穏やかな心は、からだのいのち。
激しい思いは骨をむしばむ。
箴言 14:30
そして穏やかな心は神さまからしかいただけない・・・。
穏やかな心を取り戻すために、神さまは聖なる安息の日曜日を私たちにくださった。
箴言は「穏やか」という聖書的ポジティブワードよりも「怒り」というこの世的ネガティブワードに満ち満ちています。
いかに人類が、古今東西、老いも若きも男も女もこの感情と闘ってきたか、闘っているか、闘ってゆくかがよくわかります。
「怒り」を治めよと、くり返し訓戒し続けるソロモン。
今朝、私が赤えんぴつで線を引いたのはこの3つ。
愚か者は自分の怒りをすぐ現す。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。12:16
高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。13:10
知恵のある者は用心深くて悪を避け、愚かな者は怒りやすくて自信が強い。14:16
支離滅裂で理不尽な怒りほど、有害で迷惑な公害はないと思いたい気もち、よ〜くわかります。
でも、それにどう反応するかを、神さまは、天の上から、いえ、その同じ空間で、じっと見つめていて、一緒に耐えてくださっているのだと思うのよね。
そして、聖霊さまは、私たちの内で、私たちがそれに反応して暴れ出さないように私たちの心を治めてくださる。
★でも、「こんなことあったんだけど、どうしよう〜」と泣きつける人が、側にひとりでもいてくれたら、人生はとても楽になると思う。
そして、その人が「あはは、そりゃ災難だったね〜、でも、あんたもさあ・・・・」と率直に感じたことを言ってくれる人だと尚良しと思う。