この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
主は彼らを苦悩から連れ出された。
主があらしを鎮めると、波はないだ。
波がないだので彼らは喜んだ。
そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
詩篇 108:28~30
神さまの恵と憐れみに満ちた冬休みも余すところ、3日となりました。
4年ぶりだったので、色々家族を戸惑わせることもあったのかもしれないな、と残りが3日になってやっと気づきます。
もっと気ままで自由なクリスマスやお正月だったのかもしれません。
2025 |
2週間もの休暇で、しかも、そんな長期の休みにはいつも不在だった私がいるのでそれなりに色んなことがありました。
でも、全て、この最後の3日を前にして、良いことだったと思えるから神さまは素晴らしいです。
まず、1週間めに私のジープが故障。
年末年始を挟んでいたので、頼みのメカニック、トニーにもくわしく見てもらえず、仕事が始まるまでに直せるのかという不安の中で、なんと夫のホンダが、夜のビーチでお友だちとおしゃべりしていたはなが乗っている時に、バッテリーがあがってしまい、ウーバーで帰ってくる事件が勃発。
でもその夜は、バッテリーとかそんな簡単な問題とはまだわかっていなくて、すごくすごく不安な一夜をすごしました。
そしてついでのように、久しぶりに賢人もはなも部屋にいたといういうのに大きな声で夫婦喧嘩。
これは最悪・・・、と思いそうになったけど、でも、神さまは私をその最悪から引き上げてくださいました。
その夜、というかもうほとんど明け方だったのど、家族が寝静まった後、ひとりでぼんやりとピアノの讃美歌を聴ききながらクリスマスツリーを眺めていて、一番上にかざった小さな天使に目が留まりました。
2020年の11月にはなが私にくれたお誕生日プレゼントです。
私はこの天使をその年以来ずっとクリスマスの日本旅行に連れて行っていました。
2020年の11月26日、これを受け取った私は、失業中でしかも貯金はすっからかんで、おまけに病気で寝ていました。
コロナです。
しかも2週間後の日本行きを控えて・・・。
父が亡くなる半年前のことです。
最悪というコトバを使って許されるのはこんな時という見本のような日、誕生日でした。
「不安」がやっと息をしているような存在だった私、その思い出の象徴の小さな天使を見ながら思ったのです。
全ては益だった。
仕事を辞めて、日本に帰ったから、父の最後を一緒にすごせた。
その父から最後に大きな大きな贈り物を与えられた。
お金では買えない「最後の最後まで仕事を楽しみ続ける幸せな生涯」という真理の遺産とお金という遺産。
そして、今の職場を与えられた。
そしてそこは今まで経験をしたことのない最高の場所だった。
私は天使を再び、ツリーから自分の部屋に連れ戻りました。
忘れなくないから。忘れてはならないから。
ハレルヤ、神さまは本当に良いお方です。
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