Saturday, November 2, 2019

ルカの福音書 1章

私の主の母が私のところに来られるとは、
何ということでしょう。
ほんとうに、
あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、
私の胎の子どもが喜んでおどりました。
主によって語られたことは
必ず実現すると信じ切った人は、
何と幸いなことでしょう。
ルカ 1:43~45
結婚前の自分の身に起きたこと、これから起きることに、喜びと不安を抱えながら、マリヤは、ヨハネを身ごもっているエリサベツに会いに行きました。
マリヤは、事情を説明しなくてもわかってもらえ、信じてもらえるのは、婚約者のヨセフをおいて、彼女しかいないと思ったのでしょう。
唯一のママ友です。
その唯一のママ友は、おそらく、自分の親以上に年上の女性であったに違いありません。
マリヤが13歳だったとして、エリサベツは、「妊娠するはずがない」と夫のザカリアが信じられなかった人ですもの。
何が言いたいかというと、そんな大人の女性の言う、「主によって語られたことは必ず実現すると信じ切った人は、何と幸いなことでしょう」ということば。
私は、「エリサベツさん、あなたもそーとー幸いな人と思うよ」と言いたいです。
大人になり、いろんな経験を積むと、見たこと、聞いたこと、知っていること、やったことの方が、主の語られたことばよりも信じやすくなってしまうものなのに、彼女は、本当に素直に純粋に自分のおなかの赤ちゃんと、そして、若いマリヤとマリヤの赤ちゃんのことを信じて喜んでいるのだもの。
私も、エリザベツみたいな人になりたいです。
彼女の信仰が欲しいです。
今朝は、「どうか、私の信仰をいつも若々しく、新しくリフレッシュし続けてください。どんなことでも、それがあなたのおことばなら信じることができますように。」とお祈りします。
★なぜ、今朝、ルカの福音書かと言うと、昨日からずっと生誕劇のことを考えていました。今朝のエリザベツさんのことばにとっても励まされました。
何かを新しくするということは、いつも大きなチャレンジです。
波風立てることなく、何かを変えることはできません。
でも、やってみようと思います。
エリザベツさん、ありがとう。