悪を行う者に対して腹を立てるな。
不正を行う者に対してねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちしおれて青草のように枯れるのだ。
主に信頼して善を行え。地に住み誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる。
主は、あなたの義を光のように、
あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
主の前に静まり、耐え忍んで主を待て、
おのれの道の栄える者に対して、
悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
詩篇 37:1~7
とても長い聖書箇所を書き連ねました。
そして、その後、おととい、ベッドの下で見つけた、まだ開いたことのなかった私にとっての新書を開いたのです。
今日で2日めです。
昨日、「あれ、なかなかいいじゃん、タイトル最悪だけど」と思ったのです。
で、すごいすごい文章に出会ってしまった。
アメリカに戻って、詩篇を最初からただ読んでいたので、そこにあった文章とは何にも関係のないはずなのだけど、衝撃的なまでに、このことばを私に解説してくれていたのです。
以下その衝撃の文章です。
「裁きは苦い根に変わっていって、知らぬ間に、自分の裁きから、あなたの行動は起きているのです。
そして、あなたは物事がある一定の方向に向かうと、何かを期待するようになっているかもしれません。
その結果、いつも物事があなたの予想する通りになってしまっているでしょう。
裁いたことで蒔いた種の結果を刈り取ることになっているのです。」
ああ、まだドキドキがとまりません。
とても難しい文章です。
でも、それはつまりこういうこと。
相続の対象となってしまった父の家と普通預金のお金のことを考えるといつも憂鬱になっていました。
義姉の圭子さんが、今、兄が残した財産のことで弁護士を立てて最初の妻との間の子と話し合いをしています。
そのこともあって、先方親子の過去から今日に至るまでのあまりにも理不尽で自分中心な考え方に、次は私だと思うと、気もちが沈んでしまいそうになっていました。
でも、今朝、このみことばと、この文章によって気づいたのです。
①よくよく、考えてみれば、先方親子は今だかつて私に何も悪いことをしてはいない
②よくよく、考えてみれば、父も兄も、そのことで私に、なんの迷惑もかけていない
③つまり、私が、彼女たちを裁く筋合いは、実は、まだ、どこにも存在しない
④にも関わらず、私は裁き始めていた 将来の彼女たちを裁き初めていた
⑤なぜなら、過去は聖書の原理原則により赦しているはずだから
⑥でなければ、大前提である、私の救いは幻想とということになってしまう
⑦そして、私は、未来の彼女たちを裁くことによって、彼女たちが私に対しても自分たちの権利を理不尽にかざしてくることを、信じて期待してしまっている
⑧天国の法則により、私のこの誤った願いと期待が神に応えられてしまう可能性がある
というすごい事実に気づいてしまったのです。
ドキドキドキ、まだ、ドキドキがおさまりません。
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