ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。
地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、
寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことがない。
創世記 7:23/8:22
聖書のあっちこっちを気のむくままに開いて読み耽るという日々を続けていたら、通読がどこで頓挫していたのかわからなくなってしまい、こんな時誰もがするように、結局創世記の1章から再び読み始めました。
そして、9章にブックマークを挟み、何かのはずみで読み始めたローマ人への手紙の続きを読みました。(他の箇所を開く前に、通読で読む次の章にブックマークを挟むというのを習慣にしなければなりません)
昨日のペンテコステ、希望の日とも呼ばれる聖なる安息の日曜日、私はとても久しぶりに教会という建物の中での礼拝をしました。
はなに背を押されるように・・・。
そう、はなも私と一緒に日本語の礼拝に行ったのです。
それ自体がすでに奇跡のようなものなのだけど、なんと、そこで、バイブルスタディーで、はなのグループでリードをしてくれていたりかちゃんと再会。
りかちゃんは両腕を広げてはなをしっかりハグしてくれました。
この夏のキャンプでも彼女がはなのグループをリードしてくれるということを知って、はなは大喜び。
それが二つめの奇跡。
そして、揺れに揺れ、ついに牧師の解雇という形で幕を下ろそうとしていた私たちの教会、昨日が最後の礼拝と聞いていたのに、存続してゆくために集会を続けるという、ラストミニッツの神さまのどんでん返し。
無償でチャペルが与えられ、向こう4週間はメッセンジャーも与えられているとのこと。
これ、三つめの奇跡。
その瞬間を私なりに冷静に受けとめ、共に礼拝してきた人たちと一緒に、一杯の感謝をこめて祈りながら最後を見届けようと思ってそこに静かに座っていた私は、突然鳥肌が立つほどの喜びと興奮に満たされ、自分の心臓の音、これを胸の高鳴りというのだと思うけど、それが自分の耳で聞こえてしまいそうなほどでした。
そして、なんと、向こう4週間みことばを取り次ぐ牧師は、私がこの界隈で唯一、メッセージや講解の文章をフォローしていた人。
これが四つめの奇跡。
プールで泳ぎながら、教会のことを祈る時、私はいつも同じ祈りを同じように捧げてきました。
その祈りは丸一年ほど続きました。
神さまは私の祈りに、私の想像を遥かに超えて大きく応えてくださったのです。
私は箱舟に乗り込みました。
扉がぴたっと閉じるその瞬間、その隙間から。
この舟がどこに向かうのは私は知りません。
でも、絶対に素晴らしいことが待っていると信じています。
最後にローマ人への手紙で今朝読んだ箇所をシェアします。
この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ 5:5
みことばをさくらんぼ色にしてみました。
昨日ついに、ファーマーズでさくらんぼを発見。
1パウンドほどを買って帰りました。