主の手に陥ることにしましょう。
主のあわれみは深いからです。
2サムエル 24:14
ダビデの思いは主に扱われ、16節、「主はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼそうとしている御使いに仰せられた。『もう十分だ。あなたの手を引け。』」
今朝、自分の民を数えたダビデの罪悪感の秘密が、私にも少しわかるような気がしました。
歴代誌の21章の1節に「サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。」とあるから、これはサタンの誘惑だった、と単純に片付けられない、何か引っかかるものが、今朝は引っかからなかった。
ダビデの罪の重たさが自分の重さの理由として示された気がしています。
だって、誘惑というのは常にあるものだから。
欲望も嘘も誘いも、いつだって、この世界を取り巻き、ダビデと私を取り巻き、私たちは、いつだって、その中にいたはずなのです。
そう、「おかしい」。
ダビデは愚かだった。
私も愚かだった。
欲望も嘘も悪の誘いもいつもそこにあった。
そして、ほとんど毎日、それと関わらずに生きてきた。
でも、ふっと関わった。大きく、深く。
神さまが休むことなく働いてくださっているように、サタンも相当な働き者であるということを知らない愚か者であった。
私は、ここは天国ではないことをうっかり忘れていたのでした。