Saturday, March 22, 2014

コリントを読んで霊と体について考えた

いったい、人の心のことは、
その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。
Ⅰコリント2:11

おはよう。
たっぷり眠っていい気持ち。
500ミリのお水をいっきに飲みほし、おいしいコーヒーを作りました。
それからコリントの続きを開いて読んでいます。
そして、人の内側にある霊について考えてみました。
造られた人の霊が造ってくださった方の霊との調和なく生きてるって、すごく苦しいこと思う。
ノンクリスチャンならまだしも、クリスチャンはきっと生きてゆけないほど苦しいと思う。
それで、自分が苦しいときには、まず、この内なる霊との不和を疑わなくちゃって考えてみました。
手元にある仕事や、目の前に山になっているめんどうなあれこれも、目的意識を変えなくちゃ、どんなに一生懸命、完璧を目指してやったろころで、意味がなかったりして。
それは、あまりにも空しいこと。
空しいだけならまだしも、それこそ、ぷんぷん怒ってやるなら、いつか読んだ本に書いていた、『環境汚染』にもなりかねない。
「ああ神さま、それはとんでもなく、私のやりたいこととはあまりも違っています。あやまちを悟らせてください、悔い改めさせてください、正しい目的意識を私に与えてください!」とあわてて祈りました。
それから、その霊を宿す、体のことについても考えてみました。
もうすぐ、運動会。
走るの絶対イヤだとガンコに拒否する40代のママたちの頑ななまでの拒絶に、無理強いするのはお気の毒、おケガでもしちゃったら本当に申し訳ないと、あまり強力にはお願いできずにいます。
私は、今しばらく、いつでも走れる人でいたいなって思う。
運動は苦手、走るのもとても遅いけど、でも、さって立って、たたたって走れる人でいたい。
さて、土曜日だよ。
窓を開いて春の日差しを一杯にいれて、そうじするもよし。
春を見つけに運動靴をはいて、お出かけするもよし。
庭に椅子を出して木陰で読書するもよし。
楽しい週末をおすごしください。
また、すぐ書きます。