Saturday, February 27, 2021

寄留者だけど、幸せです

それはあなたが私の避け所である主を、
いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。
詩篇 91:9

「荒野におけるイスラエル人はたえず変化にさらされていた。
雲の柱が立ちどまるごとに天幕がひろげられた。
しかし、翌朝、太陽が上らないうちにラッパが鳴り、契約の箱が前進始め、燃えている雲の柱に導かれて山の狭い道を通り、丘を超え、あるいは無人の荒野を旅するのであった。
それでも彼らは神を彼らの家とし、雲の柱をそのむな木と思い、夜になって燃えるその柱を家庭の灯火と思っていた。
世にあって私は寄留者である。
しかし神に安住している。
地にある私はさすらい人である。
しかし私は神のうちに静かな住居を持っている。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
半年前の私には、このメッセージがきっと、理屈でしかわからなかったと思う。
でも、今は身を持ってわかる。
家を離れて、こんなに長い時間、こんな遠くにいることが、時々、全て夢のようと思うことさえあります。
そうだったら、帰る願いから解放されるのにって。
アメリカに行ったことも、結婚したことも、子どもをふたりほど産んだことも、幼稚園で働いていたことも、教会へ通っていたことも、毎朝プールで泳いでいたことも、全部夢だったら、そこに帰らなくちゃって、思いから解放されるのにって。
でも、心の底では知っている。
帰る場所があるから、家があるから、だから、送られた場所で力一杯に生きてゆける。
ここは、本当に良い所です。
あたたかくて、ゆとりがあって、静かで、平和です。
お散歩するにうってつけのきれいな小道がたくさんあります。
図書館のおかげでいつも良い読み物がそばにあり、そして、山のおいしい水を毎日飲んで暮らしています。
神さまのご臨済の充満した家で、今日も、私は、愛し、愛されるという娘の務めに励みます。

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