Sunday, September 8, 2024

勤労の実


あなたは、自分の手で勤労の実を食べるとき、
幸福でしあわせであろう。
見よ。
主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。
詩篇 128

ハッピー・サンデー。
6日ぶりのうれしい休日です。
昨日はアーバインでの仕事を終えた後、何年かぶりにトーレンスでピアノレッスンの仕事をし、さらに、その足でパモナにはなを迎えに行きました。
ピアノレッスンはこれからも続けることになりました。
はなに、「まあま!それはやりすぎ・・・」とあきれられてしまったけれど、仕方ありません。
やりたくなってしまったのですから。
今もっているふたつのクラス、ひとつは4歳になってゆく3歳児さん。
もうひとつは6歳になってゆく5歳児さん。
小さい子たちの方は毎日の幼稚園、大きい子たちの方は土曜日だけの日本語のクラスです。
そして、この土曜日のピアノの生徒さんは日本語も話せて楽譜も読めるティーンの女の子です。
昨日ためしに会って、色々話してみて、使う場所が今やっている仕事と全然違うし、楽しくやれそうと思いました。
私が手探りでひとりで勉強してできるようになった即興的な「歌の伴奏」を順序立てて、どうやって弾けるようになったのかをまとめるよい機会だとも思いました。
準備にかける時間も「自分のノート作り」と思えば、それほど苦になりません。
いいえ、いつかきっとノートにしたいと思っていたので、良い機会だと思います。 
そして、将来、必要な人にそれをすぐにぱっと手渡せるようになれたらいいなっと思います。
☆写真はコ・ワーカーにもらったわんこのグルメ詰め合わせについて、その内容を説明するはなと説明を受けるじょえる

Thursday, September 5, 2024

きた。

更新手続き中のグリーンカードが、申請から2年をすぎ、当局のウェブの中で、まだ80パーセントの終わりぐあいで、来年の2月になりそうなんて書かれ、弁護士を探したり、アメリカ市民権の習得について調べていた矢先・・・・、きた。
なんかのダウンロードとかアップデートとかみたいに、ラストミニッツでめちゃくちゃスピードアップしたようす。
やれやれ。よかった、よかった。これで、いつ、なんどきでも、母に会いに行けます。

☆写真は明日遊ぶ予定の氷の作り中写真

Wednesday, September 4, 2024

良い気分

くふ〜、つかれた〜。今日もめいっぱい働きました。
成果はともかく、がんばった。結果はともかく、やることやった。
でも失敗って後からわかることだから、完全な平安とは言えないけど、でも、いいや。
くつろいでいます。
夜は神さまと私の時間だから。
攻めも責めも償いも、もしあるなら、明日聞こう。
明日がんばろう。
明日償おう。
明日返上しよう。
明日挽回しよう。
そう、思ったら、なんだか、ちょっと楽になりました。
例の鬱っぽい症状から完全に解放される日近し・・・

Tuesday, September 3, 2024

母のポトスの行方その1

純子ちゃんから
「ポトス、大切にしています」と写真が送られてきた
ああ、よかった
元気でいてね、
お母さんも元気でいるよ

Monday, September 2, 2024

レイバーデイ・ウィークエンドの終わりに・・・


どんな休日でしたか。
私は、少しだけ庭仕事をしてはなをパモナに送って行きました。
古くてかわいい街の素敵な一軒家に下宿しています。
学校へは夏休みのサマーキャンプのバイトで買ったEバイクで通っています。
四季がはっきりしていて雨も降るらしく、ポンチョと傘を買ってあげました。
雨の日は学校のバスを使います。
お部屋代は私たちが払っているけど、食費は自分でまかなっています。
だから、色々買って持たせてあげました。
パックのごはんやインスタントラーメン、野菜や果物などなど。
キッチンのキャビネットにも冷蔵庫にもはなだけのスペースをいただいていて、調味料などは自由に使っても良いのだそうです。
家族は好きな時間に好きなものをバラバラに食べているらしく、はなは誰かと一緒に食べたいけど、結局お部屋でひとりで食べているようです。
我が家とはずいぶん勝手が違うようです。
学校へはお弁当を持参し、同じ高校のお友だちと彼女のドームで食べているそうです。

あの子が行ってしまって、また、さみしくなりました。
お部屋で眠っていることの続きに気もちを変えるのも今回はちょっと難しいです。(だって前回は夫と賢人が荷物と一緒に送って行ってくれたのだけど、今回は自分で送って行っちゃたんだもん・・・)

ありがとう、書かせてくれて

あなたのみことばは、私の足のともしび
私の道の光です。
詩篇 119:105

休日の朝、たっぷり眠ってゆっくり起き、お水をたっぷり飲んで、聖書をゆっくり読みました。
とても良い気分です。
「気分が悪い」と書いたとたん、気分が良くなりました。
ちょっと誰かに文句を言ってみたかっただけなのかもしれません。
ありがとう。
書かせてくれて。
この前、いつだったかな、50万ビューを喜んだところなのだけど、本当に今は、それが私を支えています。
色んなこと、失敗するし、挫折するし、上手にできない時もあったり、うまくいかないことなんてしょっちゅうなのだけど、色々ある中のひとつが、この「書く」という仕事で、それはずっと私の中で同じ調子で流れています。
なぜかと言えば、上手に書けるとかうまく表現できるとかじゃなくて、ただただ、毎日たくさんの人が読んでくれているからです。
ほとんど全て、会ったことのない知らない人々です。
本当にありがとう。
書かせてくれて。
読んでくれて。

Sunday, September 1, 2024

すっきりしない症状あれこれ

はなが帰ってきたから、急に正直になっちゃうみたいだけど、実は体調が優れません。
帰国後1日も休まず働いてきたけど、内側はかなり苦しく、目眩と立ちくらみと吐き気がかわりばんこにやってきます。
体重も夏休み前より3キロも減ってしまいました。
いつも、座る場所やタインミングを探してしまう情けない私です。
6日働いた後の日曜日、ミニマムだけどなんとか細々と続けたいと思っていた教会生活も、見透かされたようにガツンと釘を刺され、そうはいかないと知り、逃げるように奉仕もたたんでしまいました。
これは一体なんでしょう。
夏の疲れ?
更年期?
それとも鬱?

噂の真相


噂どおり、はなは金曜日の午後に帰ってきていました。
私は、そうとも知らず、6時過ぎまで仕事をし、呑気にお買い物をして帰り、クルマの音を聞いてバックヤードまで出てきてくれたはなを見て、涙がこぼれそうになりました。
ああ、私は確かにこんな子を生んだのだった。
がんばって育てて、大きくなったから送り出したけど、あまりにも寂しかったから、すっとお部屋で寝てることにしていたんだった。
起きてきたのね、あ、じゃなくて帰ってきたのね。
連休だのものね。
人生のおまけのように、というか悪夢から覚めてほっとするように、いやちがうな、忘れていた大切な失くしものが見つかったように、(そうそう)嬉しくなりました。
昨日は献立を大幅に変更して彼女の大好物のスパゲティを作り、それから今日は季節外れだけど、これまた彼女のおふくろの味であるローストチキンを焼きました。
 

書かずにいられないこと

苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。
主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。
主は私の味方。
私は恐れない。
詩篇 118:5

この夏、日本で最初に母に会ったのは病院の廊下でした。
どのくらいだろう、数メートルも離れたところから椅子に座った母に、「おいでおいで」のしぐさをされ、でも、側に行ってあげることができず、とってもとっても悲しかった。
そして、さらに悲しかったのは、思ったより全然元気そうに見えたのに、転院が決まっていたこと、そしてホームが決まり次第、転院先からホームに入ることになっていたことでした。


その晩、私は、ひとり、父と母の家のトイレのドアの外で声をあげて泣きました。
泣きながら、「もう一度呼んで、私の名を呼んで、この家で、二階の私に向かって『まきちゃん』と呼んで、神さま、お願い、聞かせて、もう一度、もう一度だけでいいから、母の『まきちゃん』と呼ぶ声を、この家の二階の自分の部屋で聞かせて」そう叫びました。
そしてそれは10日後に現実となりました。
1回どころではありませんでした。
何度も。
「まきちゃ〜ん、お隣さんですよ」「まきちゃ〜ん、電話」「まきちゃ〜ん、(私の夫に)朝ごはんを用意したいのだけど手伝って」とか、「まきちゃ〜ん」「まきちゃ〜ん」。
終いには、気配を感じただけで、「お母さん、さっきも言ったけど、彼は朝はお茶だけで良いのよ」と呼ばれる前に階下に向かって言ってしまったほど・・・。



神さまは、本当に生きて、私たちの呼び求めを聞いておられます。
本当です。
私は、何度も何度も何度も何度も神さまの奇跡のような応答を見ました。
転院はサポート・チームと主治医と手術をしたお医者さんと病院のカウンセラーの一致の意見、しかもかなり威圧的で強力な意見であったにも関わらず、私は母を無理やり退院させました。
これまで時間をかけて築き上げてきた良い関係を失うリスクについても考えたうえで・・・。
それは神さまの促しだったし、私が日本にいる間にホームに入所させることも神さまの憐れみのご計画でした。
確信はなかったけど、絶対大丈夫なはず、となぜか思えた。
でも誰にも理解されなかった。
すごく怖かったし、孤独でした。
でもね、その恐れや孤独を引き受けて、神さまを選ぶ時に起きる奇跡はすごいです。
私、このこと、言わずにいられない。
書かずにいられない。
教会で聖らなか人の聖らかなで正しい証を聞くたびに、シラ〜っとなっちゃうひねくれ者の私は、こういうことはあまり言わないことにしていたけど、今度だけは、言わずにいられないのです。