Thursday, January 31, 2019

日本へ

帰りの車の中で、こんな看板見つけた
思わず、がさごそ、バックから電話出して
写真に撮った
心は日本へ、
身体も時々日本へ、

神さまとの作戦会議

盛りだくさんの1日が、今ようやく、暮れようとしています。
おつかれさまでした。
★ノンクリスチャンのアシスタントの先生と 3度目の『The Love Dare』を一緒に学ぶことになりました。
フルタイムで働き始め、妻として、どう新しい生活に自分をアジャストして良いのかわからないと言う彼女に、ちらっと、この本について話したら、すごい勢いで食いついてきてくれたので、きっと、御心ね。
すでにボロボロのペーパーバックの英語版を彼女に進呈して、私は新品のハードカーバーの日本語版で、共に学びます。
★私、ちっとも伝道熱心なクリスチャンではないけれど、ただ祈っただけで、賢人と、父と、母に、キリストを伝えることができました。
主によって、無事に洗礼まで導いていただけた。
半ば、オートマティカリーに。
つまり、特に頑張って伝道しなくても、私を信頼する勢いで、私が信じるキリストにまで、その信頼が届いちゃった。
きっと、はなもそうなると思う。
★でもアシスタントの先生が、みことばについて、私にいろいろ、すごい難しい質問をして来るのを、黙って祈って済ませるわけにはいかず、頭を抱えている。
そんな求道者を、教会は諸手を広げて待ち構えているけど、職場、幼稚園だし、私子ども専科だから、かなりたじたじ。
えっとね、それはね、たぶんね、きっとね・・・。
毎朝、神さまとの作戦会議が必要です。はい。







マタイの福音書 4章

暗やみの中にすわっていた民は偉大なる光を見、
死と地の陰にすわっていた人々に、光が上った。
マタイ 4:16
聖書を、始めのページ、創世記の1章から1ページづつめくってマラキの4章にたどり
着いたらことのある人なら、誰でも、マタイの1章1節のキリストの系図に感謝すると思う。
何度くり返そうとも。
そして、今朝の私はまさに、この4章16節の民の気もちです。
そんな、大げさな・・・、と笑われちゃうかもしれないけれど、でも、キリストの誕生は何度読んでも私に新しい希望を与えてくれるから、私は、そのことを自分の言葉で書きたいと思うのです。
旧約聖書の旅が、夢を見続けること、希望を失わない葛藤との闘いだとしたら、新約聖書を生きる私の旅は、それを信じて実行することなのだと、今朝、はっきりと思えました。
私の夢は、家庭にも仕事にも、教会にさえありません。
そこにあるのは私のミッション。
いいえ、神さまのミッション。
私の夢は「おはようスポルジョン」が、もっともっと祝福されること、この家がもっともっと祝福されること。
この小さな港町で、出入りする船を眺めながら、小さな白い灯台のようになり、キリストのことを証しし続けること。
世界に向かって。
★今朝、ベッドの中で目覚めたその瞬間、瞼を開きながら、リセットボタンを押して「ハロー・ブランニュー・デー」と心の中で言いました。
そう言うことを選びました。
状況は何も変わっていないかもしれないけど、私は変われる。
グッバイ・古い私。




Wednesday, January 30, 2019

あそぼう!ぼう!

たくさんのみことばと共に、励ましのメッセージをいただきました。
賛美のプレゼントもありました。
開けていない本屋の袋に気づいて狂喜!
そしてもしかしたら、ひっそりお祈りしてくれていた人もいたかもしれない。
きっと・・・。
いえ、絶対。
心からありがとう。ありがとう。そして、ありがとう。
おかげさまで、いつもの私に戻りつつあります。
つまづく前の能天気な私に戻る訳ではありません。
さらに練られ、さらにパワーアップ。
少しは考えるようになったと思う。
神さまは、どんな機会も逃さず、私を成長させるためにあれもこれもそれもどれも、み〜んな用いられるお方。
ご計画どおりの、新しい私に、私、もう一歩近づいた。(と自分では思っている)
じゃじゃ〜ん!
傑作なストレッチと変身とリズムと呼吸の本
みんなあつまれ!身体つかってあそぼうぼう!

マラキ書 3章

そのとき、
主を恐れる者たちが、互いに語り合った。
主は耳を傾けて、これを聞かれた。
主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、
主の前で、記憶の書がしるされた。
マラキ 3:16
しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。
あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。4:2

主の御名を恐れる私に、再び義の太陽が昇る。
私の翼にはいやしがある。
私は、外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。
アーメン
それを信じている証拠を見せるように生きよう。
せっせと身体と頭を動かし続けることに、「不信仰」とギルティを感じるのはやめにしよう。
仕方がないもの。
それが、恐れや不安が入る隙を与えないための、今の私が自分でできる唯一のセラピーだから。

聖書の3分の2、旧約を読み終えました。
明日から新約に入ります。
キリストがもうすぐ私に直接語ってくださる。

Tuesday, January 29, 2019

解放の証明

一生懸命だった1日が、ようやく暮れようとしています。
毎日一生懸命。全力投球。
そうする以外の生き方、全部わすれちゃったみたいに。
この前の礼拝で、「あなたは何から解放されましたか」という半ば挑戦的(今の私には)クエスチョンがありました。
自分が何から解放されたのかよくわかっていないことに気づきました。
いまだに、何かに縛られている。
いろんなことを恐れている。
ハトの形の紙に、何から自由になったのか書いて壁に貼って帰ってくださいって言われたけど、何も書けなかった。
この次の礼拝までには、きっと思い出そう。
ずっと一生懸命でいなくても、別に風が私から何かをさらってゆくわけじゃないの、頭ではわかっているんだけどね。



ゼカリア書 9章

シオンの娘よ。大いに喜べ。
エリサレムの娘よ。喜び叫べ。
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
この方は正しい方で、救いを賜り、
柔和で、ろばに乗られる。
それも雌ろばの子の子ろばに。
ゼカリア 9:9
後の雨の時に、主に雨を求めよ。
主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人にくださる。10:1
わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。
彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。
わたしは「これはわたしの民」と言い、彼らは「主は私の神」と言う。13:9

全ては、主のご計画のままに順調。
全ては、主の御手に包まれ守られている。
そう信じて、私は、「私の分」を一生懸命に果たそう。
主が定められた「私の分」。
平泳ぎしながら、一度だけ手を天に向けて差し出します。
「主よ、どうぞ、この手の内をきよめてください。
そして、あなたが今朝、今日の『私の分』をここにのせてください。
自分を超え、あなたを越えようとしてそれ以上の何かをしようとすることがありませんように。
今日の日の終わりに、そこに何かをやり残すことがありませんように。アーメン」


Monday, January 28, 2019

★静かな、1週間の始まりの1日でした。
ただじっと、子どもたちを見つめ、主の御声をミスしまいと、耳を澄ませていた。
何かが見えた気がしたし、聞こえた気がしたけど、確かじゃないから、文字にはなりません。
でも、主が、ずっと共にいて、励ましてくださったいると思えた。
★幼稚園が終わって、課外クラスのリトミックレッスンとピアノレッスンを一つづつ終え、帰路に付き、ハンバーグを作りました。
何の下ごしらえもせずに家を出たから、0からの制作、いえ、クッキング。
でも、頭と手をもうしばらく使いたかったからちょうど良い活動、いえ、セラピーとなりました。
★道しるべは、いつだったあった。
今もある。これからもある。
きっとある。絶対にある。


ゼカリア書 8章

これがあなたがたのしなければならないことだ。
互いに真実を語り、
あなたがたの町囲みのうちで、
真実と平和のさばきを行え。
互いに心の中で悪を計るな。
偽りの誓いを愛するな。
これらはみな、わたしが憎むからだ。
ゼカリア 8:16&17
「町囲みのうちで」。
心からアーメンと思います。
神さまが、私の内がわに、私が思ったり考えたりする前に、前に、神さまの心を置いてくださり、私がそれに気づくのを待ってくださっている。
前に、前に。
それで、私は、それが、私の大発見のように大喜びしてしまうけど、でも、本当はそうじゃない。
神さまが、私が気づくようにと、わかりやすく、置いてくださっている。
日本に行ったのもそう。
羽田でKeiさんに会ったのもそう。
大きなことも小さなことも、すべて、道しるべがあった。
これからもある。
だから、私は安心して、今日という日を一生懸命に生きよう。
今日も良い日でありますように。




Sunday, January 27, 2019

ありがとう!

とっても良い礼拝でした
今日、今、この瞬間を真剣にに生きること
愛すること、伝えること、逢いにゆくこと
飛行機に乗ってしまうこと
よくがんばった、そう主に言われた気がした
ありがとう
お祈りのおかげです


ハガイ書 2章

さあ、あなたがたは、
きょうから後のことをよく考えよ。
すなわち、第九の月の二十四日、
主の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ。
種はまだ穀物倉にあるだろうか。
ぶどうの木、ざくろの木、オリーブの木は、
まだ実を結ばないだろうか。
きょうから後、わたしは祝福しよう。
ハガイ書 2:23
主の神殿の礎が据えられるBefore とAfter のコントラストが立体的に描写されているハガイ書。
神殿の礎が、全ての良い結果の基。
佐々木正美も、幼児教育は長い人生の基礎工事のようなものだと言っています。(うわ、またこのことが頭に浮かんじゃう。今は何を読んでも何を聞いても何を見ても私の頭の中はこのことに結びつけて考えてしまうのね・・・)
種を蒔いても実りがないなら、それは礎を疑いなさいと、主は言われる。
実りは自分で確認したいと私は思う。
まだ蒔いてる中だもの。
今は、礎を疑うこと、基礎工事をやり直しをする時ではないと思う。
そう、信じたい・・・。


Saturday, January 26, 2019

あったかのんびりさたでー

★のんびりのんびりな土曜日でした。
やったことと言えば、ぱぱっと洗濯と掃除機、ちゃちゃっとトイレのお掃除、ささっとお買い物。
そして、賢人をアーバインにすっと送って行っただけ
午後、映画を観ようとして、大すきなうたた寝までできちゃった。
ひさしぶりののんびりサタデーです。
思えば、私が飛行機の長旅が苦手じゃないのは、寝るのが大すきだからなのよね。
うたた寝しまくり。
何より、飛行機に乗らない限り、そんな長時間、連続でも断続でも寝ても何も損しない状況、ちょっと他にない気がする。
実際、寝ながら、「寝ながらにして、事が前に進んでいる」って、本当にありがたいと思った。
★今夜はおでん。
ずっと食べたかったのに、なぜが、ずっとおあずけだった、夢のおでん。
アーバインで材料を買いました。
賢人を手ぶらで帰すはかわいそうと思い、あちらの日系マーケットに寄り道。
偶然、とっても懐かしい人にも会えて、会った直後にテキストまでもらって、おでんだし、とてもあたたかなほんわかした良い気分。
おでん、そろそろ煮えたかな?



私のミッション

思春期を終わろうとする子どもと思春期に突入しようとする子どもは、幼稚園で小さな人たちのめんどうをみる私に、本当にたくさんの反省と新しい知恵を与えてくれます。
自分の子育てに満足することは、とても御心にかなった大切なことだと思う。
満足は感謝と同じだから。
たとえ、上手にできなかった過去があったとしても、いつも今を大切に、謙虚に自分を変える努力を惜しまなければ、そんなことは、キリストがその命にかけて、どうにでもしてくださるから。
アーメンでしょ。
それを前提に読んでください。
(つまり私は決して良い母親ではなく、足りない親の代表者であるということ、でも、自分にも我が子たちにも満足していて、ある小さな意見を持つに至ったということ)
小さな子どもたちの生きるための努力は、ほとんど100パーセントキリストの愛の獲得のためと言っていいと私は思う。
赤ちゃんがおっぱいを求めて泣き叫ぶのも、2歳の子がおもちゃ売り場で駄々をこねるのも、苦手な食べ物を口に運ばれて必死で抵抗するのも、上手にやって褒められようとするのも、みんな究極的には、造り主であられる神の愛を確認している行為だと思うのです。
だから小さな子どもは潜在的能力を駆使して、神の愛を獲得するために強く要求を示すし、自分が信頼する大人の要求に応えようと努力します。
全ては愛のために。
そして、神の愛を知り、人の愛を知り、キリストの元に戻ってゆくのです。
だから、母親はどんなに疲れていても、空腹の赤ちゃんを放置してはいけない。
赤ちゃんに無力感と不信感を植え付けたくなければ。
だから、大人は上手に必要のないおもちゃを買わない努力をしなければならない。
それを、神と思って欲しくないなら。
だから、私たちはいつも、子どもたちの努力に真剣に応えて行かなければならないと思う。
そして、それが、それこそが、罪人として生まれて来た子に、神の愛は無償であることを証明する唯一の道だと、私は思うのです。
努力しなくてもいい時間があればあるほど、長ければ長いほど、子どもは強く優しくなれると私が信じる理由はそこにあるのです。
競争やプレッシャーのない地上の天国が、プレッシャーだらけの競争社会を生きる力になるという皮肉は、正に、壊れそうなこの世界へくださった神の知恵だと私は信じているのです。

ゼパニヤ書 3章

あなたの神、主は、
あなたのただ中におられる。
救いの勇士だ。
主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、
その愛によって安らぎを与える。
主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
ゼパニア 3:17
「その時、わたしはあなたがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。」
どんな所なのだろう。
それはきっと、想像もできないほどの幸いと平安と自由、そしてきっと自信に満ちた世界。
ここに、間違いないという自信・・・。

たくさんのみことばが与えられました。
心からありがとう。
その中のひとつをシェアします。
ヤコブの手紙4章の14節から18節までです。
「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。
真理に逆らって偽ることになります。
そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。
しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」

主に与えられたミッションを抱きしめて、ただ、立っていよう。
心をそのことへの愛でいっぱいにしていよう。
頭の中を主の知恵でいっぱいにしていよう。
きっと、主が助けてくださる。

Friday, January 25, 2019

終わり良ければ全て良し

★金曜日。
終わり良ければ、全て良し。
一生懸命な1週間、楽しかった1週間が今終わろうとしています。
幼稚園が終わって、課外教室のリトミックレッスンが終わって、とっても満たされた幸せな気もちで、アーバインまで往復してきました。
賢人を迎えに。
明日、地元の歯医者さんの予約があるのです。
★今夜、賢人がここにいることが、私の幸せな気もちを、いっそう完全なものにしてくれている。
乗り越えるの難しそうな問題に巻き込まれてゆくの、誰にも止められない。
何よりも、神さまがそれを良しとして、見つめておられる。
でも支えてくれる家族がいるから、たとえ乗り越えられなくても、挫折しても、私きっと大丈夫。
★賢人を迎えに行っている間に、夫が、ごはんを作ってくれていました。
栄養のバランスはあやしいけれど、ともかく心あたたまる、愛情たっぷりな「父さんディナー」です。
★ミッション抱えて、右往左往はもうしたくない。
(実際、今夜アーバインまで往復してみて、これ、方角変わったとしても、もうきっとできないと思った・・・)
ミッション、丸ごと大切に抱きしめてここで主を賛美していよう。
もしかしたら、景色の方が変わるかもしれないから。

ハバクク書 3:18

そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、
ぶどうの木は実をみのらせず、
オリーブの木も実りがなく、
畑は食物を出さない。
羊は囲いから絶え、
牛は牛舎からいなくなる。
しかし、私は主にあって喜び勇み、
私の救いの神にあって喜ぼう。
私の主、神は、私の力。
私の足を雌鹿のようにし、
私に高い所を歩ませる。
ハバクク 3:17~19
たったの3章しかないハバクク書を3日かけて読みました。
国々の民は、ただ火で焼かれるために労し、諸国の民はむなしく疲れ果てる。
そんな災いオンパレードなメッセージの中にも希望を探そうと頑張ってみました。
自分がどこに行こうとしているのかわからなくなりそうな一夜がそれでも明けました。
夜明けは神さまからのプレゼント。
ご臨済の再来。
そのプレゼントの中で、今日も私は主に足、守られ、高きを歩みます。
家族と共に。
「いつ ごな び おけい まま」
昨夜、ブランケットをかぶって胎児のようにまるまって音楽を聴く私の耳に囁いたはなの声が、まだこの耳の中にあります。
★写真は大分駅の紀伊国屋で買った、くらす、そだてる、はたらく、をテーマにした小さな子どもと暮らすお母さんのための雑誌です。
家には小さな子どもはもういないけど、めくるだけで心があたたかな気もち、やさしい気もちになります。
そして、私が預かる子どもの母親たちの人生のステージを一緒に味わえる。
どうか、今日も良い日でありますように。



Thursday, January 24, 2019

ありがとう2

詩篇 40:31

ありがとう

第一報
からだは一つ、御霊も一つである エペソ4:4
ありがとう
泣いている自分が嫌だけど、どうしても涙止まらない

Motomu!

みことば送ってください
ohayospurgeon@gmail.com
わたし、歌いながら待ってる
ずっと待ってる

ごはん、食べに帰ったばっかりだけど

帰りたい・・・
「ごはんができたよ」って言われたい

Wednesday, January 23, 2019

ハバクク書 2章

私は、見張り所に立ち、
とりでにしかと立って見張り、
主が私に何を語り、
私の訴えに何と答えるかを見よう。
ハバクク 2:1
祈ることはできても、主の声を待つとか、主の声に耳をすます、ということはなかなか難しいと思う。
森の中を一人で歩いたり、誰もいない早朝のビーチを裸足で散歩しながら聞こえることのような気がして、なかなか、聞きに行こうとは思えない。
でも、そうやってこちらがあきらめていても、主は語りたい時に語るのよね.
日常の渦の中をぐるぐる回転するみたいな1日の中でも、何かにはっと気づく時ってあるでしょ。
それはたいてい何もしていない時。
信号を待っている時、シャワーの終わりに首にただ熱いお湯をあてている時、スチームサウナでぼんやりしている時。
神さまは、常に何かを考えている私たちの、そんな無意識の隙間を待っておられるのかもしれない。

Tuesday, January 22, 2019

Misshon Impossible

飛行機で眠気と闘いながら、ほとんど負けつつ、
往復で6回ぐらいまわして、やっと全体を観た唯一の映画
あきめなくてよかった、
闘ってよかった、
近年、私の中のベスト
偶然、聾唖者用のも観て、バッチリ解説も聞いちゃって
アクションだけじゃなくて、ストーリーも満喫した



ナホム書 1章

見よ。
良い知らせを伝える者、
平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。
ナホム書 1:15
日本に行って、帰ってきて、そして、また、何事もなかったかのようにここで、こうして、聖書を開いて、読んでいます。
でも、行く前と今の気もちは大きく違います。
主は私の
「どこでもドア」
日本がとても近くなりました。
4日あれば行ける国。いえ、行ける街。
ただ行っただけじゃない。
主と共に負った責任の私の分を果たせたと自分では思っている。
行きも帰りも、一生懸命に映画を見ようと目を凝らしていたけど、眠気に勝てず、まともに観たのは、往復で一本だけだった。
天地を造られた主は、この世界の歴史や大自然を人間まかせにはしておられないことは、小さな子どもにもわかることだけど、でも、時間や空間の支配をも人間まかせにはしておられないと思った。
平等に24時間が与えれ、自由に動ける空間もみな等しい限界の中で生きていると思っていたけど、そんなことないかもしれないと思う。
アメリカの入国審査も大分駅の改札口も同じだと思った。
毎朝、プールで祈る祈りに、「あなたの時」には、私をまっすぐ父と母の元へ届けてくださいますように、モーセの前で海を分けたように、私の前にあるものの全てを右と左に分けて、私をまっすぐに歩ませてくださいと祈っているけど、まさにそんなファーストクラスな旅でした。


Monday, January 21, 2019

唯一のゲット品

母がくれたお皿とお茶碗
割れてなかった・・・
お買い物は羽田の搭乗口の前の小さなお店でしかできなかったけど
(本は別、重度の活字中毒者だから、時間なくても無理矢理・・・)
母が、私が欲しそうにしてたらくれた二品

ただいま〜

ただいま〜!
あつ〜いお祈りに
心から感謝します!

Keiさんありがとう

夫とはなにおみやげ買った
 ちょっと座ろ
Kei さん
ここで一緒にビール飲みたかった・・・
夏は大分においで
湯布院を案内する
指切りげんまん

See You Soon

さよなら、美しき私の故郷
 さよなら、私の愛する街
また、すぐ来ます

行ってきます

家に帰るのに、
「行ってきます」と言ってお別れします
父は「ありがとう」と言ってくれた
生まれて初めて親孝行ができた
私の信仰が両親にも流れた

今日のランチ〜母の手料理


Sunday, January 20, 2019

旅支度

やれること全部やった
帰り支度します

神さま、どうか、この家をあなたのみつかいさまに
よってお守りくださいますように
どんな災いからも悲しみからも
どんな嘘も偽りも決してこの家に近づきませんように
夏にまた来ます



個人差を尊重するということ

人間の個々の生命、価値、尊厳は平等です。
これが人間社会の基本ルールです。
しかしながら、人間のあらゆる側面に能力差があるというのも厳然とした事実です。
通常、われわれはごく狭い範囲の物差しでつくった価値観で、「あの子は優秀だ」などとほめたりしますが、それは人間の個人の尊厳や価値に反映されるべきものではない、と自覚をもつべきだと思います。
学芸会の劇で、全員が均等に10のセリフをしゃべる脚本を作ったとしましょう。
たいへんな苦労でしょうが、これを子どもたち演じさせてみたところで、本当の意味で社会的役割を分担しあえる人間教育にはなりません。
人間には、何十、何百という無数の能力の種類があり、それぞれの部分、分野で能力差と個体差ないし得意をもった人間がいるのです。
そうした能力差、個人差を超えたところで、すべての人は平等なのだ、同じ仲間なのだ、ということを教えることが大事なのではないでしょうか。
形式的な平等感というのは、差別と同じようなものです。
真の意味での平等感というのは、もっとずっと精神的に深い部分にあると思っています。
佐々木正美の「子どもの心の育てかた」より
駅の紀伊国屋でもう一冊買いました。
3冊の大きな本、「子どもへのまなざし」をコンパクトにまとめたような内容の「子どもの心の育てかた」。
幼稚園へのおみやげです。
かゆいところに手が届いたようなあっぱれな文章です。
娘のはなのことを思いながら、読みました。(自分に娘がいたことを今朝、はっと思い出した。それぐらい、この2日濃い娘業に専念していた私・・・)
お勉強が嫌いです。
お部屋の片付けはもっと嫌いです。
歯磨きも嫌い。
でも、あの子の個性、あの子の才能、あの子の優しさ、あの子のお友だちとの良い関係を、それと引き換えたいとは思いません。
思わなくても良い、思っても無駄ということを確認しました。
すぐ忘れて、ギャーギャー言ってしまうから、飛行機降りる前にもう一度、この章のおさらいをしようと思います。はい・・・。

ミカ書 6章

主はあなたに告げられた。
人よ。何が良いことなのか。
主は何をあなたに求めておられるか。
それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、
へりくだってあなたの神と共に歩む事ではないか。
ミカ書 6:8
昨日の感動と安堵が温かな布団のように私を包み、日本時間になじまないまま、アメリカに戻ろうとしていたのに、ぐっすりと5時まで眠ってしまいました。
廣田牧師が開拓した新しい教会で礼拝できて本当に良かった。
私は、毎朝、先生の祈りと説教に感謝し続けてきたけれど、これからはより一層心を込めて彼の新しいミニストリーのために祈れる気がしています。
昨日、駅の紀伊国屋で買った本の中に、こんなフレーズを見つけました。
「8時間を超える労働は、未来への投資である」、平たく解釈するとつまり、8時間は生きるため、それ以上は夢のため。
そして8時間以上の働き、つまり報酬のない愛ある奉仕の重要性について説いた後、「大切なのは、何かについて知り尽くした後で、さらに何を学ぶかということだ」と結びの章にありました。
生きるために8時間働き、さらに数時間未来のために奉仕し、そして自分自身を養うための時間も削るべからずと、私はそういう風に読みました。
大分駅の紀伊国屋には、キリスト教関連の本よりも、ビジネスやリーダーシップ、自己啓発的な、いわゆるおっちゃん向けの本の方が充実しています。
クリスチャンの私がそこから選んで、そこから読むと、こんな結論となったわけです。
廣田牧師のことを考えました。
彼はまさにそのようなリーダーシップを発揮して、謙遜に、でも誇りと自信を持ってスタート地点に立てた人だと思う。
★写真は会堂の窓から見た景色
曇り空のすぐ下に見えるのは瀬戸内海



おかげさまで

★心あたたまる、愛に満ちた、素晴らしい洗礼式でした。
説教はヨハネの福音書の3章の1節から16節からでした。
老いたエリート学者ニコデモとキリストの会話です。
なぜ、ニコデモは、夜、キリストのもとを訪ねたのか。
これまで、それに関するさまざまなメッセージを聞いてきました。
でも、廣田牧師は、ただ、単純に、それは、ニコデモに人生の夜が訪れていたことの象徴だと思うと言いました。
その言葉を聞いて、先生のミニストリーの中心にある重荷と目的、召しへの愛に感動して涙がこぼれた。
父と母が、信仰告白の祈りをした3年前、お坊さんの息子として生まれた先生は、お墓のことも、先祖のことも、本当に上手に父と母に説明してくれた。
先生との出会いがなければ、そのメッセージを抜きに、父と母の救いは私には夜空の星々から探すたった一つの真理ほどに難しいことでした。
ニコデモの「人は、老年になって、どのようにして生まれることができますか。」を廣田先生は、「純粋で素直な当然の疑問です」と言いました。
父は、今日の説教の箇所、イエスさまの言葉に印をしていました。
「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」
★いろんなドラマがあり先生は70代にして再び、教会を建てあげました。
そこに、父と母をしっかりと結ぶことができました。
先生を疑ったことは、一瞬もなかった。
私も、父も。
連絡が途絶えても、きっと、また再び会えると信じて、祈り続けてきました。
★素晴らしい教会でした。
私の知らない人たちが、「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう」って言ってくれた。
お赤飯を炊いてお祝いしてくれた。
神さま、おめでとう、神さまの勝利です。
神さま、ありがとう、神さまのおかげです。





祝・受洗

お祈り、本当にありがとうございました

Saturday, January 19, 2019

父と母が受洗しました

無事に終わりました
自分の時より、賢人の時より、
感動的だった

いよいよです

あと5分



いよいよです

切られたチェーン

ストレスを解消する鍵は、人間関係の中にあるといえます。
いい人間関係を持たなければ、人はストレスがどんどんたまっていく。
対人関係にストレスを感じて、逃げ込んで一人でいるということは、ストレスの解消にならないのです。
今の文化とは、どれだけ人が、わがままでいられるかということと同義でしょう。
物質文化、物質文明とは、人間がどれくらいわがままでいられるか、気ままでいられるか、基本的にはそういうことです。
人は一生懸命豊かにと考えてきたんですけど、豊かさとはそういうことです。
佐々木正美 「人 愛 こころ」より
耳が痛い人。
はい!
私が真っ先に手を上げなければなりません。
変わるために一生懸命に努力しています。
何しろ、今年も抱負は「交わり」。(&「英語」)
家系の鎖という言葉があります。
クリスチャンならピンとくると思います。
父は、家族や親戚や近所の人たちの中で、私たちを育てることができませんでした。
私も我が子たちにそれができていません。
孤独な少年時代を過ごした父は子ども期の終わりには自活を始め、世間からもらうわずかな愛をやりくりしながら生きてきたのだと思います。
でも、鎖は切られました。
主によって。
今日、父と母の洗礼によって、それは本当に確かなものとして、私たちの自信になってゆくと思う。
賢人の子育ては教会によってサポートされ、はなはバレエスクールのカンパニーが手伝ってくれている。
そして、父と母も教会にしっかりと繋がろうとしている。
私が、努力できない理由はどこにもありません。
まずは、私にとっても最も大切な人間関係、結婚へのさらなる努力を!
★今、一番ほしいもの
ぐりとぐらのカレンダー2019