この民の恐れるものを恐れるな。
おののくな。
万軍の主、この方を、聖なる方とし。
この方を、あなたがたの恐れ、
この方を、あなたがたのおののきとせよ。
イザヤ 9:12,13
私が、主を差し置き、また神さまを通り越し、恐れているものがあるとするなら、それは、人間関係がもつれてしまうことに他なりません。
私は、とてもマイペースだったし、そのマイペースに怒る人も、傷つく人もいなかった。
もしかしたら、いたのかもしれないけれど、私は気づかなかった。
遠かろうが近かろうが好きなところに行って、難しかろうが簡単だろうが好きなことをして、おなか一杯食べて、そして、神さまに起こされるまで、眠って暮らしていました。
とてもシンプルだったと思う。
でも、今、人生の新しいステージの中で、この恐れを主に委ねることを日々ためされています。
行きたい所に行くためには私の小さな愛では到底足りないことがはっきりと示され、日々、神さまに愛を受け続けることを練習しています。
「理解することができますように、理解されることができますように」と一息で祈らずには、口を開かない習慣が、少しづつ身についてきた今日この頃です。