神はヨナに仰せられた。
「あなたは当然のことのように怒るのか。」
ヨナ書 4:4
怒りは必ずしも常に罪ではない。
しかし、怒りはともすれば凶暴に流れる傾向があるので、私たちが怒りを発する時は、すぐに、「今怒るのはよいことだろうか」と自問してみなければならない。
罪は忌まわしく憎むべきものであり、新生の心をもつ者はそれに耐えられない。
ところが、私たちの怒りは、正しくないほうがはるかに多い。
なぜ私たちは子どもたちに対していらいらし、人に腹を立て、同僚を怒るのだろう。
それは生来の悪の心が私たちを支配しようとするものであるから、私たちは新生の一切の力を傾けて、それに抵抗すべきではないか。
クリスチャンはすべての点で勝利者となるべきであり、そうでなければ、栄冠は得られないことを記憶しておくべきである。
私たちは生来の弱さを罪を犯す口実としてはならない。
否、十字架のもとに走って行き、生まれながらの悪い性質が十字架につけられて新たにされ、主の御姿に似た柔和な者とされるように祈らなければならない。
「朝ごとに」 C.H.スポルジョン
私、本当に神さまに愛されていると思う。
今朝の私には、他のなによりも、このメッセージが心底(昨日初めて思い切って使ってみて、癖になりそうなキツイ言葉、でもこれ以外にない)ありがたい。
まるで、シリアルの中に納豆を見つけた気分。
いえ、砂浜の砂つぶの中に真珠を見つけた驚きです。
(軽く確認すると、この「朝ごとに」は365のメッセージができているのだけど、毎朝ひとつの決まったものしか与えられません)
先週の土曜日の朝もこの衝撃的神さまの愛の洪水が起きて、私はいてもたっていられず、ゆりかさんを呼び出し、この感動をぶちまけたばかりだから、もうこれは絶対に偶然ではなく、私は、決定的絶対的に神さまに特別に個人的直接的に教授され、励ましを受けている幸せもんです。
ふう〜。
で、ヨナの怒りのこと。(続く)