キリストにある幼子に対するように話ました。
1コリント 3:1
義とされていることにおいて程度の差はない。
あなたの小さな信仰があなたを完全にきよめた。
そのゆえに、尊い契約に対しては、最も進んだ信者と同じ権利をもっている。
あなたは、最も富んでいる者と同様に富んでいる。
たとえ所有物を楽しんでいなくても、実際に所有していることに変わりない。
栄光の家族登録簿には小さな者も大きな者も同じペンで記されている。
自己に失望し気落ちすることなく、あなたはキリストにあって勝利すべきである。
私はイスラエルの幼子にすぎないではないか。
しかしキリストにあって私は天に座らされている。
私の信仰は貧弱か。
しかしなお私はイエスにあって万物の相続人である。
私に誇るべきものはなく空しいが、主にあって喜び、私の救いの神をあがめる。
C.H.スポルジョンの『朝ごとに』より
殺戮の続く民数記の後に、なんとも慰められる今朝のスポルジョンの説教でした。
「たとえ所有物(キリスト)を楽しんでいなくても、実際に所有していることに変わりない。」のフレーズに思わず、昔、若いクリスチャンが言っていたことばを思い出してくすっと笑ってしまった。
「イエスさまはさあ、僕らのクレジットカードみたいなもんだからさっさとアクティベイト(受け取ったことの宣言)して、じゃんじゃん使った方がいいっすよ、おまけにに決算は天国だからね、使ったもん勝ちっす」
スポルジョンとは、ことばのセンスがちょっと違うけど、でも、言ってること、まんま同だった。
強い人とも、弱い人とも、一緒にキリストに近づきたいです。
それぞれの場所からキリストに近づけば近づくほど、私たちクリスチャンも近づくことができるって、最近、スポルジョンに教えられたばかりだもの。
そして、キリストを中心に近づくなら、私たちはきっと愛しあえるはず。
☆母は、私の呼びかけにいつもこうして、カメラにぐぐっと近づいて手を振りながら、「おはよ〜」と言ってくれる