Thursday, November 30, 2017

新しいゴール

子どもたちは、私たちが勝手に定めたゴールに向かってものすごくがんばっている。
みんなで声を合わせて言う難しい台詞が4つもあって、あとはひとりひとりで自分の台詞を言わなくてはならない。
地味な歌もいっぱい。
少なく見積もっても、パターンのある一般の物語を演じるわけではない分、相当がんばっている。
だからこそ、そのがんばる喜びを教える集団で、集団の努力を見せたかった・・・。
良いチーム・ビルディングにもなると思った。
でも、きれいさっぱり、くっきり、きっぱりあきらめた。
それでも、あきらめないのは、そんながんばる子どもたちに向かって、真剣に仕事をすること。
がんばる自分を見せ続けること。

残念な日

昨日と打って変わって、今日はとっても残念な日。
人の心の、気もちの、思いの、なんと儚く、いい加減なことよ・・・。
あまりの全員一致のめんどくさがりぶりに、私も、なんだか力が抜けちゃった。
私、ここではそれでちょうど良いのかもしれない。
うすうす、もしかしてそうかもって疑ってはいたけれど、今日、ついに(おそっ)それを悟ってしまった。
誰ひとり、「やってみよう」と言わないことは、私もやりたくない。

Wednesday, November 29, 2017

感謝=満足:満足=感謝

★私、もしかして、ある一線を越えて、おばあちゃんになったのかもしれない。
それとも、クリスチャンとして、ちょっとは成長したのかしらん。
いえいえ、クリスチャンの長に祈られているから?
どもかく、忍耐という御霊の実が与えられ、子どもの様子がどんなでも、楽しく仕事ができるように変えられた。
それは、とってもハレルヤです。〈我が家でも妻として親として、その忍耐が欲しいところですが、ははは、それはまだまだです・・・)
★家族で、私ひとり、まだ、毎日ターキーだけを食べています。
主に、スープとサラダで。
でも不思議とちっともあきません。
スープは、トマト味、塩味、醤油味、豆乳味、いろいろな味で、いろいろな野菜を刻んで毎日、ターキー。
そして、サラダは、ほとんど毎日そのまんまをのせて。
家族はそれプラス、それ以外のSomething。
でも私は、それだけもとっても満足なのよね。
不思議だけど・・・。

扇方の幸せ

今日もと~ても良い日だった。
左は1代目幼稚園カップ、右は2代目
これ、偶然親子からのギフト
子どもたちが、かわいくてかわいくて、尊くて尊くて、愛おしくて愛おしくて、たまらない。
だからこの仕事をずっと続けているわけだけど、本当に今年は特別かもしません。
私は相変わらずな真剣勝負でマジな仕事でぎゅぎゅっとがんばっているわけだけど、なぜか、全然伝わっていなくても、わからんちんでも、毎日、前に進んでいる感じがして、大満足。
前に進みながら太くなる感じ。
未来を切り開きながら広くなる感じ。
夢に近づきながら硬くなる感じ。

朝ごとに 11・29

人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない。
レビ記 19:16
人の悪口を言う者は三重の毒を流す。
悪口を言う者と、聞く者、話題に上っている者を害するからである。
その悪口が真実であるかどうかにかかわりなく、私たちはみことばによって、それを禁じられている。
主の民の名声は非常に尊いものである。
私たちは悪魔を助けて教会を辱しめ、主の御名を汚さないように心しなければならない。
ノアの賢い息子たちは、裸の父に着物をかけた。
そして、父の裸を暴露した子どもは恐ろしいのろいを受けた。
私たち自身この暗黒の時代に住んで、自分たち兄弟が寛容であり、沈黙を守ってくれることを望んでいる。
私たちも喜んで、今それを必要とする者に同様の態度をとろうではないか。
人の悪を語るな。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
土曜日にファーマーズマーケットで見たお菓子
この教えに、ノアの子どもたちの振る舞いとその結果が見せられると、とてもよくわかった気もちになれる。
なるほど。
裸の父に着物をかけてあげるあの感じかあ。
でも、私の問題は、暴露する人を嫌悪する気もちにもあるのです。ジッサイ。
ややこしい罪人な私・・・。
それを言い表すこと、書き表すこともまた、悪口。
暴露した人以上に複雑にたくさんの毒を流す罪かもしれない。
それにも、そっとブランケットをかけて、自分の仕事に集中せよと。
そういうことだ。
がんばろ、やること一杯あるし。

Tuesday, November 28, 2017

恵みのクラス

★電話を幼稚園に忘れてきてしまいました。
よくあるんだけどね。
でも、なんとなく、ここに書いておいたら、親しい人たちが、「そっか」って思うかもしれないと思って。
何が「そっか」なのよって、聞かれても困っちゃうけれど。
★とても良い日だった。
私の励ましはやっぱり子どもたち。
こんな風に子どもたちとぐぐっと深く切り込んだ活動できることは、本当に神さまの恵みです。
この7年、たくさんの子どもたちと出会ってきたけれど、こんなクラスはなかった。
そして、8年前、9年前はあったことをゆっくりと思い出しました。
小さなクラスです。
わずか10人。
帰国の子がいるからもうすぐ9人。
でも、祈られているクラス。
むくむくっと濃く、ぐりぐりっと深く、そしてぎゅぎゅと仲良し。
忘れ難いクラスっていうのがあるけれど、本当のおばあちゃんになった日、後ろを振り向いた時、このクラス、まさにきっと、そのナンバー1になりそう・・・。

朝ごとに 11・28

もし私たちが、彼とともに死んだのなか、
彼とともに生きるようになる。
もし耐え忍んでいるなら、
彼とともに治めるようになる。
もし彼を否んだなら、
彼もまた私たちを否まれる。
私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。
彼にはご自身を否むことができないからである。
Ⅱテモテ Ⅱ:11~13
異邦人への使徒パウロは、これらのことばの確実性を証明した。
それは今なお一つたりとも廃ることなく、そのまま受け入れるに足るものである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
旧約のことばではなく、新約聖書の中のパウロのことばであることを思えば、その重みがありがたい。
私は、耐え忍ぶような迫害には今だかつて一度もあったことはありません。
いつだって、キリストは、キリスト者という私の身分は、私を守ってきた。
でも、もし、いつか、そんな苦しいところに立つ日が来たら、パウロのこのことばを思い出そう。

Monday, November 27, 2017

主の霊

★大きな主の愛と、温かな人々の親切に包まれた一日が今、暮れようとしています。
はっぴー・まんでー。
どんな週明けをお迎えでしょうか。
私のは、なかなか悪いくない。
いえ、実はとても良かった。
★4日も泳がずにいたのは、6月から初めてです。
4日間泳がずにいたら、もう泳ぎたい気もちがすっかり消えてなくなっていたかのように感じたけど、「感じ」は信じない主義(と書いてクリスチャンと読む)なので、えいって、冷たいプールに飛び込んだら、やっぱり、それは、何物にも変え難い、豊かなデボーションとなりました。
4日分の聖霊の祈りがやっと祈れて、身体は軽くなり、心は満たされた。
★10月の第3の週以来、教会での奏楽奉仕をお休みしていたけれど、12月の第1の週と3の週に奉仕が入りました。
このまま、閉じられるものとばかり思っていたので、このことにどんな意味があるのか静かに祈りながら様子を見守っています。
このことにも、きっと聖霊の答えがある気がするのです。
5週間分の聖霊の賛美が聴こえてきたらいいな。




朝ごとに 11・27

万軍の主はこう仰せられる。
「もし、あなたがわたしの道に歩み、
わたしの戒めを守るなら、
あなたはまた、
わたしの宮を治め、
わたしの庭を守るようになる。」
ゼカリカ 3:7



Sunday, November 26, 2017

ありがとう2


ありがとう


はろー・52

幼稚園への気持ち、
苦情、要望を受け賜ることは、私の仕事だろうか
Yes, そうかもしれない
でも願わくは、
週末は、
我が家は、
今日は、
避けたかった
はろー・52

ままあ!

ままあ!
おたんじょうび、おめでと~
欲しかったの ジュエリーのアパート
クローゼットの壁に固定できるの!
 きゃああああ~
かいわいいいいいいい!
色といい、形といい、
かわいいもの好きな私のツボをしっかりと押さえている
さすがは娘
(買ったのは夫)

今日の仕事を明日してはならない理由

おはよう。
感謝祭の休暇、いかがおすごしでしょうか。
私は、のんびりしています。
おでかけもしたけれど、運転は夫と賢人がしてくれて、私は、ただ、気楽に連れて行ってくれるところで、見るもの聞くもの食べるものを楽しみました。
今、LA でもしかしたら、一番ホットかもしれない、メルローズ・アベニューの壁画ツアーなるものも体験してとっても楽しかった。
普段は、すごい列らしいけれど、夫が空いている時間に連れて行ってくれて、目の前に車から降ろしてくれて、目の前で車に乗せてくれたので、たくさんの壁画を見ることができました。
要領がわかったので、今度ははなと、ちゃんとしたカメラを持って、のんびり端から端まで歩いてみたいです。
賢人をまるで家族の一員のように扱う親戚一家(!)に、夫も私も感謝を通りこした不思議な思いに包まれてしまいました。
あの子の良さを、あの子が愛すべき尊い子であるこの気もちを、夫と私以外にも知っていて、思っている人が私たち以外にもいるということが、なんだか、とても不思議な感じ。
これは昨日ファーマーズマーケットで見た本
こういう本を街の本屋でバーゲンの棚から探すのが楽しい
このことへの感動は、一度には書ききれない。
これから少しづつ書いていきます。
さて、今日ははなが本屋さんに行きたいと言うので、礼拝の後はお買い物。
私もその本屋は大すき。
バーゲンの料理やインテリアの中に、時々すごい掘り出し物があるの。
そこから拾いあげた本が、私の本棚に数冊あります。
週末の朝に、パラパラめくっていて、いろんな新しいことを思いついて、それが実現しているの。
だから、週末に洗濯ためちゃだめって、そういうことなのです。

朝ごとに 11・26

あなたの手もとにあるなすべきことはみな、
自分の力でしなさい。
伝道者 9:10
私たちは新しい機会を待ったり、他の仕事を求めたりせず、ただ日々私たちのなしえる仕事をしようではないか。
私たちは今、ただ一つの時の中を生きている。
私たちは現在以外のいかなる時ももつことはできない。
だから、あなたの経験が熟するのを待ってから、神に仕えようなどと考えてはならない。
今、実を結ぶように努めよ。
今、神に仕えよ。
あなたのわざを速やかになせ。
明日の仕事を思い煩って、人生をむだに費やすな。
今日の怠慢を明日の仕事で償おうなどと考えてはならない。
翌日行って神に仕えた者は一人もいない。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」
これは、まさに、私が提唱(!)している「週末を待ちわびない生き方」だ。
どこかで、何かがぐぐっと私の心を掴むメッセージだといつも思っていたけど、こんな風にあからさまに、その理由がわかってしまうと、それは、もう他人ではなく師です。
スポルジョンは平たいコトバで言うなら「洗濯物をためるな」とそう言っているのです。
洗濯物をためないなら、必ず、いるべき場所に、やるべき仕事に、主、ご自身が私を連れて行ってくれる。
大きくなったら、お嫁さんになりたいと夢見たことを忘れてはならない。
夢は主によって実現したのだから、お洗濯を楽しまなければ。
そうしていれば、次に行くべきところ、やるべきことが、自分が願っている以上の形で実現していくから。

Saturday, November 25, 2017

Hi 4


Hi 3



Hi 2


Hi



親戚がやってきた

今日は、この2ヶ月ほど、毎朝、プールで祈り続けた特別な日。
日本から親戚が来ます。あじゃなくて、お客さまをお迎えします。
でも、プールでは、毎朝のように、私たちの家族と彼らとを、本当の親戚のように親密で愛で結ばれた関係としてくださり、感謝しますって、祈ってきました。
だから気分は「お客さまを迎える」ではなく、「親戚が遊びにきた」です。
たぶん、「おはようスポルジョン」が始まって以来始めてだと思うけど、家族総出でお迎えします。
夫は、今日の日を、数週間も前から空けて、万全の体制です。
5人家族プラス4人家族の9人の大所帯なので、車は2台。
女子チーム5人、男子チーム4人で分かれるか、親チーム4人と子どもチーム5人で分かれるか、話し合って決めようと思います。
ではでは、LA 市内観光に行ってきま~す。

運命の出会い

昨日、どさくさに紛れて(なんのどさくさかは自分でも不明)発作的に買ってしまった、エスプレッソ・マシーンが、もんのすごいヒットだった。
本当に。
お湯に圧力をかけながら蒸気で蒸し出す簡単な仕掛けの昔ながらのエスプレッソ・マシーンなのだけど、なぜか、今まで、今朝まで、「苦いコーヒーを作る道具」という固定観念があって、試してみようという気になれませんでした。
それが、昨日、あまりのかわいい色とデザインと安さに、おいしくできなければキッチンの飾りにしようと買ったのでした。
運命の出会いって、こんな感じね、いつも・・・。
素晴らしくおいしいコーヒーができてしまって、びっくり仰天です。
私はただただフレッシュなコーヒーを所望する、別にコーヒー愛好家でもなんでありません。
とにかく空気に触れている時間の短いコーヒーが好きというそれだけ。
小さめのパックの豆を買ってきて、飲む分だけを、素早くがりがりやって、素早く落して、冷めないうちに素早く飲むという。
とにかく素早く素早くを心がけてフレッシュを味わって生きてきました。
だから、3杯分とか4杯分とか8杯分とか作のに時間がかかってしまっているコーヒーは水道水を飲むより苦手なのです。
一番小さなコーヒーメーカーでさえ、2杯目はガラスのポットにためておくとどんどん苦く酸っぱく、そして熱くなってゆく。
焚いている感が拭えません。
ところがこのマシーンには空気の入る余地がないのだ!
そして、2杯目も1杯目と変わらぬおいしさ、温かさ(素早く飲むのが私流)
あの一杯づつおいしく作れる、コーヒーメーカーに憧れていたけれど、私のキッチンはとても小さく、古いし、似合わないから、よそのおうちで使わせてもらうお楽しみだった。
こんな風なおいしいコーヒーとの出会いが待っていたなんて・・・。
神さま、心からありがとう。

朝ごとに 11・25

わたしの上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油をそそがれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕らわれ人には赦免を、
盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。
ルカ 4;18
捕らわれ人を解放できる者は、イエスのほかにない。
真の自由は主によってのみもたらされる。
それは高い価によって買われた自由である。
あなたが自由にされたのは、主が拘束され、苦しまれたからである。
身も心も軽くなったのは、主が代わって重荷を負われたからである。
イエスの与えられる自由は永久不変であり、どのような鎖によっても私たちを再び縛ることはできない。
主なる方が私に「捕らわれ人よ、あなたを解放する」と言われると、永遠にそうなのである。
私たちの偽りに満ちた心は、私たちを苦しめ悩ますかもしれない。
しかし、私たちのうちに良いわざを始められた方は、そのわざを継続しまた完成される。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
ルカの4章にはふたり(?)の悪魔が出てきます。
6節のおなかがすいて疲れたイエスさまを誘惑する悪魔は、すごい嘘つきです。
33節の人を狂わせたいた悪魔は、すごい正直です。
共に悪魔の正体です。
すごい嘘つきですごい正直な悪魔。
クリスチャン以上にイエスキリストにくわしい悪魔。
スポルジョンの言うところの「私たちを苦しめ悩ます」心はきっと、人にはよくわからない霊の世界の闘いなのだと思う。
肉体の中に生きる以上、それはよくわからなくも当然と開き直り、昨日のイザヤの33章のように、岩の上の要害に住む人になりたいです。

Friday, November 24, 2017

最近のゲット品

自分の教会が経営するスリフトストアを、
ふらっとのぞくのが最近のお楽しみ
ブランケット 10ドル
OURALEX のグラス ひとつ50セント
新品では決してみたことがない、でも定番
サンドイッチを切るのに買ったナイフ1ドル
ついにサイズ1
でもカバオールで体型もカバー
四角い水ボトル 容量1.5リットル
バックの中で安定するので、水筒として使っている
前のは使い込んで底が変形してしまった
手前は50セントのバターナイフだけど、
ヘアクリームや、肘膝に塗るアーモンドオイルなんかを
プール用に小さい容器に詰め替える時につかう用
これはターゲットで買ったソックス

朝ごとに 11・24

そこには威厳のある主が
私たちとともにおられる。
そこには多くの川があり、広々とした川がある。
櫓をこぐ船もそこを通わず、
大船もそこを通らない。
イザヤ 33:21
あなたはいのちのパンを求めるか。
それは天からマナのように降る。
あなたは自分を力づける流れがほしいか。
水のほとばしり出る岩であるキリストがあなたを伴ってくださる。
悪魔はこの流れを変えようとしてどれほど心を砕いていることだろう。
しかし、恐れてはならない。
神は永遠に不変であられるからである。
サタンは私たちを悩ますかもしれないが、私たちを滅ぼすことはできない。
敵の軍船はこの川を航行することはできないからである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
イザヤの33章の全てを、じっくりと2回読みました。
最初の20節を読まないことには、よくわからない、21節だと思います。
14節から16節までが、深く心に届きました。
「私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられよう。
私たちのうちだれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。」
正義を行う者、まっすぐに語る者、強奪による利得を退ける者、手を振ってわいろを取らない者、耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、目を閉じて悪いことを見ない者、このような人は、高いところに住み、そのとりでは岩の上の要害である。
見ためやカロリーはともかく、
一生懸命に働いて得た、神さまの恵みのごちそう
ターキーのまわりは醤油味の世にもおいしい自慢のソース
彼のパンは与えられ、その水は確保される。
ペルシャだったかな、無理矢理留学させられた、美貌のベジタリアンのダニエルを思わせる御言葉です。(調べたらバビロンだった)
ダニエルに憧れたことは、一度もありません。
彼は私が憧れるには、あまりもの聖く、正しく、美しく、強く、賢すぎる、高貴なお方、ダニエルさん。
でも、今朝、ここを読んで、憧れるぐらい許していただきたいと思った。
強奪による利得って、実は、そこかしこに普通にあるのかもしれないから。



Thursday, November 23, 2017

ビーチでハッピー・サンクスギビング

真夏のような暑さの異常なお天気のLA。
でも、ターキーは焼かなければならず、オーブンを使って、家の中はもう耐えられない暑さ。
それで、はなと犬のジョエルと3人でビーチへ避難しました。
軽く50パウンドぐらいはありそうな
大きくて元気な3本足のいわんちゃん
みえる?
真っ黒ですごくきれい
飼い主のおじさんもかっこよかった

やけっぱち・ちんちん昼飯

あまりの腹減りに
冷蔵庫の残り物をマイクロ・ウェーブでちんちん
(2回ちんした)
おもいっきりパスタをのせたサラダ&海老グラタン
(勢いはよかったけど、食べ切れず、再び冷蔵庫へ・・・)

失った朝めし

30ドルを超えなければ、「小さい」って自分を納得させて、昨日、すべり込みで買ったターキー。
追加の1合
実は今までの中で一番大きかった。
おこわを2合炊いて、半分をおにぎりにしようと思っていたのに、全てターキーのおなかに納まった。
もち米半分雑穀半分で炊いてみました。
お赤飯みたいな色はそのせいです。
だしは入れたけど、お醤油は、ほんの少しで炊きました。
塩は敵だと、「素顔のダラス」にも書いていた気がするので。
ん?砂糖だっけ。
ううううう~、おなかすいた~。
子どもたちには、スムージーを与えておいて、ひとりでおこわのおにぎりを、かぼちゃのお味噌汁でおいしく食べる予定でいたのに~!
この写真が、恨めしい・・・。
さっきのスムージーの写真も恨めしい・・・・。
ディナーで、詰め物山盛りたべてやる。
(サンクスギビングのディナーに対して、全くふさわしくない貪りの心を丸出しの情けない私)

休日の朝めし

えりさんの「素顔のダラス」https://ameblo.jp/eriotani/の読者としては、休日のお楽しみだったパンケーキはどうもかなり自殺な気もちになってきたので今朝は、スムージーにしてみました。

いちごとバナナヨーグルトと豆乳とはちみつです。
味見をせずに、出したけれど、賢人もはなも喜んで食べてくれました。
私は、生の豆乳の味が苦手なのでパスしたけど、はなは牛乳と同じように、そのまま飲んだり、シリアルにかけて食べてくれるから、冷蔵庫にいつも豆乳があるのは、なんだかいろいろ便利です。
チャウダーに入れ、オムレツに入れ、スムージーに入れ、いろいろ入れ。

謎の足跡の正体

砂粘土の上で戯れる恐竜たち!



朝ごとに 11・23

もし私たちが、
神と交わりがあると言っていながら、
しかもやみの中を歩んでいるなら、
私たちは偽りを言っているのであって、
真理を行ってはいません。
しかし、もし神が光の中におられるように、
私たちも光の中を歩んでいるなら、
私たちは互いに交わりを保ち、
御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
Ⅰヨハネ Ⅰ;6,7
信仰によってキリストに結び合わされた時、私たちキリストとの完全な交わりに入る。
その時、主と私たちの関心事が共通となる。
キリストが愛される者を、私たちもまた愛する。
主は聖徒を愛し、罪人を愛し、また滅びようとするあわれな人類を愛して、この地上が主の花園に変わることを求められる。
私たちもそうである。
主の幸福の中にあって幸福である私たちは、主のあがめられることを喜ぶ。
この世では、キリストの喜びを私たちのうちに満ちあふれさせる以上に、きよく心を感動させる喜びはない。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
昨日、帰り支度を整えて、園舎を出る間際に、お隣の教室(今はちょっと違うけれど)の
子どもたちが作ったなぞの足跡
先生に来週から必要な音楽について、一言声をかけて、CDを手渡して園舎を後にしました。
毎年感謝祭の前日の夕方に小さめのターキーを探して、走り回るという仕事を恒例にしてしまっているので、ちょっと焦っていたけれど、ターキーを無事に手に入れた瞬間、彼女と座って、手をとって祈ってくればよかったと思いました。
今朝、主の聖い光と同労者との交わりは本当に=だと思う。
彼女には、素晴らしい教会があって、そこには責任大きな奉仕があって、そして、主にある聖なる交わりがあります。
そして何よりも成熟大人クリスチャンのご家族の祈りに支えられている。
そんな健康体のクリスチャンの彼女に祈ってもらえばよかったなって。

Wednesday, November 22, 2017

肉体労働は得意だったけれど

いろんな問題や心配ごとを抱えたまま、それでも、感謝な、サンクスギビングを迎えることができました。
本当に感謝です。
何があっても、どんなであろうとも、やっぱり感謝です。
私は、6年間、橋を渡って、遠い街まで働きに行っていました。
今でも、その橋と、隣町への分岐点で、思わず神さまと新しい職場に感謝しています。
この橋は、もう渡らない。
神さまがピリオドを打たれたから。
新しい仕事には、橋を渡るのとは全く違うチャレンジがあったけれど、でも神さまが与えてくださった課題だから、きっと乗り越えらると信じている。
とはいえ、それは超・肉体労働から、超・霊的労働へとの、ものすごい教務の変換なもんだから、あはははは、もう大変。
笑いごっちゃないっす。
早く起きるだけじゃ、すまされない。
急ぐだけじゃ、解決しない。
考えるだけでは、答えは生まれない。
「わからなくなったら、子どもをみつめなさい」とは恩師の言葉だけれど、それだけじゃ、何も見えない、わからない。
本当に新しいチャレンジ。
でも、きっと突破口はある、きっと、必ず、絶対。