Saturday, February 20, 2021

新たなる発見


覚えている?
小さな子どもへの愛ってとってもやさしくて純粋で良いものでしょ?
愛している自分がすでに良いものを受けてしまっている名付けて「しょうがない愛」。
愛する対象の価値が、ただその存在というとってもシンプルで純粋な愛なのでした。
何が言いたいかって言うとね、私、その「しょうがない愛」を母に感じてしょうがないのです。
つい最近まで、本来あるべきと信じる自分の幻想にイライラしていて、そのイライラをどうにかしたくて神さまに一生懸命にありのままを愛せるようにとお祈りしたらそうなっちゃった。
本当に、純粋で、無垢で、何にもカバーしていない母。
神さまに造られっぱなしの自分をカバーしない母は、とてつもなく純粋でやさしいのです。
ふたつしかなかったら、それは必ず父と私。
私が、「私のはいいのよ」と言ってもその時は「はい」って言うけど、3分後には忘れて、私の椅子の前に置く母。
お金のこともそうです。
貸してくれたことはすっかり、さっぱり、くっきり忘れるのに、借りたら最後、10回ぐらい返そうとうする母。
いえ正確にはその3倍以上。
でも、もう、それを「うるさい」とは思わない。
神さまはすごいなって思うようになってきた。
人はみなどんどん自分中心に老いていくけど、そういう自分中心ってすごいかも。
そして、子が、そんな親に、純粋で無垢な神さまの作品を感じることができることも、これまたすごいかも。
どう思いますか?

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