しかし、主イエス・キリストの御名と
私たちの神の御霊によって、
あなたがたは洗われ、
聖なる者とされ、
義と認められたのです。
1コリント6:11
2列王記の1章のなんだか突拍子のない感じのする、でもかっこいい、孫悟空みたいなエリアのお話を読み、それから、ふっと、昨日の礼拝で受け取ったみことばをもう一度開いてみました。
なんだか、ちゃんと飲み込んでいなかったような、気がして・・・。
1コリントの6章の9節から11節です。
同性愛やその他の不品行をずらずらとリストアップし、パウロは、そのような人は神の国を相続できないと、きっぱり言いました。
ここで、同性愛は、私にとって、かなり人ごとであって、(それは、大変に重く苦しい葛藤だらけの人生だとは思うけど、私には私の重く苦しい葛藤があるという意味です)切実に心配し、悔い改めるべき罪が色々と並んでいたのでした。
そして、今朝、思うのです。
エリアは、偶像に自分の病気を診断させようとするイスラエルの何代めかの王に、「あなたが人をやって、エクロンの神、バアル・セブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。」と主のメッセージを伝えました。
結局、全ての不品行は、神を神としないところから始まっている・・・。
「何をもって、あなたはあなたの人生を満たすのか」これが昨日の礼拝メッセージの本題だったのです。
同性愛の人に心を重ね、「普通の私にはわからない苦しみがあるのね、ごめんなさい」とどこか高いところから、ソーリーなんて思った私だって、それに負けず劣らぬ大変な罪びとなのでした。
ああ、やっとこれで、新しい一週間が気分よく始められる。
ごめんね、ありがとう、イエスさま。
★記事と全然関係ないけど、書かせてほしい。
この目覚まし時計、昨日、ビーチぞいのかわいいフレンチカントリー風のお店に見つけました。
8ドルです。
電池も入っていました。
で、何がかわいいかって、大きさ。
こう見えても、高さ3センチほど厚みは1センチ。