彼らがその地の産物を食べた翌日から、もうマナの降ることはやみ、イスラエル人には、もうマナはなかった。
それで、彼らはその年のうちにカナンの地で収穫したものを食べた。
ヨシュア紀 5:12
イスラエルの民のもの憂い流浪の旅もすべて終わって、約束された安息はついに得られた。
この年、私たちの上にもこれらのことが起こるかもしれない。
私たちの前途には希望が満ちている。
すべての恐れを去り、この年こそ「永遠に主のものである」望みのうちにスタートできる幸を思い、大いに喜ぼうではないか。
C.H.スポルジョンの『朝ごとに』より
日本にひとりで来ると、いつも、「ここにずっといたような気がする」そう思います。
とても不思議な感覚です。
LAでの生活も出来事も家族も、もしかしたら、みんな長い夢の中の出来事だったのだろうか、という悲しみのような、恐れのような、寂しさのような、なんとも言いようのない気分です。
そんな思いを思っている余裕もないほどにに、ここでも、しっかりと地に足を着けて生きることができないだろうか・・・。そして、その反省の思いを胸に再び旅支度を整えるのです。
主が作ってくださった、母の一人暮らしを支えるサポートチームの中心となっているケア・マネージャーさんから、この半年の、穏やかで健やかで平和な母の変わりない様子について、顔を合わせて聞くことができました。
全ての支払いを確認し、預けるべきところ、預けるべき人にお金を預けました。
押し入れの4分の1を使った大きなパントリーはインスタント食品や、お茶やコーヒー、おやつで一杯になりました。
フリーザーにはピッツアから煮物にいたるまで、色んな種類の冷凍食品できっしりです。
全てのゴミ箱に半年分のゴミ袋をセットしました。
見あたる限りの不用品は全て処分しました。
見あたる限りの不用品は全て処分しました。
ハンディモップで半年分の埃を払い、家中に掃除機をかけました。
玄関とお風呂とトイレの掃除もしました。
そして、牧師先生にもご挨拶をすることができました。
それでも、そう思うのです。
☆写真は、昨日、グレイスチャペル大分の廣田牧師が持ってきてくれた来年のカレンダー
母はこの絵を大層気に入り、先生も嬉しそうでした