Monday, September 30, 2024

箴言を読んで始まった朝、週明け


箴言を読み、よし、今日のテーマは『穏やかな心、柔らかな答え』、と決めて始めた1日なのに、そうもいかず、何度もかりかり、イライラ。
でも、そのたび、朝の決心を思い出し、「どうどうどう」と自分で自分を鎮めようとがんばりました。
最後は優しく、穏やかな気もちで子どもたちを送り出せたのは箴言のおかげです。
箴言はまだ始まったばかりでしばらく続きます。
明日こそ、『穏やかな心、柔らかな答え』の人となれますように・・・。

良い1日、良い週明け、となりました。
土曜日の午後のピアノレッスンに、とってもとってもうしれいいフィードバックがあり、色々夢を膨らませています。
ピアノレッスン、と一言で言っても、特に私が得意で大すきなアレンジにフォーカスを置いたレッスンで、でも、それは誰にも習っていなくて、だから誰にも教えたことのないこと。
少しずつ、整理しながら、自分のためのノートを作るような気もちでレッスンしています。
将来、幼稚園で働く体力なくなったら、そういうことばかり、毎日してもいいかも・・・。
なんちゃって。
 

Tuesday, September 24, 2024

私の計画


今日の晩御飯はなんですか。
我が家は計画通り、筑前煮と湯豆腐です。
気温が下がるとごはんがおいしくなるのはなぜだろう。
ん?そうじゃないか。
気温が高くてもお寿司やお刺身やうなぎはおいしかったのだけど、気温が下がるとなんでもないものがおいしくなるのはなぜだろう。
あったかいものを食べたい気もちにはあったかいものがシンプルに答えてくれるからかな・・・。
食欲の秋というわけです。
でも食欲と同時に、ご飯を作るという日常的な楽しみも戻ってくる季節。
義務じゃなく、任務でもなく、責任感からでもなく、食べたいから作るというこれまたシンプルな、でも何よりも強力な動機づけがうれしい季節です。

☆ころっと話は変わるけど、左のことば、よいとおもいませんか。
亡くなってから知ったことだけど、父は計画をするのが大すきでした。
ノートに手書きで色んなことを計画していました。
父が願ったことを実現させてきた理由を知った時、自分の計画好きを父から受け継いだことに気づきました。
私が受けた最大の遺産です。
そして、それは、そっくりそのまま賢人とはなに譲り渡す計画な私です。

Monday, September 23, 2024

ああああ、ううう


いっぱい、いっぱい、めいっぱいな1日がようやく終わりました。
我ながら週明けとは思えない気力の高まり具合です。
それはまるで、木曜日。
ぼんやりとスローに始まる月曜日のまったりは、今朝読んだこのみことばによって吹き飛ばされたのかもしれません。
必死に働くことで振り切るしかないジレンマ、家庭と仕事か、それとも教会生活か・・・。
大きなプレッシャーがかかる時、圧力に屈することなく、前に進む方法はただひとつ、(私の場合ね)あえて、圧力の真ん中に身を投じるべし。
圧の目標目的に自分を合わせて、それがどんな感じか試してみます。
抵抗をやめて、強い力に巻かれ、巻かれながら耐えられるかどうかを判断してみる派。(まるでマゾだな)
母が思っていたよりも早くに一人暮らしに終止符を打ち、保険外のプライベートの施設に入所しました。
そしてはなは、まよいにまよい、最後の最後に入学を決めたため、学内の寮には入れず、学校の近くの普通のご家庭で下宿させてもらっています。
この2件にかかる月々の費用は共に、我が家のモーゲージを軽く上回る恐ろしさ、いえ、恵み。(入れただけでもありがたいのです。じっさい・・・)
払えることを喜んでいたけど、それでは済まない現実がこのみことばによって示され、ああああ、ううう。

 

Sunday, September 22, 2024

教会に仕えるということ

ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、
民は主に仕えた
士師記 2:7
           https://www.youtube.com/watch?v=VUuEjJM-AlE 
教会に仕える長老たちについて深く考えさせられる、
心打つ、素晴らしいメッセージです
ぜひ、聞いてみてください

聖なる安息の日曜日の満足

 


新しい職場での(といっても3年目ももうすぐ真ん中だけど)、新しい仕事が始まって、一つの学期が終わり、ふたつめの学期もひと月がすぎ、少しだけ、ほんのすこ〜しだけど、自信がついてきた気がしています。
月の初めから終わりまで、そして月曜日から土曜日までの、その日その日の保育時間以外の仕事に私なりのパターンが生まれ、そしてそれがやっと身についてきた、と自分で思えるようになってきました。
保育前の計画と準備、そして保育後の片付けと反省、に加え、『仕分けと整理と保存』というのをやるようになりました。
コ・ワーカーのアドバイスです。
この一手間が次を楽にする、そしてその楽になった分また新しいことができる、という彼女の良い循環に憧れ、私もはじめてみました。
個人に任されている部分がたくさんの自由な職場で、時に苦しみながら、でもほとんどを楽しみながら、少しずつ一人前に近づきつつあるこの頃の私です。
さて、ハッピー・サンデーです。
自分の成長や成果に満足しながらたっぷり眠り、すごく良い気分で目覚めました。
夏の日本旅行以来、ずっと荒れた庭と格闘していたのだけど、随分と良くなり、息を吹き返してくれました。
今日も心と身体のリフレッシュを兼ねて、家の中や外を一生懸命にきれいにしようと思います。
それから、お買い物に行きます。
計画の大切さを仕事を通して学んだ私は、日曜日にざっとの献立を立てておくことを必須にしています。
まとめて考え、集中して動く、保存できるものは少々でも保存し次に生かす。
これ、晩御飯作りにもお弁当作りにも応用できる、仕事のテクニックだと思います。




Sunday, September 8, 2024

勤労の実


あなたは、自分の手で勤労の実を食べるとき、
幸福でしあわせであろう。
見よ。
主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。
詩篇 128

ハッピー・サンデー。
6日ぶりのうれしい休日です。
昨日はアーバインでの仕事を終えた後、何年かぶりにトーレンスでピアノレッスンの仕事をし、さらに、その足でパモナにはなを迎えに行きました。
ピアノレッスンはこれからも続けることになりました。
はなに、「まあま!それはやりすぎ・・・」とあきれられてしまったけれど、仕方ありません。
やりたくなってしまったのですから。
今もっているふたつのクラス、ひとつは4歳になってゆく3歳児さん。
もうひとつは6歳になってゆく5歳児さん。
小さい子たちの方は毎日の幼稚園、大きい子たちの方は土曜日だけの日本語のクラスです。
そして、この土曜日のピアノの生徒さんは日本語も話せて楽譜も読めるティーンの女の子です。
昨日ためしに会って、色々話してみて、使う場所が今やっている仕事と全然違うし、楽しくやれそうと思いました。
私が手探りでひとりで勉強してできるようになった即興的な「歌の伴奏」を順序立てて、どうやって弾けるようになったのかをまとめるよい機会だとも思いました。
準備にかける時間も「自分のノート作り」と思えば、それほど苦になりません。
いいえ、いつかきっとノートにしたいと思っていたので、良い機会だと思います。 
そして、将来、必要な人にそれをすぐにぱっと手渡せるようになれたらいいなっと思います。
☆写真はコ・ワーカーにもらったわんこのグルメ詰め合わせについて、その内容を説明するはなと説明を受けるじょえる

Thursday, September 5, 2024

きた。

更新手続き中のグリーンカードが、申請から2年をすぎ、当局のウェブの中で、まだ80パーセントの終わりぐあいで、来年の2月になりそうなんて書かれ、弁護士を探したり、アメリカ市民権の習得について調べていた矢先・・・・、きた。
なんかのダウンロードとかアップデートとかみたいに、ラストミニッツでめちゃくちゃスピードアップしたようす。
やれやれ。よかった、よかった。これで、いつ、なんどきでも、母に会いに行けます。

☆写真は明日遊ぶ予定の氷の作り中写真

Wednesday, September 4, 2024

良い気分

くふ〜、つかれた〜。今日もめいっぱい働きました。
成果はともかく、がんばった。結果はともかく、やることやった。
でも失敗って後からわかることだから、完全な平安とは言えないけど、でも、いいや。
くつろいでいます。
夜は神さまと私の時間だから。
攻めも責めも償いも、もしあるなら、明日聞こう。
明日がんばろう。
明日償おう。
明日返上しよう。
明日挽回しよう。
そう、思ったら、なんだか、ちょっと楽になりました。
例の鬱っぽい症状から完全に解放される日近し・・・

Tuesday, September 3, 2024

母のポトスの行方その1

純子ちゃんから
「ポトス、大切にしています」と写真が送られてきた
ああ、よかった
元気でいてね、
お母さんも元気でいるよ

Monday, September 2, 2024

レイバーデイ・ウィークエンドの終わりに・・・


どんな休日でしたか。
私は、少しだけ庭仕事をしてはなをパモナに送って行きました。
古くてかわいい街の素敵な一軒家に下宿しています。
学校へは夏休みのサマーキャンプのバイトで買ったEバイクで通っています。
四季がはっきりしていて雨も降るらしく、ポンチョと傘を買ってあげました。
雨の日は学校のバスを使います。
お部屋代は私たちが払っているけど、食費は自分でまかなっています。
だから、色々買って持たせてあげました。
パックのごはんやインスタントラーメン、野菜や果物などなど。
キッチンのキャビネットにも冷蔵庫にもはなだけのスペースをいただいていて、調味料などは自由に使っても良いのだそうです。
家族は好きな時間に好きなものをバラバラに食べているらしく、はなは誰かと一緒に食べたいけど、結局お部屋でひとりで食べているようです。
我が家とはずいぶん勝手が違うようです。
学校へはお弁当を持参し、同じ高校のお友だちと彼女のドームで食べているそうです。

あの子が行ってしまって、また、さみしくなりました。
お部屋で眠っていることの続きに気もちを変えるのも今回はちょっと難しいです。(だって前回は夫と賢人が荷物と一緒に送って行ってくれたのだけど、今回は自分で送って行っちゃたんだもん・・・)

ありがとう、書かせてくれて

あなたのみことばは、私の足のともしび
私の道の光です。
詩篇 119:105

休日の朝、たっぷり眠ってゆっくり起き、お水をたっぷり飲んで、聖書をゆっくり読みました。
とても良い気分です。
「気分が悪い」と書いたとたん、気分が良くなりました。
ちょっと誰かに文句を言ってみたかっただけなのかもしれません。
ありがとう。
書かせてくれて。
この前、いつだったかな、50万ビューを喜んだところなのだけど、本当に今は、それが私を支えています。
色んなこと、失敗するし、挫折するし、上手にできない時もあったり、うまくいかないことなんてしょっちゅうなのだけど、色々ある中のひとつが、この「書く」という仕事で、それはずっと私の中で同じ調子で流れています。
なぜかと言えば、上手に書けるとかうまく表現できるとかじゃなくて、ただただ、毎日たくさんの人が読んでくれているからです。
ほとんど全て、会ったことのない知らない人々です。
本当にありがとう。
書かせてくれて。
読んでくれて。

Sunday, September 1, 2024

すっきりしない症状あれこれ

はなが帰ってきたから、急に正直になっちゃうみたいだけど、実は体調が優れません。
帰国後1日も休まず働いてきたけど、内側はかなり苦しく、目眩と立ちくらみと吐き気がかわりばんこにやってきます。
体重も夏休み前より3キロも減ってしまいました。
いつも、座る場所やタインミングを探してしまう情けない私です。
6日働いた後の日曜日、ミニマムだけどなんとか細々と続けたいと思っていた教会生活も、見透かされたようにガツンと釘を刺され、そうはいかないと知り、逃げるように奉仕もたたんでしまいました。
これは一体なんでしょう。
夏の疲れ?
更年期?
それとも鬱?

噂の真相


噂どおり、はなは金曜日の午後に帰ってきていました。
私は、そうとも知らず、6時過ぎまで仕事をし、呑気にお買い物をして帰り、クルマの音を聞いてバックヤードまで出てきてくれたはなを見て、涙がこぼれそうになりました。
ああ、私は確かにこんな子を生んだのだった。
がんばって育てて、大きくなったから送り出したけど、あまりにも寂しかったから、すっとお部屋で寝てることにしていたんだった。
起きてきたのね、あ、じゃなくて帰ってきたのね。
連休だのものね。
人生のおまけのように、というか悪夢から覚めてほっとするように、いやちがうな、忘れていた大切な失くしものが見つかったように、(そうそう)嬉しくなりました。
昨日は献立を大幅に変更して彼女の大好物のスパゲティを作り、それから今日は季節外れだけど、これまた彼女のおふくろの味であるローストチキンを焼きました。
 

書かずにいられないこと

苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。
主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。
主は私の味方。
私は恐れない。
詩篇 118:5

この夏、日本で最初に母に会ったのは病院の廊下でした。
どのくらいだろう、数メートルも離れたところから椅子に座った母に、「おいでおいで」のしぐさをされ、でも、側に行ってあげることができず、とってもとっても悲しかった。
そして、さらに悲しかったのは、思ったより全然元気そうに見えたのに、転院が決まっていたこと、そしてホームが決まり次第、転院先からホームに入ることになっていたことでした。


その晩、私は、ひとり、父と母の家のトイレのドアの外で声をあげて泣きました。
泣きながら、「もう一度呼んで、私の名を呼んで、この家で、二階の私に向かって『まきちゃん』と呼んで、神さま、お願い、聞かせて、もう一度、もう一度だけでいいから、母の『まきちゃん』と呼ぶ声を、この家の二階の自分の部屋で聞かせて」そう叫びました。
そしてそれは10日後に現実となりました。
1回どころではありませんでした。
何度も。
「まきちゃ〜ん、お隣さんですよ」「まきちゃ〜ん、電話」「まきちゃ〜ん、(私の夫に)朝ごはんを用意したいのだけど手伝って」とか、「まきちゃ〜ん」「まきちゃ〜ん」。
終いには、気配を感じただけで、「お母さん、さっきも言ったけど、彼は朝はお茶だけで良いのよ」と呼ばれる前に階下に向かって言ってしまったほど・・・。



神さまは、本当に生きて、私たちの呼び求めを聞いておられます。
本当です。
私は、何度も何度も何度も何度も神さまの奇跡のような応答を見ました。
転院はサポート・チームと主治医と手術をしたお医者さんと病院のカウンセラーの一致の意見、しかもかなり威圧的で強力な意見であったにも関わらず、私は母を無理やり退院させました。
これまで時間をかけて築き上げてきた良い関係を失うリスクについても考えたうえで・・・。
それは神さまの促しだったし、私が日本にいる間にホームに入所させることも神さまの憐れみのご計画でした。
確信はなかったけど、絶対大丈夫なはず、となぜか思えた。
でも誰にも理解されなかった。
すごく怖かったし、孤独でした。
でもね、その恐れや孤独を引き受けて、神さまを選ぶ時に起きる奇跡はすごいです。
私、このこと、言わずにいられない。
書かずにいられない。
教会で聖らなか人の聖らかなで正しい証を聞くたびに、シラ〜っとなっちゃうひねくれ者の私は、こういうことはあまり言わないことにしていたけど、今度だけは、言わずにいられないのです。