私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前で祈ります。
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、私の内なる人を強くしてくださいますように。
こうしてキリストが、私の信仰によって、私のうちに住んでいてくださいますように。
私がすべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになりますよう。
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことができる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。
アーメン
ただ人になられたということと、悲しみの人になられたということとの間には、非常に隔たりがある。
神の子であられた主が血を流し、死に、そして苦しまれたのである。
ここに愛がある。
その愛は「人知をはるかに越えた」ものである。
この愛により、私たちの心を賛美と感謝に満たし、その愛の力を現すものとしてください。
アーメン
私にできること:完全な自炊生活 |
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」3月28日より
とても静かな通りなのだけど、今朝は特別な静けさを感じます。
もう9時になろうとしているのに、誰も起きてきません。
エペソ人への手紙を読みました。
今、世界で起きていること、アメリカで起きていること、この街で起きていることを知りたいと思うようになり、聖書と同じぐらいの熱心さで、毎日、ニュースを読むようになりました。
昨日読んだ記事に、トランプ大統領の楽観的な発言を受けて、「予定を決めるのは議会ではなく、ウィルスだ」という科学者のことばを読みました。
ウィルスが神となりかけているこの世界を、どうか、その手で癒してください、心からお祈りしました。
答えは、「人知をはるかに越えた」神のことばの中にこそあることを、リーダーたちが、決して忘れることがありませんように。