Sunday, August 23, 2015

Love forgives

もしあなたが人を赦すなら、私もその人を赦します。
私が何かを赦したのなら、
私の赦したことは、
あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
Ⅱコリント2:10
タフなテーマです。
おそらく、この本の中に一番難しいのではないでしょうか。
けれども、これは、避けては通れない、結婚への最後の希望です。
壊れかけた結婚の多くは、この「赦し」が最終的な問題となって、取り残されています。
これを解決できれば、結婚は生き返るとも言えます。
赦せない思いとは、心の中に牢獄を宿している状態です。
ひとつではないかもしれません。
そこにパートナーの牢獄もあるかもしれません。
イエスは、あなたの側に立って、牢獄の鍵を渡して、「あけなさい」と言っています。
そして、イエスの姿や声に気づかないふりをすること、これが赦せない思いです。
The Love  Dare より
精神的に、とても大きなプレッシャーのかかった1週間でした。
そして、金曜日と土曜日は、あまりのプレシャーに息をするのも苦しく、心にかかっているのか、身体にかかっているのが、区別できないほどでした。
でも、ネガティブの限界値すれすれのところで、ふっと、イエスさま直接に心に触れられ、包まれ、私は何度か泣きました。
金曜日の夜中は夫が帰りが遅かったことをいいことに、声を出して泣き、土曜日の朝は、どうしてもひとりになる必要があったので、わざわざ遠くの銀行まで車を走らせて泣きました。
泣きながら、イエスさまに感謝しました。
これは、きっとノン・クリスチャンには不思議な文章だと思います。
でも、泣きなかがら、感謝しているのです。
金曜日の夜、あたりが暗くなっても、まだ帰ろうとしない、工事のためのワーカーの一人が、今週、入院して手術を受けることになっています。
脚立に立って、部屋の隅の壁の隙間にパテを埋めていて、その相棒さんが、彼を後ろから見守っていました。
それを夜中に思い出して、私は涙がこぼれて、こぼれて、どうしようもありませんでした。
今も、書きながら、涙をがまんできずにいます。
彼の命のかけらがこの家に刻まれてしまいました。
向こう3ヶ月、休養をしなければならないので、もう当分、会うことはできません。
だから、昨日、私は、彼の手をしっかりとにぎり、「祈っています」と伝え、荷物を積み込んだ車が、見えなくなるまで、手を振って見送りました。
工事現場だった庭が工事現場でなくなりました。
さみしいです。
工事の音がもう、聞けないって思うと、本当にさみしいのです。
これが、赦しとなんの関係があるのでしょうか。
息もできないほど苦しかった時、私は神さまを赦せずにいたのかもしれないと思うのです。

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