Monday, January 6, 2020

Unimpeachable Authority

御子は神の栄光の輝き、
また神の本質の完全な表れであり、
その力あるみことばによって万物を保っておられます。
ヘブル1:3
キリストは疑うことのない絶対権威。
今朝のマックスのメッセージです。
キリストは銀河宇宙の中心で命令を下されるお方。
魚の口からコインを呼び出し、ことばによって波を沈める。
彼が話せば、木も枯れる。
彼が再び語るとバスケットはごちそうに変わる。
もちろんサタンも彼の支配下にある。
Devil は十字架のキリストによって、しっかりと無効にされたから、彼は、キリストに従わなければならないし、彼自身、それを知っている。
キリストの名による祈りは彼の要塞をも破るほどの力があるのです。
さて、この嬉しい事実を、私は、今日、一日、眠りにつくまで、いえ、眠っても、握りしめていられるだろうか。
キリストの御名によって、これからお祈りします。(プールで!)
では、良い日をお過ごしください。



Sunday, January 5, 2020

From Japan 2

日本からの年賀状
今年も届きました
心なしか作風が変わった、と思う
台所でお手紙を書こうとするねずみ
やさしい横顔




聖餐式2020#1


Saturday, January 4, 2020

Stay in Your Own Lane

★おはよう。
今朝も、Max Lucado のGad Is with You Every Day から、少しだけ、英語のお勉強。
(この25年、全く進歩のない私の英語の能力だけど、ボキャブラリーだけでも、少しづつ増やしてゆきたいです)
聖書箇所は2テモテの1章6節。Stir up the gift of God which is in you.
何訳?といつも思う、素敵なことば。
私の新改訳では、to fan into flame the gift of the God.。
あなたは神に与えられたギフトには責任はないけれど、それをどう使ったかには責任がある、というメッセージでした。
神は、誰か違う人に与えたギフトのことであなたを責めたりはしない、でも、あなたに与えたものをあなたがどう使うかを見ておられると。
★神さまがお創りになられたリズムって素晴らしいです。
つまり6日働いて、7日目に静まり、主の前に出て、礼拝する。
今週、3日休んで2日働き、そして、休めと言われも、アドレナリが中途半端に分泌されたために、燃えたい身体を持て余し気味の土曜日の朝。
お庭仕事かガレージの片付けでもしようかな。
★写真は、こたつが大すきだけど、猫みたいに暗いところに一人でいられないから、絶対に中には入らないし、体にブランケットを乗せられるのも嫌いな、なんとも中途半端なこたつラバーの、中途半端なこたつの座り方。



Friday, January 3, 2020

私は自由

仕事始めから2日目、まだまだこれからって気分で週末に突入・・・。
なんだか不完全燃焼だけど、週末を喜ばないわけにはいきません。
おつかれさまでした。
今日のYのプールも昨日と同じぐらいの混み具合。
いろんな人が出たり入ったりしていたけど、私はたまたまうまい具合に、一つのレーンを一人で30分みっちり泳ぐことができました。
泳ぎながら見えた幻。
キリストが十字架にかかることで私が得た無限の自由を、私は、そのほんの一部しか使っていないのかもしれないな、というイメージ
これはそういう言葉の集まりの文章ではなくて、イメージで与えられた思い。
描きたい。描きたい。描きたい。
ちょっと待っててね、今描くから。
そして、それを写真に撮って見せてあげる。
こんな感じのイメージが泳いでいる時に与えられたのです。
もちろん、文字なし。
大きな光輝く自由の中のほんの小さな一部分を、それがまるで、全てみたいに喜んでいる私の幻。
なるほど、そうかもしれないと、プールから上がってしみじみ思いました。
本当は、もっともっと、も〜っと自由なんだ私。
キリストを愛する自由。
みことばを生きる自由。
私は自由。




Be About His Business

わたしが必ず自分の父の家にいることを、
ご存知なかったのですか。
ルカ2:49
今朝は、マックスの本から。
過越の祭りでごった返すエルサレムで、一人主の宮で教師たちと交わる少年イエス。
てっきり迷子になったと慌てて、戻ってきた両親への彼の言葉、そこからのマックスのメッセージです。
神のテーブルの上で神の道具として神の働きの中にいるなら、全てがはっきりとわかるとマックスは言います。
なんのためにこんなことをしているのだろう、とか、どうして生まれてきたのだろうなんて、質問はなく、使命も、目的も、自分がどのように機能するのか、そしてどのように用いられるのかも、ちゃんとわかるからだいじょうぶって。
私たちは、神の人々であり、神の業のために存在する者だから、当たり前の場所で当たり前の状態でいれば、そこに当たり前のように確信を持って、当たり前のように神の業のために働くことができるということのなのでしょう。
今日も神のテーブルにいるということを忘れずにいたいです。
ああでもないこうでもないというムダ口をたたき、神の業を妨げるような道具同士の批判のしあいはなんて、滑稽かしら。
それってまるで、トムとジェリーでしょ。
★ぐりとぐらのカレンダー、幼稚園で作っているカレンダーを1枚もらってきて、毎月、ノリで貼って再利用。