Sunday, February 21, 2021

私の悲しみについて


どうしても書きたいことがあります。
自分のために。
今朝、みことばとメッセージをもらって、そう思った。
自分のために書いておこうって。
私自身のことです。
母がなんでもかんでも食べ物(プチトマトでさえ)を三等分するのにイライラしていた時期のことです。
母には週に6日お弁当が届きます。
最初の入院の時に、父が手配して、とても良かったので、退院後は毎日ふたつのお弁当を届けてもらっていました。
でも、このお弁当とてもボリュームがあって残ってしまうのです。
それで、お昼はひとつを半分こ。
晩ご飯もひとつを半分こにしていました。
今思えば、それはとても良いことだったのです。
つまり、私が帰ってくるまでは・・・。
でも、私は、お昼と晩に同じお弁当を食べるのはかわいそうと思って、ひとつをキャンセルしたのです。
しかも、食べる人の数は1人増えてしまっています。
母の混乱は仕方のないことなのでした。
私は、まだいろんなことがちゃんと飲み込めていなかったし、毎日、たまごかけごはんでも食べていたいからそれで良いと思ってそうしたのです。
以来、母はそのひとつのお弁当をどうしても三等分にしてしまうようになりました。
私はもうすっかりすっかり疲れてしまい、その日、母の目の前にお皿をふたつだし、指を日本立てて、大きな声で「ふたつ!」と言ってしまいました。
ため息をつきながら、少し離れようと思い、一旦部屋に戻り、お水を飲んで戻ってくると、母はそのふたつを父と私の椅子の前におき、朝、私がふかしたさつまいもを自分の前に置いているのです。
書きながら、涙がこぼれてきます。
でも書かなきゃ。
悲しかった。
本当に悲しかった。
自分が情けなかった。
ちっぽけな自分が悲しかった。
母はアルツハイマーを発症し認知症の診断をもらいました。
それは、どういうことかと言うと、神さまの御栄光が現れたということなのです。
神さまは、母をお造りになりました。
母はやがて家族を愛する妻となり母となりました。
そして大病を患う息子を看取り大きな悲しみの中で病気になりました。
それは素晴らしい神さまの作品が、私の目にあらわになるためでした。
人の脳のことはよくわかりません。
でも、神さまはすごいということはわかりました。
痛いほど。悲しいほど。
そして、自分がどれほど自分中心でちっぽけかということも、よくわかって、それで、私は悲しいのです。




 

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