Tuesday, July 29, 2025

暑いけど元気で〜す

到着から3日め。
おかげさまで日本時間にも、暑さにも慣れてきたところです。

Saturday, July 26, 2025

休息中


夏休みを3つのパートに分けたと書きましたが、そのパート2が始まりました。
最も長くて色々難しそうな部分です。
いつも以上に長い長い旅を終えて、昨夜の深夜、父の家に戻ってきました。
あたりまえだけど、父も母もおりません。
でも、大きな声で「ただいま〜」と言いながら帰ってきました。
あまりの長旅で、普段は少々忙してくもあまり疲れを感じない私だけど、さすがに、ぐったりと疲れました。
あちこち、寄り道しながら移動することは楽しいのだけど、暑いのと、それから時差で、なかなか思うように休めず、昨夜はほとほと、「これはなんだかまずいぞ」と思いました。
父と母がいないという寂しさもきっとあるのだと思います。
でも、雨の音を聴きながらほんの少しまどろんでから、あきらめて起き上がり、ちょっと気もちを変えてみました。
あせらず、ゆっくり回復させよう。休息自体を楽しもう。
「雨音を聴きながらまどろむなんて、なんて贅沢なの」って、考えてみたのです。
ゆっくりお風呂に入るもよし、図書館で本を借りて来て、読書するのもよし。
計画に縛られずに、ゆっくり身体を回復させようと思います。
家の中は思ったほど汚れてはいませんでした。
だから今日は、軽くハンディモップ程度にして、眠くなったら、チャンスと思って、夜まで待たずに寝てしまおうと思います。幸い日本は日曜日です・・・。

Thursday, July 24, 2025

夏休み!


お元気ですか?
私はとっても元気です。
先週の土曜日に最後の仕事を終えて、夏休みに入りました。
とっても充実しています。
というのも、初日の日曜日、2年目の1学期が無事に終わったことへの一杯の感謝を込めて、この夏休みをまずは主に献げようと、ひさしぶりに教会で礼拝を捧げ、その後、夏休みを三つのパートに分けて、計画を立てたのです。そのおかげ・・・。
学校にも、学校の上司たちや仲間たちにも、本当に良くしてもらいました。
でも、それに応えられるように一生懸命に働くことができたのは、家族のおかげです。
そして、何よりも神さまと神さまに祈ってくれた教会のおかげなのです。
だから、贈り物であるこの時間(7月も8月もお給料は普通にいただくので“研修”という建前なのです)を大切に大切に使いたくて、祈りながら立てた計画です。
そして前半の計画は月曜日から順調に進んでいます。
ガレージの片付け、キッチンの冷蔵庫とパントリー、引き出しの整理、庭木の剪定と盛大な水撒き、ヘアカットと本屋さん、それから水あそびのためのお買い物、国際運転免許、給料明細、保険などの証明書集め、そして水あそび!
楽しかった前半が今日で終わります。
あっというまです。
でも、無責任にキョトンと「あっというまです」と言わなくてすんだことが、とってもとってもと〜っても幸せです。
月曜日に念入りにそうじしたのだけど、今日またもう一度がんばります。

Monday, July 7, 2025

ブルー・マンデーの決心


The LORD is near to all who call on him,
to all who call him in truth.
Psalms 145:18

今日も、1日、「その時」、「その事」を精一杯やりたです。
楽しみな事は色々あります。
お昼のお弁当が楽しみです。
仕事が終わるのも楽しみです。
全てを終えて、夜、ベッドに入ることも楽しみです。
(知性のかけらもない動物のような楽しみです)
でも、その楽しみと楽しみの間にある、全てのことを急がず、楽しく、丁寧にやりたいです。
シャワーも、ドライブも、仕事の準備も、仕事も、掃除も、料理も。
何かを楽しみにするのはやめられないけれど、その間にある全てのことを、その楽しみな気もちのために台無しにしたくないから。
バスタブもシャワーカーテンもお掃除してとてもきれいだから、シャワーは気もち良いです。
毎朝、森を抜けて職場へ向かいます。
とても素敵なドライブです。
月曜日の仕事は毎週のように気が重いです。
特に今週は週末がいつもの3倍(3日!)も長かったから余計にね。
だからこそ、特別に楽しく準備しなくてはいけません。
そうそう、素敵なマーカーのセットを買ったのです。
それを使うのも楽しみです。
今日もきっと良い日です。

 

Sunday, July 6, 2025

90分の投資


おはよう。
おひさしぶりです。
お元気でしたか。
すごく誰かと話たくなって書き始めました。
どこから書こうかな、何から書こうかな。
お話ししたいことがたくさんあります。
きちんと順序立てて話せるぐらいなら、きっと書こうなんて思わなかっただろうから、ぐちゃぐちゃのまま、とりあえず、書き始めることをどうか許してね。
あまりにも時間がなさすぎて、(時間はみんな平等にあるけど、やっていることとそれをやるために与えられている時間のバランスの話ね、念のため)たくさんのやりたいことをあきらめています。
例えば、毎朝英語のクラスを取ることとか、泳ぐこととか。他にもいろいろ。そしてここに書くこともそのひとつ。
でも、久しぶりのお休みで少しリフレッシュしたのと、色々と変化というか学びがあったので、どうして書きたくなって。

神さまに祈り続けていたことがあります。
どのくらい祈っただろう。
10年ぐらいは祈ったと思います。
それは、「私をもっと高くて広い場所に連れて行ってください。そして本物を見せてください。」という祈りでした。
で、それはいつの間にかきかれていました。
すごく無責任な言い方だけど、きかれた時には、そうと気づかなかった。
でも、きかれていたんだと、最近気づいたのです。
なぜなら、ある日を境に、私はその願いを願わなくなり、その祈りを祈らなくなったから。
そして、その「本物」の中で必死に生き始めて2年目になります。
段階的に徐々に導かれました。
だから私は十分神さまと相談し、十分に考え、十分に祈り、そして十分に自分なりの備えをしたつもりでいたのです。
でも、それが、私の願った「本物」なのだと気づくまで本当の備えや本当の祈りや本当の主への叫びができなくて、苦しかった。
今朝読んだみことばです。
I remember the days of long ago;
I meditate on all your works and consider what your hands have done.  Psalm 143:5
この頃、この驚くべき運び、というか経過、というか、計画? ともかく、常識的には、ちょっとなさそうな、無理矢理で強引な私への恵みに感謝した時に、ああ、ここに来ることを願ったのは私だった、とようやく気づくに至ったのでした。
全ては私の願いから始まり、私の願いから私はあっちにやられ、こっちにやられ、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、あれをし、これをし、そしてやがてとても広くて色々なものが良く見えるここに来たのでした。

さて、少し話をもどして、英語のクラスを取る代わりに毎朝、じっくりReadingしています。
聖書と聖書的に何かを数ページ。
泳ぐ代わりにストレッチを始めました。
静かな音楽と共に教えてくれるビデをを見ながら。
それからブログを書く代わりにジャーナルを書いています。
誰にもシェアできない気もちや、状況についても書いています。
合計で90分ほどの時間の差が生まれ、その時間で何をしているかというと、実は何もしていません。
そう、何もしていないです。
ただ、急がないこと、焦らないこと、慌てないことへの投資のような時間です。
結論から言って、これは、かなり見返りの多い投資でした。
そのことについても今度じっくり書きたいと思います・・・。