Nothing can ever separate us from God's LOVE
Rome 8:38
ハッピー・イースター!
今朝は、ちょうど1年前の藤本満牧師のイースターのビデオを見ながら礼拝をしました。
ローマの8章から「引き離すもの」をテーマにしたメッセージでした。
そこで、この世界の中で私たちが体験するさまざまな現実的な「引き離し」について考え、それは避けられない現実であること、でも全てを失くしてのも残るものについて語られました。
心からアーメンと思うと同時に、私はまだ、その現実的な「引き離し」を経験していないことにも気づき、感謝しました。
21年の5月、私はコロナの真っ只中で父を天に見送りました。
さまざまな「引き離し」死別、戦争、災害、事故、病気、藤本牧師はふれなかったけれど、そこには不和による「引き離し」というものもあるでしょう。
その中で、コロナの中で病気になってしまった人との引き離しの現実的な事例を聞きながら、母と私が父の最後のところまで、いつもいつもぴったりと一緒にいられたことを、奇跡のように思い、感謝すると同時に、引き離されたご家族、今も引き離しの中におられるご家族を思って、心が痛みました。
父の希望で、投与していたお薬をやめ、ホスピスに入り、最初の数日、私と母は、夕方の父の食事が終わると家に戻って、ふたりですごしていました。
でもある日看護婦さんに、夜になると、身体の動きが激しくなるので、危険の防止にモーションを察知する小さなクリップ(クリップがはずれるとナースステーションに知らせがいくしくみ)をパジャマの襟につけても良いですか?と聞かれ、私は、入院前、父の部屋で寝るようになってから、父が、少しだけ、長く、良く眠れるようになったことを思い出して、その日から泊まるようにしました。
そうすると、やっぱり、父の動きがおさまりました。
それほど、父はひとりになることに不安があったのに、家族との面会の難しい病院で、何週間も治療や検査を受けている人がいることを思うと、本当に本当に苦しいことであるとわかります。
聖書が読めたり、お祈りできる人はともかく、記憶を失い続ける、例えば、アルツハイマーでありながら他の病気にもなってしまったら、その混乱や不安や落ち着かなさや恐怖は大変なものだと思うのです。
でも、藤本牧師は、そんな状況の中でも絶対に残るもの、それが神の愛なのだと教えています。
私は、自分のこととして、それを体験していないかもしれないけれど、でも信じます。
心からアーメンと思います。
☆写真は昨日、買って、がまんできずにクルマの中でひとつ食べてみたクッキー
みためはすごいけど、ひとつが小さくて、甘味もそれほど派手じゃなくて、一生懸命働いた後のお茶菓子にはぴったりと思いました。