Sunday, July 6, 2025

90分の投資


おはよう。
おひさしぶりです。
お元気でしたか。
すごく誰かと話たくなって書き始めました。
どこから書こうかな、何から書こうかな。
お話ししたいことがたくさんあります。
きちんと順序立てて話せるぐらいなら、きっと書こうなんて思わなかっただろうから、ぐちゃぐちゃのまま、とりあえず、書き始めることをどうか許してね。
あまりにも時間がなさすぎて、(時間はみんな平等にあるけど、やっていることとそれをやるために与えられている時間のバランスの話ね、念のため)たくさんのやりたいことをあきらめています。
例えば、毎朝英語のクラスを取ることとか、泳ぐこととか。他にもいろいろ。そしてここに書くこともそのひとつ。
でも、久しぶりのお休みで少しリフレッシュしたのと、色々と変化というか学びがあったので、どうして書きたくなって。

神さまに祈り続けていたことがあります。
どのくらい祈っただろう。
10年ぐらいは祈ったと思います。
それは、「私をもっと高くて広い場所に連れて行ってください。そして本物を見せてください。」という祈りでした。
で、それはいつの間にかきかれていました。
すごく無責任な言い方だけど、きかれた時には、そうと気づかなかった。
でも、きかれていたんだと、最近気づいたのです。
なぜなら、ある日を境に、私はその願いを願わなくなり、その祈りを祈らなくなったから。
そして、その「本物」の中で必死に生き始めて2年目になります。
段階的に徐々に導かれました。
だから私は十分神さまと相談し、十分に考え、十分に祈り、そして十分に自分なりの備えをしたつもりでいたのです。
でも、それが、私の願った「本物」なのだと気づくまで本当の備えや本当の祈りや本当の主への叫びができなくて、苦しかった。
今朝読んだみことばです。
I remember the days of long ago;
I meditate on all your works and consider what your hands have done.  Psalm 143:5
この頃、この驚くべき運び、というか経過、というか、計画? ともかく、常識的には、ちょっとなさそうな、無理矢理で強引な私への恵みに感謝した時に、ああ、ここに来ることを願ったのは私だった、とようやく気づくに至ったのでした。
全ては私の願いから始まり、私の願いから私はあっちにやられ、こっちにやられ、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、あれをし、これをし、そしてやがてとても広くて色々なものが良く見えるここに来たのでした。

さて、少し話をもどして、英語のクラスを取る代わりに毎朝、じっくりReadingしています。
聖書と聖書的に何かを数ページ。
泳ぐ代わりにストレッチを始めました。
静かな音楽と共に教えてくれるビデをを見ながら。
それからブログを書く代わりにジャーナルを書いています。
誰にもシェアできない気もちや、状況についても書いています。
合計で90分ほどの時間の差が生まれ、その時間で何をしているかというと、実は何もしていません。
そう、何もしていないです。
ただ、急がないこと、焦らないこと、慌てないことへの投資のような時間です。
結論から言って、これは、かなり見返りの多い投資でした。
そのことについても今度じっくり書きたいと思います・・・。

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