Thursday, February 28, 2019

見放されない者

おつかれさま。
長い1日が、今、ようやく暮れようとしています。
とても良い日でした。
やりたかったこと、やれるだけ、精一杯やった。
あっちからもこっちからも、いろいろ押されているけど、でも、いつもたまたま偶然、誰かが私のサイドで、私の痛みを知っている。
それはそれは不思議なほどに、誰かが必ず。
いつも誰かが私を支えてくれている。
ただ通りかかっただけのサマリア人が必ず私の見つけて近づいてくる。
感謝せずにはいられない。
幸せ者です・・・。




ルカの福音書 21章

しかし、あなたがたは、
やがて起ころうとしている
これらすべてのことからのがれ、
人の子の前に立つことができるように、
いつも油断せずに祈っていなさい。
ルカ 21:36
福音書を読みながら、毎朝、キリストに教えられています。
でも、外が明るくなり、昼がきて、そして夜がきて。
再び福音書を開くと、昨日教えてもらったこと、結局実行しなかったなっと毎朝思っている。
プールでたくさんのことを祈り、安心して車に乗り、職場に着き、仕事にとりかかったら最後、私は、一人でがむしゃらになってしまうのです。
それを、「油断」というのだと思う。
子どもを迎える前にワーカーたちと共にに祈ります。
朝の会では子どもたちと祈ります。
おやつの前にもお昼ごはんの前にも祈ります。
帰りの会でも祈ります。
帰りの車の中でも祈ります。
でも、キリストのことばを読んだ直後のようには切実じゃなくなってくるのが、自分でもわかるのです。
少しづつ、少しづつ。
その証拠に、帰りの車の中での祈りが、1日の最後の祈りになってしまうのだもの。
「いつも油断せずに祈っていなさい」
今日は、いつも、祈れることに感謝しよう。
公に祈ることさえ、仕事であることに、心から感謝しよう。
そして、その日、その時、その瞬間の真実な祈りをしよう。
★今日は春のお茶会
お雛さまの側で、正座する子どもたちに、お茶を差し上げます
まさに「差し上げる」なのよね〜
おすまして❤︎

Wednesday, February 27, 2019

爪の周り問題

★てんやわんやな1日が、今ようやく終わろとしています。(まあ、てんやわんやじゃない日なんてないんだけどね、ジッサイ)
今日は、私、1分も無駄にしなかったと自信を持って言える。
冷蔵庫を開ける回数は最小限。
ラップトップや電話を開く回数も最小限。
しまうと出すをまとめてまとめて、読む書くもまとめてまとめて。
同じ仕事は同じ時にパパパっと片付け、歩幅や歩数までも無駄なく最短最小で頑張った。
★気になること、心配なことがひとつ。
爪の周りが小さな衝撃ですぐに血が滲みます。
今週に入って気づきました。
着ているもののあちこちに血がつくようになりました。
特に左の2と3の指。
今日は、バンドエイドで保護してみたけど、それだけでなんだかうっとうしく、思い切り使えないからこれはあまり有効ではありません。
痛みはないけど、気づくと、血が滲んでいて、触ったものが汚れてしまうのは、とっても不便で困りもの。
子どもが周りにいっぱいいるから、子どもたちに気を使います。
★昨夜遅く、賢人から電話があって、何事かと飛び起きたら、来年度の学費の資金繰りの準備に色々頑張っていて、そのことでした。
母のEメールにいろんな秘密のコードが送られるような、そんな複雑で面倒くさい、なりすまし作業をしていた賢人。
1分おきに無効になるような厳重なプライバシーの保護下の中、「ごめん、もう、それ使えない、も一回やるから、そのまま、電話切らずに待って」なんて言われ、通話状態のまま、テキスト、チェック、メール、チェック。
異常なほどの緊張状態が30分ほど続き、やっと、欲しいファイルをゲットできました。
やれやれ、寝不足です・・・。
今日は、早くねよ。




ルカの福音書 19章

きょう、救いがこの家に来ました。
この人もアブラハムの子なのですから。
ルカ 19:9
ザアカイの家のことです。
このエピソードのポイントは、−ザアカイの家が祝福されたポイントは、ザアカイがイエスさまを喜んで家に迎え入れた、ということは頭ではわかっているのだけど、でも、心のどこかで、でもザアカイさんは、お金もちだったわけでしょ、召使いもたくさんいたはずでしょ、だから、イエスさまを即座に招き入れて、おもてなしするのは簡単だったはず・・・、という疑問がありました。
お金もちが救われるのはラクダが針の穴を通るより難しいとあるけど、ザアカイだけは例外ね、っと。
でも、そうじゃないことにようやく気づきました。
ザアカイはそれら一切と引き換えに救いを選んだのでした。
私、毎朝、プールで散々いろんなことを祈った最後に、家のことを祈っています。
私の家を祝福してくださいって。(特に今はこたつのことを祈っています。こたつを挟んで、私たち夫婦がもっと仲良しになれますように、これから先の人生の日々の私たちの愛の証人のように用いられますようにと)
バスルームの壁もどうにかしたいし、フロントヤードのフェンスもやりかえたい。
ダイニングエリアの窓を大きくしたい。
救われる前のザアカイさんに憧れているのかもしれません。
それで、今朝、その両方が欲しいと祈ります。
家族の救いも、そして家の祝福も。
この家がもっともっと祝福されることと、住んでいる人が残らず救われることは、同じこと。
きっとそうなのだと思う。


Tuesday, February 26, 2019

春みたいなおやつ

作ってみた〜い!
マカロン好きなはなとはなの友に

最初の聖書

バックパックの底に
横にしてそっと置きます
これ以上壊れないように・・・
そしてこの上にお弁当

ルカの福音書 17章

神の国は、
人の目で認められるようにして来るものではありません。
「そら、ここにある」とか、「あそこにある」とか
言えるようなものではありません。
いいですか。
神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。
ルカ17:20,21
聖書の中に頻繁で出て来る言葉、「その日」は、すでに始まっている、というような意味のメッセージを最近聞きました。
あんたもね
このみことばも、それを意味している気がします。
神の国はすでにきている。
ひとりひとりの中に。
それが、ある日、たぶん「その日」のメインイベントとして、神の国を持たない人と分けられる。
そんな風にに想像してみています。
16章のハデスで苦しむ金持ちとは、モーセと預言者を無視した人でした。
もう少し、戻ると、17節にこうあります。
「しかし律法の一画が落ちるよりも、天地が滅びるほうがやさしいのです」
自分勝手な解釈をして私もハデスで、アブラハムに泣きを入れることのないようにしよう。
★遅ればせながら、やっと聖書を持ち歩くようになりました。
おき聖書では探している箇所がすぐに開けず、時間がかかるので、大切な最初の聖書です。


Monday, February 25, 2019

今日の晩御飯〜白味魚の香味焼き

夫作じゃないよ、
でも幼稚園の給食のぱくり
この写真とも、記事のタイトルとも全然関係ないけど、
私、ほんと〜にひとりぼっちなのよね・・・
笑っちゃうぐらい
あははははは〜のは


犬はこたつで丸くならないでしょ〜2

こたつのあっちこっちに座って、
見えるものや落ち着き具合、
座り心地などをチェックしている私
そして、その傍らには必ず、この人
いえ、この犬・・・
かなり気に入っているとみた
私のこたつ仲間

ルカの福音書 15章

立って、父のところに行って、こう言おう。
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、
またあなたの前に罪を犯しました。
もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。
雇い人のひとりにしてください。」
ルカ15:18,19
昨日の、礼拝メッセージも、多くを赦された人は多くを愛するというテーマでした。
7章の泣きながらイエスの足に香油を塗った sinful life の女の箇所からでした。
まさに、この sinful life という言葉で、私、「私もそうだった」と素直に思いました。
自分のことを棚に上げてはいけない。
私の罪深い子その2
子どもがやんちゃです。
兄弟で喧嘩ばかりしています。
片付けません。
宿題をしません。
嘘をつきます。
反抗をします。
盗みました。
親にとっては本当に辛いことです。
私の子育ては本当に長く、いまだにそこにどっぷりと浸かって生きているから良くわかります。
でも、いつかたくさん赦される子になれるからっと、自分で自分を励ましています。
良い子です。
お部屋はいつもきちんと片付いています。
いつもAです。
決して反抗しません。
きっと、少ししか赦されないでしょう。
だって赦されるべきこと、そんなにないんだもの。
っね。

Sunday, February 24, 2019

私の食べ方

★今夜はアジの開きのようです。
それと大根おろし。
久しぶりに白いご飯です。
私はベーコンと玉ねぎとジャガイモのスープを作りました。
もちろんサラダも。
職場で、俄かに、白いご飯を所望することに罪悪感を感じさせるムードが充満しています。
曰く、栄養価は低いのにカロリーが高く意味なしと。
それでも私は白いご飯が大好きだから、おかずに隠してコソコソっと食べている・・・。
忠告されないように。
おいしいんだもん。
しょうがない。
今日ベッドでゴロンとなって読んだ本にも書いていた。
避けるべき3大悪、砂糖、塩、香辛料。
私、これ、毎日、せっせと摂取してる。
サラダのドレッシングは、オリーブオイルと塩と胡椒、そしてお砂糖。(&レモン汁と醤油)
毒の塊だから、やめるかって言ったらそんなことしない。
聖書にないし。(口に入るものじゃなくて、口から出るものについては一杯あるけど)
★私、自分中心なこの世界の健康学が大キライ。
食料不足と飽食ゆえの病気の問題はひとつだと思う。
裏と表の一つの問題。
足りないのは、ただただ隣人への愛だと思う。
溢れているのは、ただただ自己中心だと思う
隣の人が、飢えるほどに欲張らなければ、食べたいものを食べたいだけ食べれば良いと思う。
もんくあっか。






犬はこたつで丸くならないでしょ〜

犬は喜び庭かけまわり
猫はこたつで丸くなる♪
音楽教室の2月の歌だけど、
うちの子ちょっと違った・・・


What Just Happened?

In the past you were to sin - sin controlled you.
But thank God, you fully obeyed the things that you were taught.
You were made free from sin,
and now you are slaves to goodness.
Roman 6:17,18
All ships that land at the shore of grace weigh from anchor from the port of sin. We must start where God starts. We won't appreciate what grace does until we understand who we are. We are rebels. We are Barabbas. Like him. we deserve to die. Four prison walls, thickened with fear, hurt, and hate, surround us. We are incarcerated by our past, our lowroad choices, and our hight- minded pride. We have been found guilty.
     We sit on the floor of the dusty cell. awaiting for the final moment. Our executioner's footsteps echo against stone walls. Head between knees, we don't look up as he opens the door; we don't lift our eyes as he begins to speak. We know what he is going to say. "Time to pray for your sins." But we here something else.
     "You're free to go. They took Jesus instead of you."
     The door swings open, the guard bark, "Get out," and we find ourselves in the light of the morning sun, shackles gone, crimes pardoned, wondering, What just happened?
      Grace happened.
God Is with You Every Day  By Max Lucado
今の自分がどこから始まったのかなんて、こんな風に考えたことはありませんでした。
私は独房にいて、恐れと痛みと嫌悪とに囲まれ、膝の間に頭をもたげ、死刑の執行を待つ身であったとマックスは言います。
それを忘れてはいけないって。
確かにそうでした。
バラバは自分だということを忘れて、偉そうに伝道しちゃいけない。
自分もそこにいたことを忘れて、哀れんではいけない。
愛する人の救いは簡単じゃないけど、でも、こんな私でさえ救われたことを忘れてはいけない。
こんな私でさえ。



ルカの福音書 12章

あなたがたのうちのだれか、
心配したからといって、
自分のいのちを少しでも伸ばすことができますか。
こんな小さなことさえできないで、
なぜほかのことまで心配するのですか。
ルカ 12:26
何か心配ごとはありますか。
私は、この前まで父と母の将来が不安でした。
でも、1月に帰ってみて、教会に一緒に行き、「だいじょうぶ」と思いました。
なにがどう、だいじょうぶなのって聞かれたら答えに困ってしまうでど、でも「だいじょうぶ」と思ったのです。
日本が近くなりました。3日あれば帰れます。
いつでも、飛んでゆく覚悟がいつもあります。
お兄ちゃんの病気のおかげで、父と母はキリストを信じることができました。
今度はその父と母の老いを通して、彼らの老いてなおの献身を通して、お兄ちゃんがキリストを信じるようになるのではないかと思っています。
お兄ちゃんのために、訪問看護が週に3回も来て、そしてそのうち1日はお風呂にも入れてくれています。
年金もいただけることになりました。
そのための事務的なことの一切を、父がやりました。
それが、私が感動している老いてなおの献身です。
少し前の10章の42節で、イエスさまはマルタに言います。
「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」
父と母は、その大切な一つを握ることができました。
そして、私は、お兄ちゃんのために祈り続けています。

Saturday, February 23, 2019

今日のおつまみ〜ちょりーそニラ玉

ちょりーそとニラとたまごを炒めたそうな
夫作
私、チーズとか普通のものをちびちび食べながら、
ビール飲むのが好きなのに、
「はい」って有無も言わさず、置いていくのよね
頑固なラーメン屋のオヤジさんみたいに
でも、おいしんだわ
いつも


今日見たきれいな被造物#1

昨日以上に汚いフロントガラス越しなのに、
こんなにきれい
神さまって、本当に素晴らしい!

完全休日・ショッピング3

ダイソーに行ったもうひとつの目的は小さなお鍋
ゆでタマゴ用
賢人が使いやすかった全ての鍋をアーバインの寮に持って行ってしまい、
一番、困っていたのが、このサイズのちょこっと鍋
これ、色もデザインも大きさもぴったり私のニーズ
1ドル50セントなんて、
あまりにも安くて、ちょっと考えたけど、
でも勇気をだして買いました
賢人は物持ちが良く、
必ず返しくれるはずだから
それまでのテンポラリー
でも、なん10年も使う気がする・・・
たぶん、きっと、いえ、ぜったい


完全休日・修理

IKEAで買った小さなお洗濯ものを干す道具
でも、どんどん洗濯バサミの部分が乾いて割れて壊れてゆく
他はなんともないのに
 幼稚園のキッチンで良いアイディアで発見
真似してみました
壊れた洗濯バサミを外すのものすごく難しかったかけど頑張った
頑張った甲斐あって、この通り
もっとたくさん干せそうな似たようなの、1ドル50で売ってた
洗濯バサミも1ドル50
すごく揺れたけど、でも、環境のこと考えて、
新しいのは買わずに帰った


完全休日・ショッピング2

来週のはなのスナックと私のランチの材料
サラダのドレッシングはこのオリーブオイルで手作り
そして、サラダにはいつも何かをパラパラしたいから
日替わりパラパラの仲間にひまわりの種

今日のランチ〜ぜんっぜん変りばえなし

ちょっと写真の撮り方変えてみた・・・
思うに、私という人は、
食べることに無頓着というわけではなく、
いつでも超・腹ペコだから、それだから、
考えるのももどかしく
ともかく手っ取り早く食べたくって
こうなっちゃうのだ・・・
(何しろ冷蔵庫にはいつだって
洗って切った野菜が種類ごとにタッパーに収められているから)
今日もそうだった
多分明日もそうだと思う




完全休日・ショッピング

Alpine Angel は私にとって、
CDのセレクトストア
何しろ教会が運営するスリフトストアだもん
一枚1ドルのお宝ざくざく
フロアにあぐら座りで一枚一枚丹念にチェックする私・・・
本日はこの6枚を購入
はなはここのストアがサポートするキャンプに参加中

Chapter 4 Ready. Set. Let Go!

あなたは前年の穀物を食べ尽くさぬうちに、
それを倉から運びだして、
新穀を倉に納めるようになる。
レビ記 26:10
抱えている重荷は苦しくて、そのせいで前に進めないとわかっていても、手放すのはもっと難しいということがあります。
手放せば心が穏やかになると、本能的にはわかっていても、執着心を捨てるには勇気がいります。
求めている成功や健康、喜びや豊かさを受け取れるように、私たちは自分を解き放つ必要があります。
これは、人間関係にもあてはまります。
今のつながりの中には、うまくいっていないものや、すでに「卒業」しているものがあるかもしれません。。
私たちが固く握りしめていた手をようやく開き、古いものを片付けると、人生に新しいものが入ってくる余地ができます。
試しに、今持っている具体的な何かを手放してみてください。
思いがけず、努力せずに新しいものがあなたの人生に流れ込んでくることにきっと驚くでしょう。
スー・オーガスティンの「過去の傷がいやされるとき」より
はい。
流れってきっぱなしで、急流下りのような私の人生。
そろそろダムを作りたいほどです。
時々、試みるけど、主はそれをかたっぱしから聖霊によって押し流す。
あれ〜ええええええええ。

Take That, Satan

Let us then approach Godd's throne of grace with confidence,
so taht we may receive mercy and grace to help us our time of need.
Hebrew 4:16
Santan wants to take God's place, but God isn't moving. Satan covets the throne of heaven, but God isn't leaving. Satan wants to win you to his saide, but God will never let you go.
     You have his word. Even more, you have God's help.
     You don't have to face Satan alone. You know his schemes. He will attack youe weak spots first.
He will tell you to meet your own needs. When you question your identity as child of God, that is Satan speaking.
     Even more, now you know what to do.
土曜日だからこたつで書いています
今日は、こっちに座ってみた
     Pray. We cannot do battle with Satan on your own. He is a roaring lion, a fallen angel, an experienced fighter, and a equipped soldier. He is angry - angry because he knows that his time is short and that God's victory secure. But there is wonderful news for the Chtistian: Chtist reigns as our protector and provider. We  are more than conquerors through him.
     Arm yourself with God's Wold. Load your pistol with scriptures and keep a finger on the trigger. And remember: "our struggle is not against flesh and blood, but against the rulers, against the authorities, against the powers of this dark world and against the sporitual forces of evil in the heavenly realms"
     If I were the Devil, I wouldn't want you to know that. But I'm not the Devil, so good for you. And take that, Satan.
God Is with You Every Day    By Max Luccado
あまりにも、力強いメッセージに思わず、音読してしまいました。
サタンにも聞こえるように。
先週、読んだメッセージに、ニーズをサタンに言われる前に、御前に立つべし、というのがありました。
彼の一貫した、対抗策が、ますます私の対抗策ともなりつつあります。
マックス、ありがとう。

ルカの福音書 8章 ②

悪霊どもはイエスに、
底しれぬ所に行け、
とはお命じになりませんようにと願った。
ちょうど、山のそのあたりに、
おびただしい豚の群れが飼ってあったので、
悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと願った。
イエスはそれを許された。
ルカ 8:31,32
祈りではなくただの願いでさえ許さたと書いています。
しかも、願ったのは悪霊です。
そんなイエスさまが、無力を認めて信じてすがる、弱い私たちの祈りを無視されるはずなど、断固ない、絶対にない、と思う。アーメンでしょ。
今週も、周囲の人が「えっ?嘘でしょ」と耳を疑った祈りの応えに、私、ひとりで「ありがとう、神さま」と心の中で感謝した。
豚に入りたいと願う悪霊の願いといい勝負な、自分の気もちの収まり具合に関する祈りだったにも関わらず。
でも、大変な取引をしてしまいました。
それで、今、すごく御心を痛感、いえ、実感している最中です。
祈りながら、心の半分で、聞かれないだろうな、と思っていたから。
でも神さま、その取引きにさっと応じられた。
だから、私は、約束を守って一枚岩となる決心をしたところです。
★一枚岩って、最近得た最も新しいボキャブラリー。
出どころはささだえりさん。
結構気に入っています。
使うの、その祈りの後は、今日が初めてだけど。
意味を調べたら、ますます気に入った。
★★昨日、はなをバスに乗せるためにお昼に1時間ほど抜けさせてもらって帰ってきたら、ご飯がこんな風に運ばれてきた。
しかも山盛り。
うるうる。愛がいっぱいの職場です。
神さまの励ましと慰めが二つキャンパスの隅々にまで充満中。



Friday, February 22, 2019

わたしはだれでしょう


わたしはだれでしょう
(箱におさまりきれていない・・・)
ジャジャン
クッキーモンスター・ケーキ!





今朝の朝焼け

超汚いフロントガラス越しでも
こんなにきれい・・・
神さまって、すばらしい

ルカの福音書 8章

イエスは、起き上がって、
風と荒波とをしかりつけた。
すると風も波も収まり、なぎになった。
ルカ8:24
幼稚園で、子どもたちに、子どもの聖書で、病気の人に「治れ」と言って癒し、死んだ人に「起きなさい」と言って生き返らせたイエスさまの奇跡を毎日読み、すごい!すごい!何でもできちゃう、さすが、イエスさまと、読み進めていたある日のこと。
いつもより多めのランチとおやつ
バスに乗って冬山キャンプに出発します
捨てられる容器と袋もこんな日だけは特別
波と風をしかり、しずまらせた、イエスさまの奇跡を読み終わり、すご〜い!と素直に純粋に感動する子どもたちに、私も大満足でいたら、あいちゃんがトイレから「おトイレ流れな〜い」と言います。
のぞいてみると、トイレットペーパーがクルクルとトイレットの中を回転していました。
どれどれ、と、ぐっとフラッシュのレバーをもう一度、押すとうわうわうわうわ、トイレットペーパーの回転のみるみる上がってくるではありませんか。
どうすることもできず、ただ、必死に、「とまれ!とまれ!とまれ!とまれ!とまれ!」と叫ぶ中、水はギリギリのところまで増え、溢れる寸前ですーっと引いて行き、無事に流れました。
その様子を聞いていた、子どもたちは、「とまったの?」「えっ?すごいじゃん、まきせんせい」「イエスさまみたい!」「ひえ〜」と・・・。
「神さまのおかげだよ〜!まきせんせいは、神さまにとっても愛されている。みんなもそうだよ。信じている子の願いはイエスさま側でじっと見ていて助けてくれるんだから。」とバッチリ証ししといた。
一度、目をかっと見開き、ウンウンとうなずき、この奇跡を心に刻んだことと思う。


Thursday, February 21, 2019

おんなふたり鍋

★寒さがうれしい、こたつの時間。夜の自由時間。
夫が遅いと知らず、せっせと用意した水炊き鍋、女ふたりでつっつきます。
それもまた、たまには良いもの。
トリ、白身魚、海老、肉団子、豆腐、エトセトラ。
明日から、はなは、4年生以来毎年恒例の冬山籠りのバイブル・キャンプなので、夫とふたりだけの週末だから、今夜はこれでいい。
★今朝、Yで30分ほど泳いだ後で、目を閉じながらジャグジーにどぼんとつかった瞬間、ふっと思って、「主よ、お語り下さい、僕は聞いております」と心の中で言いました。
まるで、そんなこと言わなかったみたいに、温かいお湯に身を委ねて、くたっとくつろいでいたら、聞こえた気がしたのです。
それで、たちまち正座みたいにビシッとなって、悔い改めました。
まっすぐに使ったつもりのペンが剣とならないようにと祈らなければなりません。

ルカの福音書 6章

悪い実を結ぶ良い木はないし、
良い実を結ぶ悪い木もありません。
木はどれでも、
その実によってわかるものです。
ルカ 6:43,44
このみことばについて書いていた本のことを思い出しました。
どの本なのか思い出せません。
この頃のはなのランチ、ベーグルとクリームチーズ
外で食べるのでさすがに寒くてサラダは無理らしい
ただ、ああ、この言葉はこういう意味なのかと心の奥まで届いたことを良く覚えています。
もしかしたら、今、読み返している、「過去の傷がいやされるとき」だったかもしれません。
祈りながらあらゆる努力を尽くし、それでも、うまくいかない時、傷つきっぱなしの時、信じたいけど信じられない時、とどまり続けるべきか去る決心をすべきか、の判断にこのことばが引用されていました。
そして、私は、その時、大きな決心をして、新しい一歩を踏み出したのでした。
何も良い実が見えなかったから。
私はあたたかいお部屋で毎日サラダ
温かい給食も食べさせてもらっている幸せ者
痛み、焦燥感、悲しみ、裁き、妬み、怒り。
世界に向けられていたその思いが、じわじわと私に近づいて来た時、私は、逃げ出す決心をしました。
以来、小さな挫折を背負って生きているのは確かです。(毎日それを思い出して挫折しているわけではありません。ただ、今、寄り添うように癒しの伴走をしていて、ふっと思い出しました)
小さなコミュニティに共存していながらその日以来、私は自分が逃げたものと再会していません。
だから、それはたぶん、みこころにかなったことであったと信じています。
とはいえ、新しい日には新しい日への期待でぱんぱんであることも、これまた確かなのです。
★写真のフォークは高校生の頃から使っているもの
毎日、幼稚園の大きな食べやすいフォークを借りているのに、必ず、持ち歩いています

Wednesday, February 20, 2019

走りたい

★おつかれさま〜。
お家大すき!こたつがうれしい夜の自由時間。
深みに漕ぎ出すのやめてUターンの誘惑はこたつの手招き。
じゃなくて、。
もっと広くて大きなところに漕ぎだしたい。
★Yのロッカールームにあった、中距離走会の案内を一枚持って帰って、テーブルに置いていたら、はながくいついた。
走ってみたいという。
あの子、実は、走るのが好き。速い。
歩くのも好き。かなり歩ける。
何しろ、手塩にかけて2歳から山歩きで鍛えたはな隊長だから。
で、一緒に走ることにした。
円周率を走るパイ・ラン。
もれなくTシャツとパイがいただけるうれしいご褒美つき。
走りたい。走りたい。走りたい。
★もっと、広いところに漕ぎだしたいという誘惑をふりきるにはこれしかない。

Chapter 3 The Choice Is Always Yours その2

これは、
主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇 118:24
自分に人生に責任を持つ、という考えは特に目新しいものではないでしょう。
私たちは、このようなメッセージを今までなんども聞いてきました。
でも、本当の意味で理解しているでしょうか。
もし、あなたが被害者としてふるまい続けるなら、この先、自分の人生に責任を持つことはできなくなるでしょう。
今いる現状の被害者だと思ってしまうと、主に二つの理由で無力になってしまうでしょう。
一つは、幸せを外的要因に求めてしまっていること。
もう一つは、成功できないのは周りのせいだ、と非難していることです。
結婚したいのに独身だった李、限界を超える仕事、逃げ出したい人間関係から抜け出せなかったり、子どもたちにイライラしてしわを増やしたり、物事が全然うまくいかないようなら、あなたは被害者を演じてしまっているかもしれません。
人生をコントロールできないと感じるのも無理はありません。
被害者は無力ですから。
過去にしがみついて、未練を持ち続けている限り、現状を離れて、神様が私たちに与えようとしているものが全て揃っている未来へと進んでいくことはできません。
あなたがこれからの人生で、すべての責任を受け入れるなら、どれほどの自由を感じられるでしょう。
過去の傷がいやされるとき スー・オーガスティン より
この本について書く時、いつも特的の誰かのことが思い浮かびます。
初めて、自分のためじゃなく、誰かのために書いてるからだと思う。
「おはようスポルジョン」を書き始めて、初めてです。
誰かのために真剣に書くの。
今日は、お兄ちゃんのことを思いながら書きました。(お兄ちゃんは読んでいないにも関わらず)
お兄ちゃんは、妹の私から見ても、とても恵まれた人だったと、今でも思っています。
どこに、どんな、そんなにまで心を閉ざす出来事があったのだろうと、本当にわからずにいます。
父も母も同じ思いだと思う。
お兄ちゃんは、とてもハンサムで、いつもお友だちが一杯いた。
私、何度もお手紙を預かった。
女の子から。
二度も結婚した。
二人ともとても綺麗な人だった。
二人共、最後まで努力してくれたと思う。
少なくとも、お兄ちゃんよりは・・・。
厳しいようだけど、お兄ちゃんに対して、私は、きっぱりと言いたい。
スーの言葉をそのままぶつけたい。
もし、あなたが被害者としてふるまい続けるなら、この先、自分の人生に責任を持つことはできなくなるでしょう。
人生をコントロールできないと感じるのも無理はありません。
被害者は無力ですから。
今度帰ったら、お兄ちゃんのいる隣の部屋で断食して祈ろうと思っているぐらい私は本気なのです。

ルカの福音書 5章

「深みに漕ぎ出して、
網をおろして魚を取りなさい」
ルカ 5:4
もう、すでに相当な深みに来ていると思う。
でも、岸から見た湖の景色や、私が乗っている小さな小舟から見える世界の景色は、神さまのビュートは違うのだろうね。
だいたい、この湖がどのくらいの大きさなのか知らないんだもの。
一度として同じ年はなかった。
前の年の仕事をそっくりそのままなぞったことって、たぶん、一度も、、、、ない。
「これでいこう。」「あとはこれをくり返そう。」「そして気もちに余裕を作ろう。」と思うのに、気づいたら、違うこといっぱいやっている。
そして、それは前のよりいつもとてもいいと自分でも思う。
そうそう、帰りの会で、ヨガを始めました。
猫は背中、カニは太もも。かなり気もちいい。
子どもたちの身体が何を感じているのか、私にはわからないけど、ウハウハ喜んでやってます。






Tuesday, February 19, 2019

日本人のおばちゃんのこたつライフ

★長い週末明けの火曜日。
まったりこたつライフの影響で、エンジンかけるのちょっと大変かなっと思ったけど、そんなことなかった。
ぶるるん。いっぱつです。
こたつのおかげで、人生の冬期が超・ハッピーになりました。
でも、今朝は、普通にいつものように食卓で聖書を読みました。
仕事帰りにお買い物
週末はこたつの虜と化していたので・・・
こたつという、私にとって偶像と紙一重なあったかテーブルが私の心をつかんで放さない気がしたので。
仕事へ向かうのが辛いのが最も辛いもの。
そして、その選択はたぶん正しかった・・・。
ふう。
★Yのロッカールームで思うのだけど、アメリカ人のおばちゃんたちって、とっても可愛い。
目を覆いたくなるような裸体をさらけ出して平気なのって、たいてい、アジア人です。
日本人には会ったことがないけど、たぶんの日本人の感覚もそれに近いものがあると思う。
何だろうこの違い。
堂々とするポイントが全然違うのよね。
ぴっと手をあげて、「そこ、堂々としない方がいいと思います」とメガネかけた副委員長みたいに言いたい私は、一体何人・・・。
でも、中には異常に堂々とした筋肉モリモリのアメリカ人のおばちゃんもいます。
でも彼女が、男のように、素っ裸で、ロッカールームをウロウロするのはただ単に自分の身体が大すきで、人もそう思うと勘違いしているとこにあると思う。
すごい勘違いなんだけどさ、ジッサイ。






ルカの福音書 4章

イエスは答えられた。
「『人はパンだけで生きるのではない』
と書いてある。」
イエスは答えて言われた。
「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』
と書いてある。」
するとイエスは答えて言われた。
「『あなたの神である主を試みてはならない』
と言われている」
ルカ 4:3,8&12
もし悪い人と悪魔の違いがあるとしたら、それは、悪い人にはみことばがわからないけど、悪魔には大変な効き目があるというかもしれない。
私、毎朝、聖書読みながら、とんでもないこといつも考えてる気がする。

今日も良い日でありますように。


Monday, February 18, 2019

賢人に洗礼を授けた人

久しぶりの再会
訳、あって、私たち、
それぞれ、違う牧師から洗礼を授かった
私も、賢人も、父と母も
たぶんきっとはなも夫も
祈る先生がいっぱいいるって・・・、
幸せです

今日のランチ〜いつもと同じ、でも場所違う

さっすがにサラダは無理な寒さ
んで、昨日の続きの豆のスープとパン
ご馳走じゃないけどこたつで食べれば
なんでもあったかい
こたつ・らばーになりそ・・・


おすすめ映画 Before We Go

タイトルに惹かれて観てみたら、
思っていたのと、全然違ったけど、
(礼拝堂をでる前の何か重要なメッセージかと思ったのよね)
超・よかった
何がよかったかって、
人のちょっとした心の隙間というか、寂しさ
不安、悲しみ、にぐぐっとはまってしまうよさだった

おすすめ映画 An Unfinished Life

赦しのレッスン中の方におすすめ
赦すことの難しさが痛いほど上手に描かれています
同時に赦すことの清々しさも味わえる
ハッピーエンドだから
安心してお楽しみあれ
最後の最後のセリフがすごく良かった
もう一度、観て、どこかに書き留めておきたいぐらい

おすすめ映画 1 Mile To You

何がどう良かったのか、うまく説明できないけど、
でも、とても感動した
コーチが好きだった
走るって、走る以上の行為なのだとも思った

Chapter 3 The Choice Is Always Yours

兄弟たちよ。
私は、自分はすでに捕らえられたなどとは考えてはいません。
ただ、うしろのものを忘れ、
ひたむきに前に向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。
ピリピ 3:13,14
私たちの人生は、偶然に左右されているのではありません。
最終的にどうなるかを決めるのは、宿命ではなく神様であり− そして、この方に対する信仰によるのです。

あなたの身に起こることは、コントロールできないかもしれませんが、あなたのうちに起こることはコントロール可能です。
私たちの過去が今日と明日をコントロールするのは、私たちがそれを許す範囲内でしかありません。
過去は思い悩むものではなく、そこからたくさんのことを学んで、前に進み出すためのものです。
朝、どう起きるかは意思にもとづく行為で、あなた自身が選ぶものです。
奇跡など何もないと思うか、すべてが奇跡だと思うかはあなた次第です。
困難のただ中で勝利を得るか、苦悩に崩れ落ちてしまうかはあなたが選ぶのです。
避けられない苦難を耐え忍んで、人間性を深めていくか、問題やトラブルにつぶされてしまうかは、あなたが決めるのです。
「過去の傷がいやされるとき」スー・オーガスティン
赦さない人、赦せずにいる人に会うとなんとなくわかるようになりました。
特徴はひとつしかありません。
必ず、真剣な目で「赦した」と言うのです。
そして、赦した人、赦すことを選んだ人は、たいてい、朗らかに「神さまが忘れさせてくださった」と言います。
この違いについて、説明するのはとっても難しい。
でも、すごく違うと思う。
★この本を読んで、ひとりで一生懸命に悲しみをこらえていた頃、はなはこんなに小さく、私、今、思えば、それでも、めちゃめちゃ幸せそうな日々だったじゃんか、って思う・・・。

In Jesus' Name

You were washed, you were sanctified,
you were justified in the name of the Lord Jesus Christ
and by the Spirit of our God.
1 Corinthians 6:11
The phrase "In Jesus' name" is not an empty motto or talisman. It is a declaration of truth: My cancer is not in; Jesus is. The economy is not in charge; Jesus is. The grumpy neighbor doesn't run the world; Jesus, you do! You, Jesus, are the Head Coach, CEO, President, King, Supreme Ruler, Absolute Monarch, High and Holy
     Just speak the word,  Jesu...
     Pray! Since God works, prayer works. Since God is good, prayer is good. Since you matter to God, your prayer matter in heaven. You're never without hope, because you're never without prayer. And on the occasions you can't find the word to say, pull these out of your pocket;
     Fater,
     you are good.
     I need help, Heal me and forgive me.
    They need help.
    Thank you.
    In Jesus' name, amen.
God Is with You Every Day By Max Lucado

このプールに行けない、いえ、行かない週末、特に連休の祈りはどうすりゃいいのか。
それが問題です。
大きな問題。
昨日、一緒に賛美した淳子さんが、私と私の両親のために祈ってくれていたことにとても感謝しました。
2杯目のコーヒーを作りに行ったら・・・
うっ、そこ、私のすぽっと
私は、その感謝を持って、祈りたいのに、どうやって祈って良いのかわからない・・・。
今さら、だけど、情けないです。

そして、今、こたつで自分の手を自分で握って、祈りました。
淳子さんのご両親とご主人、えりさんの職場の人、私の夫のために。
ほんの小さな、短い祈りだけど、少しづつこうやって祈ろう。
主は、私の小さな短い祈りも、きっと待っておられるから。
どっぷりとひたって、何にも邪魔されず、地上に生きていることすら忘れて30分集中して祈りたかったら、土曜日でも、日曜日でも、連休でも水着になってYに行ってみよう。
もしかしたら、混んでないかもしれない。クラスもないかもしれない。
決めるは神さまだから。

ルカの福音書 3章

「あなたは、わたしの愛する子、
わたしはあなたを喜ぶ。」
教えを始められたとき、イエスはおよそ30歳で、
人々からヨセフの子と思われていた。
このヨセフは、ヘリの子から順次さかのぼって、
・・・・・・
ダビデの子、エッサイの子
・・・・・・
ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子
・・・・・・・
セムの子、ノアの子、
・・・・・・・
セツの子、アダムの子、
このアダムは神の子である。
ルカ 3:22~38
「このアダムは神の子である」という声明に、心が温まります。
小さな人たちに、アダムを悪い子のように、私たちの罪の始まりのように、その側面だけを教えてしまいそうになるけど、それは、話の半分であって全部じゃない。
この世界に神の霊によって生まれたのはキリストとそして、アダムだったことを、ちゃんと伝えなければいけないと思った。
そして、私も、忘れずにいよう。
私たちはアダムの子孫であることを、最初から恥ずかしく思う必要はどこにもない。
アダムは神の子だったのだもの。
アダムは神さまが喜ばれた最初の子だったのだもの。
アダムによって、私たちの人生はちょっと複雑になってしまったけれど、でも、それでも、キリストによって、その複雑さが乗り越えられるようにもなったのだから。
「最初からやり直すことはできないけど、違う結果を作ることはできる」とスーの本にもあったけど、それはそういうことなのだと思う。
神さまはアダムを作り直すことはされなかった。
この系図からもわかるように、ノアでさえアダムの血を引く者に変わりない。
22節に、「人々からヨセフの子と思われていた」とあるのはどういう意味なのだろうと、考えてみたことがあるでしょうか。
それは、もしかしたら、「ヨセフの子じゃない、ダビデの子でもない、イエスは神の子、アダムの子。」と言いたかったのかもしれないと、思うのです。
★こたつで書いています
ちょっと暗いのが難点
ご飯を食べながらおしゃべりするにはちょうど良い明るさなのだけど・・・
居間作りプロジェクト、まだまだ続きます