何事でも自己中心や虚栄からすることなく、
へりくだって、
互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
自分のことだけでなく、
他の人のことも顧みなさい。
ピリピ2:3、4
このような心がまえで、相手のやり方に柔軟になることはキリストに習うことと同じです。
キリストはご自分を無にして仕える者の姿をとりました。
天からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
義の実を結ばせる種は、平和をつくりだす人によって平和のうちに蒔かれる、これは、ヤコブ書の中にある、意見の不一致に関する、愛に基づいた最高のアドバイスです。
意見の違うことをひとつ選び、愛しているがゆえに、従うことをやってみましょう。
がちょ~ん。
これはまるで、夕べ私が書いた文章に対する率直な神さまの応答のよう。
のよう、っていうか、まさにそのものずばり。
もういやだ。
この毎朝の公開デボーションは、何をテキストに使い、何をトピックにしようが、自分でわざとページをスキップしない限り、毎朝、ピンポイントで神さまの応答がありすぎる。
良くも悪くも、うれしくても苦しくても、好もうと好まざると。
そして、私は、従うほかないわけです。
私は、自由だから、自由意志をもって、キリストに従うしかない。
こんな風に、超具体的にはっきりと御こころを見せられて、なんの話しかわからないふりをするのは、キリストを何度も十字架につけているのと同じと、こんな私にもわかるからです。
とほほほ。
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