Wednesday, May 3, 2017

ヨハネの福音書 6章

なくなる食物のためではなく、
いつまでも保ち、
永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。
それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。
ヨハネ 6:27
去年の夏に幼稚園を退職した時、今度は、天国のためのワーカーになりたいって思いました。
そしたら、すぐに教会のチャイルド・ケアの仕事が与えられて、楽しく仕事をさせてもらえるようになりました。
お母さんたちに福音を聞いてもらう間、お母さんたちが聖書の学びをしている間、お母さんたちが教会のことで大切な話し合いをしている間、その子どもたちを楽しく遊ばせる仕事です。
午後は、ピアノのレッスンがちらほら入ってきていたから、のんびりだけど、庭仕事もできたし、はなの習い事にもとことんつきあえたし、夫も、私の作る晩ごはんを喜んで食べてくれるようになってきていたので、満足できるようにと祈りはじめたところでした。
つい最近ね。
でも、心の奥では、もっともっとできるとずっと思っていて、何かをとってももてあましていた。
時間じゃなくて、エネルギーでもなくて、愛でもなくて、なんだか自分でもよくわかりません。
それで、そのもっともっとの部分に焦りを感じないように、せっせとY に通って、祈りながら泳いだりして。
あれは一体なんだったのだろうって、今朝、考えてみました。
恐れ多いけど、もしかしたら、それをパッションと言うのかな。
先週の礼拝メッセージのタイトルは「キリストのパッション」だったのです。

Tuesday, May 2, 2017

ぶれいん・すとーむ

★先週、祈りながら、でも自信一杯に提出した、教会のチャイルド・ケアの来年度の出勤時間の希望の書類を、おずおずと返してもらって、書き直して、再提出しました。
私の人生ってはちゃめちゃ。
ただのはちゃめちゃで、ちっともドラマチックではないのが幸いですが。
待合室にいるような平和な仕事だったけど、もう一年ほどここで、英語を勉強しながら、ピアノの練習をしながら、はなの小学校から中学校への移行を見守ろうって、決心した矢先の、チェンジ・マインド。
迷惑かけちゃうかなって、思ったけど、あっさりと事務的に受理されてほっとしています。
★ピアノ・レッスンの仕事は、とても楽しくてとても順調。
今日は、ものすごく久しぶりに出張レンッスンに出かけてきました。
20代のあの頃と同じように、幸せな家庭な対する憧れ物質がどばどばと分泌されちゃった。
不思議です。
あの頃、生徒のお母さんは、みんな年上で、台所からちらちらとレッスンを見守ってくれていて、おうちの中に、晩ごはんのいい匂いがして、「私もこんな家庭を作ろう」って、思っていた。
今日も、同じことを思った。
お母さんはとっても若くておなかに赤ちゃんがいて、子どもたちは私の子どもたちよりも、ずいぶんと小さいのに、でも、「ああ、こんな家庭を作りたいな」って。
この仕事は、続けてゆくつもり。
できる限り、ゆるされるかぎり。
ライフ・ワークとして。

夫のための30の祈り #1 妻

どうか忍耐と励ましの神が、あなたがたを、
キリスト・イエスにふさわしく、
互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
ローマ 15:5
天の神さま、私は、あなたの助けなしには、良い妻であるどころか、良い隣人にさえなれないことを思い知りました。
どうか、私のわがままや自分中心な思いを、取り去り、あなたの愛やあなたの忍耐と取り換えてください。
私のかたくなな心と、それを取り囲む隔ての壁を、どうかあなたの強力な破城用の大槌で打ち、崩してください。
私が感じる、どんな傷や怒りや失望も、全て手放し、あなたがゆるすのと同じゆるしで、彼をゆるすことができるように助けてください。
私の期待の全てを十字架のもとにおゆだねします。
あなたに求めるべきだった望みを、達成するために彼に負わせてしまった重荷から、今朝、彼を解放します。
あなたがおつくりになった、ありのままの彼を愛し続けてゆくことができますように。
主よ、どうぞ、今朝、彼に新しい妻を与えてください。
キリスト・イエスの御名によってお祈りします。
アーメン

ヨハネの福音書 4章

しかし、真の礼拝者たちが
霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。
父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
ヨハネ 4:23
霊とまことってなんだろうって、思ったことはありませんか。
やっていた一切をやめて、持っている一切を置いて、少しおしゃれをして、聖書を持って、賛美を口ずさみながら教会に行くことは、霊とまことによる礼拝ではないのって。
安息の日に、忘れていた大切なことを思い出すのは、霊とまことによる礼拝ではないのかなって。
でも、もしかしたら、霊とまことによる礼拝者たちがが、日々の個人的な闘い、格闘、礼拝の疲れを癒してもらうために集まるのが、安息日の礼拝なのかもしれません。
先週の大きな礼拝で、そんなことを考えました。
あの日、教会は私に大きな恵みと癒しを与えてくれたから。

Monday, May 1, 2017

くびきを負って・てくてくてく

★朝のバイブル・スタディーが、一応ひとくぎりつきました。
ひとくぎりのあいさつ代わりに、小さな証をしたら、「ほんとにもう、おしまいなんですか?」と晴天の霹靂のように、びっくり、戸惑い、そして涙ぐんでくれて人もいました。
神さまの私への憐れみが、最後まで惜しみなく注がれた、バイブル・スタディーだったと思います。
ぜんぜんまだまだな自分が露になり、自分の小ささや弱さや愚かさや醜さを受け入れる結果となったけれど、それでも、くびきを共にしてくださる、イエスさまがいるから、歩みは止まることになく、これからも続きます。
★今日も無事に1000メートルのおつとめを果たすことができました。
月、水、金プラス、週末にもしかしたら1回、というリズムができてきました。
でも、今日は、ついに、いつかやるんではないかという失敗をしてしまった。
水着の上に簡単なドレスがばさっとかぶって、歩いて行くのだけれど、今日は、そんなわけで、最後のバイブル・スタディーの後だったから、ぼやんとエモーショナルになっていて、なんと、下着を持って行くのを忘れてしまいました。
シャワーの後に気づいたので、今さら、濡れた水着を着る気にはなれず、なんと、ドレスだけを着てドキドキしながら歩いて、帰ってきました。
私もたいした、おばさんです。
でも、帰って、ちらっと鏡を見たら、顔が真っ赤で、帽子がひんまがっていて、どんだけ緊張していたんだか。
★泳ぎながら、ひたすら、神さまに、今日までに歩みを感謝しました。
いろんな導きがあると思うけれど、私のは、かなり波乱万丈、山あり谷ありでも泉もあり。
エジプトあり、ペルシャもあり、エルサレムを目指しているのに、なかなかたどりつけず、でも旅人が泉に伏すと、いろいろ恵んでくれる現地の人がいたりして。
その人から、いろいろ知恵を授かったりなんかもして。

キリストが香る病院

父が、お兄ちゃんが、
リハビリのために入院している病院の
ラウンジの写真を撮って送ってくれました
ピアノの上の写真を拡大してみたら、
私が尊敬するマザーの横顔だった
うれしくて、うれしくて、
なんでこんなにうれしいのか
自分でもよくわからない
現像してお部屋に飾りたい

ヨハネの福音書 1章②

この方にいのちがあった。
このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネ 1:4,5
昨日のメッセージのことを思い出しながら、朝のバイブル・スタディに向かいました。
礼拝の終りにスピーカーのひとりが、講壇の上にかけのぼり、ひとつのチャレンジを私たちに言い渡し、そして、礼拝は閉じられた。
祝祷ではなく、文字通りの宿題だった。
「福音のために、どこで、何をすべきか、神に祈ってください。あなたを待っている人が必ずいるから。」って。
それで、私は、神さまから受けた自分のギフトの使う場所、使い道がはっきりとわかるよう、今朝はっきりと、しるしを見せてほしいと、祈りました。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝てなかった。」
しるしは、はっきりと、まるで、やみの中の光のように示されました。
私が、祈ったことは、私の心の願いと全く反対のことだったから、神さまは、私の心の願いの方を聞き、私の祈りを、はっきりとしたしるしをもって、無視してくた。
幼稚園を辞めてはじまった人生の夏休みも、今日から11ヶ月めに入ります。