LOVE...nothing can ever separate us from God's love ROMAN 8:38 /since 2010 なんばまき ohayospurgeon@gmail.com
Saturday, November 30, 2019
エレミア 4章
エルサレムよ。
救われるために、
心を洗って悪を除け。
いつまで、
あなたの中には邪悪が宿っているのか。
エレミア 4:14
この世界に生きる限り、悪とは縁が切れないものかもしれないとあきらめそうになることがあります。
キリストにあるなら、この世にあってさえ、完全に自由になれると聖書が、約束しているにも関わらず・・・。
キリストの十字架によって、私は自由になりました。
自由なはずです。
それなのに、自ら不自由に縛られたふりをしていると思う。時々。
「心を洗って悪を除け」この命令への応答はひとつしかありません。
「天の父なる神よ、どうぞ、私の心の隅々をあなたの聖なる光で照らし、私の内に潜む、悪を暴き出してください。
私は喜んでそれを、あなたにお渡しいたします。
どうぞ、あなたがそれをおとりあつかいください。
私には、悪を倒す力も聖さもありませんから。」
★この小さなクリスマスツリーははながキンダーで作ってきました
以来9年間、ずっとこの聖家族と一緒に飾っています
私も、こんな風に家族に飾り続けてもらえる作品作りがしたいです
Friday, November 29, 2019
イザヤ 18章
わたしの創造するものを、
いついつまでも楽しみ喜べ。
見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、
その民を楽しむ。
そこにはもう、
泣き声も叫び声も聞かれない。
イザヤ 66:19
65章にはこんなことばがありました。
1節です。
私は、人生のある地点で、自分で神さまを選んだつもりになっているけれど、そうではないと神さまは言います。
ありがたく、感謝なことです。
もし、主に呼ばれ、主に選ばれたのなら。
私が「キリストは人として地上にお生まれになった私の神さまです。私の罪のために十字架で尊い血を流れて、それによって私は赦されました。癒されました。自由になりました。救われました。」と言ったら、数年後に賢人が信仰を告白し、さらに数年後に父と母が告白し、そして、父と母は今年受洗しました。
それが、本当に感謝なことです。
そのために、最初に私が呼ばれたとして、そして、それが神さまのご計画だったとしたら、次はお兄ちゃんや夫に違いないから・・・。(もちろんはなも)
それが、今年の一番の感謝です。
あきらめずに、祈り続けよう。
愛する家族の救いのために。
Thursday, November 28, 2019
イザヤ 63章
まことに、
あなたは私たちの父です。
たとい、アブラハムが私たちを知らず、
イスラエルが私たちを認めなくても、
主よ、あなたは、私たちの父です。
あなたの御名は、
とこしえから
私たちの贖い主です。
イザヤ 63:16
ハッピー・サンクスギビング!
感謝祭おめでとう。
とても久しぶりに、しっかりと雨が降っています。
気まぐれにザザーと降っては、さっと終るにわか雨ではなく、しとしととずっと降り続けています。
雨だいすき。
雨の感謝祭はとっても寒いけれど、これからキッチンでオーブン料理が始まるから、そのうち、この小さな家はすぐにどこもかしこも温まり、きっと子どもたちはTシャツ1枚でうろうろし始めます。
でも、明日は晴れてほしいな。
お洗濯して、掃除機かけて、モップもかけて、クリスマスツリーを飾りたいので。
Wednesday, November 27, 2019
Tuesday, November 26, 2019
Monday, November 25, 2019
イザヤ 60章
わたしは主によって大いに楽しみ、
わたしのたましいも、
わたしの神によって喜ぶ。
主がわたしに、救いの衣を着せ、
正義の外套をまとわせ、
花婿のように栄冠をかぶらせ、
花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。
地が芽を出し、
園が蒔かれた種を芽ばえさせるように。
神である主が義と賛美とを、
すべての国の前に芽ばえさせるからだ。
イザヤ 61:10,11
賢人は昨日の午後、アーバインに戻ってしまったけど、また、水曜日の夜には帰ってきます。
1年で一番、好きな季節がやってきました。
この小さな家に家族が集まって、感謝祭をお祝いし、クリスマスツリーを出します。
飾りつけができたら、また、それぞれの場所に戻り、クリスマスを祝うまでのひと頑張りをし、そして再び家族の時間。
クリスマスが終わったら、こたつを出して、今度はみんなでお蕎麦を食べます。
6人のグループで、サポートをもらって、何かのセミナーを受けるとか、そんなことを言っていました。
1年で一番、好きな季節がやってきました。
わたしは主によって大いにに楽しみ、わたしの魂も、わたしの神によって喜びます。
★昨日、賢人を送った後、ニューポートビーチをぶらぶらして帰りました。
Sunday, November 24, 2019
賢人のオススメと母の選択
土曜日の夜に突然帰ってきて、そして、翌、日曜日のお昼には帰ってしまった賢人。
でも、色々お話ができて、良い週末となりました。
普通に計算すると学生生活最後の年のはずだけど、卒業はしないとのこと。
もう一年UCIで勉強して、その後、もしかしたら、別の学校に行くかもしれないと言っていました。
できたら、UCLA 。
でも、ニューヨークかもしれないしサンフランシスコかもしれないって。
ふ〜ん。
どこでもいいや。
どこに行っても、会いに行ける。
パパッと荷物をつめて、飛行機乗って。
Disney Puls というのを観られるようにして帰って行きました。
開いてみたら、古くてなつかい、しみじみ、心あたたまりそうな映画が、次々に出てきました。
この感謝祭の休暇とクリスマスの休暇が楽しみです。
今夜は、ピーターパンを観るつもり。
でも、彼のオススメは、このふたつ。
でも、色々お話ができて、良い週末となりました。
普通に計算すると学生生活最後の年のはずだけど、卒業はしないとのこと。
もう一年UCIで勉強して、その後、もしかしたら、別の学校に行くかもしれないと言っていました。
できたら、UCLA 。
でも、ニューヨークかもしれないしサンフランシスコかもしれないって。
ふ〜ん。
どこでもいいや。
どこに行っても、会いに行ける。
パパッと荷物をつめて、飛行機乗って。
Disney Puls というのを観られるようにして帰って行きました。
開いてみたら、古くてなつかい、しみじみ、心あたたまりそうな映画が、次々に出てきました。
この感謝祭の休暇とクリスマスの休暇が楽しみです。
今夜は、ピーターパンを観るつもり。
でも、彼のオススメは、このふたつ。
イザヤ 59章
主は絶えず、あなたを導いて、
焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、
あなたの骨を強くする。
あなたは、潤された園のようになり、
水のかれない源ようになる。
イザヤ 59:11
今朝、イザヤの中から、このことばによって大きな大きな力が与えられ、そして天から豊かな霊の注ぎがあったのを感じました。
いえ、確信しました。
続く13節と14節。
もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、
わたしの聖日に自分の好むことをせず、
安息日を「喜びの日」と呼び、
主の聖日を「はえある日」と呼び、
これを尊んで旅をせず、
自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。
「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたを養う」
と主の御口が語られたからである。
イザヤ58:13,14
不思議な確信です。
主は私の喜びです。
聖なる安息の日曜日でなくても、あっても。
イザヤと並行して士師記を読んでいます。
今日は9章を読みました。
エルバアルの末の子ヨタムによる歴史の書き換えのような恐ろしい話でした。
そして、深く考えさせられました。
主はこの兄弟間、身内の闘争に深く関わり、最後は、結局自分では何もしていない、ただ、深く傷つき、悲しみの中に取り残されたヨタムの願いを聞かれたという結末に、なんとも言えない複雑な希望と喜びを感じました。
恐れるべきは、ただ、主、この方。
決して、離れてはいけない。
★Frozen2 とってもおもしろかったそうです。
Frozen 世代の3人ぐみ。
2年生でした。
思えば、はながすぐ近所の小さなダンス教室からサンペドロバレエに移ったのも2年生でした。
はながサンペドロバレエが生活の真ん中だった頃、このふたりの女の子たちとはなをつないでいたものは、なんと「お弁当」だったらしい・・・。
手弁当仲間。カフェテリアで並ばない仲間。1ドルも持ってない仲間。
Saturday, November 23, 2019
さぷら〜いず!
のんびりとした良い土曜日でした。
はなの「くるみ割り人形」のリハーサルだけが、必須だったスローな日。
お昼は夫が作ってくれて、夜はお惣菜を食べながら夫とビールを飲み、秋の夜長を楽しんでいます。
とここで、いきなり、さぷら〜いず!
賢人が帰って来ました。
びびびびびびっくり仰天。
たった、今、ご飯を食べながら、電話をスピーかーにして、テーブルに置き、夫と私とはなとで、
「いつ帰るの?」
「えっ、なんで?』
「なんでってあんた、感謝祭だし」
「えっと、木曜日」
「じゃ、水曜日の夜に迎えに行っていいの?」
「うん」
って、話したばかりなのです。
まさにその2分後、ジョエルが狂ったようにドアの前でジャンピング。
おかえり賢人。
ありがとう、神さま。
なんだか良くわかんなけど、教会のミニストリーのミーティングのために帰って来たらしらしい。
はなの「くるみ割り人形」のリハーサルだけが、必須だったスローな日。
お昼は夫が作ってくれて、夜はお惣菜を食べながら夫とビールを飲み、秋の夜長を楽しんでいます。
とここで、いきなり、さぷら〜いず!
賢人が帰って来ました。
びびびびびびっくり仰天。
明日には戻るからお荷物これだけ でも嬉しい! |
「いつ帰るの?」
「えっ、なんで?』
「なんでってあんた、感謝祭だし」
「えっと、木曜日」
「じゃ、水曜日の夜に迎えに行っていいの?」
「うん」
って、話したばかりなのです。
まさにその2分後、ジョエルが狂ったようにドアの前でジャンピング。
おかえり賢人。
ありがとう、神さま。
なんだか良くわかんなけど、教会のミニストリーのミーティングのために帰って来たらしらしい。
イザヤ書 55章
天が地よりも高いように、
わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
イザヤ 55:8,9
私よりも高い主の道を歩みたい。
私の思いよりも高い主の思いのままに人生を生きたいです。
まだ、起きていないことをあれこれ心配するのではなく、明るい気もちで、今日の分、今週の分、このひと月分のことに心を注ぎながら、いつも一生懸命でいたいです。
ただ、ひたむきに祈り、主の御声に耳をすませながら日々の労苦に取り組んでいれば・・・
10節からはこのように続きます
雨や雪が天から降ってももとに戻らず、
必ず地を潤し、
それに物を生えさせ、目を出させ、
種蒔く者には種を与え、
食べる者にはパンを与える。
そのように、
わたしの口から出るわたしのことばも、
むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、
わたしの言い送った事を成功させる。
まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、
安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、
野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
イザヤ 55:10~13
私は、喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。
山と丘は、私の前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
アーメン!
Thursday, November 21, 2019
寒くてあったかい日
★ほどよく寒い日。
カーディガン着て、膝掛けかけて、小さなヒーターで足元をあっためながら書いています。
今夜の晩御飯はチャンポン。
夫が、全て材料を揃えてくれました。
意外と色々必要なチャンポンを週の終わりの木曜日に食べられるとは思ってもみませんでした。
うれしいです。
大好物だもの。
★今日も、めいっぱい、せいいっぱい、一生懸命に働きました。
色々聞こえてきたけど、祈りながら対処しつつ、今日の目標だったクリスマス会のプログラム作りを終えることができました。
平面状ではOKに見えるけれど、これ、立定的に起こした場合、どうなるのかなと、まだまだ心配です。
どこにどう、重点を置き、心配すべきかの方針、ここのポリシーが今ひとつきちんとつかみきれていない私の恐怖のです。
★サンペドロバレエを辞めて、一番、心配していのは、サンペドロバレエでのお友達と離れてしまうこと。
そして、その心配はそのまま的中。
サンペドロバレエが、彼女の生活の中心だったのだもの、仕方ありません。
この3ヶ月、寂しい日々をよく耐え抜きました。
でも、今週末、細く長くおつきあいの続く、バレエと全く関係のないお友達からのプレイデートのお誘いがあり、本人より、母が大喜びです。
一人はハイスクールの授業を受けている飛び級の優秀さん、そして、もう一人ははなが8年生になれるかなれないかの瀬戸際で、必死にグレード取り戻す手伝いをしてくれた親切な秀才さん。
楽しんでほしいです。
追記:この頃、宿題ちゃんと出して、成績それほど悪くないの、絶対この子たちの影響と思う。
まるで、かつての私。
私、かなりちゃらんぽらんだけど、お友達がいつもすごい秀才で、いつもやさしく、彼女たちの常識を押し付けられてた、
つまり、宿題は出すべしと・・・。
カーディガン着て、膝掛けかけて、小さなヒーターで足元をあっためながら書いています。
今夜の晩御飯はチャンポン。
夫が、全て材料を揃えてくれました。
意外と色々必要なチャンポンを週の終わりの木曜日に食べられるとは思ってもみませんでした。
うれしいです。
大好物だもの。
★今日も、めいっぱい、せいいっぱい、一生懸命に働きました。
色々聞こえてきたけど、祈りながら対処しつつ、今日の目標だったクリスマス会のプログラム作りを終えることができました。
平面状ではOKに見えるけれど、これ、立定的に起こした場合、どうなるのかなと、まだまだ心配です。
どこにどう、重点を置き、心配すべきかの方針、ここのポリシーが今ひとつきちんとつかみきれていない私の恐怖のです。
★サンペドロバレエを辞めて、一番、心配していのは、サンペドロバレエでのお友達と離れてしまうこと。
そして、その心配はそのまま的中。
サンペドロバレエが、彼女の生活の中心だったのだもの、仕方ありません。
この3ヶ月、寂しい日々をよく耐え抜きました。
でも、今週末、細く長くおつきあいの続く、バレエと全く関係のないお友達からのプレイデートのお誘いがあり、本人より、母が大喜びです。
一人はハイスクールの授業を受けている飛び級の優秀さん、そして、もう一人ははなが8年生になれるかなれないかの瀬戸際で、必死にグレード取り戻す手伝いをしてくれた親切な秀才さん。
楽しんでほしいです。
追記:この頃、宿題ちゃんと出して、成績それほど悪くないの、絶対この子たちの影響と思う。
まるで、かつての私。
私、かなりちゃらんぽらんだけど、お友達がいつもすごい秀才で、いつもやさしく、彼女たちの常識を押し付けられてた、
つまり、宿題は出すべしと・・・。
イザヤ 53章
私たちはみな、
羊のようにさまよい、
おのおの、
自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
イザヤ 53:6
大きな大きな代償を払って、咎を負っていただいたのだから、せめて、神さまのじゃまにならないようにしよう。
私は、まだまださまよっているし、これからもきっとさまよい続ける者なのだろうけど、そして、間違いや失敗をくり返してしまうのだろうけど、どこにいても、何をしていても、神さまの側で生きることを習性として生きていたい。
生きる術にしていたい。
どんな小さなことも、神さまに聞こう。
どっちですかと。
そして、聞いたら、口を閉じてみ声に耳をすませよう。
神さまの声は、風のささやきのように小さいらしいから。
Wednesday, November 20, 2019
雹と雨とずれまくりな私
雹(凍った雨)が、ばちばち降ってきたり、一瞬だけど大粒の激しい雨にお互いの
話し声が聞こえなかったり、すごいお天気でした。
子どもたちは、家族から離れて体験するこのすごい空の変化に、私に身を寄せ、震えるように頼ろうとするけど、頼りない私は、子どもたちと一緒になって、いえ、先頭に立って、びっくりし、大騒ぎし、結局、子どもたちは、「このヒト、だめ」と悟ったようで、「まきせんせい、だいじょうぶ、お祈りしよう」と。
すばらしすぎです・・・。
それで、私は、不安な上に頼るもののない彼らが急にかわいそうになり、あったかで楽しい冬の音楽を教室に流し、子どもたちとくっつきあって、外のすごい雨を眺めました。
★写真は雹が降り始めて、カメラ!と走り、戻ってきたら、ただの静かな空に戻っていたその様子。
子どもに、「おわったよ」って言われました。
どこまでも、ワンテンポ、ずれてる私です・・・。
話し声が聞こえなかったり、すごいお天気でした。
子どもたちは、家族から離れて体験するこのすごい空の変化に、私に身を寄せ、震えるように頼ろうとするけど、頼りない私は、子どもたちと一緒になって、いえ、先頭に立って、びっくりし、大騒ぎし、結局、子どもたちは、「このヒト、だめ」と悟ったようで、「まきせんせい、だいじょうぶ、お祈りしよう」と。
すばらしすぎです・・・。
それで、私は、不安な上に頼るもののない彼らが急にかわいそうになり、あったかで楽しい冬の音楽を教室に流し、子どもたちとくっつきあって、外のすごい雨を眺めました。
★写真は雹が降り始めて、カメラ!と走り、戻ってきたら、ただの静かな空に戻っていたその様子。
子どもに、「おわったよ」って言われました。
どこまでも、ワンテンポ、ずれてる私です・・・。
イザヤ 51章
義を知る者、
心にわたしのおしえを持つ民よ。
わたしに聞け。
人のそしりを恐れるな。
イザヤ 51:7
12節にはこうもあります。
「わたし、このわたしが、あなたを慰める。あなたは、何者なのか。
死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。」
昨日は、はなのダンスのレッスンの2時間、下のスターバックスで、みっちり集中して仕事をしながら、半ば、デボーションのようなくつろいだ良い時間を主と共に過ごすことができました。
みことばが、いつも私を支えてくれます。
なにはなくとも、私にはみことばがあります。
そして、私は、それゆえに、全てを持っています。
★ジッサイ、昨夜はラップトップの電池も、電話の電池も、音楽とカメラ用に使っている古い電話の電池も切れてしまい、テーブルにあれこれ紙を広げ、ノートにいろんなことを書き込みながら仕事をしました。
大切なものはなんでもプリントして抱え歩く私のカバンはまるでドラえもんのポケットのよう。
いえ、主ご自身が私のポケットです。
Tuesday, November 19, 2019
イザヤ 49章
主は私の口を鋭い剣のようにし、
御手の陰に私を隠し、
私をとぎすました矢として、
矢筒の中に私を隠した。
そして、私に仰せられた。
「あなたは私のしもべ、イスラエル。
わたしはあなたのうちに、
わたしの栄光を現す。」
しかし、私は言った。
「私はむだな骨折りをして、
いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした。
それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、
私の報酬は、私の神とともにある。」
今、主は仰せられる。
ー主はヤコブをご自分のもとに帰らせ、
イスラエルをご自分のもとに集めるために、
私が胎内にいる時、
私をご自分のしもべとして造られた。
私は主に尊ばれ、
私の神は私の力となられた。ー
イザヤ 49:2~5
神さまが私のために造ってくださった私という人格、私のことば、私の声、私の表情、私の顔、私の心。
それらが、もし、傷つくとしたら、それは、主が傷ついてくださっていると想像してみた。
否、主は傷ついていない。そんなことでは、決して傷つかない。
だから、私も傷つかない。
先週の礼拝のメッセージのテーマは Prize、報酬 でした。
私たちのPrize はキリストそのものであるというメッセージがパウロが書いたピリピ人への手紙から語られました。
造られた私が自分ではどうすることもできない主の創造物についてコメントすることは陶器が陶器師を超えて、何かをしようとするぐらい漫画のような滑稽なこと。
陶器師に愛され、大切にされ、尊ばれる陶器になれるなら、それでいい。それがいい。
それが私の報酬。
それだけが私の報酬。
★最近見たとってもインパクトのある陶器。
この陶器たちが、造っている陶器師を差し置いて、自分について色々言ってどうするよ。
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