信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル11:1
今朝のマックスからのみことばです。
昨日、一週間の仕事を終えたその足で、アーバインまで賢人を迎えに行きました。
車の中で、色んなことを話ました。
あの子は50枚のスクリプトを書き上げた直後だったので、そのことで、ちょっと興奮していたのかもしれません。
私も1枚のスクリプト(3びきのこぶた!)を書き上げた直後だったので、ぽつり、ぽつりとだけど、私たちの会話は途切れることがありませんでした。
あの子は卒業の延期を決めていました。
マイナーで取った英語で、「もっとちゃんとしたもの」を書いて、大学院に備えたいと言いました。
私は、彼の友だちじゃないから、途中で、何度も、心の中で、「それで、チャンスはいかほど」とか「お勉強した時間とチャンスの量は比例するのでしょうか」とか思いました。
それは私の仕事じゃない。
この4年半もの間、学生としての彼を完璧にめんどうみている神さまの仕事。
私にそれを言う資格はない。
そしてたぶん、この子はそんなことは何も心配していないとも思った。
ただ、今、作ること、書くことに夢中なのです。
今週、ある人が「卒業後、払った学費分ぐらいは稼いでほしいわ」と私に言いました。
何と言ってあげてよいやらわからず、曖昧に笑うしかなかった。
それは払った人のセリフ、払った人の思い。
でも私、何もしてあげられないけど、もうすでに、祈った以上の報いをあの子から受けている。
一緒に夢をみるという報い。