Saturday, May 29, 2021

ふさぎの虫と戦い中


今日は、朝から晴天。
お洗濯日和だったのだけど、お洗濯もせず、片付けもせず、いつもは食べない朝ごはんを食べたり、いつもは食べないおやつを食べたりしながら、1日中、ベッドの周辺ですごしました。
テレビを観たり、本を読んだり。
文章の端々から、きっとバレていると思うけど、実はふさぎの虫に襲われているのです。
米が原則的に日への渡航禁止したあたりからずっと。
悪い知らせを恐れずに生きてゆきたいな。
ネガティブな蔦に足が絡んでほどけない。

お兄ちゃんがどんな風に生きて、どんな風に亡くなったのかとかを考え始めると、気もちが、落ちつき場所を求めて彷徨いはじめます。
もう、わかりようもないのだけれど。
お兄ちゃんが最初の結婚で生んだ子のことも考えます。
父は、最初の妻もその子のことも、決して口にすることがなかったけど、どうしても、どこかに、何かの心配があって、私をそれから守ろうとしていた気がして、父の日記を読み返してみたりして。
そして、読めば読むほど、常に純粋で真剣な父に出会ってしまい、あまりの愛しさに再び、いえ、3度も4度も、何度も何度も淋しさに襲われるのです。

Friday, May 28, 2021

言わせぬだいじょうぶ感


富を得ようと苦労してはならない。
自分の悟りによって、これをやめよ。
あなたがこれに目を留めると、
そうれはもうないではないか。
富は必ず翼をつけて、
わしのように天へ飛んで行く。
箴言 23:4,5

昨日、側に電話を置いて、家の中を片付けていると、色んな人からいろんな写真が送られてきました。
これもその一枚でえりさんちのりかちゃん作のマカロン。
電話を側において作業するっていうのもたまたまなんだけど、1日に、こんなに素敵な写真が複数枚届くっていうのも、とてもたまたま。
どれも、あまりにも明るくて、あまりにも幸せそうで、あまりにも聖らかで、しんみりとうれしくなりました。
しんみりとうれしいなんて、変な表現かもれないけど、こんなに幸せな人たちが、私のために祈ってくれているのだから、きっと、全て、だいじょうぶ、って思ったのです。
昨日じゃないんだけど、父のバッグをもらってくれた人から笑顔で父のバッグを身につけてくれた写真が届きました。
彼に負けず劣らぬ眩しい笑顔の息子くんもお写真に写っていて、そんでもって、それを撮ったのは、彼の愛する妻さんと思うと、その幸せで聖らかな構図が、本当にしんみりとうれしかった。
私、こんなに幸せで聖らかな人たちに祈られているのだからだいじょうぶって、そう思いました。
幸せな人たちは、幸せを伝染させる力を持っている。
「言わせぬだいじょうぶ感」はきっとそれがゆえ。
私も、誰かに「言わせぬだいじょう感」を伝染させたいです。

喜びと悲しみと


今日は、丸1日をかけて、元納戸とミニ納戸のお片付けをしてすごしました。
元納戸は、この家に帰ってきてから、毎日少しづつこつこつと片付けて、ある日を堺に、納戸ではなく、私の家族が来た時の、男チームが寝る場所に昇格したお部屋。(女チームかもしれない、何しろ、夫は日本のテレビが大好きだから)
そこをもっと、泊まりたくなる空間にしようと、さらに、片付けてみました。
ミニ納戸は、ミシンやアイロン、掃除機やモップ、お裁縫道具や素材、文房具や文房具の買い置きなどの家事用具置き場なのだけど、半年前は捨てられなかったけど、今なら捨てられるものを探してシェープアップ。
母のひとり暮らし支援チームの1人である、まだ見ぬヘルパーさんが、この家に入った時、掃除機やモップを取り出しやすくなることを思うととてもうれしい。
家事のしやすい環境作りです。

図書館へは、あれ以来、行っていません。
本は大すきだけど、片付け最中に、もう、借りたい気もちになれず、手元の本をペラペラとめくっています。
やっぱり、本当の引き上げお片付けモードのようです。
☆写真は今朝、朝日の中で撮った私のお部屋
LAに帰ったら、きっと懐かしく思う、喜びと悲しみがつまったお部屋

Thursday, May 27, 2021

ぼおっとしながら考えたこと


夕べの九州はどしゃぶり。
眠りながら、あまりの雨音の大きいのに、「こんなの大きな雨の音じゃ、父が私を呼んでも聞こえない!」とわけのわからない危機感で夜中に目覚めてしまいました。
その後、しばらく寝付けなかったので、今日の午後はそれを取り戻すかのようにお昼寝をしてしまいました。
今、なんだか、ぼおっとしています。
お昼寝、体質に合わないのよね、残念なことに。
夫と久しぶりに電話で話しました。
母のことや、家の登記のことなど、いろいろ報告した後、飛行機のチケットのことを調べてくれるようにお願いしました。
彼に買ってもらうつもりです。
自分で買うとAMとPMとか日本時間と西海岸時間とかを間違えて買ってしまいそうなので。
そういうところ、すごくぼおっとしてるの、私。
家の中の家具を動かしたいのだけど、ひとりじゃ無理。
でも、手伝ってくれる人が思いあたりません。
12月にはなが一緒に来てくれるって言うのでそれまで待つほかないかしら。

Wednesday, May 26, 2021

敵の火矢

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。
そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
箴言 16:3

今日から、母のデイケア・サービスが週に5日、そして時間も午後まで延長されました。
柔軟に前むきにがんばっている母。
神さまの、母への励ましのおかげです。
今日も、雨の中、傘をさして、ゴミを出してくれました。
母は、この家で暮らし続けられるためなら、なんでもするという覚悟をしているのかもしれません。
私は、母のこれからの人生を、母の思う通りに生きてほしいから、ただ、そのために必要な補助をかき集め、そして組み立てる、後は全て、神さまにゆだねるほかありません。
昨日の優希さんとのミーティングの中で、新たに色々と気づいたことがあったのでメモに取りました。
これからそれも準備します。

心なく気の毒がってくれたり、無責任な心配のことばを投げてくる人もいるけど、それは、信仰のテストだと思って、火矢をよけるようによけて走ることにしました。
一生懸命に、母が大丈夫な理由を探して、説明して、わかってもらう必要はないと気づいたのです。
だって、わからないもの。大丈夫かどうかなんて。
大丈夫にしようとがんばってくれるサポートチームが、心配を口にしない限り、「敵の火矢」だと思って、かわすことにしたのです。
「主の警告」と「敵の火矢」を見分ける目をくださいと祈りつつ・・・。

ちくんとずっき〜ん


今週は、わりとのんびりのんびりだけど、今日もそうでした。
まず、ケア・マネージャーの優希さんとミーティング。
それからお願いしておいた父の最後の入院の診断書を受け取りにホスピスへ。
保険会社から届いた専用の用紙を持って記入のお願いに行った時には、胸がしめつけられんばかりに苦しかったので、今日は覚悟して行きました。
でも、ちくんと痛んだ程度で終わった。
覚悟って、わりと良いものかもしれません。
それから、図書館に本を返しに行きました。
前回もそうだったけど、今日も借りずに帰ってきました。
でも、数日中に借りに行ったのだけどね。
今回はどうだろう。
借りたい気もちになるのか、それとももう、旅支度のお片付けモードになっているので、借りたい気もちにはならないのか自分でもよくわかりません。
帰りに、母のデイケアに4月分の支払いに行き、ついでに銀行自動引き落としの手続きをすませてきました。
明日の「燃えるゴミ」の準備をして、あとは、この頃、連続して届くお花やお菓子の慰めのお礼状を書いてすごしました。
クッキー、カステラ、胡蝶蘭・・・。
確かに甘いお菓子やきれいなお花って、敏感になった淋しい心に優しく触れるのよね。
涙がこぼれます。
まさに神さまの愛、感謝な日々です。
☆写真は今日のランチ
おかゆを作りながら父を思い出しました
覚悟がなかったので、不意打を食らい、ずっき〜んと胸が痛みました

Tuesday, May 25, 2021

人の正しさとは


あなたの重荷を主にゆだねよ。
主はあなたのことを心配してくださる。
主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
詩篇 55:22

「この教えを無視する者は必ずとがにおちいる。
なぜなら思い煩いの本質は、私たちが神よりも賢いと思い、自らを神の位置に置いて神が私たちのためのしようとされることを、逆に私たちが神のためにしようとすることだからだ。
このような高慢は、すべて罪である。
素直にすべてを神の御手にゆだねることができず、自分で重荷を負おうとする者は、自己の労を軽くするため悪い手段をとるように誘惑されがちだ。
この罪の結果は、神を相談相手とすることに見切りをつけ、その代わりに人間の知恵を求めるようになる。
祈りは妨げられ、終始一貫した行動がとれなくなり、生活は自己中心となる。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
夕べ、スポルジョンよりも一足先に、このみことばを私に送ってくれた人がいました。
今朝、この5月26日の箇所に書かれたスポルジョンのメッセージを読みながらこのみことばを味わうなら、これが今の私にどれほど大きな慰めを与えてくれるかということを感謝せずににはいられません。
「人の正しさ」とは「正しく自分を測れること」なのかもしれません。
どれだけちっぽけで、どれだけ無力で、どれだけ弱く、どれだけ知らず、どれだけ愛なく、どれだけ何もないかということを。
それは、きっと、どれだけ神の大きさに憧れるかということと同義語。
☆写真は昨日の晩ごはんです
野菜たっぷりでえらい?
いえいえ、この後、大すきな炭水化物、お寿司をつまんで締めました
もちでしょう〜

たんすいかぶつ・らばー


今日は、新しく作った(父のと合体した)銀行口座をオンラインでモニターできるように設定しました。
ゆるゆるにゆるすぎるところと、きつきつに厳しいところの超極端な日本の個人情報管理システム。
今日はきつきつ版。
でも、両の極端を、共に、これまで骨身に沁みるほど経験してきたので、がんばれました。
これで、世界のどこにいても、今後変化するかもしれない母の生活に必要なサービスを、支払い法を気にすることなく、受けることができます。
それから、昼間っから、テレビを観ました。
はなとも電話でおしゃべりしました。
写真は今日のランチです。
母とはんぶんこちゃんぽんと小さなごはん。
ごはんは玄米を混ぜています。
毎日、写真に撮って、眺めてみると、私の食べているものって、ほとんど、炭水化物が中心。
それでも、ちゃんと元気です。
痩せすぎることも太りすぎることもありません。
LAに帰ったら、ここよりもっとおいしい炭水化物のパンやピッツアやタコやパスタ、それからおいしい野菜のシランティロやハラペーニョやチリやセロリを食べまくりたいです・・・。

Monday, May 24, 2021

忘れていてごめんなさい、きいてくださりありがとう


私を見捨てないでください。主よ。
わが神よ、私から遠く離れないでください。
詩篇 38:21

「試練と誘惑の時、私たちはしばしば神が見捨てたまわぬように祈る。
しかし私たちは、いつでもこのように祈る必要があることを忘れがちである。
私たちの生涯がいかに聖化されようと、常に神に支えられているのでなければ、それは一瞬たりとも保たれない。
私たちは光にある時にもまた暗やみの時にも、神と交わる時にも誘惑の中にある時にも、等しく「主よ、わたしを捨てないでください」と祈る必要がある。
今日のスポルジョンのメッセージです。
昨日、ひとりで食べたランチの後片付けをしながら、家のための祈りを声に出して祈っていて、それが、昔、いえ、この5年ぐらいの間、私がこの家に戻ってくるその直前まで祈り続けてきた祈りであることに気づき、祈りがきかれていたことを主に感謝しました。
祈っていたことすら忘れていた祈り。
私の願いは聞かれていたのに、感謝をすることもなかった祈り。
プールでも車でもよく祈った祈りです。
「父の家を、どうか全ての災からお守りください。
自然災害も、人の悪意も、欲望も、妬みも、誘惑も、悲しみも、苦しみも、痛みも、決してあの家に近づくことがありませんように。
見ることもありませんように。
いえ、知ることさえありませんように。
周囲で何が起こったとしても、どうか、父の家にだけは、それが降りかかることがありませんように。
あなたの愛と憐れみと恵と祝福で父の家を今日も包んでいてください。」
こう祈り続けてきたのでした。
帰ってきた瞬間から、一切、祈ることをやめ、しかも、祈ってきたことも、祈りがきかれてきたことにも気づかずにいました。
神さま、ごめんなさい。
神さま、ありがとう。
☆写真は昨日の晩ごはん
そばサラダとささみチーズそれから特大おにぎり

母親というもの


雨の週明け。
今日は、土曜日に荷造りした形見の押し付けと、それから保険会社や車のディラーに提出する大切な書類を持って、郵便局へ。
無事に全て、受け取られ、配送することができました。
少しづつ慣れてきたのでしょう、シッピングスリップ作り。
なんのエラーもなく、書き直しはありませんでした。
それから、午後は、お兄ちゃんと父が告別式をした葬儀屋さんに来てもらって、新たに互助会(割引をもらうためのメンバーシップ)への加入手続きをしました。
父が加入しておいてくれたおかげで、全てがとてもスムーズだったので、火葬場で、少し落ち着いたら手続きに来ていただきたいとお願いをしておいたのでした。
玄関先で、印鑑だの通帳だの出して、あれこれしてたら、母が奥から、「まきちゃん」と遠慮がちに言いながらやってきて、私の少し後ろに座り、小声で「何をしているの? 何のハンをついているの?」と言います。
母は、いつまでたっても、愚かな娘の心配をするものなのね・・・。
私は、その心配をそのまま、袋につめて、母に渡したい気もちがいつもあったので、とても頼もしく、そして微笑ましく思いました。
そうそう、ハンコはうかつにつちゃだめよね。口座番号もいけません。
その通り。大正解。
互助会の人は私と同世代で、母よりひとつだけ年上のお母さんがいるそうで、丁寧に私が加入した互助会の意味を説明してくれました。 
☆今日のランチは久しぶりのトリ雑炊
私って、本当に炭水化物好きだわ・・・

Sunday, May 23, 2021

父が残してくれた平和と幸い


ほむべきかな、神。
神は、私の祈りを退けず、
御恵みを私から取り去られなかった。
詩篇 66:20

「私たちが自らの祈りの内容を正直に省みるならば、神がそれに答えたもうたのがかえってふしぎに思われる。
真のクリスチャンは、深く自己を内省してその祈りを悲しみ、もし可能ならば過去の祈りを再びやり直して、もっと熱烈に祈りたいと思う。
しかし驚くべきことに、神はあなたの冷淡な祈りを聞かれた。
聞かれたばかりでなく、それに答えたもうたのだ。
かなわぬ時には神に泣きつき、恵みを受けた後にはすぐに背を向ける者、必要に迫られれば神のみもとに近づき、恵みが豊かで悲しみの少ない時には神を見向きもしない者、このような者の祈りをも聞いてくださるとは、なんという神であろう。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
心から、心の底から、アーメンと思いました。
でも、「再びやり直して、もっと熱烈に祈りたいと思う」のところだけは、ちょっと違うかな。
私は、「再びやり直して、もっと謙虚に祈りたいと思う」です。
謙虚じゃなかった私の祈りをどうか、お赦しください。
謙虚でなかったにも関わらず、祈りにお答えくださった、あなたに心から感謝いたします。アーメン

夕べも一度も目覚めることなく、ぐっすりと眠ることができました。
今朝の朝風呂直後の体重は45.25キロ。
とっても良い気分です。
父が父なりに一生懸命に準備しておいてくれたおかげで、ひとつ、ひとつ、母と私が平和の中での幸せが守られ続けるようにと形を変えながら整えられています。
これが、父への主の導きなくして、なんであろうか、と思うとそれもまた、幸せ。
母も私も、大きなさみしさの中にいるけれど、でも、平和です。
そして、幸せです。


Saturday, May 22, 2021

今日のランチ〜大きなサラダと小さなパスタ


 

順調です


お役所も銀行もお休みの土曜日。
安心して、ぼさぼさ頭の部屋着姿で、お部屋に籠って、書類作りや荷造りなどをしてすごしました。
まる1日。
よ〜くがんばった。
おかげですっかり片付きました。
今の段階で、できることは全て。
小包は形見分け。
アメリカへのややこしいシッピングスリップもインターネットで作ってプリントしました。

今日も母はとっても元気です。
父が亡くなっても、ペースを崩すことなく、健気にきちんとルーティンを守っています。
ひとり暮らしの準備期間なので、朝は自分でゴミを出すようにしてもらったり、今まで父や私がやっていたことを少しづつ引き継いでもらっているけど、十分に対応してくれている。
もうすぐデイケアも毎日になるので、そうしたら、ますます、どんな感じになるのか具体的にわかってきます。
母も私も。
買い置きできるもののストックも整いつつあります。
お茶やコーヒーなどの賞味期限のあるもの以外、例えばゴミ袋などもサイズをきちんと決めて買い揃え、アイテム別ゴミ箱の底に半年分を置いて、引き抜いたら、すぐにはめられるようにシステム化。
神さまの守りのおかげであれもこれも全て順調です。

Friday, May 21, 2021

癒されています

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
主は彼らを苦悩から救い出された。
また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。
詩篇 107:6,7

「昨日私は神の子どもであるとかたく信ずることができた。
しかし今日になってみるとその確信は弱まり、私の希望はかすんできた。
これは神の私に対する御計画の一部であろうか。
確かにそうである。
あなたの信仰が光を失い、あなたの心が暗くなり希望がかすむのは、すべて神が将来あなたの受けつぐべき大いなる資産にあなたを備えられるためである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
このみことばを読んで色んなことを思いました。
私は去年の12月9日、自分の意思でこの国に、この家に帰ってきたと思っていたけれど、本当はそうではなかったかもしれない。
なかなか決心できずにいた私のために、主は、ありとあらゆる方向から、私の状況を整えてくださった。
背を押してくださった。
手を引いてくださった。
怖いものを見えなくしてくださった。
安心できるものを見せてくださった。
確かにそうであったかもしれないと、今思うのです。
モーセの前の紅海のように、ヨシュアの前のヨルダン川のように、私の目の前のものを右と左に分けて歩ませてくださった。
で、あるとするなら、私がサンペドロの我が家に帰る道も、必ず、主が、主の時に備えてくださるはず。
☆写真は昨日のお昼ご飯
五目ごはんとエノキのバター醤油、そしてワカメスープ
毎日しっかり食べて、体重は大体45キロ
そして、夕べは一度も目覚めることなく、朝までぐっすりと眠ることができました
少しづつ癒されています
お祈りをありがとう

Thursday, May 20, 2021

主の祝福の中で

主の祝福そのものが人を富ませ、
人の苦労は何もそれに加えない。
箴言 10:22
☆この頃、毎朝、朝風呂。
今日も、朝一番にお風呂に入り、聖書を開きました。
弱い私は、父が生きていた頃のルーティンを変えることで悲しみを乗り越えてきた。
朝のお散歩も、今はまだできません。
歩き始めると、口が勝手に父の健康のために祈ってしまいそうだから。
☆昨日、いつもよりちょっと早く帰ってこれたので、後回しにしつつとっても気になっていた母のコロナワクチン摂取のための予約の電話をしてみました。
混雑しているって聞いていたので、電話を三つ並べて、まず固定電話でかけてみたら、ころっとかかり、ころっと予約が取れました。
たった今、キャンセルが出たので、急だけど、再来週でいかですか?と。
もちろん決めました。
2度目の予約も完了。
☆それから、お兄ちゃんの最初の結婚の時の子どもの消息を知りたくて、お兄ちゃんの2回めの結婚の妻に父の携帯電話から電話をかけてみました。
父のことを知らせると、絶句。
その絶句が、とってもうれしかった。
連絡は、司法書士を決めて、相談した後にした方が良いと言われました。
これまた、すごいドラマなんだけど、お兄ちゃんは亡くなる前に遺言状を作っていたのだそうです。
内容は「全てを妻に」と。
父もお兄ちゃんも、きっと何か嫌な予感があったのでしょう。
色々近況報告をしてから、また、かけるねと言って電話を終わりました。
もしかしたら遺言状のことを気まずく思ってくれていたのかもしれないので、こちらからかけてみて良かった。
父は、絶対そんなこと、気にしなかっただろうし、母も私も全然気にしません。
それどころから、今だに、お兄ちゃんの性を名乗り、最後まで離婚せずにいてくれたことを喜んでいたのだもの。
☆これから色々な人が色んな助言をしてくれるだろうけど、これまで通り、ただ、みことばに従い、みこころのままに歩いてゆきたいです。

導かれて守られて


どこに行っても、何をしても、しっかりと守られ、ぐぐっと導かれている主に愛されたやもめとその娘、ドラマチックな日々をひた走っております。
まさに、疾走。
神さまに感謝せずにはいられません。
そして、父にも感謝です。
今週は、火曜日に、銀行で、お兄ちゃんの戸籍謄本から、第3の相続人がいたことを知らされ、くらくらと倒れ込みそうになったところから、それでも、倒れず疾走できているのは、本当に神さまの守りと、神に導かれ、神に守られてきた父の判断のおかげです。
第3の相続人とはお兄ちゃんの最初の結婚の時の子ども。
一瞬どっきりしたけど、でも、父が買っておいてくれた、証券のおかげで、ほとんどの財産が受け取り人指定の遺産だったので、ひとまず、落ち着いて対処しようと気もちを立て直したところ。
ただ父が持っていた、生活費の引き落としの銀行口座に、無造作にお金が残されていたので、これがまず、相続の対象に。
それから、家と車。
でも、神さまが導いておられるので、その光のしるしをたよりに祈りつつ進めば、きっとだいじょうぶ。
神さまの方法で、祈りながら対処します。
で、今日のドラマは年金。
昨日、場所の下調べをしたにもかかわらず、慣れない朝のラッシュで予約の9時に5分も遅刻したところからスタートしました。
対応をしてくれた年金のプロのアナリストみたいな人があまりにも急ぐので、私は、何度も、「私が遅刻したばかっりに本当にごめんなさい」と言いました。
すると3度めぐらいに、「いえ、実はそればかりではないのです。
お父さんの年金調査でわかったことがありまして、そのことの確認と処理に時間がかかりそうなので、急いでいるのです。」と言います。
船員保険とは国民年金や厚生年金と違って、定年も早く、補償も高いことは知っていたので、「もしかして、もらいすぎの払い戻し請求かな?」と心の中で、色んな覚悟をした私。
でも、彼女の質問は、全く母と私には寝耳に水な話で、「ご主人は陸上勤務したことがありませんでしたか?西宮で」と。
でも、母は覚えていません。
色んな聞き方をするけど、母は本当に何も知らないのです。
アナリストは母の顔をぐぐっとのぞいて、じゃあ、「西宮に住んでいたことはありませんか?」と言います。
母は、「あります。短い間でしたけど。」と答えました。
「どのくらいの期間か覚えていらっしゃいますか?」と聞かれ、「1年ぐらいでしょうか」と言いました。
するとアナリストは、とってもうれしそうに、「ご主人は実は厚生年金を払っていた時期がありまして、その分をこの30年間、受け取っておられないことがわかったのです。差額は1万円ほどですが、30年分なので、金額はかなりです。これから、それを受け取っていただくための書類作りをします。」と。
遺族年金だの寡婦年金だのだけでもありがたいのに、その上、時効の年金まで・・・。
予約時間は30分間だったのに、たっぷり2時間はいたと思う。
全てが終わって、ほっとした母に、「お母さん、今日は、本当にありがとう。委任状をもらって私が代行していたら、西宮に住んでいた記憶は呼び戻せなかったよ、生まれてなかっただもん、」と言いました。
委任状じゃなくて、母自身を連れて行ったのも、実は主の導きなのよね。
はっきり、しっかり、びちっとさ。

Wednesday, May 19, 2021

ありがとう、ありがとう、 そして、ありがとう


今日も、朝からみっちり、相続の手続きや事務処理に奔走しておりました。
今日もまずは銀行。これで3日連続です。
今日は自動引き落としの手続きをふたつ。
固定資産税と私の国民健康保険。
自動車税もやっておきたかったけれど、こちらは車の名義の書き換え後にしましょうということになり、もともと行くつもりにしていた書き換えに行ったところ、なんと、車の持ち主が車屋さんになっていてびっくり仰天。
まさか、ローン中????
すぐに車の中から車屋さんに電話してみました。
父らしくない不思議な行動だと思っていたら案の定、手続きの時の間違いだったらしいのだけど、名義の書き換え手続きは、それを理由に、車屋さんが代行してくれることになりました。いえい!
そして、帰り道だったので、明日予約をしている年金事務所の場所を確認しました。
その後は、予約していた法務局に登記の相談に。
くらくらするぐらいたくさんの書類の作成があることがわかり、説明が始まった最初の3秒で、「これ司法書士にたのも」と心に誓い、頭の記憶整理パワーが、ぱちっとオフになってしまい、やるべきことを何も学ばずに帰ってきてしまいました。(でも司法書士の連絡リストだけはしっかりもらってきた。えらかった。今にして思えば、ここ、今日の一番大切なポイントだった・・・)
さて、今日もくたくたになって帰ってきたら、このカードとお菓子が私を待っていました。
読者さんからの贈り物です。
疲れも吹っ飛び、無事に記事も書け、さらに、そこら辺を1000メートルぐらい泳げそうなほど元気になりました。
ありがとう、ありがとう。
そして、ありがとう。

Monday, May 17, 2021

がんばりました!


朝の宣言どおり、今日は、とってもがんばりました。
朝市役所に電話をして、事前に流れを確認し、現地でも流れの表をもらい、それに従ってひとつひとつスタンプラリーのように処理してもらいました。
帰りに銀行に寄って必要な手続きの確認をし、帰ってから保険会社に電話連絡をしました。
明日の火曜日は、法務局に登記に関する予約を取り、今日足りなかった書類を持って銀行に行き、郵便局にかんぽ保険の受け取り手続きに行き、もしまだ時間があれば車の名義の変更にもトライする予定。
あさって水曜日は未定で木曜日は、今朝予約した年金の手続きに年金センターに母と行きます。
保険会社からは、保険金受け取りのための書類の郵送があるそうなので、それを待ち、届き次第、ひとつひとつの書類に書き込み、求められる証明書を添えて、送り返します。
全体の何パーセントぐらいが終わったのかわからないけれど、でもとても満足しています。
もし、金曜日までに、全てが終わったら、来週は純子ちゃんと打ち上げお泊まりパーティを予定しているので、なんとか集中してぐぐっと取り組みたいです。
☆写真は水族館で見たシニア・カップルの後ろ姿
すごく楽しそうに、ずっとおしゃべりしていて、うらやましさのあまり、将来の目標にしようと思って無断で写真を撮らせてもらった
私は、この角度から、ずっといろんな人を眺めてすごしたけど、彼らが一番しあわせそうに見えた・・・

Sunday, May 16, 2021

梅雨入りがんばる宣言


お元気ですか?
私は、このとおり、とても元気です。
九州は梅雨入りを宣言しました。
今朝は、雨が大すきなはなに見せてあげたいほど、みごとなどしゃぶり、上から横から大変な降り具合です。
さて、岡山の赤磐市から、ようやく父の一生分の謄本が届きました。
全てのオリジナルの書類を、念のためにカラーで3部づつコピーを取りました。
アメリカでは考えられないアナログな世界、27年前のアメリカでさえ、書類はほとんど電子化されていたけど、もう慣れました。
今日は月曜日、母はデイケアなので、ひとりで大分市役所に行ってきます。
母にも一緒にいてもらわなくてはならない手続きもあるので、金曜日までに終わればいいなと思います。
例え、終わらなくてもめげずにがんばろう。
一番難しいところは、もう終わったのだから、後は、できるだけ丁寧に、後濁さぬように、願わくは、「亡くなってもきちんとしているわね」って思ってもらえるように、神にも、人にも。
がんばります。
ではでは、今日も、きっと良い日でありますように。

おからハンバーグと庭木の剪定の打ち合わせ、それからデパ地下

帰りにトリの挽肉を買って帰って、
今日は、いただいたおからでハンバーグを作りました
そうこうしていると、日曜日なのに郵便屋さんが書留を持ってきてくれたり
庭師のばばこうき君が来てくれたりして、てんやわんやに・・・
庭木の定期剪定をお願いすることにしました
書留は夫の実家からで、のんびり中覗くと、今までの人よりまるがひとつ多くて大慌て
とりあえず、デパートに走ったけど、全然足りずなんだかそわそわしています

高崎山自然動物公園

知らなかったけど、大分って動物園がなかった・・・
でも、お猿はいる
しかもうじゃうじゃ
私、猿たちに好かれた気がする
座っていたら、お猿たちがすごく近くまで来てくれて、いろんなことしてくれた
こんなことしならがら、時々顔を上げて私の顔を見るの
 

サーバーのすごいポリシー

お水を運んでくれるレストランです
ぱちぱちぱち!
峠の茶屋
大分の名物「だんご汁」をお願いしました
父が大すきだった
私は生まれてはじめて食べます
自然でやさしいおいしさ、と思いきや
添えられたゆずこしょうがパンチが効いてて、これかなりLA人向き
食べ終わったら、熱いお茶と一緒に採れたて生しいたけとおからが出てきました
「ありがとう」と遠慮なくいただき、席を立とうとしたらコーヒーまで・・・
そしてこのコーヒーがまたタダとは思えないおいしさ
暇だから、なんて言っていたけど、すごいサーブのポリシーです
常連のハイカーたちとそれぞれの教会の礼拝の話をしていた
さすがね、クリスチャン

Saturday, May 15, 2021

読書日記〜きれいな姿勢について


「意識的に背筋を伸ばして、首を長くする。
軽くあごを引いて、胸を自然に張り、ひじを体の側面より後ろに引く、そして頭を背骨の上にのせる。
姿勢を整えると、上品な自信がひたひたと満ちてくるような感覚があります。
これで、一流ホテルのロビーでも人気の洒落たレストランでも、丁重に扱ってもらえる「私」になりました。
たとえ何も持っていなくても、一瞬で気品を身にまとるためにあなたができること、それが『きれいな姿勢』なのです。」
とても良い文章だと思って、ノートに書き取りました。(図書館の本の読書とは一期一会なことばとの出会いなので、そうすることで、安心して返すことができます)
これは、一流ホテルのロビーや人気の洒落たレストランなどとは無縁な私にも実感することのできる、この世の法則です。
すなわち、そこで一生懸命に働いてくれている人に敬意を払って、期待を持ってお行儀よく待っていれば、聞かれたことにわかる範囲内で、ごまかずことなく正直に誠実に答え続けていれば、必ず、最高のサービスを受けることができるのです。
役場でも、郵便局でも、病院でも、銀行でも。
本当にそうなのです。
ポイントは「期待を持って」にあるのかもしれません。
そこに神さまが、憐れみや恵を持って返してくださるのだと思う。
27年前のアメリカでもそうでした。
27年ぶりの日本でもそうでした。
きっとどこの国に行っても通用する、覚えておくべきこの世の不文律です。

サーバーのポリシー

高ぶらないように。
また、たよりにならない富に望みを置かないように。
むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくれる神に望みを置くように。
1テモテ 6:17

「私たちの主イエスは常に与えたもう。
彼は常に輝く太陽であり、宿営の周囲に降り注ぐマナである。
その恵みは朝ごとに新たであり、夕ごとに改められる。
刻々に落ちる砂時計の砂でさえも、彼の恵の豊かさを表わしえん。」
今朝のスポルジョンのメッセージに、心からアーメンと言います。
父が亡くなり、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、昨日、はなに電話で、「ママ、もう日本に疲れちゃった」と言ってしまったことを後悔しています。
日々のマナは、ここに降ったのに。
この国の人々が私と私の母と、そして父を最後まで支えてくれたのに。
優しく、丁寧に、ゆっくりと。
最後の最後まで大切にされた。愛された。
この国で。
だから、もう二度と、そんな口の曲がったことは言うまい。
☆昨日の朝書いた記事がサーバーによって削除されました。
Eメールが来たので、読むといじめや猥褻な記事は載せないというポリシーに反しているという理由。
ふ〜ん、と思っていたら、今朝、記事が私の所に戻ってきていたので、再びそのままアップロードしました。
☆はなに「日本に疲れた」と言ってしまったのは、水族館のレストランで小さなグラスに自分でお水を汲まなければならなかったからなのだけど、これは日本で入ってみたレストランたったの4軒中2軒めだったのでがっかりしたのです。
しかもひとりだったから。
これからは、事前にお水をサーブしてもらえるかを調べればすむと思って気を取り直しました。

Friday, May 14, 2021

今日のランチ〜大盛り特大たまごかけごはん

素敵な大分のおばあちゃんちを目指して


信じる者はみな、この方によって、
解放されるのである。
使徒 13:39

「私たちは今日愛する御子によって受け入れられ、今日罪を許され、今日神の法廷から無罪放免されているのである。
私たちは今という今、罪をゆるされ、今罪を取り去られ、今、これまで一度も罪を犯したことがないのと同じ状態で受け入れられている。
あえて神の民を告発せんとする者は誰か。
義とされて神の民となった以上は何人といえども、全地のさばき主の御前に一点の汚れもしみもしわもないのである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
神が民とされているかもしれない人のことについて、いいえ、もし例えそうでなくとも余計な事は何も言いまい。
ただ、自分の責任の部分だけを、誠実に果たそう。
なぜなら、私自身が、神が民としてくださっているにも関わらず、ある時、ある場面の中で、よくわからない行動をとってしまうことがあるのだから。(実際、この5ヶ月の間だけでも何度かありました)
そして、それも、神さまは必ず赦してくださるのだから。
全くタイムリーなメッセージでした。
「過去」から物々しく穏やかでない質問が投げかけられた矢先だったのです。
私は、全ての問題に答えを用意され、手取り足取り主に導かれている幸せ者です。

さて、「未来」について。
父が母と私に残してくれたものの受け取りの手続きや、片付けなければならないものの整理について1人で進めることのできない日、(つまり、必要な書類を待っている間とか役場や会社がお休みの週末など)は、「素敵な大分のおばあちゃんち」作りに励むことにしました。
「素敵な大分のおばあちゃんち」は電球や蛍光灯が切れてはいけないので、こちらを出る前に新品に入れ替えよう。
そして、買い置きもなければならない。
母は交換しないだろうけど、もし切れたことがわかれば、ヘルパーさんに買い置きの場所を伝えておけば、取り替えてもらえるようにしておきたい。
そして、「素敵な大分のおばあちゃんち」の庭木はいつもきれいに刈り込まれていなければならないし、冷房も暖房も簡単に使えなければならない。
ストーブはしまって帰るけど、11月ぐらいにはすぐに出せるように、場所を決めておいて、それもヘルパーさんに伝えておこう。
「素敵な大分のおばあちゃんち」にはいつもお花があってほしい。
朝ごはんの食材のお買い物を週に一度、ヘルパーさんにお願いすることになっているけれど、その時に、季節のお花も買ってきてもらえるか聞いてみよう。
今日も、きっと良い日でありますように。
 

今日のランチ〜サーモンとほうれん草のスパゲティ

母がデイケアの日だったので、
水族館でひとりで食べました
お水がとってもおいしかった
でもグラスがあまりにも小さくて悲しかった
2回もおかわりして3杯飲みました
その都度、自分で汲みに行ったの
情けなくて涙が溢れそうになりました
お調理の方は量が少なめで良かった
っていうか、ひとりで外で食べてもあまりおいしく思えなかった

くらげずき


のんびりすることを目的に、ぶらりと水族館に行ってきました。
行ってよかったです。
本当にのんびりできました。
赤ちゃん連れのファミリーや、カップルがちらほらいるだけで、とても静かだった。
静かだけど、特に寂しい感じもなく、趣味の良い音楽の流れる薄暗い館内に座って、水槽の中を気もち良さそうに泳ぐ被造物を飽くことなく眺めてすごしました。
ここにはながいたらなって、何度も思ったけど、思うたびに、頭を振って思いを振り払いました。
もうすぐ帰れるから、今は考えずにいたい。
考えると「待つ」のが難しくなってしまうから。
水族館の水槽を見つめていると、自分がどこの国にいるのか忘れそうになりました。
今日はそれだけで十分。
私、くらげが大すき。
くらげをじっと見つめていると自分もくらげになったような気分になって、身体が揺れそうになります。
実際、今日は揺れていたかもしれません。
 

Thursday, May 13, 2021

「のんびり」が難しい


「待てない」気もちの理由、何が「待てない」かといえば、答えはひとつ。
家に帰りたい、家に帰るのが待てないほど楽しみなのです。
もう難しい判断をする必要もなく、恐ろしい悲しみを待ち構える必要もなくなった今、ここでじっと役場からの書類が届くのを待っていることにイライラとしていたのでした。
それさえ届けばはじめられる。それがなければ何もできない。って。
でも、実は私のイライラを除けば、全ては順調なのです。
母は現実をまっすぐに受け止め、健気にもとても明るく元気にがんばっています。
地域社会の支援を得ながら、自立への準備も順調に進んでいます。
家の中も少しづつだけど片付いています。
使わないものは分別しながらどんどん処分しています。
私の家族4人分のお布団が押し入れにきちんとしまわれ、トイレットペーパーや洗剤の買い置きも十分に備えました。
片付けの最中に父と母とふたりだけになってから使わなくなっていたような焼肉プレートやブレンダー、コーヒーミルなどが出てきたので出しやすい場所に置きました。
今年の冬はさっそく、はなと「大分のおばあちゃんち」を訪ねることになっているので、素敵なおばんちゃんちを目指して、がんばっています。
ノートでも、全てが順調で大丈夫なことを目で見て確認しました。
何もできることのない日は、ひらき直って「のんびり」することにしました。
それしかありません。
今の私にとって、とっても難しい「のんびり」。
それで「のんびり」のリスト作りもしました。
●テレビと読書
●水族館、動物園、植物園
●ドライブ
さて、今日は何をして「のんびり」しよう。

「待つ」ということ


あなたの目は前方を見つめ、
あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。
あなたの足の道筋に心を配り、
あなたのすべての道を堅く定めよ。
箴言 4:25,26

あまりにも心が落ちつかなかったので、昨日の朝、ついにノートを開いて、ひとりブレインストーミングをしてみました。
ほとんど1日かけて、心の中にあるさまざまなネガティブな気もちを単語に置き換え、文字にし、そしてそれを客観的に見たりしました。
自分が問題だと感じていることを書くのは、感じている以上につらいけど、でも、書いてしまえば、「ふ〜ん」と思えることばかりでした。
そして、今の私が問題視していることは、全て、私の「待てない」状況や状態、気もちから来ていることもわかってきました。
それで、今朝は、起きてすぐのお祈りに、新しいフレーズを加えました。
愛せますように、愛されますように。
赦せますように、赦されますように。
に続け、「待てますように、待ってもらえますように」と。
愛することは信じること、信じることは待つこととは、日野原重明の言葉。
命というものが自分の使える時間の中にあるというなら、なるほど、待つことは人のために時間を使うこと、そして自分のために使った時間と人のために使った時間が最後に天秤にかけられるとしたら、私は、安心して待たなければならないと思いました。
☆写真は、おととい図書館で借りた本
ひとりブレインストーミングの中で煮詰まると開きました。
この本の中に素敵なフレーズがあったので、ノートに書き取りました。
●本当に食べたいものをていねいに作る
●節約しながらも贅沢でありたい 楽しみを削りたくない

Tuesday, May 11, 2021

未来に向けて・・・


わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。
わたしを愛する人はわたしの父に愛され、
わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。
ヨハネ 14:21

「キリストが特別に御自身を現されることにより、信者の心に神聖なる感化が与えられる。
その一つが謙遜である。
もうひとつの結果は幸福である。
なぜなら神のいますところには、尽きぬ喜びがあるからだ。
清潔もまた必然的にもたらされる結果である。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。

日本に帰ってきて、この5ヶ月の間に、私は、ずいぶん変わったと思う。
それが、今朝のスポルジョンの言うところの、「神聖なる感化」であればいいなっと思う。
でも、私の今の、「大満足」という主にいただいた報いの中に含まれる諸々について説明を始めるなら、私は、すでに謙遜ではなくなるし、そして清潔でもなくなる危険があるから、あまり、深く考えないことにします。
ただ、幸福であることは間違いないのだから、それについて率直に書き続けてゆきたいです。

昨日、父が亡くなってはじめて、ケア・マネジャーの優希さんに会いました。
たまたま、父の古い友人が挨拶に来てくれていて、母はその人に対応していたので、私ははじめて、優希さんと2人きりで話をしました。
母の一人暮らしは現実的に可能だという意見で一致したので、支援チームとシステム作りをはじめました。
そして、将来、この家を出て安全にそして快適に守られて暮らせる最後の「巣」のための相談もしました。
今から、申し込んでおくべきという優希さんに全面的に従うことにしました。
母がそこにいなかったので、できました。

Monday, May 10, 2021

昨日の肉の糧


見よ。
わたしは世の終わりまで、
いつも、あなたがたとともにいます。
マタイ 28:20

「まもなく黒い死がわがたましいのともしびを吹き消す。
ああ、ともしびが消えた後に、日光のあることは、なんとすばらしいことか。
やがて暗い洪水が、おまえとおまえの持つ一切のものをへだてる。
それゆえ、決しておまえのもとを離れぬお方に、おまえに心をささげよ。」
ひさしぶりにスポルジョンの『朝ごとに』を開きました。
子や夫や妻の死について、私は何も知りません。
でも親に死については、少しだけ知ったことがあります。
子として、再び、親の人生の一部になれるとしたら、それは、最後の一時であると思う。
自分が親に依存して生きていた赤ちゃん時代、親とほとんど一体であったように、再び、一体となれると思う。
そして、それはとても良いことでした。
とてもつらく、とても悲しいけれど、子としての最大の幸せであると言っても良いと思う。
☆写真は昨日のお昼ごはんです
全てスーパーで買ってきた「できあい」です
でも、昨日、ある人からテキストメッセージを読んで、ちゃんと食べようと思い、こんなものを選んで、かみしめるように食べました
おいしかった・・・
父は亡くなりました
でも、私は、この世界に生きます
もうしばらくね

Saturday, May 8, 2021

悲しみは後から、そして後から

昨日は1日中、父の部屋でFMラジオを聴ききがら片付けをしてすごしました
我が家にはない賢人やはなの写真を、時の流れも忘れて眺めました

大切な書類以外は全て片付きました
それで、さっぱりとした父のお部屋で
リリーフランキーのおしゃべりを聞きながらビールを飲みました

Friday, May 7, 2021

ずっき〜ん


父、母、私、のそれぞれの戸籍謄本が届くまでは何もできないので、今日は、ひさしぶりに図書館に行き、明日がデユーの本を返してきました。
父の付き添いをしてた頃、父と一緒に寝ていた頃は、本がなければ、やりすごせなかった時間も、今となっては、座って、落ち着いて本を開く気分にもなれず、とりあえず、今日は借りずに帰ってきました。
それから、はなのお洋服とお菓子、それから、母への「母の日」のプレゼントを買って、はなには、ささっと梱包して郵便局から送ってしまいました。
はなに、朝の電話で、この5ヶ月ではじめて「いつぐらいに帰れると思う?」と聞かれました。
それで、胸がずっき〜んと痛み、痛みを和らげるために、お買い物に走って、送りにも走ったというわけです・・・。
父の「死」という、娘としての最大のイベントその1の渦中にいて、すっかり忘れていたけど、そうだった、私、この子のママでもあったんだっと、はっと思い出したです。
ケア・マネージャーの優希さんに電話もしました。
父のことを報告し、母の今後のことを相談させてもらった。
母が毎日デイケアに通えるようになり、お夕飯をお弁当で助けてもらえたら、という私なりのこの5ヶ月の母の様子を見て考えたいた、もらいたいケアのサービースについて伝えたら、「良いところがあるので、調べてみます」と言ってくれました。
本当にたよりになる優希さんです。

Thursday, May 6, 2021

淡々と


今日もみっちりみっちりでした。
でも、帰国して最初の頃、まだ慣れない右ハンドル左側通行で、慣れない郵便局、場所もよくわからず、車をどこに停めて良いやらも知らなかった市役所で転入に関する事務手続きを一通りやったから、これはそれほど難しくは感じません。
ただ、淡々とこなしています。
あの頃は、テンプレートをダウンロードしてプリントアウトするところからして、父の助けを必要としていたのだもの。
今では、紙がなくなった?はいはい、買ってきます。
えっ?今度はインク?確かここに買い置きがあると父が言っていたけど・・・、あった。
そんな感じです。
あわてることもイライラすることもなく、ただ、今日の分を淡々とすすめました。
あの頃は、パスポート以外に身分を証明するものがなく、住所も旅行先のテンポラリーだったけど、今は大分市民として転入していることが、すぐに証明できるので、やることは多いけど、気分的には、「淡々」です。
帰ってきたら、純子ちゃんからお花とケーキと紅茶が届いていて、今日のご褒美みたいでとてもうれしかった。
全てのものを、父と結びつけては思い出し、悲しんでいるけど、でも、母はもっとだと思うし、母もがんばっているから、私もがんばります。


 

Wednesday, May 5, 2021

連休明け

父が亡くなる4時間ぐらい前に撮った病室内の写真です




亡くなったらやるべき事務手続きについて調べ始めていました
でも、事前に調べなくても、葬儀社を通して大分市からリストをもらいました
覚悟はしていたけれど、かなりたくさんの項目があります
でも今日は私の印鑑登録と父、母、私の謄本取り寄せ、
事務はそこまでしかできません
それで、病院への支払いとお礼、糖尿病のクリニックへのお礼と注射針のゴミの処理
明日の古紙古布のゴミの準備などをしてすごそうと思います