、ブレイン・ストーム的に進み、とても豊かな実りある面談であったような気がします。
終わって、なにげなく、お昼ごはんの相談のついでのように、大学に行ける気がしてきた?ってさらっと聞くと、「うん。やってみる。」と返ってきたのがその証拠。うっしし。
私も伊達にオトナじゃないよ、賢人くん。はっはっは。
その後、賢人を近所のスケートボード・パークに落とし、私は家に戻って、ダニエル書のメッセージを聞きながら、洗濯物をたたみ、晩御飯の準備をして、ボーイズ&ガールズに遊びに行っているはなをピアノのレッスンに連れて行こうと家を出ると、坂道を縦横無尽に我が物顔でクルマと同じスピードで美しくうねるように滑るスケボー小僧たちに遭遇。
そして、その1人はなんとうちの子。
私は、うれしくて、うれし涙を目じりにじませながら、ひとりで笑った。
ああ、だいじょうぶ。
彼は、だいじょうぶ。
助けてくれる大人がいる。一緒に今をすごす友達もいる。そしてその両方を与えた神がいる。





花も

あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。
あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが
一つもたがわなかったことを。
それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。
ヨシュア23:14
ヨシュア記を読み始めて、ずっと気になっている言葉があります。
それは『聖絶』。
それは、きっと、大きな意味では他の神々との交わりを絶つということ。
そして、今の私を取り巻く他の神々って、なんだろうって考えてみています。
たくさんあると思う・・・。
夏は、心の中のガラクタ、いつのまにか住み着いている私の神と調和しない思い、拝みそうになる偶像の一切合財を放り出して、心の大掃除の季節。
光をあて、埃を払い、風をいれます。

ipod&ipohnのひとここタッチね
夏休みに入って、5日がすぎました。
毎日、好きなことだけを、ちまちまとやっています。
家の中の小さなスペースの中のものを全部出して、捨てたり、磨いたり、懐かしく感じたり。
海や空をや木々や花に見とれたり。
本を読みながら眠ってしまったり。
歌ったり、読んだり、書いたり、考えたり、そして、祈ったり。
それはそれは、素敵な日々です。


Thursday, June 26, 2014

夏休み課題図書・感想文③

ゲーリー・チャップマンは感情的愛の言語には5種類があるといいます。
彼の著書には、その一つ一つの中に数え切れないほどの言葉や表現方法があるにしても、タイプは5つに明確に分類できると書かれています。
彼によって、その言語に名付けられた呼び方をそのままここに書きます。
1、肯定的な言葉
2、クオりティ・タイム
3、贈り物
4、サービス行為
5、身体的タッチ
はあ~、と溜息がでそうなほど、言葉にするとみもふたもないっていうか、やるせないっていうか、力のぬけちゃう5品目です。
私なら、私がこれを例えば、幼稚園や病院や家庭で働く方々の共通の理解として実践的ハンドブックにまとめるために、どうしてもことばに置き換える必要にせまられたなら、(せまられてもいないのに、もの好きな私よね)こう表現したい。
じゃあ~ん!
1、励ましや感謝のことばがけ
2、共にすごすこと
3、気持ちを形あるものに変える
4、必要に応える
5、ふれあい
さあ、あなたにはどの愛の言語が一番よく伝わり、うれしいですか?
私は、ずばり、4です。
ゲーリーのいうところのサービス行為。
家やクルマのメンテナンス、子どもたちのライド、犬のシャンプー、亀の餌。
なんでもやってくれれば、愛されていると思えます。
だから、私は夫もそうだろうと勝手に思い込み、一生懸命にお弁当を作り続けてきました。
でも、今「それ、ほんと?ほんとは1だったりして?、っていうか2?もしかして3?えっまさか5?」って思うのです。
今年、私たちは結婚20周年です。

Wednesday, June 25, 2014

夏休み課題図書・感想文②

涼しくて気持ちのよい1日でした。
今日は、賢人が家でACTの模擬テストを受けたので、私はタイマーをかけて、延べ3時間半、静かに静かに家の中で、そお~っとじぃ~っくり本を読んでおりました。
ゲーリー・チャップマン。
彼の、〝愛の言語には5種類あって、それぞれ、相手のわかる言語でそれを与えなければ、愛は届かない〟という理論を、どうやって納得したかっていうと、幼稚園の子どもに置き換えて考えてみたのです。
つまり励ましの言葉の必要な子、ひとりでもできるけど一緒にやってあげることの必要な子、何かごほうびとなるものが必要な子、現実的な手助けを必要としている子、そして身体的なタッチの必要な子。
そう考えると、確かに抱っこを必要としている子をどれだけ言葉で励ましたところでそれは馬の耳の念仏だし、励ましの言葉の必要な子に現実的手助けをしてしまってはもともこもないのが幼稚園での仕事なので、愛の伝え方に知恵が必要という考え方に、へえ~っと聞く耳を持ってみています。
私は、自分の欲しい愛を、夫にも与えようと一生懸命でした。
だって、それが聖書の教えと信じていたのです。
すなわち、相手に干渉しないこと、相手の邪魔にならないこと、相手の負担にならないこと、それでいてピンチの時にはお互いに助け合うこと。
だから、夫からの褒め言葉や素敵なデート、豪華なプレゼント、子育てへの積極的介入を所望する奥さま方と自分の間に心のどこかで一線を引き、もっと現実的で達成可能な願いを持てばよいのになんて、偉そうに思っていました。
そして、私の結婚生活に対する願いは、ただ一点、足らなさを責めないでほしい、ただ私という人間の現実を、限界を受けいれてほしいということなのです。
そして、それにはまず、私が彼にわかる言語で愛を伝えるべしというのがゲーリー・チャップマンの理論です。
やっかいな一冊、いえ、読み応えのある一冊に出会ってしまいました。





夏休み課題図書・感想文

ゲーリー・チャップマンという人の愛についての本を熱心に読み進めています。
夏休みが始まる前に、お休みになったら読もうと思ってインターネットで買っておいた本です。
でも、本が届いた時、これは本屋さんで手にとっていたら絶対買わなかっただろうなっと思いました。
昨日の気晴らしショッピングの戦利品2.75ドル
10年ぶりぐらいに自分でマグを買いました
このカップのおかげで朝から超ハッピー
ターゲットだいすき!
何がかというと、表紙の写真が好きじゃなかったのです。
私は、オトコの好みは決して面食いじゃないけど、本の野暮はちょっとカンベン。
人に無理矢理読むように言われて渡されても、すっきりしないデザインの本は、どうしても開く気になれないほどの本の面食いです。
でも、この本は、なぜか、届いたその日にいっきに読み終えました。
神さまからの課題図書のように感じたのです。
そして夏がきて、今じっくり、指された聖書の箇所をひらきながら読んでいます。
ゲーリー・チャップマンによると、私が自分で愛と信じてきた夫への愛は、相手に伝わらない空しい自己満足というような結論です。
彼の理論はものすごくややこしく、「これだ!」という、ずばり納得のゆく、聖書の箇所も指されてはいないのだけど、私は、なんだか説得させられそうになっています。
私の愛は、よく一般的に妻たちに非難される、無神経なオトコのような愛、私はあえてそれを愛とよばせてもらうけど、で夫を愛していて、その愛は彼には届いていなかったのかもしれなかったと疑いはじめているのです。

Tuesday, June 24, 2014

9.99ドルの気晴らしショッピング

どんな1日でしたか?
私は、洗濯機を3回ほどまわしながら、ずっとお庭でちまちまと働いておりました。
聖霊の導きに忠実に生きた壮絶なパウロの生涯をipodで聞きながら、草を抜いたり、枯葉を集めたり、種を蒔いたり、水をまいたり・・・。
でも、美しいガーデンは1日にしてならずよね。
ほったらかしで荒れ放題の広い庭の中で、まるで砂漠を開拓している気分でした。
仕事が始まっても、土曜日ごとに少しでも、様子を観察して、手をかけてあげたいと思いました。
それから、夕方、はなとふたりで近所のターゲットでお買い物。
学年末にもらったギフトカードで楽しい気晴らしショッピングです。
1994年に、ガーデナの明治ファーマシーで母が買ってくれた着たきりすずめのデディベアのがでぃなに、お洋服を新調しました。
新生児用の夏のドレス、セールで9.99ドル!
20年めにして、始めて星条旗を縫いこんだセーターを脱ぎ、夏服になりました。
今度は水着を着せてあげようとはなと相談しています。
そして、秋には秋の服、冬には冬の服、春には春の服を着せてあげたい。
実は、このぬいぐるみのお洋服を手作りしようかと思いつめていました。
あまりにもくたびれたセーターがかわいそうで。
新生児のお洋服がぴったりと教えてくれたのは、なにをかくそう聖霊さま!




Monday, June 23, 2014

遊女ラハブの信仰と大洗濯

強くあれ。雄々しくあれ。
恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、
あなたとともにいるからである。
ヨシュア1:9
☆おはよう。
ひさしぶりに、ちゃんと聖書を読もうと開いたけど、どこまで読んでいたのか、どこから読めばよいのか、さっぱりわからず軽いパニックでした。
どれほどの朝を、聖書を開かずに始めていたのでしょう。
にもかかわらず、今日の日、再び聖書を開くことのできる朝を私に造って贈ってくださる神さまに感謝しつつ、ヨシュア紀から始めることにしました。
賢いラハブの信仰をを読みながら、彼女の家の窓の赤いひものしるしについて、思いをはせました。
赤いひものしるしのついた人というのが、確かにいると思う。
赤いひものしるしをつけさせるクリスチャンというのも、確かにいると思う。
☆今朝は、家族のためにたっぷり時間をかけてお祈りすることができました。
だからかな。
心がとても静かで穏やかなのにもかかわらず、身体中にエネルギーが満ちています。
おととい、ゆりかさんに電話で「パパと仲良しでいいね」って言われ、「そお?」って思ったのだけど、今朝、そうかもっと思いました。
祈ることで、神さまを間にはさんで、時間がなくても、助け合うためのコミュニケーションがとれていた気がするのです。
でも、時間が戻ってきたのだから、直接的な対話、交わりを大切にしないさいと今朝、神さまに教えてもらいました。
☆今日は、大洗濯が私を待っています。
何回洗濯機をまわすことになるのか、見当もつかないほどです。
まわしながら、銀行の収支のバランスをチェックしたり、Eメールを書いたり、お手紙を書いたり、亀のちゃいたの水槽を洗ったりします。
それが片づけたたら、賢人をリサイクルセンターにたまったボトルや空き缶と共に連れてゆき、その後、はなの夏休みの教材を探しにティーチャー・サプライに行きます。
今日もきっと良い日です。
なんだか、心から、そう思うのです。





Sunday, June 22, 2014

じゃんけんぽん

朝から冷たいビーチで海の風にあたって疲れたのかな、それとも疲れがたまっていたのかな。ベッドで本を読むつもりが、確かに本は開いたはずだけど、1ページも読まずに眠ってしまいました。
お昼寝って大すき。
あの、起きた時の、ちょっとあわてて「ここはどこ?今はいつ?」って考えて、「ああ、おうちね、そして日曜日」と思い出す瞬間がたまらなく好き。
よろよろと起きて、適当に晩御飯を作って食べて、はなとトランプで真剣衰弱(この漢字あってます?)をして遊びました。
1回めははなが勝ち、2回めは私が勝ち、一対一の引き分けです。
はなの日本語のじゃんけんぽんのタイミングがなかなか合わなくって、ちょっとしんみりしちゃった。
ずっと、こうして遊んでいなかったものね。
せめて、私の夏休みの間は、遊ぼうって言われたら、いつでも相手になってあげたい。
それから、ピアノや楽譜を読む練習、時計と3桁の足し算引き算もなんとか楽しくつきあってあげられたらと思っています。
『楽しく』がキーワードなので、祈りながら忍耐と寛容ををいただきつつ、知恵をしぼってがんばります。
と、ここまで書いたところで、父からスカイプの呼びかけがあったので、しばらくおしゃべりをしていました。
朝の記事の中のはなのビーチでの満面の笑みを、とても喜んでくれました。
はなの表情に、私の精神状態、健康状態、家族の仲良し具合を鋭く読みとる父と母に、親のアンテナの感度の良さを思い知らされます。
さて、今夜はゲーリー・チャップマンという人の書いた愛についての本を読みながら眠ることにします。
明日また書きます。
夏休みの初日、この夏と休息を私にくださった神さまに感謝しつつおやすみなさい。
明日もきっと良い日でありますように。

さよならからはじまること



昨日の謝恩会のおみやげクッキー
ママの夏休みで彼女の顔もハートです
☆夕べ、ゆりかさんと時間も忘れてとりとめのない話を夢中になってしていた中でひとつ、とてもすばらしい発見がありました。
出会って、一緒にいろんなことを経験して、そして別れるのだけど、さよならから始まることってあるよね。
さよならを言った後、こんにちは、お元気でしたか?って始まって、そして私は、今度は自分自身について少しづつ語りはじめます。
そして、それはキリスト・イエスとの人生の証です。
☆今日から、夏休みパートⅠです。
家の中を小さいなりにすっきり片づけて、古いなりにぴかぴかに磨き上げたら、ちまちまと好きなことをしながらのんびりすごすつもりです。
スケボーっていろいろ
すごくきれいな絵がいっぱい
まず読書、それからお昼寝、お手紙を書くこと、庭仕事、はなと映画を観て、ゆりかさんとランチにも行きたいな。
まいこちゃん親子と場所は決まっていないけど、どこかで一泊する予定もあります。
元同寮のはなちゃんとはハイキングに行きます。
さなえちゃん親子とはシーワールドにもう一度行かなくちゃ。
☆昨日、えみちんに、ローラ・ワイルダー・インガルスの『大切なものはわずかです』をお別れにプレゼントしました。
えみちんは、「大切にします!ありがとうございます!」と昨日はほとんど全ての文章にえくすくらめーしょんマークをつけて、話しておりました。
私の人生に、ある日突然派手に登場し、そして昨日きっぱりと派手に去って行ったえみちん。
でもこれからが本当のはじまり。











Saturday, June 21, 2014

ごくろう

修了卒園発表会を終え、卒園生を送り出し、仕事もひと段落つきました。
明日からつかの間に夏休みです。
とにかく必死な数週間だったから、まだなんの計画もできていません。
そこからスタートする夏休みです。
今夜は手始めに、親友のゆりかさんと、時間の経つのも忘れて、のんびり長電話でおしゃべりしました。
お互いの証を心から喜び合いました。
喜びを分かち合える友だちがいて幸せです。
仕事がうまくいったこともうしれいけど、家族が私の夏休みを心待ちにしていてくれたことが何よりもうれしい・・・。
賢人の部屋をノックしてドアを開け、「かーさん、明日かから夏休み。」と言うと、「ごくろう」だって。
へんな日本語ね。
明日は、彼をビーチに連れて行ってあげよう。
はなの好きなことを一緒にしよう。
それから、おうちの中をゆっくり片づけることにしよう。

さらば・えみちん

長い1日を終えて、やっと家路に着きました。
どっさりと、たくさんの気持ちが、1日の中にぎゅっと凝縮されてつめこまれ、受けとめきれずにしばし放心しております。
素敵な会を作ってくださった、卒園生と父兄に、アンコールのダンスを披露しました。
いろんことがいっぱいいっぱいありすぎて、ろくに練習に参加できず、最後の最後までコ・ワーカー達の足をひっぱった私。
一時は免除も願い出ましたが、ポキリと却下され、だからといって、身を入れて練習する時間も与えられず(神さまにね)、でも、ここ一番の憐みで(神さまのね)なんとか覚えることができました。

えみちんが稚園を去りました。
とても残念です。
不器用だけど一生懸命で、ぶっきらぼうだけどやさしくて、大雑把なのに心づかいの細やかなえみちん。
私が持っているものは全部あげようと思って、一生懸命に教えてきました。
「まきせんせいは、わたしのせんせいです!会いに来ます!メール書きます!」と言って、ぎゅう~とハグして去ってゆきました。
私も、えみちんを、ただの同寮とは思えません。
今まで出会った誰よりも、丁寧にいろんなことを教えてあげたから、やっぱり特別な人です。
「あなたは卒園じゃないからね、ただの夏休みよ、きっと帰ってきてね、待っているから。」と言って、ぐっと涙をこらえました。

希望という名の船

夏休みに入って一週間もたつ子どもたち(わが家の)をほっぽいて、まだ仕事をしています。
それこもこれも、今日でひとくぎりがつきます。
子どもたち(幼稚園)とその御家族の満足そうな笑顔を見送りながら、親という召しの、子どもという賜物のなんという喜びでしょうと、涙をこぼさずにはいられません。
大きくなるって素晴らしい。
人の心に永遠への憧れを与えられた神さまの、本当の意図はきっとここにある。
明日が楽しみ、知らない世界を見てみたい、その思いをひとりひとりの心に与えておられる神さまをみあげて感謝しました。
だから、どんなに大きくなっても、学校を卒業しても、仕事をはじめても、結婚しても、親になっても、いつか病気になっても、明日を楽しみに生きることを決してやめないでって、心から願います。
大きくなるって素晴らしい。
希望という名の船が今日、大海原に向けて、出港いたします。
そうしたら、私は、しばらく、港でのんびりと、次の旅のプランでも立てようかしらね。

Friday, June 20, 2014

ピンクのチューリップ

昨日、お別れに、ある男の子のお母さんにかわいいピンクのチューリップの花束をもらいました。
夕べ、はなとふたりでリビングルームに飾り、手伝ってくれたお礼にはなにも一輪あげました。
この夏、お父さんを残して一足先に、日本に帰国する親子のお母さんからです。
「せんせいのことが、大すきでした。」って言いながら、涙をこぼしてくれました。
私もそのお母さんが大すきでした。
「せんせいに日本からご連絡さしあげてもよいですか?」と言うので、住所をあげて「待っています」とお答えしました。
「じゃあ、お正月にごあいさつします。ついに秋葉原に通いはじめました、とかそんなつまんないことを書いて送らせていただきます。」って言いながら、もう一度、頬に涙を一粒、落としました。
みことばの種を、みことばの小さな花束を、彼女に少しづつ贈ろうって思いました。
「毎週教会に通っています。そしてついに秋葉原にも通いはじめました」という年賀状を楽しみにしつつ。



Thursday, June 19, 2014

この頃の園庭

いつか紹介した黄緑色だったさなぎが一夜にして黒く変身
よ~く見ると蝶の模様が透けて見えるらしいけど、私の目には見えません

こちらは畑、オクラやイチゴなども植えられていて、毎日のぞくのが楽しい日課

うゎあ、かわいい小鳥って思ったら、お人形

鈴なりにくっつく青虫くんたち、どうぞ目をこらして探してください

亀って顔じゃない、亀って足だ オトコも顔じゃない、オトコはやさしさだ

スーパークールな砂場のトンネル


砂浜で拾った真珠

心に満ちていることを口が話すのです。
良い人は、良い倉から良い物を取り出し、
悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。
あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、
罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。
マタイ12:34、35、37
今朝、クルマの中で、自分の心を治めること、種であることばに心を配ることへの天からの報いをただちにくださった神さまに、心を込めて感謝しました。
ヒトの思考はとてもリアルで強力です。
それはことばにした瞬間から、現実になろうとまるで生きて働き始めるようです。
ことばを種のイメージにとらえることを心がけるなら、悲しい時、残念な時にはひたすら無口になってしまうほかありません。
でも、神さまは、天からその私の憐れな努力をみておられ、状況の方を先に変えてくださいました。
私はなんとか心を静めようと裸足で砂浜を歩いていて、乳白色に輝く真珠を見つけたような気持ちです。
真珠を探していたわけではなく、欲しかったのは静かな心だったので、見つけた真珠はこうして、『おはようスポルジョン』で、誰かにプレゼントしたくなりました。
黙って飲み込んだことばは、神さまが聖めてやさしい愛に満ちたことばに変えて、あなたの口から世界に放たれます。
私には、そうしてくださいました。
だから、あなたにもきっとそうしてくださいます。
それが私の見つけた真珠です。







おはようスポルジョン

夕べ寝る前には、目の前に山のようにそびえたっていたはずの問題の数々が、今朝起きたら、半分ぐらいに減っている気がした。
目には見えなくても雲の上には太陽がある
臨在って感じることじゃなくて信じること
やっぱり夜ってヒトをネガティブにしちゃうよねって、そうじゃなくて、ホントに減っていた。
まず、目を閉じて約45秒後に、枕元においていた電話にしゅぽっぽの音と共に教会からメールが届き、夏の先生不足で閉鎖されていた日曜学校が、再開されるとのことでした。
やったーと思い、その気持ちをそのままお返事に書きあらわして眠り、起きたら、夕べ、あれほど臭かった犬のじょえるがすっかりいいにおいの犬になっていた。
(夕べ夫に頼まれて、エクセルで超苦手な計算表作りをしてあげたそのお返しに彼が夜中にじょえるを洗ってくれたのね・・・)
そしたら、残っている問題も、きっとこんなふうにころっと解決しちゃったりしてって思えるから不思議です。
やれやれ。
今日は、賢人が親友のスティーブンとハンティントン・ビーチのスケートボード・パークに行くことになっています。
ここに行くと、必ず、どこかをケガして帰ってくるからすっごく嫌なんだけど、でもまあ、これとサーフィンが今の彼の心の支えのようなので、笑顔で了承いたしました。
じっさい、イライラをピアノでヒステリックにベートーベンとかをガンガン弾きまくって解消されても困っちゃうしね。



Wednesday, June 18, 2014

おやすみスポルジョン

はあ~。(でっかいため息です)
てんやわんやのてんてこまいをしているわりには、なかなか状況が変らず、ぐるぐると空回りな感じで苦しい日々です。
でも、夕べ読んでいた本に、苦しい時には、5年後、10年後に、このことがどんな意味をもつのか、想像してみようという意味の文章があったので、今日は、何度もそう考えてみました。
そうすると、まあ、きっとたいしたことじゃないだろうけどね、ってことばかりです。じっさい。
そこで、はあ~、がふう~、に変わって、まあ今日も精一杯がんばったからよしってことで、寝ましょと思うのです。
明日もきっと、いろんなことがあるから、だからぐっすり眠って元気に朝をむかえたい。
難しいことや、大変なことがいろいろ待ち受けているかもしれないけど、元気に立ち向かう勇気をとり戻したいから、だから、今夜は、いろいろやりかけだけど、このまま眠ってしまいます。
おやすみなさい。
イエスさまの平和が、あなたと私の上にありますように。










種のこと


おはよう。
起きてすぐに考えたことがあって、これはどこからきたんだっけ・・・そうだ、夕べ読んだ本に書いてあったのだと思い出しました。
『言葉は種、そして私たちは必ず、自分が蒔いたものを刈り取る』という文章です。
思考はことばになって、こどばは態度になって、態度が人生を決めてゆくということを知りました。
そして、一番うれしい事実は思考は自ら選べるということ。
だから、いつも、自分が蒔こうとしている種がおいしかった実から取れたものか、きれいなお花が咲く種かどうか、ちょっとだけ考えます。
ほんのちょっとね。
そのほんのちょっとが、人生を決めてゆくって思ったら、ほんのちょっとだから、ちゃんと選べるようになりたいです。
グッド・ニュースは、だんだん上手になってゆくということ。
パートナーの先生の口癖は、「〝ない〟って言わないで、〝ちょうだい〟って言おうね」。
もしかしたら、このフレーズのおかげかもしれません。
なにしろ、10ヶ月間、ほとんど毎日、聞いていたのだもの!









Tuesday, June 17, 2014

もうすぐ夏休み

月曜日から金曜日までで、一番好きだった火曜日が、ついに終わってしまいました
来週の火曜日にきっと実感がわくわって、お母さんたちも言いました
私もそう思う
あまりにも、新しくて、楽しかった火曜日
お店屋さんごっこも、
絵本作りと朗読会も、
組体操も、
バスでおつかいも、
ベルと歌も、
最初はいつも、ひとりぼっちな気持ちだったのに、
最後はいつも大勢の人が応援してくれた
でも、そんな日々もそろそろ終わりです
子どもたちは、元気に夏の日差しの中へと去ってゆきました
私ももうすぐ、夏休み
そして再び、
種を蒔き、
水をかけ、
歌をうたいながら、芽が出るのを待つのです



わが子をいつまでも愛する祈り・7章~試練の中で

あなたが水の中を過ぎるときも、
わたしはあなたとともにおり、
川を渡るときも、あなたは押し流されない。
水の中を歩いても、あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない。
イザヤ43:1
夕べ、電話で長い間相談にのってくれた、中高生の勉強や進学のプロの人によると、アメリカでの大学進学のための準備には、さまざまな方法があるので、最後の最後まで何が功を奏し、何がアダとなるかは、わからない、誰が憐れまれ、誰が見捨てられるかもわからない、不思議なケースがたくさんあるのだそうです。
ものすごく真面目に努力して、難しいクラスを一杯とり、あきらめずに最後までやりぬき、最後の最後にFをちょろんともらって、崩れる子もいれば、ろくに宿題も出さずGPAは最悪なのに、SATで高得点を連発して拾われる子も見たといいます。
私も彼女もクリスチャンなので、それは大いにありうると納得し、とにかく、私たちのゴールを、賢人のゴールと一致させましょう、まずは、微分積分の理解のこんがらがりを解きましょう、ということになりました。
そうなのです。
あの子は、とてものんびりしているけど、でもわかんないことには我慢できず、とても大きなストレスにこの半年ほどさらされていたことが、ようやく、私にもわかってきました。
だから、今は、大学のことは横におき、ここからはじまますって彼女とも、気持ちをひとつにすることができました。
彼女は神さまが贈ってくださった助け手です。

主よ、どうぞ、あなたの守りの御手が大きくなった賢人の上にありますように。
どうか彼にいつも目を注ぎ続けていてください。
そして、彼も、決してあなたから目をそらすことがありませんように。
彼の経験することの全てが、あなたの栄光をあらわすために、そしてあなたとの関係をより深いものとなるためのかけがえのなものとなりますように。
どんなに不安な状況の中にあっても、自分の行く手には、かならずあなたの守りと導きが待っている事を信じて、突き進む勇気を、どうぞ賢人にお与えください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン

Monday, June 16, 2014

賢人と私、只今お取り込み中

今日もとても良い日でした。
仕事中に、賢人から電話がかかったり、夜は賢人のことを相談していた人から電話をもらったり、あわただしく思う瞬間もあったけど、でも、パズルは順調にひとつひとつ組み合わされていっていると思います。
箱を開けた瞬間、うんざりするほどたくさんのピースがバラバラだった時には、途方に暮れそうになっていたことも、ひとつ、またひとつと絵がつながってゆくたびに、ああ、だいじょうぶ、どうにかなりそうって思えてきました。
そして、今こうして、賢人と一緒に彼にとって最も大切なことは何かを一生懸命に考え、賢人と一緒に真剣に選ぶことができることを、幸せとさえ思えるようになりました。
あ~よかった、間に合った、って思うのです。
あ~よかった、まだだいじょうぶ、って思うのです。
この世界の時間や期限ではなく、私と賢人の関係の中で、間に合ったことに気づいたのです。
彼は、今、私を必要としてくれています。
もしかしたら、これが最後の真剣な親の現実的介入になるかもしれない。
(霊的には彼のために祈ることでどこまでも介入するつもりという意味ね)
とっくに剥ぎ取られてしまったと思っていた権利をもう一度与えらたのだから、それがたとえ、全く想像もできない絵であっても、私はひとつ、またひとつと喜んでピースをあてはめてゆきます。
最後のひとつまで決してあきらめず、あの子のそばで一緒に考えたいのです。



サン・ペドロに癒されて


おはよう。
新しい一週間、私は最後の一週間が始まります。
どんな週末でしたか?
私は、とてもリフレッシュされました。
この街が、私の疲れをすっかり癒してくれました。
港と坂と塔のある古いカソリック教会と、そして灯台のある街
小さな小さなな港町なのに、まだまだ知らない場所がたくさんある
この街を探検すると、この街でのんびりと週末をすごすと、
もう一度、仕事に向かう元気がわいてくる

私と同じように、この街が大すきで、
この街の写真を撮り続けるフォト・グラファーの小さなブースで、
彼女の視点で観たサン・ペドロにもう一度恋をしました。
行ってみたいっと思いました。
暮してみたいと思いました。

灯台が父なら、港は母ね
全てを包み、すっかり癒し、そしてもう一度、元気に船は出港いたします
今週も、すばらしい冒険と感動が私たちを待っていますように

Sunday, June 15, 2014

お父さんへ

お父さん、いつも私と私の家族のことを、想っていてくれて、心配してくれて、祈っていてくれて、そして助けてくれてありがとう。
今だに親に心配をかけていることが情けない反面、今だに子を助けることのできるお父さんを誇りに思います。
私たちは、おかげさまでとても元気です。
今日はみんなでお寿司を食べに行きました。
小さい頃、よくお父さんが家族を食事に連れて行ってくれたことを思い出します。
とても幸せな子ども時代でした。
何にも心配なことがなく、ただ自分のことだけを考えて、わがままいっぱいにしていられたあの頃が、今の私にとても大きな勇気や根気を注いでいる気がします。
振り向けが必ずそこに、お父さんがいて、私を見守ってくれていたから、私はひとりでどんどん遠くまで探検に出かけ、新しいことに挑戦することができました。
今も、そんな安心感が私を支えています。
人はみな父親に神のイメージをとらえるというけれど、私の神さまは、確かにそんな存在です。
どこにいても、何をしていても、じっと私のすることを、見守ってくださる神さま。
私が簡単に信仰をもてたのは、お父さんのおかげです。
お父さんのこと、お母さんのこと、いつも祈っています。
重荷があるなら、どうぞ、イエス・キリストの十字架にその重荷をたくし、お母さんと一緒に、永遠の命を受けとってください。
必ず、その日がくることを信じて祈っています。
眞紀

神さまにききたいこと、〝今日のできごとについて〟

今日の礼拝は、いかがでしたか?
私は、私は・・・・、気づいたら、子どもたちを集めてお話して、歌って、工作して、ゲームをしていました。
自分に何が起こったのか、今だに自分でもよくわかんないのだけど、ともかくそんな日でした。
毎週のように会っているのに、なかなかお話するチャンスのなかった恩師の旬子先生とも、今日はおしゃべりすることができ、はなの絵のことを一緒に喜んでくれました。
スパゲティと杏仁どうふはおかげさまで全部食べてもらえました。
はながうれしそうに、空の器を抱えて見せにきてくれました。
今夜は、家族でひさしぶりに食事にでかけようと思います。
その前に、少し時間があるので、ふらりとお散歩でもしてきます。
どうしても、今、神さまとふたりきりになる必要を感じるのです。

2度目の挑戦

父の日礼拝に持っていく、
はんぶんフレッシュトマトソース・パスタを作って写真撮影していたら
いつのまにかはながきてながめていて、こう言います
とってもおいしそうだよ、ママ 今日はみんな食べてくれるね
もし残っても今日ははながもりもり食べてあげる
先週のピアノの発表会のポトラックはすばらしいごちそうに囲まれて、
私のパスタはたくさん残ってしまいました
私のポトラック料理の定番は、玉子サンドとスパムおにぎりとちらし寿司
そこになんとかくわえたい、夏のスパゲティ
変化と挑戦好きなやっかいな性格です
左ははなが夕べ作ってくれたベリーの杏仁どうふ

Saturday, June 14, 2014

LAHCとCRAFTED

神さまは、今日も私に彼ご自身の愛の働き人たちを贈ってくださった。
10年ぶりに訪れたハーバー・カレッジは、すっかりさま変わりしていて、例によってすっかり迷子でした。
私がよく知っているアドミニオフィスは無人の空家、アセスメントセンターは厳重にロックされ、古い看板や地図は、色あせ、ここはどこ的軽いパニック。
「・・・・。」とまるで、私を天才的迷子の疫病神でも見るような冷たい視線で睨む賢人を無視して、電気自動車でキャンパスの中を見回る警備の人にオフィスを教えてもらい、オフィスの親切な女性に部屋まで案内され、賢人は無事、テストを受けることができました。
そう、ちょうどあれから10年たつことに、気づきました。
かつて私はここに通っていたのです。
賢人のキンダーから3年生までの4年間、週2日。
残りの3日は賢人のクラスルームでボランティアをして、学校が終わると夜までピアノを教えることを仕事にしていました。
あまりにも、懐かしくで、もう一度、通いたくなっちゃった。
ホントに。
うっかり、っていうかどさくさにまぎれて自分のレジストレーションもしそうになるのを、理性で止めて、はなの絵を観に行きました。
CRAFTED。
港の中の巨大な倉庫を改造した、今風のおしゃれなアート空間に、はなも私も大興奮。
アーティストたちの手作りアートが、ブースの中でちまちまと売り買いもされていて、私とはなはここが大すきになりました。
ここで、お店屋さんを開く方が、ハーバー・カレッジに行くより楽しそうかもなんておおはしゃぎ。
幼稚園の最後のクラスで母の日のプレゼントに作ってくれた、あの、プラスティックのアートを皮ひもネックレスにして売るのは、どお?
それとも、紙や毛糸で作るお得意のケーキにする?
洒落てるね~といって物好きなおじさんが買ってくれるかもよ。

とっちらかった朝

夕べ、ベッドにはいる時なんだか自分の人生がとっても取り散らかっているような気持ちで、落ちつかなかったけど、でも、今一番大切なこと、何よりも優先してやるべきことは、きっと眠ることって思って、眠りました。
朝起きて、熱いコーヒーを両手で包んでローラ・インガルスの『大切なものはわずがです』を開いています。
21章にこんな言葉がありました。
「できるだけ生活をシンプルにし、いつも何かに駆り立てられているような気持ちを捨ててしまおう。」
本当に価値のあることをやるための、時間やエネルギーや愛に関して心配するのは、イエス・キリストを疑うことと同じね。
問題は、自分がやろうとしていることが本当に価値があることかどうか、静かに見極める時間を自分と取り分けそこなうところにあったりして・・・。
大切なことは、夫に聞き従うこと。
大切なことは、賢人を黙って見守ること。
大切なことは、はなのお話しを聞いてあげること。
お話しを聞きながらシャンプーして、かわいたふわふわのタオルで乾かしてあげること。

Friday, June 13, 2014

あぶないヒト

泥のような疲れを通りこして、すっかり乾いた砂のような気分で金曜日を迎えました。
天井が落ちてきそうな、床が波うつような立ちくらみに何度も襲われる中、コ・ワーカーに「今何時?」って聞かれて、別のコ・ワーカーと同時に彼女は11時3分、私は11時8分と答え、もう一度時計を見ると確かに11時3分でした。
が~ん、時計の針も歪んで見えるし。
あぶない親子
でも、なんだか、体の疲れとは反比例するように頭はギンギンに冴えていて、長いドライブ中にいろんなことを考えました。
今も、その感じが続いていて困っています。
熱いお湯にでもつかってこようかな。
この緊張感というか、みょうに冴えた感じは、大気圏を突破した物体のようというか、もはや体を必要としない霊のようというか、うまく説明できなきけど、かなりヤバイ、いっちゃってるっぽい、ただならない感じです。
今週末は、賢人のハーバー・カレッジで取ろうとしているサマー・セッションのためのテストへの送り迎えと、はなの絵を見に行くことと、父の日の礼拝が私の主だった予定。
それほど大きなイベントではないけれど、おウチに監禁されて、溶けるほどに眠りこけたい願望は適えられそうにありません。
ふつうの睡眠でも、すっかり疲れが癒えるように、この緊張、神さま、どうかにかほぐして~!ぷり~ず!

ちゃんと17歳

あらあら大変、もうこんな時間、はやく寝なくちゃっと思って、ベッドに入って目を閉じて、開けたら、朝でした。
えっ?もお?
昨日は、午後から賢人と電話で、しかも仕事場で、子どもたちの前で、言い争いになり、すごく悲しかった。
彼と電話で話すって、水中で、スキューバの装具を身につけて会話をしているみたい。
心もとなく、会話はちぐはぐで、そして、お互いにとても不器用な相手にイライラして、そして傷つく。
帰って、もう一度、ちゃんと顔を見て文句を言おうと思ったら、あの子はちゃんとドアまで出てきて、何事もなかったかのように、「おかえり」って言う。
昨日、私が取ってほしかったサマーのクラスのためのテストのアポイントメントが、土曜日に取れたから、大丈夫って。
それで、私も、心配だから、心配すぎて、余計なことを言ってしまって、ごめんなさいと言えた。
17歳は、なんでも自分でできるわけじゃないことに気づく年。
そして、ぶちまけたいいらいらを、抑えようとと努力ができる年。
私の17歳もそうだった気がする。

Wednesday, June 11, 2014

はなの作品

日曜日のアート・ショーのレセプションに行ったというはなのクラスのお友だちのママから、メールが届きました。
投票が終わって、審査があり、はなの作品が選ばれた瞬間、はなの学校から来ていた子どもやその家族や関係者の間から、大喜びの大きな声援があがったのだそうです。
返す返すも知らぬが仏とはまさにこのことと思いました。
ギャラリーのホームページに行くと、コンペの宣伝用の立派なビデオがあったので、下に貼り付けました。
ヒマな方、ぜひ、開いて、はなの作品をあててください。
忙しいけど、はなの作品をみてくださる方、作品の右下にサインがあります。
http://animoto.com/play/I247VCiwRt0E2XBdKptemQ

穏やかに勇敢に年をとる秘訣


「時の流れは、私たちを今いるところに運んできた川のよう」、とはローラ・インガルスのことばです。
本当にそう。
これからどんなことが私たちを待っているのだろう、待ち受けているのだろう。
一つの学年が、今終わろうとしています。
人生という川は私たちを永遠という海に向ってどんどん押し流してゆきます。
どうぞ、いつも勇敢であってください。
まきせんせいも勇敢に年をとることにします。
ここで歌いながら、時々みんなのことを思い出します。
横断歩道の終わりのところで転んだ子のこと。
みんなでドキドキしながらバスに乗ったこと。
見つけられなかったスパイスの小瓶のこと。
新しい子どもたちとの出会いにわくわくと胸をふくらませながら・・・。

Tuesday, June 10, 2014

めでたい生き物


おはよう。
起きて、すぐに、はなの工作のことを思いました。
はながフルーにかかった日、宿題をもらいにひさしぶりに教室に入った時に、はなの作品だけが、少なかったのをはなはが一生懸命に理由を説明してくれたのを思い出していました。
私も承諾書にサインをしたので知っていたはずでした。
学年末に、その日教室で見たいくつかの作品を持ち帰り、私はそれを立体的なものも平面的なものも、夏休みにIKEAで額を買ってきて、家に飾ろうと楽しみにしていたのです。
だから、その章をもらった作品がどんなか、見たくて見たくて、週末まで待てるか心配です。
作品は返してくれるのかなっと、新たな心配も生まれました。
親とは、母親とは、本当にめでたい生き物です。
ハレルヤ!

Monday, June 9, 2014

バスと楽譜と良い知らせ

今日もいろ~んなことがありました。
アフター・キンダーの遠足の下見で、1人で路線バスに乗りました。
はな隊長がいないから、冗談を言いながら励まし合うこともできず、かなり真剣にドキドキしちゃった。
運転手に降りるバス停で声をかけて呼んでもらったり、見ず知らずの人にお金を両替してもらったり、神さまの憐みで一杯の大冒険でした。
明日が本番だけど、努力の甲斐あって、今夜は準備万端な気もちでぐっすり眠れそうです。
バスの冒険を終えてサン・ペドロに戻り、サマー・キャンプ初日のはなを迎えに行くと、笑顔で出てきて、「とお~っても楽しかった」と言ってくれました。
よかった・・・。
はなが楽しくないと、私は、仕事に身が入りません。
家に帰ってごはんを作って食べて、賢人の新しい曲の楽譜探しを手伝いました。
でも結局、満足できるちゃんとした楽譜を見つけられず、私が持っている楽譜の中から、本人がインターネットで音楽を聴いて選び直すことになりました。
またしても、HISAISHIです。
で、やれやれと思って、メールをチェックしていたら、すごい、信じられないメールが届いていて、2回読んで、賢人にも念のために読んでもらって、そんでもって大喜びしちゃった。
はなが学校から選ばれて出品していた、工作がなんとサン・ペドロで2位に選ばれたらしいのです。
昨日の日曜日がその発表と受賞式だったと書いてありました。
知らぬが仏とはまさにこのこと。
知っていたら、PVフェアでのはなのダンスと賢人のピアノの発表会に無理矢理それもねじ込んで、そーとーわけのわかんない1日になっていた気がします。
ご褒美にギフト・サーティフィケートとアート・セットがもらえるそうなので、今週末にでもカメラを持って行ってみようと思います。

Sunday, June 8, 2014

踊る子、弾く子

PVフェアで踊りました!
長い1日が、今ようやく終わろうとしています。
はながPVフェアの仮設ステージでダンスをしました。
あまりにも、人が一杯いて、うまく写真が撮れず、残念。
でも、本人は思いっきり踊れてうれしそう。
これは、終わった瞬間の一枚です。
ご褒美はカキ氷

ご褒美はポットラック・ディナー
その後、賢人のピアノの発表会に滑り込みでかけこみました。                
賢人くんとってもよかったよ~、感動しましたって、たくさんの人に言っていただき、母は、お世辞と知りつつ、「ありがとうございます」と素直に感謝しました。
夫が一部始終をビデオに録画し、写真も撮りまくていたので、私は、ぼお~っと放心してあの子の演奏を聴き、「いい音だなあ」と思いました。
ピアノが大すきな子の演奏でした。
そして、それは、私が小さな頃から、ずっとあの子に望んでいたこのひとつです。
神さまは、私の願いをかなえてくださいました。