Friday, February 28, 2014

脱・マンデーブルー

あっというまに金曜日。
月曜日の朝に書いたけど、今週はマンデーブルーがまったくなく、週明けから信じられないほどハッピーでポジティブだった。
数えてみたことはないけれど、たぶんここ1、2年、私はとても重いマンデー・ブルーと闘っていました。
起きるのがつらく、頭も身体も思うように働かず、お弁当作りに意味もなく時間がかかり、忘れ物が絶えず、妻として親としてのうっかりエラーを連発。
毎週のように、朝っぱらからかなり深く落ち込んできました。
私はそれを、「私の更年期」ととらえて、人知れず、乗り切ろうとがんばっていた。
どうがんばったかっていうと、ただ、更年期が終わるまでの辛抱と思って耐えていた。
でも今週は全くそれが起きなかったのです。
あまりの清清しい目覚めに、「えっ?ホントに月曜だっけ?もしかして火曜日?それとも水曜日?」と一瞬、軽い記憶喪失を疑ったほどです。
日曜日が月曜日を変えたことに気づいたのは、さらに数日経ってからでした。
闘わなかった日曜日。
がんばらなかった日曜日。
悲しみや、心配や、恐れのなかった日曜日。
ただ、心からくつろいで主の前に憩うだけの日曜日。
感じるのは聖いこと、聞こえるのも見えるのも聖いこと・・・神さまのこと。
脱・マンデー・ブルーよりうれしいことは、今日も明日もそのために祈らなくていいこと。
自分自身の心の平和を保つための祈りに代えて、もっと健康的なこと、もっと建設的なこと、もっと福音的なこと、もっと天国的なことを祈れるようになったこと。



毎日が冒険③

起きたら、身体中がすごい筋肉痛で、「!」となったまま、30秒ぐらい動けなかった。
実は人生初の組体操に挑戦中。
アフター・キンダーの子どもたちと運動会を目指して、奮闘しております。
「ああ、もう違うでしょ、みて!こうよ!」ってやって見せようとしたのにできないし、痛いし。
子どもたちは、そんな私を笑いもせず、「まきせんせい、だいじょうぶ~?ムリは禁物だよ。」とか、「ぼくたちがんばるから、まきせんせいはやらないで・・・。」なんて。
もうすでに感動して、運動会が終わったみたいな気もち。
これだから、冒険はやめられない。
みてなさい。
まきせんせんは、かならずみんなにも新しい景色を見せてあげる。
必ずできることを教えてあげる。

Thursday, February 27, 2014

毎日が冒険②

1月の新年聖会で、久しぶりに会ったある人に、「この3年、ずっと祈っていた」と言われて、その日以来、そのことが頭から離れない。
それはどういうことなのだろうって、毎日、考え続けている。
どうしても、自分の国と思うことのできない異国の異文化の雑多な宗教の中で雑多に進む、大雑把な文化の継承。
是が非でも、自分のモノとしたい、真っすぐさの中にも、私自身の真っすぐさとは決して交わることのない、この世界の楽しみ、喜び。
私は、この3年半、その人の祈りを、どこかで感じていた気がしてならない。
私はこんなに一杯いろいろやってきて、こんなにたくさん年をとったから、もう、どこかに、なんとか、落ち着いて、慣れたことをくるくるとくり返したいっと願いつつ、聖霊さまの導きによって、まだまだ冒険は続く。
どこに行くのだろう。
どこまで行くのだろう。
でも、それは、本当は私自身の願い、私自身の夢なのかもしれないと考えながら、てくてく歩いています。



Wednesday, February 26, 2014

おやすみ

あら、大変。
まぶたが重く、立ったまんまでも眠れちゃいそうって思って、時計を見ると10時半。
明日もはやいのだから、もう寝なくちゃって思うけど、何かひとこと書きたくて。
夕ごはんのお片づけも、ほっぽりだしてゆりかさんと夢中で電話でおしゃべりをしていました。
日曜日に会えなかったから、その分をとりもどもすかのように。
週末から魔法にでもかかったかのように続いている不思議な平安、穏やかでやさしい気持ち
がゆりかさんとの会話の中でことばになって、この口からこぼれてきて自分でも驚いています。
ああ、やっぱり、私の内で起きていることは現実なのだなって思う。
何が起きているかっていうと、全ての葛藤が過ぎ去り、今は聖いものだけが見える。
聖いものだけが聞こえる。
聖いものだけを感じることができる。
今夜も、平和の君、キリストの深い平安が、あなたと私の夜を包み、全ての災いからあなたと私と守り、安らかで深い眠りが、あなたと私を完全に癒してくださいますように。
一杯の愛をこめて。
おやすみなさい。
アーメン



Tuesday, February 25, 2014

思い出したい

アフター・キンダーの子どもたちに、「まきせんせいは、大きくなったら何になりたかったの」って聞かれて、よ~し、しゃべろうっとって思って口を開いたら、そのまま、「幼稚園のせんせいでしょ、よかったね、なれて」って言われて、話題は次に移っちゃった。
そう、私は幼稚園のせんせいになりたかった。
他にもいろいろ一杯なりたいものがあった。
ピアノの先生、獣医さん、絵本を描くひと、お話を作る人、お母さん。
でも一番、なりたかったのは幼稚園のせんせい。
どうしてだろう・・・。
思い出せないのがちょっぴりかなしい。
辞めたら思い出せるのよね、たぶん。
でも、それはきっともっとかなしいね。



Monday, February 24, 2014

キリストをチャージ

しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。
キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、
また、義と聖めと、贖いとになられました。
Ⅰコリント1:30
おはよう!一週間のはじまりの朝です。
じりじりじり~の目覚ましの音と共に元気に目覚め、がばっとベッドから起きてきました。
身体はもちろん、心が自分の元気を喜んでいる気がします。
キリスト・イエスが私の生きる力だったことに、こんなふうに気づくなんて思ってもみませんでした。
きっと、今週もいろんなことがあるでしょう。
難しいことや、好きじゃないことも、もしかしたらあるかもしれません。
でも、大丈夫。
生きる力の源が、いつも私の傍らにいらっしゃる。
聖霊さまは、いつも私の中で私の代わりに感じてくださる。
そして、天の神さまがいつも全部を知ってくださっている。
だから大丈夫。
今日もきっと良い日でありますように。


Sunday, February 23, 2014

新しい日

元気を結集して、立ち上がらなければならなかったその日、その朝、ローマ人への手紙を読み終えたことは、主の恵みでした。
今日は、新しい日。
私が祈った信仰の友らは、私の祈りの何倍もの祈りをもってとりなしを奉げ、そしてそれは主にきかれた。
今、はっきり、そう思う。
長かったけど、終わった。
苦しかったけど、終わった。
長くて苦しかったけど、でも、私は幸せだった。
笑って感謝して、泣いて祈って、そしてまた笑って感謝した。
今、私の杯はあふれています。
飲み干せないほどに。
でも、あの渇きは決して忘れない。
私は生きる限り主に感謝します。

羊の自覚

まことに、私のいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
詩篇23章6節
あなたは、自分が野生として自らの本能では生きることのできない羊であることを、知っていますかって聞かれました。
私は「もちろんです」って心の中で答えてみたものの、その後、ひとりになって静かに考えてみました。
私は、時々勘違いをして、獅子のように荒れ狂う。
私は、時々勘違いをして、蟻のように隊を組む。
でも、そうだった。私は主の羊。主は私の羊飼い。

新しい朝

あなたがたの従順はすべての人に知られているので、
私はあなたがたのことを喜んでいます。
しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。
どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
ローマ16:19、20
食べるように、飲むように、ゆっくり読んだローマもついに今朝終わってしまいました。
おはようございます。
どんな日曜日の朝ですか。
私は、今朝は、私と夫にきよい心を与え、揺るぐことののない霊を新しくしてくださいと祈りました。
それから、少し考えて、賢人とはなの霊と魂と心をお守りくださいと祈りました。
信仰の友のためにも祈りました。
ちょっと時間に余裕があるので、熱い朝風呂にはいって、おいしい朝ごはんを食べて、そして支度をしようと思います。
どうぞ良い聖日、主の日をおすごしください。



Saturday, February 22, 2014

Before/After

遅い午後から夕方にかけて、ベッドでお昼寝をしました。
おでかけから戻ったじょえるに足の裏をぺろぺろとなめられて目覚め、「ああ、すっかり眠ってしまたわ」と思って時計を見ると5時。
あわてて飛び起きて、洗濯機をまわしながら、掃除機をかけました。
起きたら、世界がなんだか変っていました。
どこがどう変ったのか、よくわかりません。
ただ、変っていました。
掃除機をかけながら、何が変っているのだろうって一生懸命に考えたのだけど、わからないので、ただ、この変化に慣らせてくださいと小さく祈りました。
そしたら、電話からゆりかさんの声が聞こえた気がしたので、かけなおすと、「おつかれさま、本当によくがんばったね」ということば続き、「ああ、本当ね、すっかり疲れていたのだわ」と思いました。
私の世界は、疲れから癒される前と後との違いで、別世界に変っていました。
新しい世界については、また、ゆっくり書くことにします。



祈られて

レドンド・ビーチで、心地よく冷たい海の風を浴びながら、信仰の恩師と呼べる友と座って、しばらくおしゃべりをしてきました。
賢人が海から上がってくると、「最後に少しだけ祈らせて」って彼女の方から言ってくれたので、私は素直に「ありがとう」っと言って祈ってもらいました。
私は、本当に神さまに愛されていると、今日も思い知ります。
聖霊さまのとりなしに、心から感謝しながら別れました。
朝は、体が羽のようと書いたけれど、今は、心も羽のようです。
とても安らか。
とても軽やか。
今朝読んだ、ローマの14章の「あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。」を思い出しながら、きれいな海岸線をドライブして帰ってきました。
そして今、身も心も心地よく、ぐったりと疲れています。
夫とはなとじょえるは3人でおでかけしているようなので、少しお昼寝します。

月夜のららばい

愛は隣人に対して害を与えません。
それゆえ、愛は律法を全うします。
ローマ13:10
おはよう。
今朝は、ひさしぶりに賢人をビーチに連れて行ってあげる約束になっています。
私も、カメラと音楽を持って、そのへんを歩いてこようと思います。
ローマはたったの16章しかなく、油断するとすぐに終わってしまうから、じっくり、ゆっくり読みすすみます。
私にとって、まるで宝箱のような「ローマ人への手紙」。
13章の権威に対する心構えも、薬と思ってくり返しくり返し読みました。
支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行なうときですのところは10回ぐらい読んで、そして、なんの痛みも感じないことをしつこく確かめて、次にすすみます。
12節の夜はふけて、昼が近づいているっていう言葉が、大好きです。
ここに来ると、林のベンチでおっぱいを飲む赤ちゃんを抱いて、子守り歌を歌いながら、月を見ているような気持ちになります。
赤ちゃんは必ず泣きやみ、支配者への嫌悪もいつか必ず消え、関係は正しく変えられ、暗闇を押し退けるように朝がやってくる。

風邪をひいていない状態って、まるで体がないみたいって思う。
何にもどこにも、違和感がなく、まるで羽のよう。
これが、今回の風邪の長患いから得た最大の恵み。

Friday, February 21, 2014

スーパーのお惣菜・賢人のピアノ

☆ピアノのレッスンの帰りに、日系のマーケットで今夜のおかずを買って帰りました。
たまには、スーパーのお惣菜の夕ごはんもよいもの。
うちの子たちは大好きです。
最近は、夫も私のこんな怠慢にうまくつきあってくれるようになりました。
来月で結婚20年です。
お互いにようやく、この境地に達したって感じ。
3月に夫婦になり、6月に婚姻届を出して、9月に硝子の教会で式をあげました。
そう、今年は20周年の年なのです。
☆私は賢人の弾くピアノが大好きです。
ティーンの演奏につきものの、痛々しさも、がつがつとしたがんばりも、こわれそうな繊細さもない、素朴でやしさしい賢人のピアノ。
言い換えれば、ただ好きなだけのぶきっちょな男の子のピアノ。
矛盾もあきらめもいっぱい感じられる16歳のピアノ。
でも、私は賢人の弾くピアノの音色が好き。
やさしくて、心がこもっていて、すごく和風な音色。
あの子の中の日本への憧れが音に滲んでいるような、そんな賢人のピアノ。

祈っています

喜ぶ者といっしょに喜び、
泣く者といっしょに泣きなさい。
ローマ12:15
今朝、起きたら父からのEメールが届いていました。
お兄ちゃんの喉の病気の二度目の放射線治療は、無事に終わり、治療は成功して、退院したとのことです。
完治と書かれていました。
よかった・・・。
みなさんのお祈りのおかげです。
心からありがとう。
私はこれからも、ずっと、そのことを感謝し続けます。
そして、私も祈ります。
私の毎日がいろいろであるように、きっとあなたの毎日もいろいろでしょう。
もしかしたら、私のいろいろなんかよりもっとたくさんで、大きいのかもしれません。
私は、そんなあなたが、『おはようスポルジョン』を開くとき、神さまの愛がやさしくあなたの心にタッチしてくださるようにと毎日、祈っています。
私の書くごちゃごちゃの中に、たとえ一滴であっても、神さまの愛のしずくが、朝のあなたの心をぬらして、そして、あなたを包んでくれたらと、祈っています。
今日も、きっとよい日でありますように。
あなたの愛が私に届いたように、今日も、あなたの愛が世界のどこかに届きますように。
イエスさまに感謝しつつ。
アーメン


Thursday, February 20, 2014

憧れ

大好きな本に、アン・ラモットという人の『赤ちゃん使用説明書』っていうのがある。
『おはようスポルジョン』はほとんど、この人への、彼女の文章への憧れからはじまった。
何度読んでも、胸がきゅんと痛く、そして、最後は必ず泣いてしまう。
出産の日から12ヶ月までの育児日記が本になっている。
夜明けを待ち望む孤独な母親と、彼女を取り囲む超・不良ちっくな愛の共同体。
そして、その中心に臨在する、我らが、キリスト・イエス。
この本から私がもらったものはとてつもなく大きい。
でも、アンがこれを誰も傷つけずに書いたとしたら、それは神の奇跡と今わかる。
書くことは、本当に難しい。
書かないことは、もっと難しい。

ローマのおかげ、8章のおかげ、38節のおかげ

私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、
今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
ローマ8:38:39
☆今、私が働く幼稚園で、一番教育されたのは私だと思う。
本人がそう思うのだから、間違いない。
私は、すごく変った。
一番感謝していることは、問題を分析することをやめて、解決のために考えるようになれたこと。
そして、解決は、感じるムードや周囲の反応によってではなく、最初に定めた目標と現実を査定することからはじめることができるようになったこと。
それから、チームワーク。
そのほか、いっぱい。
☆人は、家庭で、学校で、留学先で、教会で、バイブル・キャンプで、ミッション・トリップで、勤め先で、その他、さまざまな場所で主からの教育を受けるから、だから、それでも、変ることができずに、苦しく、縛られているものがあるとするなら、それは、祈られるほかないと、今朝、素直にそう思えた。
ローマのおかげ、8章のおかげ。38節と39節のおかげ。
☆いつも、自分の姿をみて、悪を悟ることができるのだけど、これは、それほど厄介なことでもないと思えるようになりました。
子どもの気もちのよくわかる、仕事のできる幼稚園の先生が、社会人としても優秀かっていうとそうでもなかったりするのと同じです。
お友だちと一緒に泣いたり、喜んだりできる子って、怒りんぼの泣き虫だったりするでしょ。
うまく、書けないけど、私は自分の中の悪をじっとみつめることが、この頃、苦しくなくなりました。

Wednesday, February 19, 2014

新しいパラダイムと薄暗いの森を歩く私とじょえる

☆いつかのメッセージで、ヨハネ17:15の悪い者ってヒトじゃないっていうのがあったのを、帰りのクルマの中でぼんやりと思い出していました。
それを聞いたとき、ああ、これはまたしても無知で愚かな私の、今さらなんじゃい的パラダイムの転換になっちゃうかもって思ったのだけど、すごくそうでした。
自分の解放もままならない囚われがちな私が、ひとさまのために祈れるようになったのはよいことだけど、それは、私の大きらいな、クリスチャン同士の憐みのふりをした蔑み、危険な病人扱いと紙一重だなって思って、ドキドキしています。
ノンクリスチャンの世界、少なくとも私の勤める幼稚園にはそんなエクスキューズは微塵も存在せず、人格は尊重され、厳しく叩かれ、率直に教育されている。
☆夕べみた夢。
薄暗い森の中、罠にかかってもがいている私。
夢の中の私の足はちっとも痛くなくて、無理矢理ひっぱってちぎりとって逃げようか、それとも、足がない人生は楽しくないから、このまま、罠と共に死ぬまでここつながれていようかと思案していたら、罠をほどく鍵をくわえて、じょえるが来てくれた。
夢の中の私は特に歓喜するわけでもなく、はいはいこれが鍵ね、とがちゃがちゃと罠を解き、じょえると共に薄暗い森をさらに奥へと進んで行った。



パウロ先生ありがとう

人間の心を探り窮める方は、
御霊の思いが何かをよく知っておられます。
なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、
聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
ローマ9:27
使徒の働きを終え、ローマに入りました。
初めて聖書を手にした時から、私はずっとローマが一番大好きです。
ローマを開くと、急に読むスピードが落ちて、コーヒーをおかわりしたり、小さな音でバッハのピアノ曲を流したりして、同じ章を何度もくり返し読みます。
パウロのことをより深く知った今では、ますますそうなりました。
もし、パウロ先生が私の教会にゲスト・スピーカーとして招かれ、メッセージをしてくださるとしたら、どんなお話しをされるだろうっと想像してみます。
パウロ先生は、前列、中央に座る私の目を見て、何を語ってくださるだろう。
「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」
主に最も赦され、教えられ、愛され、恵まれ、用いられたてきた彼の口が開いてこう語った時、私は、パウロ先生の目を見ながら、声を聞きながら、その手を見ながらきっと泣いてしまうことでしょう。
ゆりかさんは、きっと、メッセージの後に、聖書にサインをしてもらいましょうっていうわね。
感動して泣きじゃくる私の聖書も持って、列に並んでくれることでしょう。
でも、もし、パウロ先生が、私を指して、「姉妹、どうしてあなたは泣いているのですか」と言ってくれたら、私は、こう言います。
「あなたの生涯を聖書で読みました。
パウロ先生、ありがとう。
あなたのおかげで私はキリストを知ることができました。」










Tuesday, February 18, 2014

ざ・おひなさま

2歳児作
3歳児作
4歳児作
5歳児作
6歳児作



喜びと悲しみと

お互いに親切にし、
心の優しい人となり、
神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、
互いに赦し合いなさい。
エペソ4;32

神さま、ぼくは かなしいとき、あなたのたすけをまちます。
あさ日が のぼって、よるの くらやみを おいやるのを まつように。
それから ぼくは、またこのせかいを あなたの あいの光にてらされて、すすむみちを 見ながら たびをします。
日の光に てらされて、ともだちと てつないで うたをうたいながらたびをします。
月の光に てらされて、その ぎんいろの光を 信じて あなたとおしゃべりしながら たびをします。
ほしの光に てらされて、天ごくを みあげながら あなたの こえをたよりに たびをします。
この せかいのくらやみの中を あるくとき、神さま、また ぼくを あなたのあいの光でまもってください。
アーメン

おはよう。
ひさしぶりに、いつもの時間にすっきりと目が覚めました。
週末にくり返し読んだ聖書の箇所、たった一つの章を、今朝もう一度開いて読みました。
そして、なぜかとても唐突に、神さまから受けているもの、その喜びも悲しみも、全てが愛おしいと思いました。
だって、神さまがくださったものなのだもの。
昨日の朝、知らない町の、知らないお部屋の、知らないベッドで、知らないまっくろな空気に包まれて目覚めた時、思わず、神さまを声に出して呼びながら、猫のように丸まって眠るはなの背中にしがみつきました。
そして、書かれることによってではなく、書かれないことによる、悲しみ、失望、怒りを感じ、恐ろしさのあまり、あわてて跳ね起きて、裸足で部屋を飛び出しました。
そして、もうすぐ朝がくるのを知りました。
それとほぼ同時に、お部屋のテーブルの上の電話がやさしく鳴り、ゆりかさんの、「ついたよ~」の声を聞くことができました。
喜びの花束、悲しみの花束、神さまが私にくださった私の感性。
これを、やっかいとはもう思わない。
私は、愛する努力をやめない。
きっと、できるから。

Monday, February 17, 2014

やっほ~!最終回

彼女が現れたのは、薄暗い夜明けのことでした。
でも、夜は明けた。
彼女はきてくれた。
なによりも、知らない場所への遠出のドライブが苦手なゆりかさんなのに。
そして、なぜか私のホームシックも、風邪の最後の症状もその朝を境に消えたのです。
ベーグルと明太クリームチーズとコーヒーの朝ごはんを輝く朝日の中で、おいしく食べました。
ゆりかさんと一緒に。
愛する方々に囲まれて。
コーヒーを飲むのは実に3日ぶりでした。
握りしめるべきみこととばももらいました。
深く深く祈りあうこともできました。
そのことは、またゆっくり書くことにします。
どんな週末でしたか?
私は・・・、
私は・・・、
私は、いろんなころがあったけれど、とっても幸せな3日間でした。


やっほ~!③

日曜日の朝、電話でゆりかさんが一緒には行けないことがわかったけど、でも、予定通り行くことにして、小さなしたくを整えました。
礼拝の後、ゆりかさんと、現地で会おうねって約束して別れました。
私は、ああだいじょうぶ、きっと行ける、そしてゆりかさんも、きっと後から来てくれるって思えたから、はなにこう言いました。
「ママは、ゆりかせんせいが、行くっていうから、だからやっぱり行くよ、はなもいっしょにきてね。」って。
そして、夫が貸してくれた、日本語をしゃべるGPS2号と共に旅立ちました。
「サイタンサクシマス」がきまりのフレーズなのだけど、何度聞いても、どんな字を当てるのだろうと考えてしまいます。
運転しながら、ずっと、風邪が癒されるように、そして、御声とそれ以外の声を聞き分けられるように守ってくださいって祈っていました。
無事に着いたけど、すごく心細くて、着いた瞬間、帰りたくなって、実際、入れたクルマをぐい~んとバックさせたけど、でも、ゆりかさんが着いた時、私がいなかったら、同じ気持ちになっちゃうのはかわいそうって思って、もう一回、クルマをぐい~んとつこっみました。
つづく




やっほ~!②

金曜日の夜ぐらいから、単なる微熱が、ただならない熱にまで上がったのだけど、それがどうやら今回のこの風邪のピークだったようです。
土曜日は、時計や常識や他の必要や諸事情とは全く関係なく、一食も食べずにたんたんとこんこんと眠り続けました。
眠りながら、とろりとろりとまどろみながら考えたこと。
仕事に行った日々、この2週間、どんなことがあっても、お弁当を作って、そして食べた。
精一杯にきちんと考えて詰めたお弁当だったけど、味はさっぱりわからなかった。
でも、働いた日々は食べることができた。
食べた日々は働くことができた。
食べることをやめて休むこの日、私の体は消化すらしなくってよくって、本当に、完全に休んでいるんだなって。
心から感謝した。
そして考えた。
人は働くために食べるって本当だなって。
つづく

やっほ~!

やっほ~!
かえってきたよ。
えっとどこにいっていたかっていうと Lake Elsinore にある、とある温泉宿。
たった一泊二日なのに、でかけるの、そっごいたいへんだったんです。実は。
体調は悪いわ、クルマの調子は悪いは、そんでもって一緒に行くはずだったゆりかさん(あっ、大丈夫よ、この人からはキャストとしてのForever Permissionをもらったわ)はご主人のお誕生会&夢ちゃんからのサプライズのデートのプレゼント、貴重なコンサートチケット2枚とダブル・ブッキングだったわで、てんやわんやな旅立ちだったのです・・・。
でもだいじょうぶ。
行ってよかった。とってもよかった。帰ってきた今、心からそう思う。
つづく

Friday, February 14, 2014

よくわからない気持ち

ただいま。
どんな1週間でしたか?
私は悲喜こもごも。
整理してみないことには、自分でも何が何だかよくわかりません。
とりあえず、体調はかんばしくなく、でも仕事は概ね順調。
家庭は賢人の祈りに支えられてかろうじて平和。
夫婦もひとつの同じ目的を確認して、信じ合う努力を継続中。
はなは今週、小学校生活以来始めて、イエロー・カードをいただかないという奇跡を起こし、週明けにはグリーン・カード・クラブなる未知なる憧れのゾーンでプライズを選べるとうれしそう。
だけどここに、太い横棒線がはいります。
そんな平和で、何も変えなくても大丈夫的な事柄とはうらはらに、心の中にはがさがさした渇き、ごつごつしたチャレンジへの招き、そして「ついてきなさい」というイメージのイエスさまが見える気がしてならないのです。



Thursday, February 13, 2014

おつかれさま

やっと木曜日。
あと1日です。
今日は思いあまって、お昼休みに近くのセブンイレブンに薬を買いに走りました。
おかげで、午後のキンダー・クラスは楽にこなすことができました。
売れるわけよね、こんな、その日の数時間を動けるようになるためだけのお薬が。
だって、確かに効くのです。
風邪の症状が、4時間ぐらいはおさまっていて、とても楽だった。
最小限のことしか話せない感じが全くなくて、ずっと子どもたちに向かって楽しく話し続けていました。
こんなの買って飲むって、私もついに親父の仲間入りです。
みんながんばっていたんだなって思う。
おつかれさまです。
あと一日です。
おたがい、がんばりましょう。

Wednesday, February 12, 2014

がんばります②

はなを90分のバレエのレッスンに送って、家にもどり、ベッドに直行しました。
いつもだったら、お買い物をして、洗濯機を回し、掃除機をかけて、アイロンがけなどをする、貴重な家事・パートⅠの日なのに、どうしても、力がわかず、へなへなとベッドに倒れ込み、アラームをセットして、目を閉じました。
そして考えたこと。
誰かの何かの役に立ちたいと願って努力しながら、でもその実、誰かの何かの災いになってしまうことって、そういえばあったよねって。
なんだっけ・・・、そう、ありがた迷惑ってやつです。
それって、とっても悲しく空しい仕事。
でも、自分の仕事をそんな風に思いたくないから、信じてがんばってきたことが、何かの形になってこの目に見えるまでは、努力を辞めない決心をしました。
私は、自分でやっちゃった方が効率的で速くてきれいなことも、祈りながら、教えながら、傷つきながら、愛しながらすすんできて、それを主は祝福してくれていたから、だから、もう少しがんばろうって思う。
そのためにすべきこと、間違いはその場で簡単に正すこと。
そのためにしてはいけないこと、正した相手の気分にのまれてしまうこと。
仕事を教えることで、生まれる利益は、その場その時の効率、その場その時の秩序を守ることの何倍も何倍も大きく、そして、それは個人や幼稚園を越えた天国的事業であると私は信じているのです。





Tuesday, February 11, 2014

がんばります

調子悪いなって思いながら、10日ほどがたちました。
終わりが見えてこない、だらだらと続く、風邪の諸症状。
早く直りたい・・・。
でも、うれしいことに、先週の金曜日ぐらいから空調からの冷たい風が出てきていません。
エアコンが一番激しく作動していたのは、いつもアフター・キンダーのある午後なので、今日は決死の覚悟で臨んだら、がくっとくるぐらい、静かで、空気はいたって柔らかで穏やか。
願わくは壊れてくださいと祈っていたけど、まさか本当に壊れちゃたのかしら。
たいへんです。
微熱が続いていて、何を食べても味がよくわからないけど、でもちゃんと食べることだけはできているから、これは、休むながんばれっということなのでしょう。
ほら、日曜日のメッセージで牧師も言っていた。
私たちは食べるために働くのではなく、働くための食べるのだと。
主よ、わかりました。
がんばります。

Monday, February 10, 2014

シモンの悔い改め、人類の敵にされなかった私

私は心を尽くしてあなたに感謝します。
天使たちの前であなたをほめ歌います。
私はあなたの聖なる宮に向ってひれ伏し、
あなたの恵みとまことをあなたの御名に感謝します。
あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、
あなたのみことばを高くあげられたからです。
私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。
詩篇138:1~3
☆おはよう、新しい一週間の始まりの朝です。
今朝は、『使徒の働き』の8章と9章を読みました。
ついにサウロが登場し、シモンという魔術師のことがあり、ピリポとアナニアの忠実な働きがあって、バルナバの友情と、ペテロが人々を癒す話。
わずか2章なのに、てんこ盛り。
今朝の私にはたくさんすぎるので、ここでやめました。
心に響いたのは、ペテロの魔術師シモンへの「あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。」ということば。
洗礼を受けて、クリスチャンになったシモンが、その後、もう一度、悔い改めて赦されたと信じたいと思う。
☆昨日、血肉について、とんだとんちんかんちんな誤解をしていたということを書きました。
でも、心のどこかでは、それがなんとなく、わかっていた気もします。
自分自身が、捕われの身の立場を経験して、そこから解放されたことがあるなら、誰にだってわかることなのかもしれません。
囚われた私は、「ただの苦しい人」だったから、そんな私を誰かが「人類の敵」のように言えば、それはそーとー驚きます。
私なんて、1日に何度も囚われているから、とっくに死刑だと思う。
でも、私が処刑されていないのは、人々が「血肉:人」と知っていたからなのよね。
よかった。








Sunday, February 9, 2014

血肉とお兄ちゃんとじょえるのこと

彼らをこの世からとり去ってくださるようにというのはなく、
悪い者から守ってくださるようにお願いします。
わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
真理によって彼らを聖め別ってください。
あなたのみことばは真理です。
ヨハネ17:15~17
☆今日は、悪い者とは、血肉のものではなく、血肉とは人っていう話を聞きました。
エペソの6の12ってそういう意味だったのね・・・。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たちって、てっきり血肉、つまり体をはって、相手をパンチやキックで打ち倒すのではなく、主権や力、つまり頭を使って闘いなさいってそういうことだとばかり思っていました。
自分のとんちんかんちんぶりを発見して、今日もまたひとつおりこうになる私。
知らないことがたくさんあるから、毎日大忙しです。
でも、今日得たこの、新しいインフォメーションは、私の霊的生活を根底から変えてくれるかもしれない、大きな収穫です。
愛すべき対象と、憎むべき対象を取り違えていたとしたら、とんでもなく、大きな大きなパラダムの転換が必要というもの。
それがどういうことなのかは、たくさんある通勤の時間にじっくりと考えることにします。
☆さっき、父と母と、それからお兄ちゃんとお兄ちゃんの奥さんのけいこさんとスカイプでお話しました。
なんともう一度、科学治療を受けるとのことで、ちょっとどっきりです。
でもお兄ちゃん曰く、それは昨年末に受けた治療を確実なものにするためのもので、期間も短く、治療も軽いとのこと。
これを乗り越えればひと段落が終わると信じ、安心して祈り続けることにします。
どうそ、そのように共に祈っていただけるとうれしいです。
賢人もウィンター・ビジョンで叔父の病気についてシェアし、メールやテキストで報告をしているようなので、賢人にも同じように伝えて、彼の祈りのパートナーたちにも祈ってもらうことにします。
☆じょえるが来てから、はなはとても幸せ。
ピアノの練習も、宿題も、テレビを見るのもふたりでいつもべったりと仲良しです。
じょえるって不思議な子。
食べ物にあまり関心がなく、イタズラもなく、おもらしなんて全くないのに、ものすごい遊び好き。
遊びはじめると、いつまで、いつまでも、激しく遊び続け、そして、はなが飽きると、すっとじょえるも覚め、はなの足もとに座って、くつろいでいる。








とんちんかんちん

ステパノは主を呼んで、こう言った。
「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
使徒7:59
ペテロもかっこいいけど、ステパノも凄まじくかっこいい。
使徒の働きを読みながら、十二使徒ってペテロの他にだれがいたっけえっとえっと、って思いながら、名前を12人挙げられないことに気づきました。
まず、ペテロでしょ、マタイでしょ、ヤコブ、ヨハネ、トマスという名前もあったはず。
それから昨日読んだ、最後に加えられたマッテヤ。
マルコとかルカは違うよね、えっと他は誰がいたっけ・・・・。
うっ、6人しかでてきません。
こんなことじゃ、この血の滲むような伝道に命を賭けた使徒たちに申し訳ないと思いあわてて、調べしました。
ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、ピリポ、ナタナエル、トマス、マタイ、もひとりのヤコブ、イスカリオテじゃないユダ、そして、何を調べても最後はユダって出てくるけど、使徒の働きではマッテヤ、以上12人。
先週ののメッセージで「イエス・キリストはイエスがファースト・ネームでキリストがラスト・ネームじゃないですよ」ってジョークがあって、みんな笑っていたけど、私は、てっきりそうだとばかり思っていたし。
知らないことが一杯あるって、子どものように楽しいことだけど、時々すごくずれてて自分でもびっくりします。
あまりにも大きくずれててそのずれが364度の時なんて、あと1度で正解だったりして、おしいなんて、思っちゃうほどです。
そんな自分が別にはずかしくないところが、これまたびっくりなんだけどね。

Saturday, February 8, 2014

スヌーピーは友達

どんな週末をおすごしですか?
私は、相変わらず、怒ったり、泣いたり、笑ったり、忙しくすごしています。
しばらく前に、そんな日々を書いているのを読んだ人に、「マキサン、ダイジョウブ?」って言われ、それ以来、心配をかけないようにと気をつけていたけど、(怒ったり、泣いたり、笑ったりしないようにじゃなくて、書きすぎないようにと)実は、それには皮肉な軽蔑がこめられていたことに、これまたしばらくたって気づいてからは、再びあっけらか~んと書くことにしています。
私が、チャールズ・シュルツの描く漫画が大好きなのは、そんな人生の複雑さ、人の義の矛盾が、もっともっとおもしろく、もっともっとあっけらか~んと描かれているから。
そんな中でも、やっぱりスヌーピーがすき。
彼の趣味は変装、そして閉所恐怖症。
私も実は変装、嫌いじゃない。
そんでもって、エレベーターがちょっと苦手。
そして、変に本物志向、こだわり屋。
ああ、この犬こそ、まさに私のライバル、私の友達。
ごろんと横になって、漫画をおなかにおき、くくくと静かに笑いをかみころす、土曜日の午後。ああ、しあわせ。






最善がいいにきまっている

Rolling Hills road の、はなが小さい頃に、よく、かりんちゃんや駿くんと遊んだ思い出の公園を、ひんやりと気持ちのよい風の吹く中、一人でくるっと歩いてみました。
歩きながら、神さまに、どうかあなたの平安を与えてくださいと祈りました。
固定遊具で遊ぶ幼い子どもたちをあたたかなまなざしに見つめるかつての私たちの横をすぎ、芝生に座って子どもたちの野球を応援する親たちの横を通りながら、空を飛ぶ鳥も、木にかけ登るりすも、芝生の中にむりやり咲くたんぽぽをも養っておられる神さまのことを考えました。
そして、神の最善の中にいるという自覚を私にくださいと、続けて祈りました。
角を曲がって、もうひとつ曲がって、そしてクルマに戻って、夫と話ました。
夫の話に全くイメージがわかず、(たぶん、それは私の方向音痴と深く関連していて)うんざりしそうになったけれど、聖霊さまに助けられて話をじっと聞いていたら、単なる模様の連続だった絵が3Dの絵として何かが見えてくるように、急にイメージがわいてきました。
話の結論がどこにあるのかもわからないまま、ただ、主の御心がひとつ、私と夫の間で成ったと感じました。
この会話までの、道のりのなんと、長かったこと。
そして、それぞれ2台に別れて、家に向う途中、もう一度祈りました。
私は長い月日をかけて最善でないことを必死に願い、求め、祈り続けてきたのかもしれません。
備えられたひとつの道へと神が私を導く時、それ以外の私の願いは、全て、あらゆる方法で閉じられるとしたら、それほど幸せなことはないなっと思いました。
だって、間違いようがないんだもの。
願いのための努力が全て徒労に終わったとしても、どんなに時間がかかったとしてもも、最善に越したことはありません。
だって、最善なんだもの。いぇい。



がんばって、ペテロ

ですから、イスラエルのすべての人々は、
このことをはっきりと知らなければなりません。
すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、
あなたがたは十字架につけたのです。
使徒の働き2:36
今朝から、『使徒の働き』にはいります。
背中をぴっと伸ばして、気になる節は、2度も3度も読み返しながら、どきどきしながら丁寧に読みすすめます。
真新しく改まった気持ちで読み始めたのに、1章の最後の節で、12人目の使徒をくじでえらぶところで、がくっとなっちゃった。
長い長い会議の末の、大勢で選ぶ選挙ではなく、くじなのね。
いいね~、くじ。
私も、よくやる、二者択一法なので、すごくうれしく思い、「がんばってね、マッテヤ」って心の中で激励します。
それからしばらく続く、ペテロのメッセージに聞き入りました。
聖霊を受けたペテロって、めちゃかっこいい。
旧約聖書の中の長いみことばを、ここぞのタイミングですらすら引用しながら、まっすぐに、自信をもって語るペテロの言葉を、今度は、私が引用させてもらいたいって思う。
ペテロの暗い過去に、共通の痛みのある私は、ここでも、「がんばれ、ペテロ」と心の中でエールを送ります。
何度も読んできたような気がする『使徒の働き』なのに、初めて読むように新鮮なのは、なぜだろう。
私の新改訳聖書はここから、残り10ミリほどです。
大切なこと、神さまが私に知ってほしいと望んでおられることを、受け取ることができますようにと祈りつつ、楽しみに読みすすめます。


Friday, February 7, 2014

年寄りの満足とぼやき

金曜日の夜です。
しんみりと、充実感に浸っております。
よくやったわって、自分でも思います。
っていうか、よくやったなんて誰もも思ってくれないだろうけど、自分ではそう思います・・・。
たぶん、そこが私の致命的な甘さなのだろうけどね。
まあ、いいわ。
今夜はそう、思わせてくださいな。
木曜日、アフター・キンダークラスの時の教室のテーブルの真上から超・冷たい風が降り注ぎ、ああ、もうだめ、もうがまんできないっと思って、またまたこっそり、空調の温度設定を確かめに行ったら、やはり、全く同じ設定だったので、間違いでも偶然でもなく、きまりの数字なのだと思って、くらくらしながら、教室に戻ってきました。
もう、そのあたりから、すっかり自信をなくして体調不良に全面的に屈してしまった私。
一体、どうしちゃたのかしらっと思うけど、深く考えないことにします。
年だしね。
仕方ありません。
体の好みでない状況に自分を慣らせる努力をするには、すっかり体が年をとりすぎてしまいました。

Thursday, February 6, 2014

うれしい日~はなの親でいられた日

☆ただいま~、こんなにちっちゃくて古い家だけど、やっぱりおうちはいいわ。
風邪の具合は一向によくならず、それどころかどんどん悪くなるばかりで、へろへろしっちゃっているから、なおのことそう思うね、きっと。
帰りのクルマの中で電話のメッセージを聞いていたら、ゆりかさんから「アーメンよ!」という昨日の記事に対する応答が入っていて、それを聞いて少し元気になりました。
☆はなの母親としての責任を、四方八方からやさしく分担してもらっている私。
学校への送りは夫に、お迎えは夫と賢人に、ピアノの練習はもうひとりの先生と賢人に、宿題は賢人に、夕ごはんは、夫と街の気軽な持ち帰りのお店に。
でも、絶対に誰にも代われないシゴトがある。
祈ること。
お風呂にいれて、髪と体を洗ってあげること。
今日は、その両方が完璧にできた日。
うれしい日。

Wednesday, February 5, 2014

寒い日・正露丸のような私・美しすぎる橋

☆今日も寒い1日でした。
教室の外に出ると、冷気が吹いていないことにとほっとし、園舎を出ると、さんさんと降り注ぐあったかなおひさまのひかりに、固くちじこまった体がゆるゆると解けてゆくのがわかります。
今朝ちらっと、エアコンの温度を見たら、目標が71度に設定されていて、実際の室温は72度でした。
誰がなんのために、こんなに低く設定しているのかは不明です。
☆今日帰りのクルマの中で、キリストの栄光の前に、正露丸のような黒い粒の私がいて、その私がチョコレートのように焦げて、そしてきれいに燃えてなくなるイメージの白昼夢を見ました。
あまりにも、よくできた4秒ぐらいの動画の白昼夢だったので、思わず、何度も回想してしまいました。
そんな私なのに、祈ったり、礼拝したり、賛美したりさせてもらえるって、どういうこと?すごくない?
アーメンって言ってくれるあなたに、今すぐ会って、むぎゅうううううう~と無言でハグしたい。
☆昨日とおとといの記事に夜の Vincent Tomas Bridge の写真を載せて眺めて、きれいな橋だなって思う。
でも、実際はもっともっときれい。
大きなコンテナ船や、中ぐらいの客船や、小さな船が動いているから、毎日違うふうに見えるし、月の大きさにや高さによって、港の明かりのひかりぐあいも違って、一度として同じ夜がない、本当にきれいな橋なのです。

Tuesday, February 4, 2014

愛されているはな

今日は、1日中、はなの新しいピアノレッスンのことを考えながらすごしました。
昨日から、楽譜をコピーしたり、それを綴じたり、先生にお手紙を書いたり、いろいろ準備して
今日の初めてレッスンに臨んだわけだけど、結果はとてもよい感触です。
まず、はなはレッスンがとても楽しく、先生も大好きって言ってくれました。
そして先生は私がコピーした6つの曲を全て、聴いてくれて、そして、レッスンの内容を私のためにノートにしてくれていました。
すごくうれしい・・・。
Vincent Tomas bridge
この橋を向こう側からはなを迎えに走ります
胸がじ~んと感動と感謝で一杯になりました。
他に先生がいて、すでにレッスンと取っていて、そこでいただく曲を教えてほしいのだけど、大丈夫でしょうかと先に聞いていたものの、実は、先生ご本人はそんなのはイヤではないのだろうかと半信半疑でいたのです・・・。
神さまは、私のために、要所要所に、助け人を備えてくださっています。
でも、それは、私のためではなく、おそらくはなのためなのでしょう。
怒れてばかりいた一般のパブリックの学校ですごしたキンダーの1年を思い出すたびに、そこからはなを出して今の学校に入れてくださったことを感謝せずにはいられず、祈りはきかれたというよりは、はなは愛されているなって思うのです。
娘が神から愛されていることを知るたびに、母は1日もはやく、この子がクリスチャンとなってくれることを願ってやみません。
はなは自慢じゃないけど、生まれっぱなしの超・野生児、おそらく彼女にとってイエスさまは、人類の救い主であって、彼女の罪のために死なれたなんて、絶対に考えたこともないと思います。はい・・・。

光る迷子

寒い、寒いと思っていたら、どうやら風邪をひいてしまっていたようでした。
でも、大丈夫。
それほどひどくありません。
喉が痛くて、咳が出るていど。
日曜日に、道に迷って迷子になって失ってきた時間を、これからはなるべく迷子にならないようになって、迷ってきたその時間を、本当の意味での迷子の人、魂の迷子者のために使える人になりたりって書いたでしょ。
昨日の朝、クルマの中で、そうお祈りして、道行くドライバーたちを何気なくみていたら、「迷子になった場所で光りなさい」とお話しされた気がしたのです。
不思議な啓示です。
それって、私の方向感覚障害は、地図広げて、事前にいろんな地理、位置関係を頭に入れて、なるべくGPSに頼らないようにがんばっても、癒えないっていうか、改善されない弱さってことなのかなって、思うと、ちょっとほっとしたというか・・・。
まあ、このオンナ心も複雑よね。
癒えたくないわけじゃないけど、「それはたぶんムリ」って心のどこかでちゃんとわかっているのです。
昨日も、ビンセント・トーマスブリッジの手前で、すごい渋滞に閉じ込められ、はなのお迎えを夫に代わってもらえて、セーフだったけど、すごくあせりました。
ブリッジは青いきれいなライトで飾られていて、家から見えるので、電話で賢人に見てもらったら、クルマのヘッドライトは、サンペドロに方面に向けて、すらすらと流れていると言われ、全く何が起こったのかわからず、30分ほど、閉じ込められていました。
方向が分かっていて、家の近くでも、違う道を使うことのできない私は、やっぱり、そういう弱さを最初から、この身体に持って生まれているといしか思えないのよね、ど~にも、こ~にも。



Sunday, February 2, 2014

寒い週末、でも心はぽかぽか、そして幸せ

寒い週末だったね。
私は、寒がりのくせに、こんな冬のどんよりと曇った日が大好き。
これで霧雨なんて降っちゃったら、もう、気分はヨーロッパです。
気分だけね。
実際は分厚い靴下をはいて、切っておなべにいれるだけの簡単なお料理を作って、後は、本を抱えて、例えそこがヨーロッパであっても中国であっても関係ないほどに、お話の世界にのめりこんでいるのだけどね。
昨日はおでん、今日はチキン・チャウダー、そして読み物はC.S.ルイスとチャールズ・シュルツ。
C.S.ルイスの意味深い児童書を読みふけるとか、チャールズ・シュルツの単純で短く、でも意味深い漫画をパラパラめくっるって、とっても非現実で幸せな時間です。
幸せの鍵となっているのは『簡単+意味深い』、これ最高。
今日は、ゆうこさんと礼拝の後に、ひさしぶりにゆっくりおしゃべりをしました。
礼拝の後の短いささやかなフェロー・シップにも関わらず、なぜか周りの人の声も動きもないかのごとく、ふたりだけの世界でした。
そして、彼女の母として妻としての祝福と証に、心がぽかぽかと温まり、よ~し私もがんばるぞ~と励まされました。

知りたい

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、
あなたを遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
ヨハネ17:3


なんでもかんでもは、知らなくてもいい。
ただ、キリスト・イエスを深く知る者になりたい。
私は、知るって変ることだと思う。
知っても変らないのなら、知る前以上のことは知っていない気がするのです。
聖書や、本をパタンと閉じて、「そおか、そおか、そお~なんだ。」って思っても、人はなかなか変れないわけで、「そおか、そおか、そお~なんだ。だったらこっちね。」って選んで歩いて、転んで、起こされて、登って、落ちて、引き上げられて、そんでもって、もう少し進んで。
そうやって、ようやく、ちょびっとづつ変ってこれた私。
何度も行っているのに、GPSを使ってしか行けない場所というのがあります。
ある時、何度行ったところで、ここに自分で「行く」という経験をしていないのだと気づいたことがありました。
そして、私は帰りはあまりGPSを使わないという奇妙に矛盾した方向感覚障害者なのだけど、それは、どこに行っても最後は必ず帰ってきた家なので、ある程度の経験で、その方向を知っているのだと思います。
知るって経験すること。
経験するって変ること。
私は今まで、迷子者として、費やしてきた時間について考えてみたことはないけれど、もし変れるのなら、将来、迷子者として費やす時間を、キリスト・イエスを知らずに迷子になっている本当の迷子者のために使える人間に変りたい・・・。
なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。
『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。
あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』
使徒の働き13:47


Saturday, February 1, 2014

健康の秘訣

ビーチに行くと、必ず気持ちがリフレッシュされるのは、なぜだろう。
朝のビーチの心地よく冷たい空気をすってはいて、そして、賢人によい波を造ってくださいと小さく祈って彼と別れる頃には、私の人生ってそれほどわるくないって思えちゃうから不思議です。
LAダウンタウンのリトル東京は今日はすごいクルマ、すごい人。
待ち合わせのお店のパーキングが一杯でブロックをぐるぐるしてしまいました。
なんで、こんなに混雑しているのかしら?
おとなりのヨーグルトのお店で、
お年玉を使ってデザートを買いました
「チャイニーズ・ニューイヤーだったからね、おーるもすと・せいむでしょ、チャイニーズもジャパニーズも」と言うとトレシーは、「全然違うと思うわ」って本気でむっとしていました。
トレーシーのかわいい反応に、はなと二人で大笑い。
こういうジョークが通じないとこ、賢人も同じ。
お店もすごい混雑で、トイレもすごい行列で、男トイレを借りちゃったって言うと、これまた、「メンズ・ルームはいつだって、汚いのによくつかえたわね。私はネバーそんなことしたことない。」っていうその反応に、これまたはなと大笑い。
じゃなんで、汚いなんてわかるのさっなんてけっしてつっこまず、笑って包む既婚者の私。
もお、ずっと笑い続けていました。
そして、ぎゅっとハグして、お互いの夏のために祈り合うことを約束して別れました。
私の健康の秘訣は睡眠と栄養、そしてこのたわいもない笑い。
大笑い。
ばかわらい。

井戸の底の眠り・夏休みの相談

おはよう。
夕べは、泥のように疲れ果てて、ベッドに沈み込み、いつとも知れず、深く深く眠ったようです。
起きたら、今はいつ?ここはどこ?という、私によくある、軽い記憶喪失になっておりました。
昨日は通いなれたピアノの先生のお宅から帰ってくるのに、間違えて405をさらに北に向かってしまって、しばらく渋滞のなかをとろとろと進み、ようやく間違いに気づき、もう一度、もっとすごい渋滞の中に入り直して、帰ってきました。
顔も洗わず、誰とも口をきかず、まるで井戸の底にいるかのように、集中して寝ました。
起きて、軽い記憶喪失が癒えると、まず、一杯の眠りを心から感謝しました。
私は3度のメシより寝るのが好きな女なので、不眠の苦しみを知らないことを、どんな時にも、神さまに感謝しなければならないと思います。
眠りを取りあげられたらさっさと信仰を捨てそうな私の弱さを、神さまはよくご存知なのです。
今日は、賢人の朝のビーチの後、ははとLAダウンタウンの本屋さんをあちこち散策して、午後からひさしぶりにトレーシーに会いに行きます。
トレーシーは、この夏、私に一緒にミッション・トリップに行こうって言っていて、でも、私はこの夏こそ、この国の、この州の、この街のホームレスのために何かしたいと思っているので、お互いに情報交換です。
外はとてもよいお天気です。
昨日ほどは寒くもなさそうだし。
今日もよい日でありますように。