Sunday, April 23, 2017

聖日の午後に考えたこと

神に感謝すべきことには、
あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、
伝えられた教えの規準に心から服従し、
罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
ローマ 6:17,18
今日は近所の教会の兄弟がゲスト・スピーカーとして招かれてのメッセージでした。
ローマ人への手紙の6章から、Easter is not over!というタイトルで、「罪を振り払え」という内容のメッセージでした。
水際にびっちりと並んだ小さな魚
緑の藻を一生懸命に食べていた
5章の最後で、パウロは罪の増し加わるところに恵みは満ちあふれると結び、6章の冒頭で、では恵みが増し加わるために罪の中にとどまるべきかと投げかけ、そして、「絶対そんなことはありません」ときっぱりと答える、そのパウロのことばの解き明かしです。
今朝考えていたことの、答えのようなメッセージにびっくりです。
誘惑には実はなんの法律的力もなく、すでに鎖は、キリストの復活という事実によって、断ち切られているのだという結論です。
つまり拝む必要のないジャンク、拝する義理のない不用品、本当は何の意味も関係もないモノの奴隷になるかならないかは、自分の責任、選択なのだと。
それらを、振り払うための、思いの正体を暴く方法が紹介されました。
問題の状況、それに対する自分の反応、問題の中で自分が拝しているもの、そのことに対する御心、それらを、ノートにことばで書き表すこと。
そして、拝するものの声にではなく、真の神のみこころに従う決心をせよと。
これはとても価値のある試みだと思う。
人類のひとりひとりが、自分の反応を行動に移す前に、この4つを考えて、書いてみたら、きっと、退学も家出も自殺も離婚も泥棒も殺人も戦争も、絶対に減る。
世界は変わる。

聖日の朝に考えたこと

おはよう。
気もちのいい聖日の朝です。
最初の記事を書いていて気づいたこと。
全てカラーの有名な絵画と新改訳のことばの
アート・バイブル
これは私にとって
すごく贅沢な買い物だったと思う
この家は誰の家か、という素朴な質問の答えが、自分が拝する者の正体だと思う。
いろんな家があるでしょ。
自分の家、家族の家、親の家、物の家、そして神の家。
大きな家なのに入るだけのものを詰め込み、並べ、積み上げ、その谷間で暮らしているとしたら、それは、物を拝する人の家。
その物が、過去の思い出の品だったら、過去の思い出を拝し仕える人の家。
その物が、自分のお洋服だったら、お洋服を拝しお洋服に仕える人の家。
スケートボードやレゴ(これ賢人ね)、バッグと靴(これはなね)、本(私)、食べ物(夫はそんなに食べないのに、なぜか買ってくるのが好き)、いろんなものが危なかしく、拝せよ、拝め、仕えよ、握りしめよ、抱きしめよ、手放すなって、家の中で言っている気がする。
それが、不用品だったりなんかしたら、それは不用品とその奴隷の家。

ルカの福音書 7章

隠れているもので、
あらわにならぬものはなく、
秘密にされているもので、
知られず、また現れないものはありません。
ルカ 7;17
神のことばに最初に出会った時、自分の聖書をはじめて手にした時の興奮を忘れることはできません。
なのに、なぜか私は、いつもそれを隠していました。
ベッドの下に隠し、バッグの底に隠し、車のシートの下に隠し、テーブルの上に置きっ放しにすることは決してなかった。
例えば、それは、私がお経の本(そんなのがあったとして)を家の中に持って入ったり、持ち歩いたりしてるぐらい突拍子なく、私という人と関係ない本、読んでいることを知られて、説明するのがやっかいな気のする本でした。
あっちに隠され、こっちに隠されし、私の最初の聖書はわずか半年で擦り切れはじめたほどです。
それが、今では、これみよがしに、開きもしないいろんなバーションの聖書を、(リビングルームにアートバイブルと子ども聖書、バスルームにバイリンガル、車のトランクには無料でもらった新約聖書)をおいて、まるで自分という人、この家がどういう家なのかをアピールしているかのようです。
18節、「だから、聞き方に注意しなさい。というのは持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
私、いろんな好きなことがあるけれど、でも、本当に一番好きなこと、夢中になれることは、聖書を読んでそれについて書くこと。
みことばについて考えることが一番好き。
神さまは、私にいろんな「好き」を与えてくださっているけど、私、自分ではみことばを聞く力を、一番祝福されていると思っているんだ。


Saturday, April 22, 2017

予定変更と春の天ぷら

朝の話とは全然違う一日に・・・。
まず、ガーデニングのストアには行けず、代わりにダンス用品のストアへ。
はなの新しいレオタードとタイツを買いました。
(約束していたの、朝はすっかり忘れていた)
夏の袖なしレオタードは3年ぶりの新調。
初めて、胸のところがダブルになっているのを買いました。
お値段もダブル。
2着分だから6年は着てほしいわ。
それから、庭仕事にはあまりにも暑そうだったから、そのままお散歩へ。
ダンス用品のストアの近くに、私たちの大好きな公園があるので、そこをぐるっと一回り。
そして、プールの代わりに、庭で犬のじょえるのシャンプー。
庭でシャンプーするのは今年はじめてだけど、実はまだ、それにはちょっと寒かった。
かわいそうなじょえる。
タブの中でぶるぶると震えていて、見かねた夫がやかんにお湯を沸かして、もってきてくれたりなんかして大騒ぎ。
でも最後は、予定どうり、「リトル・マーメイド」を観ながら、マニキュアしてもらいましす。
今夜の夕ごはんは天ぷら。
海老、ブロッコリー、いんげん、きぬさや、ズッキーニ、アスパラガス。
春の野菜をじゃんじゃん揚げます。
名付けて、「春天」。

畑作りとリトル・マーメイドとマニキュアの計画

おはよう。
あっというまに1週間が終り、またたくまに土曜日です。
今日は、ひさしぶりに、ガーデニングのストアに行ってみようかと考え中。
ずっとずっとがまんしていたから。
かれこれ、そう、一月ほど。
そろそろ限界です。
裏庭に小さな3角形のハーブの畑を作ることを考えていて、少しだけ、種から育てた苗ができているのだけど、植え替えに全く自信がないから、よい土を買ってきて、実力のなさを、カバーしようかなって。
午後、元気だったらプールで泳いで、夕方はDVDで「リトル・マーメイド」を観る予定。
はなが3ドルでマニキュアをしてくれることになっているので、それをしてもらいながら。
上手にできたら、1ドルのチップをあげる約束です。
先週の土曜日は無料だったのだけど、それは、初回の無料トライアルだったらしい。

夫のために祈り #22感情

私は切なる思いで主を待ち望んだ。
主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、
私を滅びの穴から、泥沼から、
引き上げてくださった。
そして私の足を巌の上に置き、
私の歩みを確かにされた。
主は、私の口に、新しい歌、
われらの神への賛美を授けられた。
多くの者は見、そして恐れ、
主に信頼しよう。
詩篇40:1~3
私たち人間と同じように感情を持ってくださる天の父なる神よ、どうぞ、私の夫を否定的な気もちからお守りください。
彼が、心配や怒りや淋しさを感じる時、どうか、あなたが彼をやさしく包んでください。
ただあなただけに、真の解放と癒しがあることを、彼が、あなたのやさしい御手のぬくもりを通して、感じることができますように。
そして、知ることができますように。
どうぞ、あなたの御手として、彼の一番近くにいる私をお用いください。
彼が心の奥深くで感じていること、彼の尊い渇きを、彼が自ら無視してしまうのではなく、どうか、それを分かち合える、キリスト者の友を、どうか彼にお与えください。
そして、目の前の状況を見て、何を感じようとも、それ以上に天国の法則は絶対的に確かであることを、彼が知ることができますように。
彼が、自分の魂を勝ち取り、あなたの霊でリフレッシュされ、明るい心で、今日という日を喜び、楽しむことができますように。
イエスさまのお名前によって感謝してお祈りします。
アーメン

ルカの福音書 6章

与えなさい。
そうすれば、自分も与えられます。
ルカ 6:38
昨日の出来事をひとつひとつ、思い出しています。
はなのパスポートのために、出生証明書と古いパスポートと写真と小切手、そして「お父さん」が必要だったのを思い出した時、今日はもう無理だなっと思いました。
係官はぶっきらぼうで、愛想もなく、仕事が面倒で仕方なさそうな黒人の男性で、最初から喧嘩売ってるみたいな話し方だっただったから、私には交渉するというアイディアは全くありませんでした。
それで、「別な予約をください」と言うと、「いつがいいか」と言われ、「いつでも、できるだけはやく」って答えました。
片親だけで申請する書類を持って帰って、夫に司法書士の前でサインしてもらって、身分証明書のコピーを作って出直そうって思ったのです。
そしてら、その黒人のおじさんが「旦那に電話して、いつならこれるか聞いたらどうだ」って言うのです。
それで、1時間後に彼がやってきて、無事に申請が終りました。
私は、与えらました。
全く期待をしていなかった人たち(夫もね)から。
天国の法則は、地上の常識では測れません。
親切そうな人が、実はそうではなかった時のがっくりを、たっぷりと取り戻してあまりある出来事でした。