Saturday, December 31, 2022

流浪の旅


彼らがその地の産物を食べた翌日から、もうマナの降ることはやみ、イスラエル人には、もうマナはなかった。
それで、彼らはその年のうちにカナンの地で収穫したものを食べた。
ヨシュア紀 5:12

イスラエルの民のもの憂い流浪の旅もすべて終わって、約束された安息はついに得られた。
この年、私たちの上にもこれらのことが起こるかもしれない。
私たちの前途には希望が満ちている。
すべての恐れを去り、この年こそ「永遠に主のものである」望みのうちにスタートできる幸を思い、大いに喜ぼうではないか。
C.H.スポルジョンの『朝ごとに』より

日本にひとりで来ると、いつも、「ここにずっといたような気がする」そう思います。
とても不思議な感覚です。
LAでの生活も出来事も家族も、もしかしたら、みんな長い夢の中の出来事だったのだろうか、という悲しみのような、恐れのような、寂しさのような、なんとも言いようのない気分です。
そんな思いを思っている余裕もないほどにに、ここでも、しっかりと地に足を着けて生きることができないだろうか・・・。
そして、その反省の思いを胸に再び旅支度を整えるのです。
主が作ってくださった、母の一人暮らしを支えるサポートチームの中心となっているケア・マネージャーさんから、この半年の、穏やかで健やかで平和な母の変わりない様子について、顔を合わせて聞くことができました。
全ての支払いを確認し、預けるべきところ、預けるべき人にお金を預けました。
押し入れの4分の1を使った大きなパントリーはインスタント食品や、お茶やコーヒー、おやつで一杯になりました。
フリーザーにはピッツアから煮物にいたるまで、色んな種類の冷凍食品できっしりです。
全てのゴミ箱に半年分のゴミ袋をセットしました。
見あたる限りの不用品は全て処分しました。
ハンディモップで半年分の埃を払い、家中に掃除機をかけました。
玄関とお風呂とトイレの掃除もしました。
そして、牧師先生にもご挨拶をすることができました。
それでも、そう思うのです。

☆写真は、昨日、グレイスチャペル大分の廣田牧師が持ってきてくれた来年のカレンダー
母はこの絵を大層気に入り、先生も嬉しそうでした

大晦日ごはん

この中から下のように選びました
そしてえびの天ぷらを入れた年越し蕎麦とちらし寿司
とってもおいしかった〜
そして、いつもは食べないデザートも・・・
手作り牛乳寒天で作ったクリームみつ豆
ごちそうさまでした
どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ

年始のお買い物

今夜の年越し蕎麦と明日の朝のお雑煮だけを作ることにして
後はぜ〜んぶ、お惣菜コーナーで買ってすませることにしました
じゃ〜ん
海鮮おせち1580円、お漬物盛り合わせ398円、海老ちらし398円
サラダオードブル980円、赤飯298円、八宝菜298円、数の子498円
しめて4450円!
すごいでしょ〜!
上手に買ったでしょ〜!
我ながらすばらしい
素性の知れない揚げ物やお肉、
加工食品をさけて、上手に選べたと思います
さて、今夜は年越し蕎麦と海老ちらし
そしてサラダオードブル
明日の朝はお雑煮
お昼と夜は海鮮おせちと数の子、赤飯、それから八宝菜
かんぺき〜
いっただきま〜す

Friday, December 30, 2022

良い年でした ありがとう


さて、祭りの終わりの大いなる日に、
イエスは立って大声で言われた。
「だれでも渇いているなら、
わたしのもとに来て飲みなさい。」
ヨハネ 7:37

彼は私たちの挑戦、反逆、そして聖霊に対する反抗にすら耐え忍ばれる。
私たちがなおあわれみの国にいるということは実に驚異中の驚異である。
彼は私たちに和解を訴えておられる。
この宣言は最も自由なものである。
すなわち渇ける者はだれでも歓迎するというのである。
そこには渇いているという以外になんの差別も設けられていない。
それがどん欲、野心、快楽、知識、休息などいかなる渇きであろうと。
渇ける者はすべて招かれているのである。
C.H.スポルジョンの『朝ごとに』より
日本ですごす3年連続の大晦日、2年前の私と今の私をつないでくれたのはイエスさまでした。
父の人生の最後の5ヶ月を、丸ごと、主は、私にくださいました。
父が亡くなった後の1年半、私はその5ヶ月を宝のように抱きしめて生きてきました。
それは、これからの私のことも、支えてくれるはずです。
あの5ヶ月は、過去の親不孝や疎遠を全て帳消しにしてくれるほど豊かな時間でした。
そして、それだけではなく、私に大きな自信を与えてくれました。
7ヶ月ぶりに帰国し、母のひとり暮らしが順調にまわってゆくことを確認し、今年の1月、就職活動を始めました。
レジュメを書き直し、一番無理そうな所にチャレンジし、非常勤として採用されました。
パートタイムというポジションに、自分の年齢を思い、無理からぬ配置、と否定的な思いがよぎりそうだったけれど、でもそれは主の最高で最善の備えであったことに、すぐに気づくことができました。
母の一人暮らしを余裕を持って見守ることができたということだけではなく、日本仕込みの若い先輩方からたくさんのことを学び、吸収するための貴重な学習時間、そして将来への準備時間とすることができたから。
良い年でした。
本当に。
ありがとう、今年も読んでくれて。

いっこだけ

特売弁当
昔の自動販売機
ふりかけ
飲み物の自動販売機
日本の有名な絵本キャラクターのおさいふ
いっこだけ、いっこだけ、と言いながら、飲み物自動販売機を選びました
がちゃがちゃ
LA で開けようと思います

 

Thursday, December 29, 2022

事の終わりのこと

事の終わりは、その初めにまさり、
忍耐は、うぬぼれにまさる。
伝道者の書 7:8

あなたがどろの中を徒歩するのでなければ、決して黄金の大通りを歩むことはできない。
それゆえクリスチャンよ雄々しかれ。
あなたは死のさなぎになるまでは毛虫なのである。
しかし、ひとたびキリストの現れたもう時、彼の真の御姿を見るゆえに、あなたは彼のごとくなる。
彼に似る者となることを覚えて心を安ぜよ。
C.H.スポルジョンの『朝ごとに』より
この家には、いたる所に、いえ、ほとんど全てに、父の手の技の跡があります。
その中で、母と私はストーブに灯油を満たし、部屋を温め、お鍋で野菜やお肉を煮炊きし、マーケットで新鮮なお魚を買ってきては、ご飯を炊いて食べ、おなかを満たしています。
お風呂はいつでも蛇口をひねれば熱いお湯が出てきます。
Wifiというコトバを知って以来、何年もこの家の中でそれを求めて苦労したことはありません。
この家に欠けているものは、父の存在だけです。
いずれは母も欠けることでしょう。
そして、その時に残るはこの家と私です。
その時のことを思うと、恐くて、恐くて、どうにかして、自分を備えたいと願うのだけど、うまくゆきません。
私の備えはキリストです。
キリストの霊です。
天の御父です。
それで、十分なのに、恐い。
恐いのです。

はなの笑顔と冷蔵庫の悲惨


今日、ようやくはなと話すことができました。
クリスマスプレゼントは無事、クリスマス・モーニングにツリーの下で開けられ、そして、ちゃんと喜ばれたことがわかり、ひと安心。
夫からも、賢人からも、うれしすぎるたくさんのギフトがあったそうです。
トランプのカードのように扇形にして、好きなお店のギフトカードも見せてくれました。 ー 私が送ったターゲット(いただきもの)も有り

それから、「ママ、みてよ〜」と、ぐっちゃぐっちゃの冷蔵庫を開いて見せてくれました。
食べかけの、買った(手作りじゃない)食べ物が包装、未包装のさまざまな状態でぎしぎしに詰め込まれ、くら〜。
ぐちゃぐちゃが超・苦手な私が最もぐちゃぐちゃを避けたい場所が冷蔵庫なのに・・・。
そしてそうならないように、必死に料理してきたのに・・・。
ホームシックがあっという間にふっとび、ここの冷蔵庫の余裕がある空間に心から感謝しました。
空間と余裕、必要なものは全てある安心、もっと置ける安心、このふたつの安心、それこをが私の冷蔵庫に求める幸せ。
そして、ここにはそれがあったのでした。

Wednesday, December 28, 2022

金色の小道

そこでサムエルは一つの石を取り、
それをミツバとシェンの間に置き、
それにエペン・エゼルという名をつけ、
「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。
1サムエル 7:12

それぞれ「主は今に至るまでわれわれを助けられた」のである。
貧困、富裕、病気、健康の時、国内に、外国に、陸上に、海上において、名誉の時、不名誉の時、当惑の時、喜びの時、試練の時、勝利の時、祈りの時、誘惑の時において、「主は今に至までわれわれを助けられた」のである。
C.H.スポルジョン「朝ごとに」より

生まれて、今日まで、人生の中で、今が一番、母のことを愛していると思います。
愛とは、本当に不思議なものです。
それは限界がなく、とてつもなく大きいのに、探しても見つけられない。
でも、自分がなれば、人生のどこにでもついてくる。
そして日々大きく無限に私を支えてくれる。

☆写真はお散歩中に見た景色、名付けて「金色の小道」

ずれずれな私のずれずれの感性


今朝は、あまりのプレッシャーに4時の目覚ましの前に起きてしまい、しばらく、ベッドの中でYouTubeから音楽を聴いてすごしました。
「チューリップ」。
純粋でまっすぐな詩と歌声、そして時間的には古いのに新鮮で新しすぎるメロディを聴きながら、将来への不安と闘っていました。
この歌が録音された頃、これを歌っていた彼らは、こんな風にこの歌々が聴かれるとは思っていなかっただろうな、などとも思いながら。
ずれずれな私です・・・

そしてやっとやってきた朝にかぶりつくように、起きて聖書を読み、歩きながら藤本満のメッセージを聞き、そしてお祈りをしました。

そして、ようやく、息を少し吹き返すことができました。

午後、お買い物中、夫から電話がありました。
こちらに来て、初めて私が作った家族の声をききました。
やっと、地味に地道に生の生を生きていたことを思い出した鈍い私です。

☆なにわ男子というグループがテレビに出てきて、初心者の私は18秒ぐらい固まってしまいました
この子たちを有名人としてメディアに送り出した日本人の価値基準って、どんななのだろう
もっと余裕があったら、色々知りたいところだけれど、でも今は、そっと蓋をします

牛乳寒天

賞味期限不明の寒天と、
これまた賞味期限不明のマーマレード
そして新鮮みかんと新鮮ミルクで牛乳寒天を作ってみました
これいけた
でも、ちょっと作りすぎ・・・
今日はアイスクリームと小豆を添えて
「クリームあんみつ」にして母に食べてもらいました

炭水化物らばーのこの頃のランチ

半野菜ラーメンとチャーハン
ドリアとサラダ

Tuesday, December 27, 2022

急流の中で

私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が肉にあって生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているです。
ガラテヤ 2:20

魂が明確に自己とキリストとの一致を見ることができる時、両者の脈は相うち、同一の血液がおのおのの血管を流れるのを感ずる。
その時、心は地上にありながら、あたかも天国にあるかのようであり、最も崇高な、霊的な交わりに入るために備えられるのである。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに」より

今朝読んだローマ書の中で、「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、滅ぼさないでください。」と迫られ、静かに降参しています。

父が亡くなって2度目の冬。
3度目の帰国です。
最初の冬、大きな覚悟を持って羽田での2週間のホテルでの隔離を経て、この家に帰ってきた時、「だいじょうぶ、なんとかやれる」そう思いました。
羽田で過ごした時間が長すぎて、ぐずぐずしていられなかったです。
そして夏ははなを同伴したため遊ぶのに忙しく、何も考える余裕もなく過ぎ去り、そして、この冬、あまりの大きな喪失の痛みと、そしてこれからやってくる諸々に対して怖気付きそうになっていました。(います)
父が愛した母と、この家の将来のことを考える日々の中で、頼れるのは神さまだけなのだと、でも、それで十分なのだと自分に言い聞かせながら母とこの家とを見つめています。
急流を渡る川の中で、何度も足を取られそうになりながら背中に少年を背負って、その川を渡りきった旅人を助けた聖人の話を聞きました。
渡りきり後ろを振り向いた聖人が見たものは、襲いかからんばかり激しい流れ。
無事に渡れたのは「少年」という「重荷」のおかげであったと気づくお話でした。
私も私の「重荷」が私を救うのだと、そう信じます。

全然関係ないことで、全然関係ない人をさばいてしまったことを、主に悔いあらためつつ・・・。

本日の業務日誌 ②


今日は、銀行口座のバランスをチェックし、口座から口座へ送金したり、支払いをしたりし、それから久しぶりにお洗濯をしました。
でも、まだ乾いていません。
家の中に干すと、完璧に乾くのに丸1日、24時間ぐらいかかるようです。
そして母の冷凍食品の備蓄の買い出しに行ってきました。
安くておいしそうなものが色々あって、楽しいお買い物でした。
食べてみたいけれど、毎日フレッシュでおいしいお魚を食べるのに大忙し。
2週間の滞在では冷凍食品を味見する余裕はなさそうです。
これで、母のための備蓄のお買い物は大体おわり。
これから家族へのおみやげを少しづつ買います。

そうそう、今日観たテレビのニュースで動物園のワニの背中をブラシで洗っている映像がありました。
嫌がるワニ、怒るワニを木の板で牽制しながら、デッキブラシでごしごし。
お客さんもうひゃうひゃと喜んでいました。
ブラシシングを「掃除」と呼び、ホースで勢いよく水をかけて楽しそうでした。
まるでワニのアウシュビッツだなっと思ったのは私だけかな。

☆今日聞いた知らない日本語:すてま

Monday, December 26, 2022

真の弟子になりたい

パピルスは沼地でなくても伸びるだろうか。
葦は水がなくても伸びるだろうか。
ヨブ記 8:11

葦はあらゆる風に揺る動かされるが、それはあたかも形式主義者があらゆる勢力に対して屈服するのに似ている。
したがって、葦があらしによっても折られぬように、偽善者も迫害によって悩まされることがない。
しかし、ひとたびかんばつともなれば、たちまち枯死する。
葦はどろなくしては成長することができない。
が、主の右手が植えたもうた植物は、かんばつの年にも繁茂する。
信仰深き人の魂は、しばしなこの世的な環境が朽ち果てる時に最もよく成長する。
金銭を目当てにキリストに従うものはユダである。
パンと魚のために従う者は悪魔の子である。
しかし彼を愛するがゆえに彼に従うものは、真に彼の弟子である。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに」より
右に左に、上から下へと、色々柔軟に対応できる人々のことを忍耐があるなあと、尊敬しそうになっていた、まさに今朝、この朝、このタイミングだったので、自分のことは棚にあげて、妙に納得してしまうスポルジョンのメッセージでした。
そもそも、傷つくポイントが違うのなら、そりゃ、平気よね。

☆写真は昨日の朝のおさんぽで道端にうずくまっていたことり
どうしたものかと少し考えて、車にひかれてしまわないように茂みに移そうと手袋を差し出して包もうとしたら、ひょいと自分でのってきて、そして、私の手袋の上から空に向かって飛び立ちました

本日の業務日誌


今日は、予定どおりたくさんのことができて大満足です。
まずは可燃ゴミのゴミ出し。
それからクリスマスの飾りを片付けました。
来年は、もう少し早く飾りたいです。
ゴミ箱にセットするゴミ袋、可燃物、資源プラ、缶、古紙用、それぞれの在庫を数え、必要な数を調べました。
押し入れパントリーも空にし、お買い物のリストを作りました。
それから、母の銀行口座からお金を引き出しました。
明日、毎月の母の生活費の全てを引き落とす父の口座に移します。
そしてお買い物。
レトルトのごはんとお赤飯、カレーやその他親子丼のようにごはんにのせるもの色々、カップのそばやうどん、インスタントラーメン、インスタントスープやお菓子を買いました。
デイサービスの給食も宅配の夕食も、とってもとってもヘルシーなので、安心して、日曜日用のごはんを買い込みました。
明日はフリーザーの在庫をチェックし、賞味期限の近いものを分け、備蓄の買い出しをします。
☆今日聞いた知らない日本語:まんぱわー、たんすいかぶつおふ

Sunday, December 25, 2022

アダムの枝がイエスに継がれるという奇跡


聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生きた御霊となりました。1コリント15:45

イエスは、選ばれた者たちの頭である。
あたかもアダムが行いの律法の下にあって人類の契約の締結者であり、代表者であったために、すべての血肉の子孫は彼と個人的関係を持ったように、恵みの律法の下において、すべてあがなわれた魂は天から降られた主と一体である。
なぜなら、彼は第二のアダムであり、新しき愛の契約の下において選ばれた者たちの保証人、あるいは代理人であるがゆえに。
アダムの義は、彼がそれを持ち続ける限りは私たちのものであった。
そしてアダムが罪を犯した瞬間に、彼の罪は私たちのものとなった。
同様に第二のアダムは私たちの代表であるため、第二のアダムの行為はすべて、彼のものであると共に私たちのものである。
ここに恵みの契約の基礎がある。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに」より

ローマの11章の契約と選びについて書いてあるのを読んだ直後だったので、このスポルジョンの難解な説教が、少しだけど、理解できたような気がしています。
ローマ書を読みながら、「神の選び」にもれなかった奇跡をしみじみと感謝しています。
このいつくしみの中にとどまり続けたい、そう思います。
どんなことがあっても。
日本に帰ってくると「基準」が私ととても違うことに驚きます。
良い人、正しい人、賢い日本人たちが定めた、健康で安心、豊かで公平な社会の基準です。
ちゃらんぽらんな私が、ここで、この国で「救い」を受けるのは容易なことではなかっただろうなっと思うのです。
 

Saturday, December 24, 2022

テレビ鑑賞日記


聖なる安息の日曜日、でも大分福音教会は会堂がとても小さなうえ、今日はクリスマス。
たくさんの人が集うことになりそうなので、会堂へ足を運ぶのは遠慮して、家で静かにすごしています。
でも、おかげで、朝は、歩きながらたっぷり時間をかけてお祈りしました。
とても良い気分です。

それから居間でずっとテレビを観ています。
「チューリップ」というバンドの結成50年めのコンサートツアーのドキュメンタリーを観ました。
聞き覚えのある素敵な歌、メロディと詩。
大すき、と思った。

それから全国高校駅伝。
アフリカンアメリカン、とは言わないか、えっと、ただのアフリカンの留学生が一杯出ていてびっくりしました。
留学って普通、知らないことを知るためにするものでしょ。
例えば、西洋古典音楽を学びにアジアからヨーロッパへ、とか、映画作りを学びに東京からLA
へ、とか。
走るためにアフリカ諸国から日本の地方の高校に留学って、なんだかとっても違和感を感じました。
留学とは、お金をかけた自由で贅沢な学びの手段のはずなのに、経済的に豊かそうな国からの学生が1人もいなかった。
大人たちだけが得をするいやなストーリーを色々想像してしまいました。
彼らに、何かそれに値するメリットというか報酬があるのかな。
楽しそうに走っている子はひとりもいませんでした。
それとも、それこそ、この私こそが偏見という眼鏡ごしに、物事を捉えているのかな・・・。

そして、今、「世界ネコ歩き」という動物ドキュメンタリーを観ています。

メリー・クリスマス

見よ。おとめがみごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルととなえられる。
イザヤ 7:14

きょうベツレヘムに行き、驚く羊飼、礼拝せる博士らと共に、ユダヤ人の王として生まれたまいしかたにお会いしようではないか。
彼の母は「おとめ」と記されているのみで、女王とも女預言者とも、大金持ちの主婦であったとも記されてはいない。
いかにも彼女の血管には王族の血が流れていた。
また愚かな教育なき女でもなかった。
しかし彼女の地位はなんとみすぼらしく、その婚約者はなんと貧しく、新しき王の誕生のための設備はなんと貧弱であったことか。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに」より

その貧弱は、私の心の中そのものです。
でも、わざわざ、この貧弱な心を選んで生まれてくださった王と王の父と王の霊に感謝します。
今朝、ローマ書9章の中で読んだのです。
・肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫にみなされるのです。
その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行いないうちに・・・8節
・神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるように・・・11節
・事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださった神によるのです 16節
神さまが貧弱な心の持ち主である私を、私が生まれるから選び、私が良いことや悪いことを知る前からイエスさまと出会うことを決めてくださったのだと想像してみました。
それは想像することさえ難しいことだけど、信じることはできます。
不思議だけど、それが現実的なことなのかどうか考えてみることよりも、信じることの方が私には楽なのです。
みすばらしく、貧しく、貧弱な私。
でも、私の内には王家の霊的な血が流れている。
メリー・クリスマス。

Friday, December 23, 2022

今夜はクリスマス・イブ

クリスマス・イブなのに、ちっとも忙しくない今日
3年連続の忙しくないクリスマス・イブ・・・
今夜はお刺身にしました
メリー・クリスマス

ありた・やき

有田焼でバナナブレッドを焼いてみた
温度設定を間違えてちょっと焦げちゃった
でも、おいしく焼けておりました

クリスマス・デコ

お散歩に行く前に、
居間に小さな小さなクリスマスツリーを出して飾ってみました
私の部屋にも、もっともっと小さなツリー
父が亡くなる前の冬から、毎年ここでクリスマスをすごしています
でも、飾りを出してみたのは今年が初めてです

寒い予定と温かい予定


あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。
すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。
それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
2コリント 8:9

貧しき者は無限の富を持たれるかたとの交わりに入る前に、そのかたによって富ませられなければならない。
魂はきよき交わりをなす前に、うちにある罪が、転嫁された義、与えられた義の中に消失しなければならない。
イエスは、その民を御自身の衣で包むのでなければ、彼らを栄光の宮に迎え入れることができない。
主との交わりに入るには、彼らは余りにも汚れているため、主は御自身の血潮で洗わねばならなかった。
信者よ、ここに愛あり。
あなたのために、主イエスは「貧しく」なられた。
それはあなたが彼との交わりに入られるためであった。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに」より

クリスマス・イブの朝です。
聖書を読んだ後、「おはようスポルジョン」を開いて記事を書こうとして、手元に、何にも新しい写真がないことに気づきました。
あまりの寒さに、昨日も一昨日もずっと家の中にこもりきりなのです。
それで、窓の外の景色でも撮ろうかと、そっとカーテンを開けたら、うっすらと雪が庭の木々を包んでいるのが見えました。
まだ、暗くて写真に撮れず、残念です。
家の中にこもってできる仕事、郵便物の整理やゴミ袋やトイレットペーパーなどの在庫の確認と買い物計画なども終わってしまいました。
後で、お風呂(シャワーはあまりにも寒いので朝もお風呂にしたのです・・・)に入った後、完全防備をしてお散歩に行ってこようと思います。
帰ったら、母の好きな牡蠣を入れたスープを作って、温まる予定です。

Thursday, December 22, 2022

食べ日

今日のランチです。
あまりの寒さに温められた居間から離れることができず、お昼にこれを食べた後、テレビを観ながら、みかんに玄米茶、たこ焼きに杏仁豆腐・・・、食べてばかりな1日でした。

Wednesday, December 21, 2022

今日の予定:まずは決死のシャワー


ですから、信仰によって義と認められた私たちは、
私たちの主イエス・キリストによって、
神との平和を持っています。
ローマ 5:1

日本で迎える2日めの朝です。
昨日同様、今朝も夜中ずっと起きていて、(昨日は久しぶりに会った友とのおしゃべり、今日は映画とテレビのニュース)5時すぎにがさがさとベッドから出てきて、待ちわびた朝を始めています。
日本に帰ってくるといつもこうなってしまうので、もう、一生懸命に寝ようと努力することはせず、ただ、夜を静かにやりすごしています。

とっても寒い朝です。
でもストーブをつけると間もなくお部屋は温まり、聖書もコーヒーもキャンドルも、何も持ってきていないものがちゃんとここにあって、とても幸せな朝でもあります。
ルツさんの本は成田で友にプレゼントしました。
7ミリぐらい読んでいないページが残っていたのだけれど、喜んでもらえたから、私もハッピーです。
それで、今朝は父の本、「いのちを望む神」という夏休みに読んだ本の続きを読み進めました。

さてと、これから勇気をふりしぼってシャワーを浴びてきます。(お風呂は夜のお楽しみにとっておきたいと思います。それに、母にタブのお湯を熱いまま残して、続けて入れば経済的でしょ)

☆旅のお供の装飾は、いつもこの家族写真と天使のオーナメントだけ・・・
子どもたちの写真も夫との写真も、この部屋にはいくらでもあるから、これさえも、今回限りでお供から解放してあげようと思いました。


 

守られて


月曜日の朝にLA を発って、え〜と今日は水曜日の夕暮れ、大分の実家の居間にいます。
大分駅からタクシーで家に帰ったらデイサービスをお休みする水曜日なのに、母はいなくって、ケアマネージャーさんとのLINEのやりとりをよく調べたら、今日はインフルエンザの予防接種の日でした。
それで、「ただいま〜」ってお隣のおばちゃんに言いに行って、家の鍵をもらって家で母を待ちました。
キーチェーンには車の鍵もついているので、さっそくおじちゃんがやってきて、バッテリーをつないでくれました。
この夏も、昨年の暮れも、こうしておじちゃんがバッテリーをはずしたりつないだりしてくれています。
でも、なぜかバッテリーをつないでもエンジンがかからず、鍵の電池が弱っていることがわかりそれを交換にも行ってくれました。
そうこうするうちに、母がタクシーで帰宅、追って、ケアマネジャーさんが灯油が入った大きなポリタンク2個を持って来てくれました。
空になっていたので、配達の日を待たずにガソリンスタンドで買って来てくれたのでした。
母も私も、本当に周囲の人たちに守られ、支えられていることを実感・・・・。
神さま、ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。
☆写真は出発の日に見つけた賢人の洗濯物のボタン
自分でつけたみたい・・・、なぜか赤い糸で・・・

Tuesday, December 20, 2022

ぐっばい・成田 ②

静かで、冷たく、機械的な空気
あちこちに警告のことば
放送だったり、サインだったり、それはそれはありとあらゆる方法で
成田って、こういうエアポートだったっけ・・・

ぐっばい・成田

昨夜は成田のホテルに一泊しました
すご〜く、閑散としている成田に緊張していたので、
ここでちょっと一息、人ごこちつくことができました
会いに来てくれた友とビールで乾杯
そして、ちょっとだけ寝て、早朝、
ホテルのバスにてターミナルまで送ってもらいました
そして、なんとひとりで朝からちゃんぽんブレックファースト
何時間ぶりのごはんだろう、などと思いにふけりながら
完食・合掌
さて、これから大分に向かいます

ビュンと、、、


日本の母の家には、私が日常で使うものは何でもあるので、荷造りって、するものもなく、ぱぱっと用意して、びゅんと飛行機に乗って帰って来ました。
今回はエアラインから、予約後に行き先を変更され、めんどうなのでそのまま変更を受け入れ、ちょっと慣れない成田です。
Wi-Fi を借りて待ち合わせた友を待っているところ。
今夜はこの近くで一泊します。
良い旅にしたいな。


Sunday, December 18, 2022

本日のおさんぽで、予定外に買ってしまったかわいいものたち

ピルケースとステッカーとマフラー



 

本日のおさんぽで見たかわいいものたち

ねずみのヨセフとマリアと赤ちゃんイエスさま
ピルケース
かばんがかわいいねずみのクリスマスオーナメント

 

そういう感じ


冬休みの初日、なんだかもったいないほどに、のんびりと過ごしました。
たまにはいいかなっと思います。
おやつにチョコレートやポテトチップスを食べました。
はなと一緒に、カウチに座って、彼女の好きな90年代のTVショーを観たりもしました。
でも、午後は、さすがにのんびりにも飽き、ビーチまでドライブし、少しお散歩してきました。
その間、職場の同僚からいくつかのラフなプライベートのテキストや写真が届き、その都度、私も楽しく返信しました。
そういう感じになってきたことを、神さまに、心から、しみじみと、感謝しました。
「そういう感じ」が奇跡のように思えて、感謝が溢れてとまりませんでした。
物おじしないけど、人見知りの激しい私は、100人の人の前で何かをするより1人の人に自分を表すのがとても下手なので、子どもたちの中に紛れ込むような仕事の仕方をしてきました。
これからもそれは変わらないかもしれないけれど、でも、少し、「そういう感じ」もいいなって思いました。

待ち望む


昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。
それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
どうか忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。
ローマ 15:4~6

今朝は日本時間の12月18日、まさに送られてきたばかりの礼拝メッセージhttps://www.youtube.com/watch?v=8BIRosux5HY から聖なる安息の日曜日、そして、冬休み初日の朝を始めることができました。
感謝と希望で胸がいっぱいです。
いつも、不思議なほどに、個人的に聞こえてしまう、藤本満牧師の説教だけど、今朝は、震えるほどにそうでした。
説教の最後に彼が「手紙をください」と言うのだけれど、私は、それが神さまの声に聞こえて涙がこぼれてしまいました。
私も、私の知らないだれかがこのブログを読んでくれているがとっても嬉しくて、その知らない誰かに、「イエスさまってすごいね」って思ってほしくて書き続けているから、彼がそれを本心から、彼の本当の必要のように言っていて、それで、本当に神さまが私の耳元でそう囁いたように感じたのです。
初めて彼の話を聞いたのは、いつだったろう・・・。
はなが4歳だったから、もう12年も前になります。
サンタバーバラで過ごしたある夏のことでした。
CDを買ってくり返しくり返し聞き、家に戻ってホームページに掲載されているシリーズを全て聞き、やがてパスワードをもらって礼拝メッセージを聞くようになり、コロナが始まり、昨年の10月からはYouTube で聞けるようになりました。
12年前の彼は、講壇に立ち、目の前に座る会衆に向かって説教していました。
それなのに、今朝はカメラの向こうのひとりひとりに向かって、話しているのです。
神さまの大きすぎる憐れみと不思議すぎる導きに、今朝は感謝で胸がいっぱいです。
そして、神さまは生きて働いておられるという震えるほどの事実にどうにかして、私も御国をこの地で作る人になりたいと思いました。
☆写真は大すきな夫の帰りを待ち望む、犬のじょえる