Monday, February 28, 2022

家畜宣言


朝一(6時オープン)でプールに行きました。
今週から、再び4時起き生活を実行しようとがんばってみています。
実は先週末から密かに練習を始めていました。
とっても良い気分です。
深く考えたり感じたりする間もなく、ぱっぱっと動くのが性に合っているのね、まるで家畜のようだけど、本当に好き。
本当の家畜と違うのは自分が選んだ人生、自分が選んだ仕事、自分で決めたルーティンという点。(自分では選んだつもりでいるけど、これ、天国的にはゴキブリホイホイに吸い寄せられたゴキブリなのかもしれません。ホイホイの中は自由で安全な楽園的気分。例えが適切でないかもしれないけれど。)
それ以外は本当に家畜。イエスさまに守られる羊でいるの大すき。楽ちんだもん。
人は自由な時間が多ければ多いほど、悩んだり心配したりする生き物なのかもしれません。
我が家の犬は家畜ではなく、ペットで、ほとんど野放しな気ままで自由なペットだから、喜んだり、怖がったり、怒ったり、悲しんだり、拗ねたり、淋しがったり、心配したり、色々タイヘンです。
私は彼以下の家畜になることを選びました。
イエスさまの家畜ね。
4時に起きて、ほとんど何も考えずにどんどん動く羊です。

Chapter 10 弾力性を身につける


あらゆる恵みに満ちた神、
すなわち、あなたがたをキリストにあって
その永遠の栄光の中に招き入れてくださった
神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、
堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
1ペテロ 5:10

人生における変化は、私たちが自分のちっぽけさを乗り越え、過去を後にして歩き出し、知恵の戸口を入って真理の光に至り、たましいの中心をなす本当の自分を発見する機会を与え、さらには、どれほど豊かな弾力性を得たのかを悟らせてくれます。
それらを知り、私たちは最高の自分をほかの人たちに差し出すことができるように、整えられていくのです。

逆境と味方につけてしまういくつかの方法
1、失敗する練習をする
自分が試される要素が何一つない環境では、失敗から立ち直る方法を学ぼうと、という気にはなれないでしょう
2、小さなリスクがある挑戦をする
3、被害者意識を振り払う
7、古い感情をよみがえらせない
8、最悪を最善に変える
9、感情をコントロールすることを学ぶ
関係を保ち、可能性のドアを開いたままにしておきましょう
10、しなやかさを身につける
11、前向きな思考を選ぶ
12、ユーモアを見つける
14、宿命ではなく信仰に頼る
15、与える人になる
自分のことで頭がいっぱいな「自己中心」の生活を送っていると、人生に意味を見いだすことも、トラウマとなる事態を乗り越えていくこともなかなかできません。

「今日」を過去に奪い取られないようにしてください。
“弾力性”という立ち直るための秘訣は、あなたが過去のドアを閉め、未来に進んでいけるように力を与えてくれるのです。
スー・オーガスティンの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』より

弾力性を味方にしてしまう方法、いかがでしたでしょうか。
私は1が大すきでした。
英語のスピーキングテストを受けるとか、もう、今はやっていないけれど、仕事探しサイトを見て、レジュメを送り、そこから送り返されるテストを受けるとか、そんなことも、きっと、失敗の練習になるのだと思います。
実際、何度かトライすると度胸がつき、少々の失敗は気にならなくなっていきました。
そして、2もいいなと思った。
私にとっては決して小さなリスクではなかったけれど、パンデミックの中、仕事を辞めて、長期帰国を果たし、父と看取るという挑戦は、私を本当に大きく変えました。
父の最後の7ヶ月にぴったりと伴走できたことは、私のこれからの人生の大きな大きな自信と支えとなってゆくのだと思います。
ハレルヤ!
 

Sunday, February 27, 2022

今日のランチ

偶然、出会したファーマース・マーケットで
偶然パーキンスペースを見つけたので、
ぶらっと歩いて買ってみた
左のはなはチキン、右の私はお魚
初めて食べる外国のお料理でした
赤く見えるのがご飯なのだけど、
この中にどうしてもおいしい何かがあって
どうしてもおいしいって変な言い方だけど、
本当にどうしてもおいしくて、
でもそれがなんなのかは食べ終わっても不明
レーズンのようなカボチャのような、小豆ではなくて
えっとえっと、甘くて弾力のある何か・・・

Chapter 9 真珠のように磨かれる


愛する者たち。
あなたがたを試みるために
あなたがたの間に燃えさかる火の試練を、
何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。
それは、キリストの栄光が現れるときにも、
喜びおどる者となるためです。
1ペテロ 4:12,13

問題は現れては消えていくものであり、人生にトラブルはつきものです。
重要なのは何が起こったかではなく、何が現れてくるかです。
何かにぶつかったとき、あなたのなかに満ちているものがあふれ出るのです。
私たちは最悪を想定しがちですし、大体その通りになるものです。
人生は、なぜか、私たちが予期することを与えます。
ですから、目をしっかり開き、日々期待をこめて、素晴らしいことが起こるよう求めましょう。
私たちが直面する戦いは、私たちを強め、確信をもたせ、信仰を深め、ワクワクするような次の冒険に向けて私たちを整えるために意図された、天からの贈り物ということもあるのです。
人生における障害は、そうは見えなくても、実は天国に通じる道かもしれないのです。
最悪だと思える問題が、最終的には最高のものになるかもしれないのです。
スー・オーガスティンの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』より
人生から問題がひとつもなくなるということはないのだから、幸せになることを先延ばしにしてはいけない。
心からそう思います。
そして、問題の向こう側にあるのは、いつだって、今まで見たことのない新しい世界。
そこに生きる新しい私。
そうやって、景色はどんどん変わる。
あそこにしがみついていたら、見ることのできなかった景色。
この両手に何かをにぎりしめていたら、受け取ることのできなかった新しい仕事。
次の問題について考えている場合じゃないわね、この新しい景色をエンジョイしなくっちゃ。
神さま、ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。
☆昨日、はなのポイントシューズを新調しました
写真はトーレンスにある素敵なダンス用品店

Saturday, February 26, 2022

I'm not an unemployed!

どんな1日でしたか

私は、昨日とはすごく違う私でした

それはすごく新しい私

とってもブランニューな私が始まった

そんな1日でした

Chapter 8 Today


神を愛する人々、
すなわち、神がご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。
ローマ 8:28

「終わり」は人生の一部です。
「今日」を生きるとは、「終わり」と「再出発」を生きるということです。
人生のあるステージは、常に次のステージに取って代わられます。
あなたは今、過去と未来のはざまに立っています。
「昨日」は過ぎ去り、明るい前途と可能性に満ちた「明日」があなたの前に広がっています。
あなたは日ごとに変えられていき、もう過去に悩まされる必要はありません。
新しくなった心を土台に、豊かで充実した未来に目を向けていくことができるのです。
今日という日はまっさら ー 新しく、一点の曇りもなく、過去の出来事の影響を受けていません。
困難や心の痛み、怒りや罪悪感、過去のできごとに対する羞恥心などは、あなたがわざわざ持ち込まない限り、「今日」に入り込むことはありません。
「明日」への不安や心配、疑いや恐れなども、あなたがそうさせない限り、今この瞬間のあなたに影響を与えることはできないのです。
神の霊、聖霊が新しいいのちを吹き込んでくれるのにまかせてください。
あなたが回復し、元気になり、活気を取り戻し、充電するチャンスは今なのです。
人生は贈り物です。
プレゼントを受け取り、注意深く包みを開け、熱く生きてください。
スー・オーガスティンの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』より
ああ、本当に、今日という日にこのメッセージが受け取れて、とっても幸せです。
新しくされること、新しいことを始めることに遅すぎるということは決してないということです。
ピアノを、その場で、コードだけを見て、歌う人に合わせた伴奏ができるようになりたいといか、プレッシャーを感じずに英語が話せるようになりたいとか、幼稚園で働きたいとか、全て、かつての私がみた夢でした。
結婚をして子どももいた大人の私です。
そして、私は、今、その夢の中を生きています。
だとしたら、今の私が見る夢の中に、将来の私が生きていると信じて、その夢の実現のための「今日の分」を果たさなければ、と思います。
いえ、果たさずにはいられません。
今日を生きるとは、そういうことなのだと思います。


 

Friday, February 25, 2022

Chapter 7 内なる力を取り戻す

神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。
ピリピ 2:13,14

聖書の創世記の3章11節から13節、これが責任転嫁の始まりです。
以来、人々は責任転嫁合戦を続け、お互いを非難し、自分の考えや感情や行動に責任を取らずにきました。
それによって、過去の傷を越えて進んでいく力が奪われていることを自覚していないのです。
「不満」や「非難」という巧妙なワナに陥り、内なる力を放棄してしまったのかもしれません。
今こそ、毒素の強いこの二つの習慣をやめ、自分が何を感じ、どう反応するか、何に目を向けていくかに対して責任を持ち、内なる力を取り戻すときです。
再出発に必要なのは、この内なる力なのです。
人のせいにしたり、不満を言いたくなったとき、その誘惑に負けるなら、それがどんなことであれ、自らの力を手放すことになります。
直面している困難ではなく、あなたに差し出されている機会をじっくり考えてみてください。
いつも私の側にいる2人の天使
何をどう感じるかは、私たちが選ぶものなのです。
私たちが同意しない限り、何一つ、私たちを幸せにしたり、悲しくさせたりすることはできません。
何が起こっても、最終的にどう対処するかは、私たち次第です。
それはいつでも選択するものなのです。
不機嫌や怒り、落ち込みやイライラで、良くない対応をしていることに気づいたときは、自分の行動に責任を取るよりも、だれかのせいにしたい誘惑にかられます。
そして、その対象はすぐに見つかります。
ですが、だれかのせいにするなら、あなたはその相手に縛られたままです。
自分で責任を取れば本当の意味で自由になれるのです。
スー・オーガスティンの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』より
内なる力と書いて、聖霊と読みます。
私はそう読みました。
聖霊の働きをじゃまするものは聖霊の悲しみなのでしょう。
私たちの内には霊があります。
その霊は、創世にはじめに水の上を動いていた神の霊なのです。
神の霊は、はやり神であって、聖なる霊なので、私の内にある、神と調和しないものとは決して共に働けないのでした。
でも、神の好みの幅はとても広い。私はそう信じています。
映画でも本でも、観る読む私がそこに神の御栄光を感じ、神を褒めたたえるなら、暴力シーンが一杯のアクアション映画も、この世のラブ・ストーリーでも、神さまは私と共にそれに感動してくださるし、日本やアメリカの楽しい行事、例えば豆まきやお雛祭りやハロウィンにも共にいて喜んで参加してくださる、悪いものからも守ってくださる。私はそう思うのです。
だから、私たちが手放すべき部分は、全然微妙なんかではなく、誰が見ても白黒はっきりわかる何かなのです。
そして、それを見せてくれるのも、教えてくれるのも、結局聖霊でしかない、と思う。

Thursday, February 24, 2022

良いこと一杯(むずむずむず)


今日も寒かったね〜。
プールの水の表面に湯気が見ました。
うわ、寒いんだな〜、なんて思っていたら、入れなくなっちゃうから、何も考えずにどぼんと飛び込みました。

今日は良いことが色々ありました。
まず、月に一度の英語のスピーキングテストを受けたらなんとレベル6から8への昇格。
ぱちぱちぱち。
それから外務省から強制的な隔離が解除されることになったことを知らせるEメールが届きました。(あ、これ日本への渡航後のことね)
公共の乗り物に乗ってはならないうんぬんもなくなっていました。
夏に帰る時には、はなも連れてゆけそうです。
夫にも、もしよかったら、一緒にどうぞと言いました。
でもって、学校から送られてきたはなの成績がと〜っても良かったこと。
手が大きんじゃないよ このヌテラがちっちゃいの!
えっと、それから母の3度目のワクチン接種をケアマネージャーの優希さんが予約してくれて、彼女が連れて行くことにしようとしたら、デイサービスの人が連れて行くことを申し出てくれて(そうするとタクシーを使わずにすむ)優希さんは現地でのサポートと送りを担当してくれることに。
そのことをお隣さんにテキストすると、喜んで当日と翌日の母の様子を見にいくね、って言ってくれました。
すごいチームワークです。

うんと、それから。
去年の夏以降、あれこれ揺れていた仕事のこと。
冬の帰国を挟んで中断したボランティアはちゅうぶらりん。
そのちゅうぶらりんを反省し、思い切って自分の中でケジメをつけようと全然違う職種の面接を受けたら、すぐに採用され、書類も提出し、準備万端整ったはずだったのに、仕事はなかなか来ず。
来たと思ったら、夜中だ、土曜日だ、日曜日だ。
でも、結局それもこれもみ〜んな神さまの業であったのだと、しみじみ思う。
そう。
決めたのです。
決まったのです。
神さまが、消去法で私に決めさせてくださったのです。
ああ、早く書きたい。
でも、もう少し待ってね。(むずむずむずむず)

Chapter 6 Starting Over


だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られたものです。
古いものは過ぎ去って、見よ、
すべてが新しくなりました。
2コリント 5:17

「今」に現される神様の力は、過去の出来事の制約を受けません。
つらく悲しい記憶に振り回されるとき、あなたは過去にに未来をコントロールさせてしまっています。
けれども、神様にコントロールを預けるなら、神様はあなたのこれからの人生に驚くほどのわざをなしてくださるのです。
全く新しい結末を迎えることができるのです。
相手を赦した後、再出発の第一歩に最もふさわしいのは、あなた自身を赦すことなのです。
再出発と自分を赦すことは密接につながっています。
心にやましいことがあると、神様が祈りに応えてくれると信じることができません。
罪をすべて告白し、神様の赦しを受け入れ、そして自分自身を赦さなくてはならないのです。
自分を赦すことは、神様のとてつもない愛を信じ、驚くほどの恵みとあわれみを受けることから始まります。
神様の驚くほどの恵みとあわれみは、罪の行為を記憶にとどめません。
見た目は同じっぽいけど、新しい私
神様は、もはや彼らの罪を思い出さないと言っておられるのです。
スー・オーガスティンの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』より
いかですか。
私は、これを読んで後、速攻、プールでがんがんに悔い改め、神さまに赦しを乞い、そして赦されたことを信じ、自分を赦すと告白しました。
いつだって間違いに気づいた時には、さっさと「ごめんなさい」と言える自分でいたいです。
スーは、相手がそれをどう受け取るかは私たちの責任ではないと言います。
なるほど。
そこを心配するは分を超えた事、と言うわけです。
神さまのお仕事ね。
私は、私に関する限り、全ての人との間で、平和を保つべし。
 

Wednesday, February 23, 2022

今日の朝ごはん兼昼ごはん

昨日の残りもの
寒いので熱いスープ続く今日この頃
今日は、どんなスープを作ろうかしらん

 

Chapter 5 FORGIVING


互いに忍び合い、
だれかほかの人に不満を抱くことがあっても、
互いに赦し合いなさい。
主があなたがたを赦してくださったように、
あなたがたもそうしなさい。
コロサイ 3:13

赦すとは、痛みを手放すということです。
恨みや敵意の感情を捨て去るということなのです。
赦しは私たちの心の最も深い部分を毒する有害な感情を捨て去る行為であり、変化を起こすきっかけになります。
悔い改めない人は、赦されてもたいした影響を受けないのでしょうが、赦す側は、それによって心や動機がきよめられ、神様の御前に立てるようになり、祈りが聞かれるという確信を得ることができるのです。
赦すとは、寛容で親切で素晴らしい慈善行為などではありません。
神様が赦しなさい、と言っておられるから私たちは赦すのです。
赦すべき本当の理由は、私たち自身が赦されているからなのです。
どうぞ、ここに座って「夢」についてお話しましょ
スー・オーガスティンの『過去の傷が癒やされるとき〜埋もれている夢を掘り起こす21日間』の5日目、Chapter 5 のテーマは「赦し」。
いかがでしたでしょうか。
私には、今日の課題があり、また、明日には明日の課題のある、一生をかけて取り組むべき大きなテーマです。
でも、いつでも、気づいた時に、素早く赦すことのできる人になりたいと思います。
以下、スーの勧める10のステップからいくつかを紹介します。
1、いろんな人に話さないと決意する
2、過去についてあれこれ考えるのをやめる
3、赦そうとする相手といるときは、明るく穏やかに
6、独善的な意識を捨てる
8、生涯をかけて完全に赦す覚悟を決める
9、自分を傷つけた相手のために祈る
10、あなた自身がいやされるように求める

特筆すべきは6のところで、ニセの親切心を用いることができてしまうから、とあったこと。
さすが、スー。
そうだね、確かにそうだ。
大すきだったのは9。
「祈るとき、私たちは神様に対して完全に正直でなければなりません。
怒っているなら、そう告げてください。
怒りや苦痛、許せない思い、恨み、失望などを告白してください。
神様があなたに正しい霊と新しい愛をくださるように願い求めてください。
相手のために祈るとき、私たちの心に変化を起きます。
頑なな心が溶け、苦痛を乗り越えて、赦せるようになります。」

上の写真を撮っていたら、
はなが起きてきて、これを撮ってくれました

Tuesday, February 22, 2022

北風ぴーぷー吹いている ♪


寒かったね〜。
北風ぴーぷー吹いているな〜って思ったら、夕方からなんと冷たい雨まで降り始めました。
さすが2月です。
2月だもの。こうでなくっちゃ。
商業的に季節の先取りが加速されてゆく中、こんな風に、実は2月って、まだまだ寒いんだよね〜と、大自然を治めておられる神さまと顔と顔を見合わせて、うなずきあったような日でした。

そうなのです!(突然、おっきな声でゴメン)
私は、今朝、プールで泳ぎながら、色んなこと、ひとつ、ひとつ、内容を詳しく確認しながら、神さまの顔を見ながら、目を見て、ちゃんと、はっきりと、言葉にして、声にして、手放したのです!
ぱちぱちぱち。
顔を見て、目を見て、っていうのはイメージだけど、でも、そんな気もちで、ひとつひとつを丁寧に感謝しながらお返ししました。
今、すごくすっきりしています。

それでね、最後に2往復ぐらいを「わが愛する者」という大すきな賛美を心の中で歌って、「さあ、立って出ておいで」のエンデイングと共にプールを上がろうとした瞬間、あの人を見たのです。
あの、私が死んでるみたいに見えた人、第6のコースの人、確か、あの日も火曜日だった気がする。彼が私の前を元気に歩いていた。
今日の彼は、私にとって、とてもハンサムな静かに自分の人生をエンジョイする老人でした。
父のように・・・。
やっぱり、あの日、私が見たのは私の心が見たがったネガティブな幻だったのでした。

☆写真は最近出会って、ちょっとはまっている、ほうれん草とチーズのクロワッサン
トーストして例のマーガリンで食べてみました
 

夢見人

選曲のお当番さんから、新しい曲が届きました
とても、とても良い歌です
それはまるで、スー・オーガスティンの、
「埋もれている夢を掘り出す21日間」のテーマソングのよう

さあ、目をあげてみわたそう
ぎゅっと握りしめていた「昨日」を手放して
「今日」とその先にある全てのよいものを受けとろう
新しい自分、新しい日々、新しい関係、新しい仕事

 

Chapter 4 いち、にの、さん!


いっさいの重荷をまつわりつく罪とは捨てて、
私たちの前に置かれている競走を忍耐を持って
走り続けようではありませんか。
ヘブル 12:1

「神様は、古いものを取り去って、新しいものが入る余地を作らなければならないと聖書で言っておられます。
クローゼットでも人生でも、過去をため込んでしまうのは簡単ですが、執着心は私たちの前進を妨げ、身動きできなくさせ、わくわく感や夢を損なわせてもいるです。
求めている成功や健康、喜びや豊かさを受け取れるように、私たちは自分を解き放つ必要があります。
古い感情や頑なな態度、現状にそぐわない思い込みや、ものの見方など、ー私たちの成長を妨げているものは何であっても、処分しなければならないのです。
今のつながりの中には、うまくいっていないものや、すでに卒業しているものがあるかもしれません。
私たちが固く握りしめていた手をようやく開き、古いものを片付けると、人生に新しいものが入ってくる余地ができます。
あなたは常には、二つの選択肢が与えられているのです ーつらかった過去に目を向けるか、元気をくれる今とその恵みで心を満たすか。」
今朝のスーのメッセージ、いかがですか。
なかなか良いとは思いませんか。
本の中の手放すべきことのひとつ、「現状にそぐわない思い込みや、ものの見方」そして、「今のつながりの中には、うまくいっていないものや、すでに卒業しているものがあるかもしれません」という文章にしっかりと印をつけました。
ああ、そうかもしれないと心から思えたからです。
自分勝手な思い込みって、悲しいけど、あったと思う。
滑稽だけど、例えば、自分が、誰か素敵な人のお友だちだとと勝手に思い込むとか、自分は列に並んでいるつもりで、でも列なんて存在しなかったとか。
それはとっても滑稽だけど、気づいた瞬間は悲しいです。恥ずかしいです。
でも、それを自分であはは〜って笑うことができたら、すごくかっこいいと思う。
(そもそも人の目など気にしなくて良いよね。
スーいわく、彼らが考えているのは自分のこと、そして、自分は人からどう思われているのか、ということらしい!
これはまるで冗談みたいだけど、真剣にノートに書き取りました。)

Monday, February 21, 2022

うふふ


どんな週明け、長い週末の最終日をお過ごしですか。
私はとても良いスタートでした。
初めて、11時半という、とっても遅い午前にプールを予約し、泳いでみました。(本当は泳がないつもりでいたのです。はなの学校もお休みってことで)
年齢層はかなり高く、全員女性でした。
早朝のプールのエグゼクティブっぽい中年男性達のものすごい勢いの泳ぎとは対照的に、静かで優しい雰囲気が、とても新鮮でした。
それから、サラダとスープのランチを作って食べて、はなを歯医者さんに連れて行きました。
半年おきのチェックアップです。
その後はお買い物。
今夜はタイ・カレーを作りました。
賢人にもはなにもあまり好まれないなナスやピーマンもピッツアやタイ・カレーだと文句が出ないので、時々、知らん顔して作ります。
そして、はなは、お父さんのヘア・カット。
私が日本にいる間に始まった、パンデミック以降の我が家の新しい習慣のようだけど、見るのは初めて。
楽しそうに会話しながら、とっても上手に切っていました。
夫は世界で一番幸せな父親です。
で、ここからは、自画自賛なのだけど、はなの父親思いは私の血筋です。うふふ。

ふぃーるぐっどムービーず

平和で優しい気もちになれるラブ・ストーリーを3つ
主人公のグレースのお庭が大すきだった
そして彼女のお出かけの時の小さなバックにも注目して欲しいです
でも、一番の見どころは脇役たちのおもしろおかしい本当にありそうな人格のあれこれ
密かなトムハンクスファンな私だけど、
この映画ではメグライアンさんの魅力をた〜っぷり味わいました
彼女のアパートのインテリアと絵本屋さんのディスプレイも大すき
居ながらにしてヨーロッパの田舎の雰囲気を満喫
しかも、難しいことは全てアメリカ人の旅人におまかせ
野菜畑での収穫からはじまる主人公のふたりのお料理のシーンが大すきでした

Chapter 3 The Choice Is Always Yours


これは、主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇 118:24

「最終的にどうなるかを決めるのは、宿命ではなく神様であり、そして、この方に対する信仰の度合いによるのです。
あなたの身に起こることは、コントロールできないかもしれませんが、あなたのうちに起こることはコントロール可能です。
私たちにはそれぞれ、なぜ今こういう自分になったのかという理由はあるでしょうが、その状態にとどまるべき理由はないのです。
人生のすべてが私たちに選択を求めてきます。
「素晴らしい朝です。主よ」と言うこともできますし、「素晴らしい主よ。朝です」と言うこともできます。
多くの人々は、自分の人生に責任を持つために、自分に対して支配力のある相手を変えようとします。
でも、それは私たちに「被害者意識」を植え付けます。
もし、あなたが被害者としてふるまい続けるなら、この先自分の人生に責任を持つことはできなくなるでしょう。
痛みや喜びの喪失をだれかや何かのせいにするほうが、よっぽど居心地がいいのです。
ですが、ぜひ知っていただきたいことがあります。
この自覚はあなたにとって、今までで一番の祝福に変わるかもしれないのです!」
今朝のスーのメッセージ、感謝と喜びでいっぱいになる最高のメッセージです。
声を大にして言いたいのですが、私もまた、被害者になること、(いえ、正確には)被害者を演じることに不健康な居心地の良さを求めていました。
でも、そうすることによって、手放さなけれでならないものの大きさに気づき慌てると同時に、手放さない自分を知ってほっとします。
それは、幸せを外的要因、周囲の状況に委ねることであり、クリスチャンが絶対に手放してはならない、「信仰」と反対のことだもん。
最終的にどうなるかを決めるのは神さまであり、この方に対する信仰の度合いであるとは、本当に良く言い当てたものです。
みんな、本当に、一生懸命に生きているのでした。(すごい唐突かもしれないけれど、私の中では一本の線なのです。悪しからず。)
私も一生懸命に生きています。
傷つけたり傷ついたりしながら。
でも、それは、それほど、驚き怪しむようなことじゃない。
だって、みんな、本当に一生懸命に生きているのです。
生きるってそういうことだから。

Sunday, February 20, 2022

Chapter 2 希望の約束


夕暮れには涙が宿っても、
朝明けには喜びの叫びがある。
詩篇 30:5

「希望なしに、信仰を持つことができるのか、私にはよくわかりません。
希望は、どんな状況にあっても、すべてうまくいくと信じてすすみます。
信仰とは、それを実現させてくださる方を信頼することなのです。
希望にはとてつもない力があります。
立ち直れないほど心砕かれ、やる気を失うような状況の中でさえ、それを切り抜けるのに必要な根気強さや不屈の精神を与えてくれます。
未来への道を発見する準備をしてください。」
今朝のスーのメッセージです。
昨日、いきあたりばったりに、ブースターショットを受けてしまった話は書きました。
夕べは、乾いた喉を潤そうとお水を飲む度に、ぶるぶると寒気が来て、靴下をはき、セーターを着て眠りました。
でも、2時に喉が乾いて目覚めた時、「あ、やっぱ、だいじょうぶ」って思えた。
「明日のピアノの奏楽ちゃんとできる。
神さまありがとう。
あと4時間でもっと完璧に癒してね」と言って再び眠りに落ち、6時に起きた時には本当にすっきりとしていたのです。
あ〜、よかった。
良い、聖なる安息の日曜日となりますように。アーメン。





 

Saturday, February 19, 2022

今日のランチと我が家の巨大な蜂の巣と思わずブースターショット受けちゃった話

はなをバレエレッスンに連れてゆく時に、いつものようにお庭を横切っていると、あまりの大きく不思議な電子音に何気なく上を見上げると、なんと巨大な蜂の巣
急いでいたので、詳細は後で調べようと、レッスンへ
で、はなのレッスン中、私は、アクシデンタリ、ブースターショットを受けてしまいました
(これには深いわけ、っていうかアポイントメントと取りに行ったら、15分後のアポイントメントを取ってくれてしまい、私も、まっ、いっか、なるようになるわと打ってもらってしまった)
レッスンを終えたはなと、ドキドキしながら、適当なランチ
でも、このクロワッサン、とってもおいしかった
見えますか?画面中央
ハチたちは巣に静かに納ってくれています
フットボール以上の大きさです
でも、この世界の大自然の裏方として支えてくれているハチなので、大騒ぎせず、見守ろうね、とはなと話し、夫には言っていません・・・
ご近所にもバレたくないので、電子音をさせないようにしなければと思います

お片付け術〜楽譜編


最近、大体的に楽譜を整理したお話をしました。
すごく時間がかかって大変な作業でした。
たっぷり2ヶ月はかかったと思います。
それで、再び、楽譜を増やさない、ごちゃごちゃさせないために考えたこと。
1枚のコピーを使い回す術です。
礼拝ごとに変わる調や展開を、その都度楽譜に書き込んで、楽譜を汚し、見づらくなったところでコピーを増やす。
あらゆるバージョンが、見にくい状態で何枚も溜まってゆく・・・、そこからの脱出法。
「楽譜には書かない」
シンプルだけど、ちょっとめんどさいこのきまりを自分に課してみたところ、なかなか気もち良い。
しかも、ポスティットのメモは見やすい!
いつも礼拝前のリハーサルは150%ぐらいテンパりようで、小さな変更を赤鉛筆やハイライトとめちゃくちゃに書き込みをしてしまうのだけど、それは鉛筆で書く決まりも作ってみました。
元々の楽譜がきれいだから、えんぴつでも十分に見えます。
これ、私の新しいお片付け術〜楽譜編です。

Chapter 1 Yesterday

先の事どもを思い出すな。
昔のことでもを考えるな。
見よ。わたしは新しいことをする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。
確かに、わたしは荒野に道を、
荒地に川を設ける。
イザヤ 43:18,19

「まず第一歩は、それが起こると信じることです。
奇跡は、信じて望む人に起こるという特性があります。
どういうわけか人生は、私たちが期待するものを与えようとするのです。
あなたがあなたのいる世界の片隅を明るく照らし始めるなら、その光は人々へと広がっていき、輝きを増し、私たちの世界は明るくなっていくのです。
1日を終えたら、いつでもそれで終わりにしなさい。
できるだけのことをしたのだから。
明日を始めなさい。
美しく、良い日はこの日なのだから。
希望や可能性を秘めたこの日は貴重すぎて一瞬たりとも、過ぎ去った日を思って浪費するわけにはいかない。」
今日から3週間をかけて、スー・オーガスティンの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』を学び直すことにしました。
この『おはようスポルジョン』の中で、3回目の学びになると思います。
でも、何度読んでも新しい発見のある奇跡の本なので、どうか、お付き合いください。
何度読んでも新しい発見のある理由は、今なら、わかる気がします。
読む時の私が違うからです。
1回目の私は、ある友情と教会とを同時に失った直後でした。
2度目の私は、仕事で大きな挫折を味い大きな自信喪失の中でした。
そして今回は、兄と父と仕事、そしてとても大切だった友情をも主にお返しした、喪失だらけの18ヶ月へのお別れの学びです。
私を励ましてくれる小物たち、熱いコーヒーとひざかけ、そして力ある聖書のみことばと静かなピアノの賛美が、あなたの元にも届くような学びとなるよう、祈りつつ


Friday, February 18, 2022

完了・お片付けプロジェクトふたつ

増えて増えて、どんどん増えて困るもの
その①写真とビデオ
で、がんばって整理しました
一個一個開いて、中身を確かめて、似たようなものはひとつを選び
タイトルをつけ、年代別グループごとに分けました
その②楽譜
複数あるものは一番きれいなのをひとつだけ残し、
絶対に必要がないと思えるものは処分
新しいものはスキャンしてドライブにも保存
おかげで半分の量にまで減らせました

2ドルのごちそう

近所のイタリアンデリの冷蔵庫に
(豆腐屋のおからのように)無造作に転がっている
一袋2ドルぐらいぐらいのピッツアドウを買ってみました
広げるのがすごく大変だった
でも2枚めはわりと簡単に広がった
きっと、温度に関係しているのね
ペパロニチーズと野菜チーズ
共にうまく焼けましたよ〜
 

Thursday, February 17, 2022

春の息吹の中で

アブラハムの死後、
神は彼の子イサクを祝福された。
イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みついた。
創世記 25:11

「生ける神の御前に生活することを学ぼうではないか。
この日も、後の日も、あなたはご覧になる神、と感じることができるように祈ろうではないか。
人間が作った水がめはひびが入って水もれがする。
しかし、創造者の泉は決して涸れることがない。
この泉の近くに住み、豊かな不断の供給を親しく受ける者は幸いである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
今朝もプールで泳いできました。
でも、怖いものは何も見ませんでした。
もしかしたら、昨日見たのは幻であったのかもしれません。
人は見たいものを見る生き物だから。
それで、今朝はプールの中で、いつものようにではなく、ただ自分のことだけを祈りました。
去年の秋、とても悲しいことがあり、やっと最近、そこから立ち直る決心ができた矢先、再び同じような悲しみに襲われる出来事がありました。
もうこれ以上は無理っと思って、そこに立ち止まらずにどんどん進もうとがんばっているのに、ほんの少しの油断の隙に悲しみに忍びこまれ、絡みつかれてしまいます。
今日という日、今という時間を精一杯生きなければならない。
そして、明日のため、将来のために少しだけ、努力しよう。
そう思い、そうできるようにと祈りました。
☆写真はお庭のオリーブの木、新芽でしょうか、若草色のぷちぷちしたものがなんともかわいいので、後で、切ってお部屋に飾ろうと思います
春の息吹が感じられる今日この頃です

Wednesday, February 16, 2022

生の中の死について


今朝、プールで泳いでいて、ターンの時にふっと見た、隣の隣、第6のレーンで、横向き、つまり進行方向ではなく、垂直に放心するように、こちらを見ていた白人の男の人の顔が、死んでいるみたいに思えてすごく怖かった。
ドキドキしながら泳いで、次のターンの時にもう一度彼が放心していた場所をちらっと見たら、もういなかった。
父の死顔よりも、もっともっとちゃんと死んでいて、本当に怖かった。
本当に死んでしまった人以上に死に近い、この世の、生の領域がある気がして、その後、ずっとそのことを考え続けてしまい、今日は、本当に、なんだか、雲の上のようなふわふわした私でした。
よく眠っている新生児が死んでいるみたいに見えてしまうのとは全く違うレベルで、本当に怖いぐらいに生きているように見えなかったその人。
瞳はお人形のように輝かず、青白い肌の下は何もかもが終わっているように見えた。
☆今日はサラダの葉っぱ類にのせる残り物のご馳走がないので、ちょっとアクセントになる野菜を用意しました
シランティロ、トマト、アボガド
今日のごちそうはカレーなので、サラダはこれで十分

大人として満ちたりることを学ぶ

私はどんな境遇にあっても
満ち足りることを学びました。
ピリピ 4:11

「私たちはあざみやいばらの種を蒔く必要はない。
それらは土壌にもともとあるのだから、自然に生え出す。
同じように、人間は不平を言うことを教えられなくても一人前に言う。
しかし、地から生じる価値のあるものは、手をかけて育てなければならない。
満ちたりることを知るのが天国の花のひとつである。
そしてもし私たちがそれを得ようとするなら、育てなければならない。
それは私たちのうちに自然に生えることはない。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
このメッセージを読んで、ある微笑ましいエピソードを思い出しました。
ずいぶん前に働いていた幼稚園で、お餅つきをした日のこと、ある女の子がお昼寝の時に、ブランケットにくるまってしくしく泣き始めました。
その子はものすごくたくさんのお餅を食べていたので、心配になり、「どうしたの?大丈夫?」と、トイレに連れて行くつもり話しかけたら、「もっと食べたかった」と言って、再び、大粒の涙をぽろりとこぼしたのでした。
もうひとつあって、それははながまだ小さかった頃、何かのご褒美にお金のプレゼントをしたことがありました。
数のおけいこを兼ねて、それを持ってお買い物に行ったところ、欲しいものに、あと数ドル足りずに怒り出したことがあって、なだめるのに苦労した覚えがあります。
お金のプレゼントは約束でも何でもなく、私からの突然のプレゼントであって、その時は大喜びし、計算も自分ですると言ってくれたのにも関わらず、怒ることを選んだはなに、私はあきれ、人間の本性を見たのでした。
だからスポルジョンが、満ちたりる心は人が学ぶべきこと、育てるべきことと書いているのを読んで、心からアーメンと思います。
はなは成長しました。
お餅がもっと食べたかった女の子も成長したことでしょう。
私たちは、全宇宙を治める神のような気もちで生まれ、泣き、怒ります。
それが最初なのです。
最初から笑ったり、遊んだりする赤ちゃんはいないのでした。
これからも、どんどん成長してゆけるだと思います。
50代も、70代も、90代だって。
親の子どもへの欲求が大きいと子どもはいつまでたっても、自分にも周囲にもなかなか満足できず、つらい時期が長引きます。
でも、大人は、どんな環境にいたって、変われます。
それが大人の人生の楽しさだと思うのです。
☆写真は残りものをのせたごちそうサラダ
残りものというネガティブな面とごちそうというポジティブな面のどちらを食べるかは、これまた大人の嬉しい選択の自由、ははは。

Tuesday, February 15, 2022

本当の力


昨日はどんなバレンタインデーをすごしましたか。
私は、束の間のチョコレートの備蓄とお花あり状態をエンジョイしております。

夕べ読んでいた本の中に、とてもおもしろいことが書いてあったので、忘れないうちにそのことを書きます。

組織のエネルギーの流れには二つあり、ひとつは、権力のエネルギー。
これは上意下達という(初めて聞く言葉です)方向に流れるエネルギーで、このエネルギーの中にいる人はなるべく大きな権力を得ようとがんばります。
そして、もう一つのエネルギーの流れがネットワーク。
四方八方に流れ、このエネルギーの中にいる人は助け合い、分け合うことをがんばり、めぐりめぐって戻ってくるエネルギーを得るというもの。
この場合の「権力」も「ネットワーク」も共にエネルギーの流れを示すことばとして使われていました。
でも、ネットワークの中にいても、権力を欲しがる人や、権力の中にいても、ネットワークを作り始める人っているよね。
だから、私は、それは組織やグループのポリシーというよりは、個人の好みによるものだと思う。
良いとか悪いとかではなく。
でも、ひとつだけ、知っておくべきことがあるとするなら、権力って、それを示す対象が常に必要だから、ひとりでは生きてゆけないってこと。
聴いてくれる人、わかってくれる人、感謝してくれる人、ほめてくれる人、敬ってくれる人、言うことを聞いてくれる人。
一方、ネットワークの人はひとりでも周囲に影響与えることができます。
聴いてくれる観客も見つめてくれるファンも兵士も奴隷も理解者もいらない。
ただ、主権という名の下で、自分に満足のいく仕事をすることで、十分すぎるものを周囲から受け取ることができるのだと思う。


Saturday, February 12, 2022

主を尊ぶとは

わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。
1サムエル 2:30

主を尊ぶとはどういうことなのだろう。

神を神とすること。
偶像を拝まないこと。
神さまの名前で勝手なことを言ったり書いたりやったりしないこと。
7日めには必ず礼拝すること。
神が愛するものを愛すること。
自分と人、神さまがお創りになられたこの世界。
神さまのことばを読むこと。聞くこと。信じること。
神さまが与えてくださった家族を大切にすること。
おいしいごはんを作ること。
時々はわがままも聞いてあげること。
時々はちゃんと教えること。
ひとりひとりのためにお祈りすること。
文句を言わないこと。
働くこと。最低6日。最高6日。
でも、夢中になりすぎないこと。
悪口を言わない。
野菜をたくさん食べること。
泳ぐこと、歩くこと。
泳ぎながら、歩きながら神さまとおしゃべりすること。
ピアノを弾きながら歌うこと。賛美すること。
家と庭をきれいにすること。
お友だちの心と身体を大切にすること。
お友だちに心と身体を大切にあつかってもらうこと。
絶対にいじめてはいけない。
いじめられてもいけない。
自分の心と身体も。

それが、私にとって主を尊ぶこと。
神さまが私を尊んでくれるから、だから、私も神を尊びたい。
きっとできる。

Friday, February 11, 2022

引き出し・いろいろ

ごっちゃごちゃのぐっちゃぐちゃ
引き出すたびに、にんまりしてしまう私の宝箱
大すきなものが詰まっている、キッチンの引き出しその1
こちらは打って変わって、パズルのようにどんぴしゃりと収めた
キッチンの引き出しその2
でもって、こちらは開けにくく、しまいにくく、
入れにくく、だしにくい、ベッドルームのアンティークの引き出し
でも毎日最低2度はかたかた言わせながら開けて、
必死に必要なものを探している
閉めた時の姿が好きなので、買い換える気、全くなし





 

最近の画伯の作品

我が家の芸術家、はな画伯の作品
定期的に公開しているつもりだけど、どこまでみてもらったかしらん
これは、まだオンランクラスの頃に描いて、日本にいた私を励ましてくれた絵
その後、去年の8月に学校の校舎が開いてからは、
あまり進まず、この2点かな
私は、このソフトクリーム・コーン2個を
片手で持ちにくそうにがんばるこの手が大すき
下はダイソーで買った、使用済みパレット
アクリル絵の具で描くので、少し乾くと、もう洗えず、この通り
画伯としてはこれもまた「ゲージツ」
将来何かに使うのだそうです

 

ルツさんが教えてくれたこと

私があなたを買い戻します。
主は生きておられる。
とにかく朝までおやすみなさい。
ルツ記 3:13

上手にできないことってあります。
上手にできずに、誰かを傷つけてしまうことも。
ものごとが上手くゆかないことや失敗は避けては通れない人生の一部です。
今朝、読んだ本にこんなことが書いてあった。
オレンジを絞るとオレンジジュースが出てくる、そして、私たちにプレッシャーがかかれば、私たち自身が出てくる、ってそんな文章でした。
つまり、ないものは出てこないと。
例えば、憎しみや怒り。憐れみや悲しみ。
どちらが出てきても、驚いてはいけないね。
ああ、私とは、こういう物質でできていたのねっと知り、変えたければ変わり、変えたくなければプレッシャーがかかるたびにそれを放出しながら生きる。
でも、それは自分が放っているものであって、外側で起きたこととは関係ないと知っておかなくてはならないと思う。
取られたものを悲しみ続けることはせず、残された義理の母を愛し、与えられたものを喜び、スーパーポジティブに生きたルツさん。
彼女もまた、自分の内にあるものに責任を持って生きた人であったと思う。
そして、ルツさんは自ら選んで切り拓いた新しい人生の中でダビデのおじいちゃんを生み、育てたのでした。

Thursday, February 10, 2022

最近手放したこと

パンにはどうしてもバターを塗りたい、
そう思っていたけど、これをためしてみて、その気もちを手放した
これいけた
オリーブオイルのマーガリン
結論から言うと、お塩で味付けしたオリーブオイルなのだけど、
リキッドじゃなくて、スプレッドなところがうれしい
パンに絶対、何かを塗りたいヒト、
是非ともこれを塗ってみてほしいです