Thursday, February 28, 2013

Ⅱ型人

私が今働いている幼稚園から、そこの園長から学んだことはたくさんあります。
その中でも、最も私の遠くにあったこと、でも今は心の真ん中にある大切なこと。
問題は解決するためにあるというシンプルな定義。
世の中には二種類の役割があると私は思う。
①問題を分析する人②問題を解決する人。
①原因と責任の取り方を考える人②ただ現状を変えることを考える人。
私は②型に造られた人でした。
長年①に集中していて、切り替えるのにとても(2年!)時間がかかったけど、
切り替えてみたら、こんな楽な生き方はないとさえ思えます。
この幼稚園に来て、彼女の下で働くようになって、やっとそのことに気づきました。
造られたとうりに生きるとは、本当に楽ちんなことです。
 
 
 


Tuesday, February 26, 2013

ゆきだるま

『ラケルに憧れて』の中にエラーがみつかったので直しました。気になった方、ぜひ、もう一度読んでください
ラケルもレベッカもヨセフもヤコブもどうでもいいわという方、このかわいいゆきだるまたちをじっくりとごらんくださいませ。
マミー&ミークラスでゆきだるまを作りしました
おめめは今朝、幼稚園のお庭で親子で採集した木の実
口は松の葉
おてては松の枝
そして体はベーキングソーダとコーンスターチとお水 
ひとつ作らせてもらって、おうちに連れて帰りました
こいつです
 
 
 


Sunday, February 24, 2013

Teacher+Me=School

はなは、ミセス・ショウラーに夢中です。
ミセス・ショウラーは彼女の担任の先生。
いちごチョコレートも彼女のため。
クリスマスには立体カード。
バレンタインデーにも写真を使った凝りに凝ったカードで気持ちを伝えました。
なんでもない日にも彼女のために詩を詠み、彼女のために歌を歌い、彼女にささげるダンスさえ創作する始末・・・。
今日は、マルマル+マルマル=マルマルの彼女が作り出した言葉遊びのカードを書いていました。
Teacher+Me =School、School+Me=Teacher、なんて私がクラスの子からもらったら涙を流して宝物にしちゃいそうなカードを作っていました。
でもママはヤキモチを焼きません。
キンダーから1年生へと学校を変える決心をしてよかったて、心からおもう。
でも、これは全て自然な導き、神さまのプランだったのよね・・・・、ハレルヤ!

いちごチョコレート

日曜日の午後、はなといちごチョコレートを作りました
まずはゆせんでチョコレートを溶かします
チョコレートはとてもデリケート
ちょっとでも温度が高すぎると誰も気づかないうちにこっそりこげちゃうの
そして、けっしてそれ以上には溶けてくれません
だれかさんみたい・・・(なんちゃって)
はやめに火からあげて、まぜまぜまぜして一生懸命溶かしました 
た・らあ~ん! 
葉っぱが大きすぎて、あんまりかわくないいちごたち 
 でも、とってもうまくできたの ほんとうよ
冷蔵庫で15分ほど冷やしてパク
アルミのカップのナミナミがチョコレートを形づくり、そこがバキバキとおいしそうな音でした
 

ラケルに憧れて

ヨセフは実を結ぶ若枝、
泉のほとりの実を結ぶ若枝、
その枝は垣を超える。
弓を射る者は彼を激しく攻め、
彼を射て、悩ました。
しかし、彼の弓はたるむことなく、
彼の腕はすばやい。
これはヤコブの全能者の手により、
それはイスラエルの岩なる牧者による。
あなたを助けようとされる
あなたの父の神により、また、
あなたを祝福しようとされる
全能者によって。
創世記49:22~25
 
すべての力、すべての恵み、すべての祝福、すべてのいつくしみ、すべての慰め、そのほか、私たちがもっているすべてのものは約束によってこの水源が与えられると、スポルジョンは言います。
光と熱が太陽から来るように、すべての恵みは神さまの約束からくるって。
神の力がなかったら、何もすることのできない私。
「ヤコブの全能者の約束」が野を超え、山を越え、谷を超え、海を越え、時を超え、今日も私に与えられています。
私はヨセフとベンジャミンのママのラケルが大好きだから、創世記の中の、ヨセフの、苦しいけれど、祝福に満ちた生涯が描かれたお話しが大好きです。
ラケルは、どうやってヨセフをヨセフに育てたのかなって時々思います。
ラケルは神さまにも夫にも、とてもとても愛されて、大切にされた幸せな妻だから、きっととても良い母であったのだろうなと思うわけです。
だから、ヨセフはあんなにピュアで強くて賢い子に育ったに違いないって。
私は、そんな「ヤコブの全能者の約束」を信じて、どうか私も良い妻、よい母として、もっとたくさんの愛や時間や仕事やそれをする力を与えてくださいってお祈りします。
 
 
 
 


Saturday, February 23, 2013

目覚まし時計のベルはオフ

夏からずっと勉強してきた、賢人の鍵盤音楽理論テストが、今日無事に終わりました。
日本語学校が終えて、試験会場に滑り込み、最後の2時間で本気の勝負をした賢人。
はなと私は近くのサウスベイ・ギャラリアでとりつかれたように買い物に励みました。
テストの不安を解消しながら、ボロをまとう二人のオンナがまともな、穴のない、足首ののぞかない、青いジーンを求めて、試着もせずに、ぱっ、ぱっとお買い物。
2時間後、晴れ晴れとした賢人の顔を見て、「ああ、だいじょうぶ」と思う。
パスしてもパスしなくてだいじょうぶ。
彼が彼のベストで挑んだ顔だから。
教会のホームページにいた頃には決してか書けなかった憧れのフレーズ、
「今夜は、目覚ましのベルをとめて寝ます」。
おやすみなさい。
明日もきっと良い日でありますように。

魂がぶつかり合い、命はふれ合う

1週間の中で一番大好きな時間、土曜日の夕方です。
今夜のディナーは蕎麦とミニ・三色トリそぼろ丼と決めて、100パーセント以上にリラックスしています。
ものすごく忙しかったけど、でもとても良い日でした。
クラスをいつも手伝ってくれている先生がお休みなところに向けて、いつもクラスを観察に来る、教授方は今日はどなたもおいでにならず、プラス、こんな日に限って父兄のボランティアは一人もいない・・・。
教案の20パーセントをはしょり、子どもたちを叱りまくりながら、でも、なぜかとても幸せです。
子どもたちは必死に何をすべきか考え、お互いに助け合い、私は誰もいないことをいいことに、英語で指示し、英語で叱り、英語で褒めて、英語で喜んだ。
子どもたちは、私のおかしな英語に真剣に耳を傾け、しゅんとなってくれた、喜んでくれた。
『言葉は命』とは、このことと思う。
時々は、魂のぶつかり合い、命のふれあいのためにも、第三者の活動の手助けや言葉の補助のないクラスはいいものだと思う。


Friday, February 22, 2013

2月なのに新しい先生、2月だから雪合戦

週明けの朝、幼稚園に行ったら、新しい先生がきていて、よそゆきのお顔で「よろしくお願いします」なんてごあいさつして、仕事をはじめました。
9月から一緒に働いてきた先生は小さな子のクラスに担当が代わってしまい、せっかく、少しづつお互いのことがわかってきて、どんなふうにお話しするのが良いのかがわかってきたとこだったのにって、ちょっとだけ、がっかりしていました。
でも、新しい先生とはなんにもしゃべらなくても、どんどん仕事は進み、毎日が飛ぶようにすぎてゆきます。
そして、どろどろのべとべとのぐちゃぐちゃのびしゃびしゃの小麦粉感触遊びで金曜日を迎え、お互いの凄まじいよごれ具合に指をさして笑いあって、「また、来週ね!」とお別れしました。
ここにその凄まじい遊び具合を写真でどお~んとのせたら、さぞや、迫力があったろうにって思うけど、残念ながら、小麦粉だんご爆弾を避けながらも、自らだんこを作りつつ、転ぶ子にハラハラしながらも、誰だかなんだかわかんないほどに小麦粉まみれで遊ぶ子に笑い転げるのに夢中で写真を撮ることも忘れていました。
小麦粉爆弾で撃たれた痕、いびつな無数の白いこびりつきを、体中にあちこちにくっつけたまま、オフィスデポでお買い物をしました。
明日の日本語学校用の単語帳作りのための、きれいなブルーのかたい紙を抱えてレジに並びました。
後ろの人も前の人もちょっと私から離れて立っていたけど、気にしません。
ゲロじゃあるまいし、小麦粉は無臭です。
帰って、着替えもせずに、賢人の音楽理論の宿題の答え合わせをしていると、横から、ぼそっと、「お母さん、今日は幼稚園で何をしたの?」って言います。
真剣に答え合わせをしながら、「小麦粉雪合戦」と答えると、表情ひとつ変えずに、「それは、とても楽しかったね。」と言ってくれました。
そう、とても楽しい1週間だったのです。


Monday, February 18, 2013

ほたるの冷蔵庫

私は神に言おう。
「私を罪ある者となさらないように。
なぜ私と争われるかを、知らせてください。」
ヨブ記 10:2
 
わたしたちの信仰は、夏にはとうてい冬のようなすばらしさを表せないとスポルジョンは言います。
ほたるのように、あたりが暗くならないと輝きが示せない。
希望は星のようって。
 
試みの中にあるたましいはありませんか?
ここにひとつあります。
私です。
 
昨日教会である姉妹と冷蔵庫の話をしました。
冷蔵庫が壊れてしまったのだそうです。
私のうちは、冷蔵庫だけじゃなくて、いろんなものが壊れかけていて、
直したり、買い換えたり、作ったりしなければならないのに、いろんなものがそのまんまです。
ずっとずっと心を痛めています。
だから彼女の気持ちも痛いほどよくわかりました。
働くママは、ただのクリスチャンなのであって、スーパーウーマンじゃないのです。
働く妻は、ただの罪人であって、忍耐強い聖人なんかじゃ決してないのです。
 
試みの中にあるたましいさん、
かん難は黒い敷物のようとは、スポルジョンの受け売りです。
神はその子どもたちの徳の宝石を、ますます輝かせるために、その上に置かれるのだと。

Sunday, February 17, 2013

ねば、ふぁいてぃんぐ、あめちゃんのふぁみり

はなが作ったバレンタインデーのカードのメールボックス
ここからチョコを盗んでは食べていたどろぼーさんがいた
犯人は賢人 
私は超いかり、賢人を呼び、食べてしまったのならお金で弁償しなさいって言った
でも、はなは「いいの」って言う
「いいの?ほんとう?」
「うん、だって、あめちゃんちはねば、ふぁいてぃんぐよ、ママ」
はなを教会で育ててきてよかったと思った
しみじみと

新しいページ

教会のホームページから『おはようスポルジョン』がなくなってさみしいって、たくさんの人に言われ、うれしいやらはずかしいやら。
私は、自分が書いたことについて、お顔とお顔を合わせてお話しするのが、なぜかとっても苦手。
ほめてもらえたりなんかすると、もう穴を掘って飛び込んでどこまでも掘り続けて国境も越えてメキシコまで行っちゃいそうなほどです。
でも、今日はそんなことを言ってはいられず、声をかけてくださったみなさんに「今まで読んでくれてありがとう」と心をこめて伝えました。
ページはめくられ、私の旅はまだまだ続きます。
今日は、あたたかな良いお天気の日曜日でした。
さて、新しい章のはじまりです。

小さな聖書~父からの手紙


教会のホームページの中の『おはようスポルジョン』に最後の手紙を書きました。
だから、今朝が本当の意味での、新しい『おはようスポルジョン』のスタートということになります。
それで、今朝届いた素的なビデオを紹介して、今日という日の記念にしようと思います。


Monday, February 11, 2013

眞紀も主に伺った

難波眞紀も主に伺いました。
そして、やっぱり、GOに平安があるので、この引越しプロジェクトをすすめようと思うのだ・・・。

ダビデは主に伺った

そこで、ダビデが主に伺ったところ、主は仰せられた。
「上って行くな。」
Ⅱサムエル5:23
 
 
神と共にいなければ一歩も進まないようにしなければならないってスポルジョンは言う。
「主よ。あなたは私に何をさせようとしておられるのですか」と問うことなく、今朝、部屋を出て行ってはいけないって。
摂理が立ち止まるなら、あなたも立ち止まれ。
摂理より先に進んでいるなら後に戻れ。
「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう」、このみことばの約束にあるとおり、あらゆる難問題を主の前に持ち出し、「主よ。あなたはわたしに何をさせようとしておられるのですか」と尋ねなさいって。
だから、私は、立ち止まります。
もしかしたら、後に戻るかもしれません。
たったふたつの記事で、ここで書く『おはようスポルジョン』が終わっちゃうかもしれないけれど、でも、これが、教会のホームページを出て書く『おはようスポルジョン』が、主の導きでないのなら、100の記事を書いて導きでないことを知るよりも、たったふたつで知る方がよっぽど、いいって思う。
アーメンって言ってくれるでしょ。

Saturday, February 9, 2013

祈ってください

教会のホームページから、飛び出してここに新しく書き始めることにしたけれど、これが神さまの導きなのか、悪魔の誘惑なのか、実は私にもまだわかりません。
でも、とりあえず、飛び出してみました。
飛び出してみて、考えようと思ったの。
大切な決断はいつも、そう。
えいって、やってみて、はじめて、「ああ、やっぱり・・・。ここに私のやりべきことがあったのね。」って気づくのです。
この決心を知っているのは、神さまとこのブログをセットアップしてくれたまいこちゃんと私の3人だけ。
そして、あなたが私の最初の読者です。
ここにまで、読みにきてくれたこと、心からありがとう。
生まれ変わろうとする『おはようスポルジョン』のためにお祈りしてください。
教会のホームページの中にいた時には、誰にも言ったことがなかったけど、でも、今、まず、そこから書き始めます。
どうか、『おはようスポルジョン』のために祈ってください。
あなたは、きっとこの3年間、『おはようスポルジョン』を読み続けてくれていて、私がどれほどわがままでやりたいことしかやらない頑固者であるか知っているでしょ。
でも、やると決めたら、がんばっちゃう頑固者でもあることも、きっと知っているでしょ。
そうなの。
がんばるって決めたのです。
親として、妻としてがんばるんじゃなくて、教会生活や、幼稚園の仕事や、日本語学校の仕事をがんばるんじゃなくて、書くことをがんばろうって。
書くためにがんばろうって。
そういうことは、全部、書くために神さまが与えてくださっあったものなんだって思うようになったのです。
だから、教会のホームページを飛び出そうと思いました。
一語一句の全てに責任を取れる場所で書こうって決心しました。

だから、もう一度、
ここにまで、読みにきてくれて、ありがとう。
そして、もう一度、
『おはようスポルジョン』のために祈ってください。