Monday, February 15, 2021

満ちたりることを学ぶこと


乏しいからこう言うのではありません。
私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
ピリピ  3:18

「むさぼり、不平、つぶやきなどは、地にいばらがあるように、人間が生まれながらに持っているものである。
私たちはあざみやいばらの種をまく必要はない。
それは土壌には固有のものであるから自然に生え出す。
しかし地に生ずる値うちあるものは、手をかけて育てなければならない。
麦を得ようとするならば地を耕して種をまき、花がほしければ花園を作って世話をしなければならぬ。
それは、私たちのうちに自然に生えることはない。
生まれ変わった新しい心の畑にのみそれは生えるのであって、神がまかれた恵みを受け、それを育てるためには特別の注意が必要である。
それは持前の力ではなく、訓練によって少しづつ得られる技術である。
私たちは経験によってそのことを知る。」
今朝のスポルジョンの私へのメッセージです。
満ちたりることを学びたいです。
できれば、パウロのような苦しみは苦しまずに。
昨日、国民健康保険税を郵便局に支払いに行きました。
年に5回、請求書が来るようです。
もし、コロナが鎮まり、渡航がもっと簡単になり、行ったり来たりができるようになったら、この支払いをミスしそうだなっと思い、郵便局で口座を開き、そこから自動引き落としできたたらっと窓口で聞いてみました。
この家から一番近い郵便局の窓口の人とはもう、簡単に話ができるようになりました。
年賀状を買ったり、国際郵便について尋ねたり、小為替を買ったりして、私はすっかり慣れているのです。
でも、国民健康保険証とお金だけでは口座が開けないことがわかりました。
写真付きIDと印鑑が必要なのです。
それで、大分市から届いていた国民コードのカードの申請書に、自動販売機の証明写真撮って、貼って、再び郵便局から出しました。
印鑑も自動販売機で作ろうとしましたが、これは証明写真ほどかんたんではなく、あきらめて帰ってきました。
自分の名前をタイプするのだけど、五十音にならんだひらがなのパネルの感度が悪く、どうしても、必要な文字でエラーが出てしまってうまくいかなかった。
でも、できなかったことよりも、できたことの方がたくさんあったと、今朝、スポルジョンのメッセージを読んで気づいた。
満ちたりる思いというのは探さなければならない隠された宝もののよう。
★写真付きIDについて
「運転免許書でもいいですよ」って言われた時に、「持っていないのです」と言った後、何食わぬ顔をして大きな窓ガラスごしに駐めた車に乗って帰るのはよくないなっと思った。
どうすればよいかなっと思って、少し考えた。
「カリフォルニアの陸運局が発行している国際運転許可書で運転しているのです」と言うのは、なんだかとても抵抗がある。
ちょっと遠くに駐めよう。
今日のメッセージから学んだはずだけど、日本の陸運局に本物を再発行をしてもらいたいと思ってしまう。
これはスポルジョンの言うとおり、私が根っからの欲張りである証拠です。

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