Monday, September 14, 2020

動機の確認

あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、
あなたがた自身も、
あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。
それは、
「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」
と書いてあるからです。
1ペテロ 1:13
昨日の礼拝の中心となったみことばです。
私たちが聖を目指す、理由はただひとつ。
それは、神さまのそばで幸せであるため。平安であるため。
今朝、伝道者の書を読み終え、そう思いました。
よりよい人生というのはの、その後ろにもれなくついてくるのでしょう。
だから、それに憧れすぎてはいけないと思う。(より良い人生の方ね)
昨日も、礼拝の中でそれをとても強く感じて、スモールグループでお話ししました。
聖をめざす理由を、他のことに置いていた時、私はとても苦しかった。(実は、今もそれが頭でわかっていても、心と体と魂の全てがそこに向かってアジャスト中なので、少し苦しい)
良い結果が出ないと、しばらくそれを放棄し、また戻って、目標を立て、がんばる。
そして良い結果がでないと・・・、の繰り返し。
どこで読んだんだっけ。
最近読んだ本の中に、天国への道は砕かれた心でできていて、地獄への道はもう2度と失敗しないという誓いでできている、というような意味のことを読んで、大きくうなずいてしまいました。
昨日も、牧師を通し、神は、私に、罪の解決に選択肢はないと強く迫ってくださった。
会衆は、みな、神に近づいても燃えてしまうことのない、十字架以降の、聖霊と罪の赦しを感謝していたけど、私は、そこまで神に近づいたことがない事実をつきつけられたのでした。




 

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