このようにして、私たちはいつまでも主とともに生きるのです。
Ⅰテサロニケ4:17
私たちが主を遠くから見るのではなく、顔と顔とを合わせて見る日を思うのは、なんと楽しいことであろう。
その時、主は私たちを一夜の宿を求める旅人のようではなく、とこしえにその栄光の胸に抱きしめられる。
幸いな日よ。
いつそれは来るのか。
沈むことのない太陽よ、昇れ。
その時、たましいに大いなる改革のみわざがなされ、感覚的な喜びは私たちを離れ去る。
もし死が主との不断の交わりに入ることであるとするならば、それは私たちにとって益である。
その時、黒いしずくは勝利の大海にのみ込まれるのである。
C.H.スポルジョンの『朝ごとに』より
私は、C.H.スポルジョンを、偉大なる説教者として敬愛している以上に、実は彼のあまりにもアーティスティックで文学的な文章が大すきです。
「黒いしずく」なんて、もう、すぐにでも、次に何か悲しみについて書く時にパクっちゃうと思う。
私たちが闘っている死というものに属する、全てのこと、怒り、嘘、ズル、誤解、私たちが毎日味わう小さな死に関連する出来事も、世界の破れのそこで起きている戦争、飢餓、人殺し、病気、そんな大きな死に関連する出来事も、勝利の大海にのみこまれる日が必ず来ることを。
今まで、本気で誰かに、その希望を信じてほしいと願ったことがなかったことに気づきました。
今は、それを、どうやって、お兄ちゃんに伝えようかと、毎日考えています。
祈っています。
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