わたしがこの国を滅ぼさないように、
わたしは、この国のために、
わたしの前で石垣を築き、
破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、
見つからなかった。
エゼキエル 22:30
並行して読んでいる新訳、コロサイ人への手紙の1章20節と21節。
「神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によっって平和をつくり、御子によって万物を御子のために和解させてくださったのです。
地にあるもの天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
聖書は、どこを開いてもある一点に向かって私たちを教え、私たちを導いてくれます。
神さまは、私たちの真実の心を取り戻したくて、自ら、この世界にやってきた。
自分をちぎり取るかのように、御子を送られた。
贈られた。
神なのに。
仲直りのための破れ口を修理する人がいないから、自ら腕をはずして、その腕で壊れかけた世界を支え、その手で破れ口を覆うかのように。
私たちは、自分で悔い改めて、赦されたかのように感じて、それを証したり、人にも勧めたりしたりするけど、それは、本当にとんでもない間違いだと思う。
破れ口をふさいで、悔い改めて、赦されたんじゃなくて、神さまが、人となって、来て、代わりに破れ口に立ち塞がってくれたから、その傷とか、血とか、涙とか、悲しみとかによって、和解できたのでした。
王家のマントを着ることもなく、馬車に乗ることもなく、天使たちに囲まれることもなく、裸ん坊でこの世界に贈られたきたのは、この破れ口を塞ぐためだったのでした。
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明日、日曜日9時より北側キャンパスにて礼拝します