Wednesday, September 30, 2020

ノーマルな人生、感謝な日々

私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、
今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
高さも、深さも、そのほかどんな被造物も
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
ローマ 8:37
夕べ、久しぶりに、姉妹方と楽しく電話でおしゃべりしました。
そして、今朝、大すきなローマ人への手紙の8章を読んで思うこと。
「キリスト者の標準」とは、聖なるキリストの聖なる血による贖いへの単純な確信なのよね。
聖なるキリストの聖なる血による贖いへの理解ではなく。
理解は霊によるものであって、私たちには一生をかけてもできないと思う。
そして、その聖なる血を見て、安心するのは他でもない、私たちの父なる神さま、「ああ、この人は、わたしのものだ」「ああ、この人も、わたしのものだ」と私たちにふりかけたられたそのしるしを見て、過ぎ越してくださるとこの本の中にありました。
私たちがどういう人であるのかは関係ないと。
私たちが、もし、霊によって傷を受けるとしたら、それは、キリストの霊ではないと思っても許されるかもしれない。
私が、この新しいノーマルなクリスチャンライフ(昨日も書いたけど、この本のオリジナルの英語はなんと、THE NORMAL CHRISTIAN LIFE )に慣れて感謝を忘れるのはきっと時間の問題なのだけど、でも、覚えておきたいことは、キリストの霊はキリストの霊を愛するものだというシンプルな定義。
そして、愛って、良いもの。
うれしいもの。
優しいもの。
心の温まるもの。
御霊の実は決して、ばら売りされない。
喜びも平安も寛容も親切も善意も誠実も柔和も自制も全て愛。
愛は決して、自分の正常を疑わせるものではない。
そのことを忘れずにいるために、私、しばらく記念碑を持って生き続けることにしました。
この本、うしろを見たら、なんと300えん。

★RHCC Japanese Ministry はあなたを歓迎します
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