感情の波に翻弄させられそうになりながら、それでもなんとか、明るく前向きに対処しようと必死です。
何度往復しようとも、ひとり暮らしの母をこの家に残して、飛行機に乗ってアメリカに帰る時に襲われる、この葛藤には慣れることはありません。
半年ぶりに会う母は、膝の痛みを感じるようになってしまったことを除いては、特に変わりありませんでした。
きれいに片付いた家の中で、規則正しく暮らしてくれています。
たくさんの人々の支えの中で、穏やかで平安に、ゆっくりと丁寧に暮らしている、それだけで感謝で溢れかえる思いであるにも関わらず、毎回のように、「だいじょうぶかな、本当にだいじょうぶかな」と胸が痛いほどに心配してしまいそうになるのです。
いつも、この帰るぎりぎりになって思うのだけれど、私は、日本に「母以外の何か」をもっと持つべきなのかもしれません。教会生活や、地域社会での働きというか短期間だから、ボランティアのようなものとか。
今回は大分のお友だちとも会っていないので、それも、この感情と何か関係がある気がします。
「日本=母」という構図、そこにぐっと2週間焦点を当て続けることは、あまり健康的な里帰りとは言えないかもしれなって。
夏はもう少し力を抜いて、教会の人たちとのおしゃべりを楽しんだり、大分の古友の純子ちゃんやあゆちゃんとも会っておしゃべりしよう。
ひとりのドライブを楽しんだり、図書館にも行ったりしよう。
前にも書いた気がするけど、私は、どういうわけか日本へ来るとアメリカに家族がいることがにわかに信じがたくなり、母親以外何もない独身の気もちになってしまうようです。
とはいえ、すばらしい2週間でありました。
12月31日は母とふたりで礼拝に行くことができました。
母のお医者さんに会ってお話できたし、ヘアカットやレストランにもでかけました。
大そうじもしたし、おいしいお刺身やお寿司も食べました。
父の本や私のアルバムおひなさま二体も荷物に納め、今回は一緒に帰ります。
こうして、少しずつこの家を閉じるための準備を始める決心ができたことも、大きな一歩でした。
今日の九州はとても寒いです。
あと2時間ほどで、ストーブを消しこの部屋を出ます。