私たちはみな、
羊のようにさまよい、
おのおの、
自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
イザヤ 53:6
大きな大きな代償を払って、咎を負っていただいたのだから、せめて、神さまのじゃまにならないようにしよう。
私は、まだまださまよっているし、これからもきっとさまよい続ける者なのだろうけど、そして、間違いや失敗をくり返してしまうのだろうけど、どこにいても、何をしていても、神さまの側で生きることを習性として生きていたい。
生きる術にしていたい。
どんな小さなことも、神さまに聞こう。
どっちですかと。
そして、聞いたら、口を閉じてみ声に耳をすませよう。
神さまの声は、風のささやきのように小さいらしいから。