Saturday, January 31, 2015

はなと私の休日

 よせてはかえす波を見ながら、この一週間を神さまに感謝した
 どんなふうに感謝したかは、一言じゃ書けません
どうやっても逆光でうまく撮れないと思ったら夕方だからだ
サーファー・賢人のおともで来るビーチはいつも朝
だから上手に撮れていたのね・・・
そう、ここはアメリカ西海岸
これからそれをぽつぽつと書いていきます


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ぶらっとおでかけ

賢人が腰を痛めていて、海にサーフィンにも、公園にスケーボーに行けず、
なんの送り迎えのシゴトもないから、はなとぶらっとおでかけしてきました
立体駐車場に車をとめると必ず迷子になるので、
降りると私の代わりに場所を確認する習慣のあるはな
見るだけねって言いながら入ったお菓子屋さん
もちろん、見るだけでは出られない
この人、あんまり甘いもの好きじゃないけど、今日は試してみたそう
いちご味のマカロン1.75ドルを、選択
まき:どお?
はな;えっと・・・ホントのいちごの方がすき・・・
でも、食べてみなくちゃわからないから、
これも経験 尊い投資です
たのしく本屋さんで立ち読みではなく、座り読み
ドーナツをあげたいのに、いざとなるとあげられない、
欲張りパンダのお話しを私に読んでくれました


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夢をみる力をもっと

見よ。その日がくる。
主の御告げ。
その日、わたしは、この地にききんを送る。
パンのききんではない。
水に渇くのでもない。
実に、主のことばを聞くことのききんである。
アモス書8:11
おはよう。
ほんの9章しかない、文字数もとても少ない、アモス書をたかたかと読んで、1日を始めました。
本当に恐ろしいのは、こんなききんかもしれないと想像してみています。
昨日、帰りの車の中で聴いていた古い音楽に、こんな詩を歌った曲がありました。
神さま 夢をみる力をもっと
夢をみる力をもっと
愛しいあの人が、無事にたどりつけるように
あまりにも残酷なさよならがそこにあって・・・
そんなフレーズでした。
心からアーメンと思います。
それを歌う人がいて、教える人がいて、祈る人がいて、助ける人がいるこの世界が私は大すき。
ラジオで、この世界は天国のイミテーションだと、叫ぶように教えていた牧師の言葉が、まだ頭の中で生きているけど、でも人生は、なかなか悪くないって思う。
私の夢はそれを書く人になること。
小さな人たちと幼稚園で毎日たくさんの夢をかけらをみつけながら、それ書き続けること。
小さな灯台の灯台守となって、港を出入りするお船を眺めながら、それ書き続けること。
神さま、夢をみる力をもっと。
夢をみる力をもっと。
神さま、ここにいる力をもっと。
愛しいあの人が、無事に天国にたどりつけるようにって。
アーメン↓

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Friday, January 30, 2015

全然関係ないけど今日のじょえる

シオンの子らよ。
あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。
主は、あなたがたを義とするために、
初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、
前にように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。
打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。
ヨエル書2:23、24
ここまで帰って、このサインを見るとほっとする
毎日、あと7分よって家に電話します
やった~!金曜日です。
1日往復約70マイルのドライブと、週約40時間の仕事は、もう自動的に身体が勝手にこなしちゃう、全然普通の私の生活なのに、なぜ、こうも今日は、今がうれしいの?って思って、思い出した。
そう、日曜日も幼稚園に行ったんだった。
ハタチ基金へファウンド・レイジングのバザーで。
あれが先週のことだなんて、なんだか嘘みたいです。
世界で2番目に好きな街サ・ンペドロ
一番すきなのは、もちろん大分
翌日の超・早朝から、ブログランキングのサイトに出たり入ったり、まいこちゃんに聞いたり調べたりしながら、アドレナリンがぐるぐる身体中をかけめぐりぱなしの5日間だったからね、きっと。
そうそう、木曜日のアフターキンダーのクラスに、何のリクエストも出していないのに、アシスタントの先生がカムバックしてきてくれました。
よくわからないけど、私は無言で感謝しました。
全然関係ないけど、今日のじょえる
御言葉がヨエル書からだったもんで
でも、この世界は、いつ、なんどき、どんな理由で再び、不自由な状況で仕事をすることになるともしれないところと、骨身に沁みて学びました。
これを、学年末まであてにできるとは思わずにいなければっと思うのです。
仕事を細かく計画しすぎないように、気をつけよう、いつでも、変更してひとりでもやれるようにしておこう。
でも、今回のことで本当の意味で学んだことは、神さまの祝福というか臨在に生きることって、状況の難しさと比例しているってことでした。
聖書の中では周知の事実のこの法則も、経験をくり返しながら、やっと、本当の意味で学ぶことができる、大切な宝もののようです。
ではでは、楽しい週末をおすごしください。
アーメン↓

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いいこと考えた的人生

今週、月曜日の朝、「いいことかんがえた!」って4時前に、ベッドから跳ね起きて、それからというもの、この一週間、私はその「いいこと」に届くために一生懸命だった気がします。
そして、その「いいこと」は最初に信じたとおり、神さまが与えてくださった、本物の「いいこと」でした。
だからすごくうれしい。
ブログ・ランキングに参加してみました。
『おはようスポルジョン』を書きはじめて5年になります。
いろんなことがあったけど、とにかく書き続けてきました。
読者のほとんどが、アメリカに住んでいます。
そして、クリスチャンです。
だから、気楽に、超・個人的クリスチャン生活、私の中の傲慢や自己中心、葛藤などについて、かなりあけっぴろげに書いてくることができました。
いつもお姉ちゃんにお手紙を書いてるみたいな気もちなのです。
でも実はお姉ちゃんじゃなくて、お友だちに書きたくてはじめたブログだったんだけどねって、ずっと心の底でこだわっていた。
お姉ちゃんのお部屋から、「あんたが、いいなさんな」って枕やぬいぐるみが飛んできそうだけど、でも、心の奥の方では、いつも、日本のノンクリスチャンに証したいんだって、高尚な志のようなものがあったわけです。
こうやって書くの、ほんと、すごく恥ずかしんだけどね。
日本を出て20年も経つ私には、こんな形でアプローチする他、もう、日本に『おはようスポルジョン』を届ける方法はないと思いました。
(だって、本当に日本の読者な身内だけなんだもん。毎日たったの20人ぐらいなのです。父でしょ、千代ちゃんでしょって、数えられるわ、いつだって。)
思えば、小さい頃からよく「いいこと考えた!」って言って、その瞬間から、わきめもふらず、その「いいこと」を実現するために走りはじめて、そのくり返しで、今、私はここにいて、こんな人生をやっている気がします。
それは、なかなかわるくない人生です。
だって、今日は日本で30人以上の人に読まれたのですもの・・・

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Thursday, January 29, 2015

ようこそ、『おはようスポルジョン』へ

ブログ・ランキングのサイトに登録して1日が経っても、なんだかちっともつながっている気がしなくて、いろいろ調べていたら、ひとつ、とても大切なことを入力し間違えていたことに気づきました。
昨日の今ごろです。
まいこちゃんに電話で助けてもらいながらエラーを正し、ようやく、ランキングのサイトと私のブログが、つながっていることがわかったのが、午後の10時半でした。(読んだのは今朝だけど、まいこちゃんが確認して昨夜メールをくれたの)
今日帰って、どれどれって見てみたら、キリスト教部門でなんと12位。
いったいこれはどういうことでしょう。
まだ登録が完了してから、24時間も経っていないのだけど・・・。
なにをもって、ポイントが計算されているのか、さっぱりわかりません。
月に一度の勤務時間表の提出ですら、まる1日かけて作りながらも、全く自信がなくて給料と照らし合わせたことなんか一度もなくって、子どもたちの通知表の評価が自分の評価と全く違っていても、17年も親をやっていて一度も確かめようとしたことないのに、この複雑難解な、ブログ・ランキングのポイントの規約なんて、私には一生かかってもわかんないと思う。
でも、いいの。
なんだかよくわかんないけど、12位で、そんでもって日本の読者がポツポツと増えていることだし。
まさにそれこそが、私の大きな願いだったので・・・。
はじめまして。
ようこそ、『おはようスポルジョン』へ。

踊る人&憧れる人

★夕べ、ラップトップを覗きこみながら、リノのまいこちゃんと電話でいろいろ、しゃべったり調べたりしている私の目の前で、はなが、タンクトップ一枚で、頭をぴっちりとおだんごにまとめ銀のティアラをつけ、テーブルクロスをスーパーマンのようにまとって、イヤフォンでi pod から音楽を聴きながら、踊りまくっていて、すっごくおもしろそうだったのに、集中してみれなくて、残念だった。
とっても変でおもしろそうだったのにって、今朝になって、後悔している。
あれは、ビデオにとるべき、変さだった。
非合法の危ない薬を飲んで楽しんでいる人のようというべきか、おかしな宗教に洗脳されて不思議な礼拝行為をしている人のようというべきか。
とても9歳とは思えないアホっぽさと、創作ダンスのセンスのよさを、ビデオに残しておきたかったよ・・・。
でも、その時は必死で、まいこちゃんにいろいろ聞きながら慣れないサイトの中で、その様子や意味を知ろう真剣だったのよね。
★まいこちゃんの住む、リノは今年はとてもあったかなのだそうです。
スキー場でも人工雪をせっせと作っているほど。
最近読んだ本に、聖書を、雪山にこもって2週間かけて調べたときのことが、詩のように美しい文章で書かれていて、私は、すっかり、雪山に憧れております。
創世記のはじめから、黙示録の終わりまで読み終え、聖書を閉じた時には、聖書のみことばの聞こえ方ががらっと変わり、屋根裏部屋の小さな窓まで雪におおわれてしまったっとありました。
最後は、どうやっておうちに帰ったのかちょっと心配したけど、でも無事に本になっているから、きっとだいじょうだったのよね。
お正月には、コ・ワーカーたちと雪山で一晩、一緒にすごした時もと~ても、楽しかった。
今年の終わりにやってくる冬こそ、きっときっとまいこちゃんに会いにいきたいって、毎年、何度も思うことを、今も思っています。


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Wednesday, January 28, 2015

『おはようスポルジョン』の父

『おはようスポルジョン』を書いているのは私だけど、作った人は私ではありません。
びっくりでしょ。
でも本当です。
作ってくれたのは、何をかくそう、私のまいこちゃん。
教会で書くことになった時に、タイトルを『おはようスポルジョン』にしたいんだって言ったとき、まいこちゃんは、何も聞き返すことなく、「かわいい!」って言ってくれました。
実は、タイトルにはちゃんと意味があったんだけど、かわいいのはなによりだって思って、とってもうれしかった。
すごくなつかしい
あれから5年がたちました。
そして、今だに、何か大きな変化を遂げるたびに、私は『おはようスポルジョン』の父にいそいそと連絡を取り、助けてもらっているというわけです。
人を真に癒すのがお医者さんではなく、造り主である父なる神さまであるように、私の書く『おはようスポルジョン』も、作り主である父に聞かねば、変化や成長にどう対応してよいかわからない母の私なのです。

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天国にウィンク②

夜の間も、ずっとうれしい気もちが続いていました。
まさにおんな心と冬の夜空ねって、そんなことばはないけど、つい一昨日の夜の気もちからのあまりの変化に、ワタシって・・・、とあきれておりますが。
でも、やっぱりうれしい!
え~と何がうれしいかっていうと、熊本の黒糖ドーナツ棒もだけど、アフター・キンダーに子どもたちが集まってくれること。
これで火曜日16人、木曜日10人。
1年めだった昨年は火曜日8人、木曜日5人だったので、つまり、えっ?ぴったり倍?
すごいね~、ハレルヤです。
それから、ブログ・ランキングへの参加は、日本の読者を増やすためには、もうこれしかないって、ずっと思っていたのだけど、あのごちゃごちゃとした、本やエステやマッチングの会社の広告がくっつくことを想像すると、長い間、気もちが立ち上がれずにいました。
でもあの朝、「!」とひらいめいて、同じサーバーの同じようなテンプレートを使って、うまくランキングに参加しているブログを探し出して、まいこちゃんに送ってみたら、彼女がどうやっているのかわかってくれて大成功!
神さまとまいこちゃんと私のチームプレーでした。(っていうか私は、仕事をしながら果報を待っていただけどさ)
さあ、今日もきっときっと良い日でありますように
日本の地でもイエスの御名が称えられることを願いつつ
アーメン↓

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Tuesday, January 27, 2015

天国にウィンク

★ただいま。
なが~い一日でしたが、無事にもうすぐ終わりです。
お祈りはきかれ、とってもよい日でした。
普通の火曜日だったけど、たくさんのドラマがあったのよね。
熊本だいすき
山が美しく人がやさしい熊本
熊本に里帰りをしていたけいたくんに、かわいいおかしのお土産をもらいました。
3歳の彼がとても大切に熊本から持って帰ってくれた、えっとなんだろう、これ・・・、『黒糖ドーナツ棒』。
私は、熊本に特別な思い出があるので、このかわいいお土産に、胸がきゅ~んとなっちゃった。
デスクにかざって、しばらく、熊本と、そしてこの小さな箱があの街から、個人の旅にまぎれてここに、私のデスクに届いたことに、胸がきゅうんとなり続けています。
★それから、子どもの数が減って、ちびっとおちこんでいたアフター・キンダーの木曜日クラスに、来月からふたりも新しい子どもがおくられてくることになりました。
思わず、天国に向って、ウィンクしちゃったよ。
んねっ、神さまは、やっぱり、ちゃんと見てくださっていた。
私の精一杯を決して無視したりなんてしない神さま。
パートナーに去られて、一瞬、投げやりになりそうになったけど、でもならなくてよかった。
これで、めでたく、アシスタントを持てる10人に戻りました。
でも、明日はどうなるかわからない子どもの数に一喜一憂したくないから、このまましばらくひとりでがんばってみようと思います。
そう、私がうれしいのは、クラスの繁栄とか、アシスタントくれるくれないじゃない。
神さまが、共におられるこの臨在の確信・・・。(いいね~、クリスチャン的だね~)
★まいこちゃんが『おはようスポルジョン』をブログランキングに参加させるのを手伝ってくれました。
まさに私の理想の形で、です。
くっついてきそうだった、広告、油断も隙もないポップアップ、紛らわしいバナー、一切なし。
うれしくて、うれしくて、やったーって叫んで、「おめでとう!」といいながら、何の関係もないはなの肩を両手で力一杯ゆさぶちゃった。
少しでもたくさんの日本の人に読んでほしいというのが私の大きな願いだったので、一歩前進です。
私の拙い文章が、イエスに従う者の証として、日本の地で、多くの人の励ましとなりますように。
アーメンだったった、ここクリックね
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きょうはきっとよい日

朝、目覚めるた時には、窓の外で、ぽつぽつと雨音が聴こえていた気がするけど、起きて、音楽を聴きながら、ごそごそ作業しているうちにいつのまにかあがったようです。
今日は晴れだといいな。
雨も好きだけど、なんとなくね。
眠っている夜の間に、疲れがすっかり癒えたり、どよ~んだった気分が消えていたり、降っていた雨がやんだりするのって、とっても不思議でありがたいことと思う。
私の気もちと関係なく、時は流れ、いろんなことが良くなってゆく。
エントロピーの法則って全ての生き物は酸化に向かって変化してゆくみたいな定義だっけ?
でも、それってそれほどわるくないわ。
涙はかわき、雨はあがり、夜は明け、また、元気に何かができる気もちになれるのだもの。
あなたと私のきょうはきっとよい日ね。
おいのりしています。
アーメンですか?だったらここクリックしてね。
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Monday, January 26, 2015

ぱち・どよん・ぐっ

★今朝、すっごくいいことを思いついてぱちっと4時に目が覚めちゃった。
ぱちっと目が覚めてから思いついたのか、眠っている間に思いついてぱちっと目が覚めたのかは不明。
でも、そんなことま~たく気にせず、どんどん起きて、どんどん思いついたことが現実的かどうか確かめます。
昨日のバザーで
かりんちゃんが私に買ってくれたカエルくん
だっこしてねちゃった 今日もだっこしてねます
90パーセントぐらい確かめて一旦作業をやめて、お弁当を作りはじめました。
残りの10パーセントは、朝のドライブ中にリノのまいこちゃんに電話をかけて相談。
彼女は、だいじょうぶだと思うよって言ってくれ、助けてあげられると思うけどどうやってヘルプすればいい?と聞いてくれたので、私は彼女に個人的な資料一式をピッと電子メールで送りました。
後は、吉報というか果報というか、彼女が万事うまくやってくれるのを待つのみです。
★毎週月曜日ははなのバレエレッスンのために4時半には幼稚園を出なければならないのだけど、今日は、夫がそれを代ってくれると言うのでの、山のようにあるやらなくちゃいけないことを、教室の片隅でラップトップを開き、ちまちまと片付けておりました。
私がそこに座って何かをしているとは思わず、いろいろ勝手なことを言うのが薄い壁一枚を隔ててびりびり聴こえてきて、すっごく嫌な気もちになっちゃった。
月曜日の夕方っていつもこんな感じなのねって、知りたくなかったこと知っちゃってどよ~んとなってます。
★7時半に家に着いたら、夫がお豆腐と海老の辛いスープを作ってくれていて、そこに生卵をぽとりと落として食べました。
昔、賢人がまだ赤ちゃんで、まだごはんを一緒に食べられない頃、夫とふたりで良く食べたスープです。
レストランでも食べました。
とってもはやったんだよね、昔。
なんていうんだけ、このスープ。
なつかしいな~、今夜は雨だし、気分がどよんだし、この味になんだかぐっと癒されるわ・・・。

Sunday, January 25, 2015

うららか・Sunday

はじめての、聖日を返上してのボランティアだった、幼稚園のバザー。
でも、主の恵みはここにも一杯ありました。
いっぱい笑って、いっぱいしゃべった。
たわいないこと、たいせつなこと、いろいろ。
園児のお母さんによく聞かれる質問。
①日本語教育の主導権をいつどこにどう託すべきか、親はそれをどう補助すべきか。
②公立小学校はどのくらいの頻度でどの程度、親の介入が必要か。
それで、私は自分が、そういう意味では、全く何もきちんとできていない親であることを正直に白状してから、大切なことはたぶん成績や増える語彙や会話力ではなくて、自信を持って自分の人生を自分で生きようとする力と知らないことに恐れず飛び込もうとする知的な好奇心なので、親はできる範囲の中で、そこに楽しく一緒にいてあげればよいのだと思う。
それが充分できた、できなかったは子どもの成長にはそれほど、関係なくって、重要なことは、どれくらい、親が子の感動や不安を共感できたかだと思うと言ってみたりしました。
お天気もよく、うららで、のんびりとした日曜日。
とてもよい1日でした。

ハタチ基金に楽しく協力

今日は、日曜日だけど、幼稚園の『はたち基金』http://www.hatachikikin.com/へのファウンドレイジング・イベント、バザーを手伝ってきました。
といっても私なんて、ほとんどお客さんで、はなの絵画で得た賞金、75ドルのチェックをキャッシュに換えて、彼女にたかりまくり、献金を強要し、30ドルを楽しく使いまくって帰ってきました。
すごいよ~、い~っぱい買ってもらっちゃった。
夏のドレス
花柄スカーフ2種
白いリネンブラウス
底がまるい大きなトート
お餅にケーキにクッキー
その他、お昼にはカレー、おやつや飲み物まで、ぜ~んぶはなのおごり。
シゴトはそれほどしなかったけど、でも使ったぞ!

自分とのみっつの約束

すると王は言った。
「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている4人の者が見える。
しかも彼らは何の害も受けていない。
第4の者の姿は神々の子のようだ。」
ダニエル3:25
昨日、親友のゆりかさんが、「今日の『おはようスポルジョン』を読んで、ただならぬものを感じたんだけどだいじょ~ぶ?」って電話をくれました。
うん。だいじょうぶ。
私たちはどんなことがあっても、たぶん、ずっといっしょにいると思うんだ。
ゆりかさんに、あなたって実はずいぶんとタフな人なのね、見えないわ~と言われ、夫にも同じことを言われたよと返すと、大笑いされた。
私もつられて笑った。
私が決して、したくないことはみっつ。
ひとつ、状況に屈すること
ふたつ、自分を憐れむこと
みっつ、神にそむくこと
そしてね、私は、本当に価値のあるものは、愛と思うの。
例えば、身体によい食べもの、良い教育、大人になるためにすべき良い経験の全てを束にしても、愛、神の愛ほど子どもが大きくなるために大切なことはないと思うのです。
手放したら最後、父の愛を買い戻すために差し出せるものは、私には何もありません。
聖書にそう書いているのです。

Saturday, January 24, 2015

本当の抱負

コ・ワーカーであり、今年度の私の大きな励ましであるパートナーがさ、結婚生活の最大のチャレンジは妻のドラマへの対処だと言っていたので、私は、それを肝に命じ、クールにクールにっとがんばっているのだけど、今週末はかなりドラマなのよね、ワタシ。
1時間に1回離婚を真剣に考えてしまいます。
でも、1時間に1回、彼の父親として大きな役割、大きな愛、私のどこからもひねり出すことのできない私の子どもたちに絶対的に必要な、かけがえのない彼の親業の前に、結婚を続けることに奮い立つわけです。
それで、結局、今の私の気もちのはけぐちであり、生き方の表現法であるピアノに全面的に向うことで、ことなきを得ているっちゅーか、まあなんとか生きております。
今日も、1日、ずっとピアノを弾いていました。
たのしかったよきょうも、うれしかったんだきょうも、
ちょぴり泣いたけど、こんなに元気さ
さみしかったんだきょうも、かなしかったのさきょうも、
ちょっぴり笑ったけど、それがなんになるのさ
しずかに夜はくる
みんなのうえにくる
いい人の上にも、悪い人の上にも
静かに夜はくる 
みんなの上にくる

2度も離婚した偉大なピアニスト、天才詩人の歌を聴きながら、私は違う選択、一度も離婚しない選択を握って、神さまを信じて、いましばらく奮闘しようと思います。
アーメン
あすは、きっときっと良い日でありますように。

PLACE TO BE

夕べ、「おはようスポルジョン」を書きながら、気もちがどうしようもなく高ぶってきてしまって、大変でした。
平和にごはんを食べている夫に、心の中にあるものを、思うがままに片っ端からめちゃくちゃな順番で泣きながら投げつけ、それからビールを一缶ぐぐっといっきに飲み干し、私もおなかがすいていたことを思い出して、すき焼きを山盛りごはんと共におなか一杯食べて、放心状態でテレビの前に座ると『ドクター・エックス』というのが流れていたので眺めました。
「アタシ・しっぱいしないの」という超・罪深い台詞で、はっと我にかえり、テレビは消せないので、椅子から立ち上がり、(テレビのつけ方も消し方もチャンネルの変え方も録画されたものの見かたもなんにも知らないのです)音楽でも聴いて、気もちを鎮めようとしましたが、よりによって上原ひろみを選んでしまって、しばらく、聴きいり、ますます、気もちは荒れ狂い、本当に大変な夜でした。
でも、起きてみたら、世界は普通に静かに朝を迎えていて、私の身体も心もすっかりと休まっていて、心からほっとしました。
上原ひろみのピアノはすごく女っぽっくて、はげしくて、真剣で、生々しくて、純粋。
聴くたびに私の中の何かが、はげしく反応しちゃう。
危ない上原。愛しい上原。

Friday, January 23, 2015

神に愛されるということ

ただいま、おつかれさまでした。
今週はお餅つきに明け暮れ、なんだかいつになく、疲れちまっているけど(どこ弁だ?)、ちょっとでも書いておきたいなっと思って、ラップトップを開きました。
先週の日曜日に、教会の図書から借りてきた本、『愛されている者の生活』Byヘンリ・ナーウィン の中の文章、最初の一章のほんの始まりのところを読んで泣いたんだ。
夕べ。
これは書いておかなくちゃって思ってさ。
でも、今は、あまり、かたい話をかたいことばで書きたい気分ではないから、私のことばで書くね。
ヘンリに言わせると、神に愛されている者とは、つまり、とりあげられ、祝福され、裂かれ、与えられる者とさ。
これを聴いて、びっくりして、泣きたくなる人、一杯いると思う。
そう、それはまるで正餐式のパン。
でも、神に愛されるってそういうことなんだって、その一言でわかっちゃって、泣いた。
ヘンリなんか大きらいだって思いながら、悲しくて、くやしくて、うれしくて、そして、泣いた。
だったら、私すごく神に愛されている。
取り上げられている。
祝福されている。
裂かれている。
与えられている。
もしかして、あなたも?
じゃ、一緒だ。
がんばろうよ。
愛されているんだよ、私たち。
神に、愛されているって、最後は裂かれて与えられるんだね。
知らなかったね。
でも、きっとだいじょうぶ。
だって、ほら、ひとりじゃないから。






Thursday, January 22, 2015

なかなおり②

私たちの仕える神は、
火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。
ダニエル書3:17
昨日の朝、賢人に起きた赦しの証について書きました。
今朝もそのことに、畏敬の念を感じながら、主の御業の計り知れなさについて思いをめぐらしました。
この半年の間、私が彼のためにしたことは、祈ることばかりではありませんでした。
私は彼に、もうあきらめてもよいのではないかと、何度か忠言し、そして彼は実際、数回、私とはなの通う教会に来てくれました。
週日の夜の高校生のための集会にも連れ出してみました。
けれども、彼はそこには留まることをせず、自分の居場所へとひとりぼっちで戻っていきました。
私の目にはそれは本当にひとりぼっちにみえたのです。
でも、彼は知っていたのね。
ひとりじゃなかった。
神は、いつも賢人のかたわらに立っておられた。
賢人を包んでくださっていた。
親とは、本当に無力でおろかな、ただ生んで側にいるだけの者だと思います。
親の愛とは、まさに本能であって、授かりっぱなしの賜物です。
神を信じること、神を信じぬくこと。
見えるものではなく、見えないものに希望を置くこと。
私はわが子にすら、これをまだ教えることなどできません。
まずは、私が、私自身がそれを知らなければ、と思います。
しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。
私たちはあなたの神々に仕えず、
あなたが立てた金の像を拝むこともしません。
ダニエル書3;18

Wednesday, January 21, 2015

おなかいっぱい・しんぱいもいっぱい

★朝から晩までおいしいものを食べ続け、幸せな1日でした。
今日一日で食べたものを書いてみます。
朝:クルマの中でしゃけのおにぎり(大)
昼:子どもたちと一緒にお魚フライとサラダとごはんのお弁当&せんせいたちとお雑煮(2杯)
おやつ:お誕生日ケーキ
夕:ごちそう釜揚げうどん生たまごがけ
さすがの私も今日はちょっと食べすぎかもと、充分に食べるもののない人、地域にむかって、ごめんなさいと思いました。
特別な日は心から楽しみ、普段は少しだけ食べてたくさん働ける人になりたいと思っているのだけどね。
★賢人がスケボーで痛めた腰のまま、バイブル・キャンプへのバスのロングドライブに揺られ、ついに歩くのが大変なほど痛くなったので、夫にカイロに連れて行ってもらいました。
炎症を軽くほぐしてもらってずいぶん楽になったようです。
3日後にもう一度みせに行くそうです。
キャンプ中にお部屋を片付けていたら、割れたボードやら、割れそうなボードやら、傷だらけのボードやら、ホイール(っていうのかな)がごろごろと足の踏み場もなく、靴をはいてお掃除したほどです。
家で静かにピアノでも弾いていてくれればよいのにって思うけど、そういうわけにもいかないらしい。
やれやれ。

なかなおり

わたしがきよい水をあなたがたの上にふりかけるそのとき、
あなたはすべての汚れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたをきよめ、
あなたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、
あなたがたに肉の心を与える。
エゼキエル36:25
昨日の朝、山から帰った賢人に、どうだったって聞くと、2秒ぐらいをおいて、私がこの半年以上もの間、ずっとずっと、願っていたことばが、彼の口からぽろりとこぼれ、私は、彼を抱きしめながら、神さまに、心から感謝した。
歌うこと、祈ること、
みことばを読むことはけっしてやめられない
ひとりのちいさな礼拝
それは、一言、「なかなおりした」という短いことばだったけど、その中には神さまの大きな大きな御業のきっぱりとした結論の重みがありました。
PAIDという大きな判子みたいなね。
私たちは、この半年、この話題の中だけで、親子でした。
彼は、あらゆる意味で私を無視し続けていたけど、こと、このことに関してだけは、彼は、私に、自分の変化のひとつひとつを知らせてきていました。
それはいつもたったの一言だったけど、私は、その言葉をたよりに、祈り、祈り、祈り、そして祈った。
ただただ祈った。
そして、今朝思うの。
10歳の彼が主イエスを自分の救い主として受け入れ、従う決心をした時も、こんな試練の真っ只中だったな・・・。
なかなおりは、きっと、神さまとなのね。
賢人が神さまを赦した。
賢人が神さまに赦されていることに、もう一度、気づいた。
そういうこと

Tuesday, January 20, 2015

大きなリボンのごぼうび

家に帰ったら、はなが、昨年の6月にサン・ペドロからもらった、絵画の賞を学校から持って帰ってきていました。
立派な箱に中に納められた立派に額縁に入ってついにご帰還です。
それからなんと硬い封筒の中には賞金の75ドルのチェックが添えられていました。
はなは2位で1位は100ドルだったそうです。
でもはなは、額よりも、チェックよりも、大きな2位のリボンがとてもうれしいようです。
私もこのリボンをガラスの宝もの陳列棚に飾りたいのに、はなは、これははなのだから、そこにはだめっとさっさと持って行ってしまいました。
6月にギャラリーに見に行った時も、1位の作品と2位のはなの絵についていたリボンが一番大きいのに目ざとく気づき、はなは、その時も「見て、はなのリボンが一番大きいよ。はなの絵を好きと思った人が多かったってことね、きっと。」って言っていたのです。
この子は最初から、人に好かれる商業的な絵を描こうとしていたのかしらって思ってぎょっとしたものです・・・。

Monday, January 19, 2015

おかえり、バディ

夢のような連休だったはな 
ケーキを焼かせてもらって、いただいて、
一緒にねて
テニスして、
うさぎちゃんをだいて
ママは、ひとりもんのように、もくもくとピアノを弾いていました
ママも夢のようでした

うたいたい、ことりのように 心のままに、このいっぱいの感謝を

うたいたい
ことりのように
きょうは、ほとんど、1日、ずっとピアノを弾いていました。
夫も、賢人も、はなも、誰もいないから、ひとりで、もくもくと。
ジャス・ハノンという、音程とスケールの練習をひたすら、くりかえし、くりかえし。
それから、ちょびっと気分転換にコード進行法というこの30年近く、ずっとそばに置いておきながら、一度も真剣に取り組んでみたことのなかった教則本を開いてぐぐっ集中し、そして再びハノンをもくもくと、という練習をほとんどまる1日やっておりました。
こころのままに
それで、すこ~しわかってきたことは、パターンがあるのね、コードの進行とその中でやっていいい動きには。
遅ればせながら、すこ~しづつ見えてきました。
単位を集めるために勉強した時には身につかなかったけど、動機がはっきりしていて、そのためにどうしても必要であれば、もしかしてこんなに一杯年を取っても身につくのかもしれません。
でも、自分が聴きたい音を聴きたいリズムやテンポで弾くためには、やっぱり、ひたすら指を動かし続けるしかなさそうです。
がんばろう。
昨日、ある美しい年配の姉妹に、「手を見せてくださる?」って言われ、私はぱっと左手を開いて見せました。
おしゃれに目覚め始めた10代の頃からも、指輪ともマニキュアとも、もちろんネイルなんてずっとずっと無縁の手です。
このいっぱいの感謝を
でも、「やっぱり大きいわ。きっと大きな手だと思っていたのよ。すばらしい奏楽をありがとう。」って言われて、とってもうれしかった。
私、手は大きいの。
せっかく大きい手なのだから、もっともっと練習しよう。
この手で演りたいことがたくさんあるの。
それは、それは、たくんさん。
神さまは、そのために、私に大きい手と、ピアノをくださったの。
今、はっきりそう確信できるのです。






彼と歌いたい「ひとつだけ」

昨日の喜びが、朝になってもまだ続いていて、私は、朝、目が覚めて、ベッドの横においていた電話に手をのばし、「たからもの」の写真を見ました。
彼の表情に、なんとも言えない、安堵、荷を降ろして、主の前に率直に生きることを決めた人の、安らかな笑顔を確認して、私は、もう一度、うれしくなりました。
大すきなうたがあります。
『ひとつだけ』っていうた。
iphonだと聴けないね、そしたらここクリックしてみて↑
大すきな人や遠くにいる人を思うとき、私の口はこのうたを歌い、私の心はなぐさめられます。
このうたを、いつか彼と歌いたいなって思いました。

Sunday, January 18, 2015

たからもの

毎週、思うけど、超・純粋な礼拝でした。
一生のたからもの
プリントしてピアノの上にかざります
まぜもの一切なし。
うすめものも一切なし。
100パーセントピュアな礼拝。
幸せな聖日、恵みにあふれた主の日でした。
そして、今日は、イエス・キリストを受け入れ、従う決心をしたある兄弟と、記念撮影をしました。
晴れて、彼は私の中で、私のまことの兄弟です。
彼のことを去年の暮れに書きました。
ここクリックして読んでください。
今日は、「あの日、あなたのピアノを聴いて、僕は変わる決心をしたんだ。」って言いにきてくれた。
私は、彼に、「今日の記念に一緒にお写真を撮ってくださいませんか?」とお願いし、なれなれしく腕まで組んで、旬子先生に撮っていただきました。
ちょっと笑いすぎだけど、でも幸せな気もちが良く撮れているので、彼に内緒で公開します。
(余計なこと、言わないでね、お願いだから。でも、自分でがんばって編集したの、ほら名札が見えないように。)
ピアノを弾いてしばらくの年月がたちますが、今日ほどそれを良かったと思った日はありません。
お父さん、お母さん、そして神さま、私にピアノをありがとう。



蕎麦計画

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。」
と私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。
哀歌3:22~24
★このことばに今朝は、心からアーメンといいます。
得られないものについて心が沈むとき、私は自分が滅びうせていない恵みを忘れている。
私は、私に関して言うなら、とっくに悪魔の虜として喜んで不良生活に身を汚していてもちっともおかしくないにもかかわらず。です。
得られないものっていうけど、本当に得ていないのかな。
★長いもをすりおろしたまっしろいとろとろをのせたあつ~いお蕎麦が食べたいな。
唐辛子をぱっぱっとふって。
葱は細く切ったのをちょっぴりね。
大急ぎで食べるの。
別に時間がないわけじゃないんだけどさ。
よし、今夜は、蕎麦だ。
夫とふたりで。
礼拝が終わったら、マルカイでお買い物して帰ろう。
ひとりで。
今日は、はながかりんちゃんのおうちで泊りのプレイ・デートに行くので・・・。