父が私を愛されたように、
わたしもあなたがたを愛しました。
わたしの愛の中にとどまりなさい。
ヨハネ 15:9
今朝も通読の後、リズの小さな本を開きました。
通読は、2サムエル記です。
18章を読みました。
最後はこうです。
「わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」
ダビデの、息子の死への嘆きのことばです。
母違いの息子たちのドラマチックな喧嘩から始まったダビデの悲しみの、気もちの落としどろこの無さに、なんとも複雑で弱い人間の心があらわにされています。
そして、リズさんの本から開いたヨハネの15章。
人の子への愛がこれほどまでなら、天の父の愛はどれほどかといえば、リズさんのことばを借りるなら、それは、ゴルゴダの丘に打ち込まれた十字架の盾の木に込められ、大きな釘を受けた、その手に込められ、墓を封じた大きな岩を動かす力に込められた、それ以上のものであると。
あなたの心にその事実を刺し通し、とどめておきなさいと。
辞書を引きながら英語で読んだら、とどまるって、我慢するって意味もあることがわかりました。
新改訳じゃなくて、リズさんのバージョンは aside in My love。
なるほど、と思います。
とどまるって、よくわからないけど、我慢するはよくわかる。
今週も、よく我慢したと思う。我ながら。えへへ。